ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

文字の大きさ
上 下
205 / 235
第十一章

レオンハルトの精霊(四)

しおりを挟む
「えっと……どうかした? おれの顔に何かついてる?」

 精霊の声に、はっと我に返ったルシアナは、慌てて立ち上がるとナイトドレスのスカートを軽く摘まみ、精霊に向け頭を下げた。

「いえ。不躾に見てしまい大変申し訳ございませんでした。改めてご挨拶させていただきます。火の精霊ベルの加護を受けております、ルシアナと申します。お会いできて光栄に存じます、水と風の精霊様。この度は――」
「ま、待って……!」

 言葉を遮るように声が掛かると同時に、目の前に白い手が差し出され、ルシアナはわずかに顔を上げる。

「そんな風に頭を下げないで。体の状態だって万全じゃないでしょ? おれは気にしないから、座って?」

 冷たいようで優しい温かみのある手に頬を包まれ、自然と頭が上がる。
 視線の先で細められた、若葉色の混じった青い瞳を見て、ルシアナは、やっぱり、と小さく息を吐く。

(このお方は……とても“人らしい”わ。先ほどの嬉しそうな表情も……わたくしは契約者でも何でもない、些末な存在だというのに……)

「? やっぱり、おれの顔に何かついてる?」

 宙に浮かぶ精霊の顔がさらに近付いた、その瞬間。腰を思い切り引き寄せられ、気が付けばレオンハルトの足の上に再び腰を下ろしていた。
 驚いてレオンハルトを見上げれば、彼は複雑な表情で精霊を見つめていた。

「少し……距離が近いんじゃないか?」
「え? ――あっ、そっか、おれは男形の精霊だから……! ごめん、全然そういうつもりじゃなくて……!」

 慌てたように首を振った精霊は、顎に手を当て、何かを考え込むようにうんうん唸る。

(やっぱり、とても人らしい精霊だわ。人間が抱く感情は複雑で、精霊はそれを理解できないのが当たり前だと……トゥルエノでの生活で実感していたのだけれど、彼は愛する人に抱く人間の感情を理解しているように見えるわ)

 これまで接して来た精霊たちとはまるで違う様子の精霊に、再びじっくりその姿を窺う。すると、後ろから伸びた手に顎を持ち上げられ、勝手に視線がレオンハルトへと移った。眉根を寄せ、変わらず複雑そうな目で見つめるレオンハルトに、ルシアナが手を伸ばそうとしたところで、「あ!」と大きな声が聞こえた。
 反射的に手を引っ込め、声のほうを見れば、水が精霊の体の包み込み、次に姿が見えたときには、六、七歳くらいの子どもの姿になっていた。

(あ……)

「できた! ベルが普段とってる姿を真似てみたんだけど、これならレオンハルトは不安にならない……? この姿でもルシアナの傍にいるのはだめ……?」

 先ほどより大きな瞳がうるうるとレオンハルトを見つめる。
 釣られるようにルシアナもレオンハルトを見れば、彼は一瞬口に力を込めたあと息を吐き出した。

「ルシアナに関することの許可はルシアナから取ってくれ。俺の意見は聞かなくていい。……が、ルシアナに近付くときはその姿でいてもらえると……」

 途中で言葉を区切ったレオンハルトが、視線をルシアナに移す。腰に回した腕に力を込めながら、彼は頬を指先でくすぐった。

「貴女の……傍にいるときは、幼い姿でいてほしいと思う。俺は、そのほうが嬉しい」

 躊躇いつつも素直に言葉を紡いでくれたレオンハルトに、胸が甘く締め付けられる。
 ルシアナは、ふっと顔を綻ばせると、頬を撫でるレオンハルトの手を取り、体を彼に預けた。

「精霊様が納得されているのであれば、わたくしはレオンハルト様の望み通りにしていただきたいですわ。レオンハルト様の心身が健やかであることが何より大事ですもの」

 同意を求めるように精霊に目を向ければ、彼は勢いよく首を縦に振った。

「おれも……! レオンハルトが嬉しいのが嬉しい! だからこの姿でいる!」

 小さな体を大きく開きながら宙で回る精霊の姿に、自然と笑みが漏れる。
 子どもの姿になったせいか、レオンハルトへの愛情を隠しきれいない精霊の様子がどうにも微笑ましく思えた。

