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第十一章

精霊と契約者(十)

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「――……さま、……くさま。――ルシアナ様」

 すぐ近くで聞こえた呼びかけに、ルシアナは、はっと目を開けると、横へ目を向ける。

「おやすみのところ、起こしてしまい申し訳ありません」
「……」

 申し訳なさそうに眉尻を下げるエステルに、ルシアナは緩く首を横に振る。

(またうたた寝してしまったのね)

 背もたれに体重を預けながら、ルシアナは深く息を吸い込み、吐き出す。
 ルシアナが目覚めてから八日。
 レオンハルトが昏睡状態になってから、十日が経っていた。
 相変わらず眠れない夜が続き、ルシアナ自身、気力が落ちてしまっていることは自覚していた。

(……あとは目覚めるのを待つだけなのに)

 レオンハルトのマナはすっかり安定し、しばらく滞在していたコンスタンツェとセザールも、「まったく心配ない」という言葉とともに、二日ほど前に魔法術師協会に帰って行った。
 もともと外傷もなく、眠っている間はマナが体の状態を維持してくれるため、医師のフーゴとタビタも、レオンハルトよりルシアナの状態をより気にかけるようになった。
 義父母のディートリヒとユーディットも、もう大丈夫だと確信したように毎日を過ごしていると聞いた。
 この邸内で、今もまだ絶望を抱えたままでいるのは、ルシアナただ一人だ。

(だめね、しっかりしなくては。……今日こそは、お義父様とお義母様にきちんとお会いしなければ)

 ディートリヒとユーディットは、ルシアナが居眠りをするようになったと聞くと、ゆっくり休めるように、とルシアナの元を訪ねるのを控えるようになった。それでも日に一度は必ず来てくれたが、ここ数日は寝ていて会えないという状態が続いていたのだ。

(……そういえば、今日は何かあったような……)

 再び瞼が落ちそうになったルシアナは、何故エステルがわざわざ自分を起こしたのか、ということにようやく考えが及び、はっとエステルに目を向けた。
 目が合ったエステルは、眉尻を下げたまま、頭を下げた。

「先ほど、王太子殿下がご到着されました。現在、ヴァルヘルター公爵閣下と公爵夫人がご対応されています」

(……!)

 “時間が取れたから会いに行く”とテオバルドから手紙が届いていたが、約束の日は今日だったか、とルシアナは慌てて立ち上がる。急に立ち上がったせいか、くらりと目が回り、頭が痛んだが、そんなことは気にしていられないと急いで扉まで向かう。

(こんな大事なこと忘れていたなんて……!)

 ルシアナは怪我人で、体調も万全ではないのだから無理はしなくていい、とディートリヒたちには言われた。しかし、シルバキエ公爵家の女主人として、レオンハルトの妻として、自分が来客の対応をするのは当然の義務だから、とその厚意を断っていた。
 だというのに、居眠りした挙句訪問日を失念するなど、とんだ失態だと冷や汗が浮かぶ。

(あ、待って、違う、これは……)

 取っ手に手を掛け、扉を引いたルシアナは、自分の視界が回ったことに気付き、咄嗟に目を瞑る。

「ルシアナ様!」

 エステルの叫び声を聞きながら、ルシアナはすぐに訪れるだろう衝撃に備え、身を固くする。が、後ろに倒れそうになった体は力強い何かに引き戻され、衝撃などやって来なかった。
 ルシアナは、痛む頭に眉根を寄せながら、恐るおそる目を開ける。
 眩む視界のなか、自分の体をしっかりと支える人物を見上げ、短く息を吐き出す。

(おとう、さま)

 レオンハルトより明るいホワイトシルバーの髪に、レオンハルトとは違うターコイズグリ―ンの瞳を持つ目の前の人物をぼんやりと見つめていると、「ルシアナさん!」とレオンハルトと同じ瞳を持つユーディットが駆け寄って来た。

「大丈夫!? 顔色が悪いわ。ああ、頬もこんなに冷えて……」

 頬に触れるユーディットの手の温かさに、自然とほっとしたような息が漏れた。そのまま体の力が抜けかけたルシアナだったが、ディートリヒの後ろに控えている人物に気付き、再び体が強張る。

(王太子殿下……!)

 みっともないところを見せてしまった、早く姿勢を正して挨拶をしなければ、と思うものの、頭痛が治まらず、なかなか足に力が入らない。
 しかし、このままずっとディートリヒに支えてもらうわけにもいかない、となんとか体を起こそうとしたところで、「ルシアナ殿」と穏やかに名前を呼ばれた。
 声の主であるテオバルドに目を向ければ、彼は腰を屈め、優しげに微笑んだ。

「お会いできてよかった。今日は王太子としてではなく、ただのテオバルドとして、レオンハルトとルシアナ殿に会いに来たんだ。だからあまり身構えずに、楽にしてくれていい。というか、この状態で話すのはルシアナ殿が辛いだろう。俺のことは気にしなくていいから、横になってゆっくり休んでくれ」

 柔らかく細められた双眸が、どこかレオンハルトを彷彿とさせ、わずかに視界が滲む。
 自分は本当にレオンハルトのことばかり考えているな、と若干呆れた心地になりながらも、テオバルドもレオンハルトの身内なのだ、と思うと徐々に体の力が抜けていった。
 ルシアナの表情が緩んだことに気付いたのか、テオバルドはいつも通りの人懐こい笑みをルシアナに向けた。

「ヘレナも貴女に会いたがっていた。レオンハルトが起きて、ルシアナ殿の怪我が治ったら、王宮に招待させてくれ。ヘレナと四人で、またお茶でも飲もう」

(ヘレナ様……)

 きっとたくさん心配をかけただろう、と申し訳なく思いながらも、再び四人で集まってお茶会をする場面を想像したら、ふわりと心が軽くなった。目覚めてから、こんな風に心が浮つくのは初めてで、気が付けば、ルシアナの口元にはずいぶんと久しぶりの明るい笑みが浮かんでいた。
 テオバルドの誘いに了承を示そうと、しっかり首肯しようとしたルシアナだったが、慌ただしい足音が近付いて来ていることに気付き、視線をそちらに向ける。
 音の正体はヴァルターで、彼はルシアナたちを視界に入れると声を張り上げた。

「王太子殿下にご挨拶申し上げます! 緊急事態につきご無礼をお許しください! ――旦那様がっお目覚めになりましたっ!」

  ヴァルターが言い終わるのが先だったか、自分が動き出したのが先だったか、気付いたときにはルシアナは走り出していた。
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