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第十一章

レオンハルトの精霊(五)

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 厳格な声から発せられる冷酷な言葉。
 それに対し、怒りや嫌悪といった負の感情はなく、ただ心は凪いでいた。

(そう……精霊はこういう存在よ。精霊にとっては、自分たちの感情こそが“正”なのだから)

 精霊は、契約者となった人間を愛し、大切にする。
 いや、愛することを決めたからこそ、契約すると言ったほうが正しいだろう。
 精霊と人間の契約は、余程の例外事項がない限り、人間の命が尽きるまで続いていく。最期を迎えるその瞬間まで、精霊は一途に契約者を想い、契約者の幸福や安寧を願いながら、惜しみない愛情を注いでくれるのだ。

 それだけ聞くと、精霊はとても愛情深いように思えるだろう。いや、事実、彼らはとても愛情深いのだ。だが、彼らのその深い“愛”は、一方的な愛情でもあった。
 彼らが願う契約者の幸福や安寧の基準は、契約者の想いや考えではなく、彼らの感情に準拠しているのだ。
 彼らが是と思えばそれは是であり、彼らが非と思えばそれは非になる。

(精霊の行動によって契約者が悲しんだとしても、精霊はそれを悪いことだとは思わない。そして、悲しむ契約者を理解できないと思いつつ、その感情を理解しようとも思わない。精霊とはそういう存在で、だからこそ、人間と精霊は――)

「人間と精霊は本質的には理解し合えない」

 考えていたことをそのまま言葉に出され、ルシアナは目を見開く。
 ベルは鋭く細めていた目を和らげると、ふっと目を伏せた。

「私が以前言ったことだ。覚えているか?」
「……もちろんよ」
「なら、そういうことを契約者に伝える私は精霊の中でも異端なほうで、お前の感情にもなるべく寄り添っていきたい変わり者だと言ったことは?」
「覚えているわ」

 首肯しながらはっきりと告げれば、ベルは、ははっと肩を揺らし、すぐに大きく息を吐き出した。それから大袈裟に肩を竦め、隣で縮こまるレオンハルトの精霊の頭を乱雑に撫でた。

「私は自分自身をずいぶんと人間に寄った精霊だと思っていたが、上には上がいるものだ。こいつを前にすると、私もまだまだ精霊らしい精霊なのだと自覚させられる」
「それは――」

 話そうと口を開けたレオンハルトの精霊に、ベルは鋭い目を向け黙らせた。

「言っておくが、褒めてはないぞ。長く精霊界を離れていたせいか、お前には精霊としての矜持も威厳もない。契約者でもないルシーに頭を下げたのもそうだが、契約者とはいえ人間におもねるなど……本当に、出会った精霊が私でよかったな」
「う、うん……」

 恐縮しながら頷いたレオンハルトの精霊に、ベルは小さく息を吐くと、もういちどくしゃりと頭を撫で、視線をルシアナたちに戻した。

「話を戻そう。つまり私が言いたかったのは、互いに譲れないものがあるなら、それを譲る必要はないということだ。お互いの譲れないものが相容れなくても、私はお前を変わらず愛しく思っているし、お前も、変わらず私を想ってくれているだろう?」

 慈愛に満ちた温かな視線に、ルシアナは視界が滲むのを感じながら、「うん」と小さく漏らした。

「レオンハルト様を苦しめたことは……ごめんなさい、いくら取り繕おうと思っても、やっぱり許せないわ。けれど、わたくしはベルが好き」

 ルシアナは込み上げる想いを吐き出すように一つ息を吐くと、レオンハルトを見上げた。

「ベルは、あのときも本当にレオンハルト様を亡き者にしようと……その命を奪おうとしました。そして今後も、ベルはレオンハルト様にとって脅威となるでしょう。けれど、わたくしは、ベルへの愛も、情も、捨てることはできません。……申し訳ありません、レオンハルト様」

 レオンハルトの名を口にした瞬間、堪えきれず、目からは雫がこぼれ落ちた。

(わたくしがこうして、強欲にどちらもと望んでいられるのは、ベルとレオンハルト様の優しさと愛に甘えているからだわ。申し訳なくて、情けない)

