上 下
195 / 223
第十一章

精霊と契約者(六)

しおりを挟む
 コンスタンツェとユーディットの姿を確認したエステルは、素早くルシアナの手を放すと、三歩ほど後ろに下がった。
 なくなった温もりに一抹の寂しさを感じたのも束の間、エステルがいたほうとは逆側に回り込んだコンスタンツェがルシアナの手を取った。

「気分はどう!? 痛いところは!? あ、喋らなくていいよ! ちょっとマナの流れだけ確認させてね!」

 ルシアナが反応を返す隙もなくまくし立てたコンスタンツェは、その場に膝をついて目を閉じた。

(コニー様……)

 魔法術師はマナを操作し、変異させることで魔法を使うことができるが、彼らは他者のマナにも干渉することができた。マナは魔力の根源であると同時に生命力でもあるため、心身に深いダメージを負った場合は、マナが正常に流れているか魔法術師に確認してもらうのが一般的だ。
 しかし、精霊の加護を受けたルシアナのマナには精霊のマナが混じっているため、「マナの流れの確認」は口で言うほど簡単ではない。混じり合っているはずの二つのマナをそれぞれ別のものとしてきちんと把握し、その両方が正常に体内を巡っていることを確認しなければいけないからだ。

 指先からじわじわと体内に広がっていくものを感じながら、時が止まってしまったかのように動かないコンスタンツェを静かに見つめる。
 室内に静寂だけが落ちるなか、どれくらいそうしていたのか、コンスタンツェは細く長く息を吐き出すと、ゆっくり瞼を持ち上げた。
 真剣味を帯びたターコイズグリーンの眼差しは、ルシアナを視界に捉えると柔らかく変化した。

「うん、マナも安定してる。もう大丈夫そうね」

 それに安堵の息を漏らしたのは、エステルとユーディットだ。
 コンスタンツェの後ろにいたユーディットは、枕元に座ると優しくルシアナの頬を撫でた。

「よかったわ。本当に」

(……お義母様)

 もうすでに懐かしいものとなった“母”の気配と、レオンハルトによく似た温かなシアンの瞳に、目頭が熱くなる。しかし、泣いている場合ではないと自分を叱咤したルシアナは、何かを訴えるように真っ直ぐユーディットを見つめた。
 思いが通じたのか、もともとわかっていたのか、彼女はわずかに眉尻を下げると微笑んだ。

「……レオンハルトの、ことよね」
「――っ」

 先ほどとは違う、少し沈んだ声色に、握り潰されたように心臓が痛んだ。

(うそ――)

「大丈夫」

 不安で震えたルシアナの指先をしっかり握りながら、コンスタンツェはもう一度「大丈夫」とはっきり声に出した。

「レオンハルトは無事よ。ちゃんと生きてる。だから安心して?」

 柔らかく笑むコンスタンツェに、ユーディットは「ああ……」と申し訳なさそうにルシアナの頭を撫でた。

「今のは私の言い方がよくなかったわ。ごめんなさい、ルシアナさん。不安にさせたわね」
「もう! 本当よ、伯母様! ルシアナちゃんが安心するようにもっとたくさん撫でてあげて!」

 ルシアナを気遣ってか、声量自体は大きくないものの、二人のやりとりは軽快だ。その様子こそが、レオンハルトが無事な証なようで、ルシアナは目を覚ましてから初めて、しっかりと息を吸い込んだ。

(……よかった)

 もちろん、無事と一言で言っても、何も問題がないわけではないだろう。それでも、命があるとわかっただけで、十分だった。
 ずきずきとした胸の痛みが徐々に治まっていくのを感じながら、ゆっくり深呼吸を繰り返していると、目を合わせた二人が気遣わしげにルシアナを見つめた。

「ルシアナさん。ルシアナさんが知っていたほうが安心だと言うのなら、レオンハルトの状態についてもきちんと説明するわ。けれど、それを知っても、まずは貴女自身のことを一番に気遣うと約束してくれないかしら」
「そうそう。正直、状態としてはルシアナちゃんのほうが悪いっていうか……絶対に無理はしないで、安静にするって約束して?」

 魔精石ましょうせきにヒビが入った人間より悪い状態とはなんだろう、と考えて、自分が怪我をしていることを思い出す。

(魔法薬ならすぐに……喉は無理でも、腕の切り傷くらいなら治っていてもおかしくないのに、ずっと痛いわ。……そういえば……)

 気を失ってから、どれくらいの時間が経ったのだろう、と内心首を傾げる。日の高さを考えると、確実に一日は経過していそうだ。

「ルシアナちