ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第十一章

レオンハルトの精霊(四)

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「えっと……どうかした? おれの顔に何かついてる?」

 精霊の声に、はっと我に返ったルシアナは、慌てて立ち上がるとナイトドレスのスカートを軽く摘まみ、精霊に向け頭を下げた。

「いえ。不躾に見てしまい大変申し訳ございませんでした。改めてご挨拶させていただきます。火の精霊ベルの加護を受けております、ルシアナと申します。お会いできて光栄に存じます、水と風の精霊様。この度は――」
「ま、待って……!」

 言葉を遮るように声が掛かると同時に、目の前に白い手が差し出され、ルシアナはわずかに顔を上げる。

「そんな風に頭を下げないで。体の状態だって万全じゃないでしょ? おれは気にしないから、座って?」

 冷たいようで優しい温かみのある手に頬を包まれ、自然と頭が上がる。
 視線の先で細められた、若葉色の混じった青い瞳を見て、ルシアナは、やっぱり、と小さく息を吐く。

(このお方は……とても“人らしい”わ。先ほどの嬉しそうな表情も……わたくしは契約者でも何でもない、些末な存在だというのに……)

「? やっぱり、おれの顔に何かついてる?」

 宙に浮かぶ精霊の顔がさらに近付いた、その瞬間。腰を思い切り引き寄せられ、気が付けばレオンハルトの足の上に再び腰を下ろしていた。
 驚いてレオンハルトを見上げれば、彼は複雑な表情で精霊を見つめていた。

「少し……距離が近いんじゃないか?」
「え? ――あっ、そっか、おれは男形の精霊だから……! ごめん、全然そういうつもりじゃなくて……!」

 慌てたように首を振った精霊は、顎に手を当て、何かを考え込むようにうんうん唸る。

(やっぱり、とても人らしい精霊だわ。人間が抱く感情は複雑で、精霊はそれを理解できないのが当たり前だと……トゥルエノでの生活で実感していたのだけれど、彼は愛する人に抱く人間の感情を理解しているように見えるわ)

 これまで接して来た精霊たちとはまるで違う様子の精霊に、再びじっくりその姿を窺う。すると、後ろから伸びた手に顎を持ち上げられ、勝手に視線がレオンハルトへと移った。眉根を寄せ、変わらず複雑そうな目で見つめるレオンハルトに、ルシアナが手を伸ばそうとしたところで、「あ!」と大きな声が聞こえた。
 反射的に手を引っ込め、声のほうを見れば、水が精霊の体の包み込み、次に姿が見えたときには、六、七歳くらいの子どもの姿になっていた。

(あ……)

「できた! ベルが普段とってる姿を真似てみたんだけど、これならレオンハルトは不安にならない……? この姿でもルシアナの傍にいるのはだめ……?」

 先ほどより大きな瞳がうるうるとレオンハルトを見つめる。
 釣られるようにルシアナもレオンハルトを見れば、彼は一瞬口に力を込めたあと息を吐き出した。

「ルシアナに関することの許可はルシアナから取ってくれ。俺の意見は聞かなくていい。……が、ルシアナに近付くときはその姿でいてもらえると……」

 途中で言葉を区切ったレオンハルトが、視線をルシアナに移す。腰に回した腕に力を込めながら、彼は頬を指先でくすぐった。

「貴女の……傍にいるときは、幼い姿でいてほしいと思う。俺は、そのほうが嬉しい」

 躊躇いつつも素直に言葉を紡いでくれたレオンハルトに、胸が甘く締め付けられる。
 ルシアナは、ふっと顔を綻ばせると、頬を撫でるレオンハルトの手を取り、体を彼に預けた。