 目を伏せ、静かに涙を流すルシアナの濡れた頬を撫でながら、レオンハルトは宥めるようにルシアナを抱き締めた。

「いい。ルシアナ。俺のために、貴女が何かを捨てる必要も、何かを天秤にかける必要もない。それに、俺は例え俺自身であっても、貴女を傷付ける存在を許すことはできない。だから、ベル様のお言葉は、俺にとっては何よりもありがたいものだ」

 ルシアナの頭に優しく口付けたレオンハルトは、真っ直ぐベルを見つめた。

「もしそのようなときが来たら、躊躇わずこの身を灰にしてください」
「馬鹿を言うな。灰すら残さん。――じゃなくてだな、レオンハルト」

 ベルは呆れたように「どうしてこうも世話が焼ける奴ばかりなんだ」と盛大な溜息を漏らすと、「あのな」と言葉を続けた。

「私は確かにルシーを傷付ける存在を許さないとは言ったが、とは言っていない。あの瞬間、お前に殺意を抱いたことは否定しないが、そもそもすべての発端はこの精霊で、今お前に対する怒りはない」

 ぽん、とベルに軽く頭を叩かれたレオンハルトの精霊は、びくりと肩を震わせ俯いた。そんな精霊の頭を左右に揺らしながら、ベルは言葉を続ける。

「正直、お前がくたばろうがどうなろうが、私は興味がない。だが、ルシーが傷付き悲しむのは、私の本意ではない。だからお前は、お前自身のことも大切にしろ、レオンハルト」

 思いがけないベルの言葉に、その場にいた全員が、目を見開いてベルを見た。
 全員から驚愕の表情を向けられながらも、ベルは飄々とした様子で大きく体を伸ばした。

「とりあえず、私がお前たちに伝えたかったことは以上だ。お前たちのほうから何か言いたいことがあった場合は……ルシーはいつでも声を掛けてくれ。他二人からは受け付けない。あとはこいつの話を聞いてやってくれ。私はもう引っ込む」
「え!? ベル行っちゃうの!?」
「当たり前だ。お前はもうレオンハルトと話せるんだから、私に頼る必要はないだろう」

 縋りつこうとした精霊を引き剥がすと、ベルはいつも通りの、六、七歳の子どもに姿を変え、宙を漂いながらルシアナに近付いた。

「気が向いたときだけでいいから、あいつの相手をしてやってくれ。ルシーが一番、気が合いそうだからな」
「ベル……」

 ルシアナは、レオンハルトに寄りかかっていた体を起こすと、手を伸ばしてベルの頬に触れる。ベルはそれに嬉しそうに微笑むと、ルシアナの頬に口付けた。

「おやすみ、ルシー。愛しているよ」
「……おやすみなさい、ベル。わたくしも……愛しているわ」

 同じように言葉を返したルシアナに、ベルは歯を見せて笑うと姿を消した。
 ベルが去ったあとに煌めく、赤い火の粉のような残滓を見つめながら、ルシアナは心の底から安堵したように深く息を吐き出した。
 レオンハルトが倒れて以降、ずっと心の奥で燻っていたものが、綺麗に燃えてなくなったような心地だった。
 ベルを許しきれないことで抱いていた罪悪感は、「許す必要はない」と言われたことで消化され、レオンハルトにベルへの愛を伝えたことで、自分の中にあるベルへの揺るがない想いも自覚できた。
 レオンハルトがこの世で最も愛する者となったことで、他のものへの愛が薄まってしまったようにも感じていたが、決してそんなことはないのだと実感することができた。

(もしかしたら、わたくしとベルの関係はここで壊れてしまうのかもしれないと恐ろしかったけれど……わたくしたちの絆は、そう簡単に壊れるものではなかったわ)

 本当によかった、と再度安堵の息を漏らしたルシアナの体をレオンハルトが抱き寄せ、再び彼にもたれるような姿勢になる。
 一度レオンハルトを見上げたルシアナは、穏やかな笑みを浮かべると、向かいのソファでそわそわとこちらを窺う精霊に目を向ける。

(レオンハルト様とレオンハルト様の精霊様も、強い絆で結ばれた唯一無二になっていただきたいわ。そのためにできることなら、何でもしたい)

 ルシアナは改めてそう決意をすると、「精霊様」と声を掛け微笑んだ。
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