ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第十一章

精霊と契約者(九)

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 間接照明と暖炉の灯りが淡く室内を照らすなか、ルシアナは深く椅子に腰掛けながら、泣きはらして重たくなった瞼をゆっくり閉じ、また開く。
 ルシアナが目を覚ましてから五日。
 レオンハルトはいまだ眠り続けたままだった。
 三日前、レオンハルトへ会いに行くことが許された日から、ルシアナは毎夜レオンハルトの元を訪れていた。

 叶うことなら一日中レオンハルトの傍にいたかったが、彼の姿を見ると次々に涙が溢れてきてしまうため、義両親や医師、エーリクたちが様子を見に来る日中は、どうしても会いに来ることができなかった。
 ただでさえ、流動食を一皿完食することもできず、夜まともに寝られないせいで昼間のうたた寝が増えたことで、みんなには心配をかけているのだ。これ以上は彼らの心労を増やしたくなかった。
 ルシアナはもう一度瞬きすると、ひざ掛けを畳み、椅子に浅く座り直す。腕を伸ばしレオンハルトの手を取ると、両手で彼の手を包み、畳んだひざ掛けの上に置いた。
 自分よりもはるかに大きな手の甲を優しく撫でながら、ルシアナはレオンハルトに笑みを向ける。

(レオンハルト様、もう十一といの月に入りましたわ。の月には領地にいる予定でしたのに、ずいぶんと遅れてしまいましたね。この一週間で、王都もずいぶん寒く……)

 ぽろ、ぽろぽろ、と再び溢れ出したものに、ルシアナは笑みを消すと俯いた。
 やっと止まったと思ったら、またすぐに出てきてしまう。
 ここ数日、レオンハルトの元に来るたびに、それを繰り返していた。

(レオンハルト様。わたくし、すっかり泣き虫になってしまいましたわ)

「……っ、っ……」

 ルシアナはレオンハルトの手を持ち上げると、骨張った手の甲に頬をすり寄せた。
 泣きすぎて熱を持った頬には、レオンハルトの冷たい手が気持ちよかった。

(……レオンハルト様)

 いつものように名前を呼んでほしい。
 濡れた頬を優しく撫で、目尻に口付けてほしい。
 大きな体で、すっぽりと包み込むように抱き締めてほしい。

(レオンハルトさま……)

 だから早く目を覚まして、ともう何度心の中で繰り返し呼んだかわからない彼の名前を呼び続けながら、体温が移り温かくなったレオンハルトの手の甲に口付ける。

(大好きです、レオンハルト様。レオンハルト様がいなければ、わたくしは――)

「……?」

 ふと、視界の端で赤いものが揺らめいた気がして、ルシアナはレオンハルトへ向けていた視線を上げる。

「……」

 視線の先にいた、ベッドを挟んだ向こう側に佇んでいる人物を見て、レオンハルトの手を握る手に、思わず力が入る。

(――……ベル)

 目覚めてから一度も姿を見せなかったベルは、本来の姿のまま、苦しそうに眉根を寄せて目を伏せた。

「……すまなかった、ルシー」

 苦しげに呟かれた言葉に、ルシアナは一拍置いて、にこりと笑みを浮かべる。

(――……まあ。ベルが謝るようなことは、何もないわ)

「――っ」

 ルシアナの言葉に、ベルは何か言いたげに視線を上げ、大きく口を開いたものの、結局出てくる言葉はなく、そのまま口を閉じて俯いた。

 ――……頭に来て、冷静さを欠いていた。私が我を忘れなければ、ルシーが話せなくなることはなかったし、そんな風に毎晩泣くこともなかった。
(――話せなくなったのは、わたくしが禁忌を犯したせいよ。こうして泣くことになったのも……わたくしが軽率だったの。レオンハルト様の精霊には、もっと慎重に向き合うべきだったわ)

 ベルの長く赤い髪が、ゆらりと揺れる。
 今ベルに言ったことは、本心だった。
 きっと大丈夫だろう、という慢心が今回のことを引き起こしたのだと、ルシアナは目覚めてから何度も反省した。自分がもっと気を付けていれば、きっとここまでのことにはならなかったと、自身の行動を悔いた。
 その反省と後悔は、間違いなく心からのものだ。

(けれど……)

 ルシアナは心の中でずっと燻り続けているものを抑え込むように、きつく目を閉じる。

(……だめよ。これは仕方のないことなの。精霊の性質上、仕方ないのよ)

 契約済みの精霊にとって何よりも大事なのは契約者だ。だからこそ、精霊たちは契約者を害する者を決して許しはしない。契約者を害する者を排除することは、彼らにとっては息をするのと同じくらい当然の行いだった。
 だから、ベルも精霊としてただ当たり前のことをしただけなのだ。レオンハルトの魔精石ましょうせきを傷付けたのも、その結果彼が昏睡状態になったのも、ベルにとってはしかるべき行いだった。

(仕方ない。仕方ないのよ……。……けれど……)

 それを、仕方のないことだ、と確かに理解しているはずなのに、心はそれを受け入れてくれなかった。
 怒りを抑えてくれれば。
 きちんと話を聞いてくれれば。
 魔精石ましょうせきが大事なものだと誰よりもわかっているはずなのに、傷付けようとするなんて。
 先ほどの謝罪が、レオンハルトを昏睡状態にしてしまったことに対するものだったなら。
 そんな思いがぐるぐると渦巻き、“大丈夫”と口にすることができなかった。

 ――……ルシー。

 静かな呼びかけに、ルシアナは目を開けると、ベルをじっと見つめる。
 ベルも、先ほどまでとは違い、真っ直ぐルシアナを見ていた。

 ――レオンハルトの精霊と……話しができるようになったんだ。実は、ここ数日はあいつと話してて……多分、あと数日でレオンハルトは目を覚ますと思う。

「……!」

 はっと目を見開き、生気を取り戻したように瞳を輝かせるルシアナに、ベルは少し困ったように、小さく笑んだ。
 ふよふよと宙を漂いながら近付いたベルは、ルシアナの涙を優しく拭うと、額に軽く口付ける。

 ――すまない、ルシー。愛しているよ。

 そう言い残し、ベルは姿を消した。
 先ほどまでベルがいた場所には赤い残滓が煌めき、ルシアナは無意識のうちに、その煌めきに手を伸ばしていた。しかし、当然ながらその残滓を捕まえることはできず、指先は虚空を彷徨った。

(……ごめんなさい、ベル)

 意味のない謝罪を心の中で呟きながら、ルシアナは伸ばしていた手を戻し、再び両手でレオンハルトの手を包み込んだ。
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