「精霊様が納得されているのであれば、わたくしはレオンハルト様の望み通りにしていただきたいですわ。レオンハルト様の心身が健やかであることが何より大事ですもの」

 同意を求めるように精霊に目を向ければ、彼は勢いよく首を縦に振った。

「おれも……! レオンハルトが嬉しいのが嬉しい! だからこの姿でいる!」

 小さな体を大きく開きながら宙で回る精霊の姿に、自然と笑みが漏れる。
 子どもの姿になったせいか、レオンハルトへの愛情を隠しきれいない精霊の様子がどうにも微笑ましく思えた。

「まったく……少しは落ち着いたらどうだ」
「あ、ベル! 見て、子どもの姿! 覚醒したから、おれも自分のなりたい姿になれるようになったんだ!」
「説明されなくてもわかってる。いいから大人しく座れ」

 炎とともに姿を現したベルは、レオンハルトの精霊の首根っこを掴まえるとソファに座らせ、彼女自身もその隣に腰を下ろした。向かい合うように座ったベルの姿を見つめながら、ルシアナは握る手に力を込めた。

(……また、大人の姿)

 レオンハルトが倒れてから今まで、ルシアナの前に姿を現したベルはずっと大人の姿をしていた。それが本来の姿である以上、何もおかしいことはないが、ベルが子どもの姿でいることは、ルシアナにとっては絆であり、ベルにとっては愛情のはずだった。
 ずっとぎこちない態度をとり続ける自分を、ベルは変わらず愛してくれている。ベルの言動から、体内を巡る温かなマナから、それは感じ続けている。
 だというのに、何故本来の姿のままでいるのか。
 これまでベルを避けるような行動を取っていた後ろめたさから、それを問うこともできず、ルシアナはただ気まずそうに視線を下げた。

「言っておくが、私がこの姿でいるのはルシーや……レオンハルトに怒っているからではないからな」
「……え」

 下を向いていた顔を上げれば、変わらず優しい赤い瞳がルシアナを見つめていた。

「ルシーは優しいから、私が子どもの姿でいたら怒れないだろう? 小さい子には怒りにくいというのもあるだろうし……あの姿には、たくさんの思い出があるから」

 懐かしむようなベルの表情に、彼女と過ごした十年以上もの歳月が一気に脳内を駆け巡った。
 眠れない夜は、様々な話をしてくれた。
 自主鍛錬では、慣れないながらも剣を交わしてくれた。
 熱にうなされ苦しんでいたときは、気を紛らわそうと歌を歌ってくれた。
 思うように剣を振るえるようになったときは、自分以上に喜んでくれた。
 ずっと傍で支え、慰め、見守ってきてくれた、大切な存在。
 苦しいことも、嬉しいことも分かち合ってきた、一番の理解者。
 レオンハルトと出会うまでは、最も自分に近しく、特別だった存在。
 昔から変わらず、誰よりも何よりも自分を愛してくれている、唯一無二の精霊。

(わかっているわ。わかっているのに……わたくしはどうしてもベルを許しきれない。ベルへの愛情がなくなったわけではないのに……今でも、ベルのことを好きだと思っているのに……)

「ベル、わたくしは……」

 声が震えそうになるのをなんとか堪え、声を掛けたが、ベルはそれ以上は言わなくてもいい、というように片手を挙げ、首を横に振った。

「ルシー。ルシーが感じた悲しみや辛さ、抱えた怒りは手放さなくていい。お前は何よりもレオンハルトを愛しているから、私のしたことは許せないだろう」

 一度淡く微笑んだベルは、深く息を吐き出すと笑みを消し、鋭く目を細めて、ルシアナとレオンハルトを見つめた。

「許す必要はない。お前がレオンハルトを傷付ける存在を許せないように、私もお前を傷付ける存在を許すことはできない。もし、またレオンハルトが、そいつに関わる何かが、ルシアナ、お前を害せば、私は今度こそ確実にその男の息の根を止めるだろう。例えお前が傷付き、悲しみ、嘆き、絶望の淵に立ったとしても。それで二度と私の名を呼ばず、笑いかけることがなくなったとしても。私はレオンハルトの命を奪うことを躊躇いはしない」
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