「まったく……少しは落ち着いたらどうだ」
「あ、ベル! 見て、子どもの姿! 覚醒したから、おれも自分のなりたい姿になれるようになったんだ!」
「説明されなくてもわかってる。いいから大人しく座れ」

 炎とともに姿を現したベルは、レオンハルトの精霊の首根っこを掴まえるとソファに座らせ、彼女自身もその隣に腰を下ろした。向かい合うように座ったベルの姿を見つめながら、ルシアナは握る手に力を込めた。

(……また、大人の姿)

 レオンハルトが倒れてから今まで、ルシアナの前に姿を現したベルはずっと大人の姿をしていた。それが本来の姿である以上、何もおかしいことはないが、ベルが子どもの姿でいることは、ルシアナにとっては絆であり、ベルにとっては愛情のはずだった。
 ずっとぎこちない態度をとり続ける自分を、ベルは変わらず愛してくれている。ベルの言動から、体内を巡る温かなマナから、それは感じ続けている。
 だというのに、何故本来の姿のままでいるのか。
 これまでベルを避けるような行動を取っていた後ろめたさから、それを問うこともできず、ルシアナはただ気まずそうに視線を下げた。

「言っておくが、私がこの姿でいるのはルシーや……レオンハルトに怒っているからではないからな」
「……え」

 下を向いていた顔を上げれば、変わらず優しい赤い瞳がルシアナを見つめていた。

「ルシーは優しいから、私が子どもの姿でいたら怒れないだろう? 小さい子には怒りにくいというのもあるだろうし……あの姿には、たくさんの思い出があるから」

 懐かしむようなベルの表情に、彼女と過ごした十年以上もの歳月が一気に脳内を駆け巡った。
 眠れない夜は、様々な話をしてくれた。
 自主鍛錬では、慣れないながらも剣を交わしてくれた。
 熱にうなされ苦しんでいたときは、気を紛らわそうと歌を歌ってくれた。
 思うように剣を振るえるようになったときは、自分以上に喜んでくれた。
 ずっと傍で支え、慰め、見守ってきてくれた、大切な存在。
 苦しいことも、嬉しいことも分かち合ってきた、一番の理解者。
 レオンハルトと出会うまでは、最も自分に近しく、特別だった存在。
 昔から変わらず、誰よりも何よりも自分を愛してくれている、唯一無二の精霊。

(わかっているわ。わかっているのに……わたくしはどうしてもベルを許しきれない。ベルへの愛情がなくなったわけではないのに……今でも、ベルのことを好きだと思っているのに……)

「ベル、わたくしは……」

 声が震えそうになるのをなんとか堪え、声を掛けたが、ベルはそれ以上は言わなくてもいい、というように片手を挙げ、首を横に振った。

「ルシー。ルシーが感じた悲しみや辛さ、抱えた怒りは手放さなくていい。お前は何よりもレオンハルトを愛しているから、私のしたことは許せないだろう」

 一度淡く微笑んだベルは、深く息を吐き出すと笑みを消し、鋭く目を細めて、ルシアナとレオンハルトを見つめた。

「許す必要はない。お前がレオンハルトを傷付ける存在を許せないように、私もお前を傷付ける存在を許すことはできない。もし、またレオンハルトが、そいつに関わる何かが、ルシアナ、お前を害せば、私は今度こそ確実にその男の息の根を止めるだろう。例えお前が傷付き、悲しみ、嘆き、絶望の淵に立ったとしても。それで二度と私の名を呼ばず、笑いかけることがなくなったとしても。私はレオンハルトの命を奪うことを躊躇いはしない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる

奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。 両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。 それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。 夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

笑わない妻を娶りました

mios
恋愛
伯爵家嫡男であるスタン・タイロンは、伯爵家を継ぐ際に妻を娶ることにした。 同じ伯爵位で、友人であるオリバー・クレンズの従姉妹で笑わないことから氷の女神とも呼ばれているミスティア・ドゥーラ嬢。 彼女は美しく、スタンは一目惚れをし、トントン拍子に婚約・結婚することになったのだが。

処理中です...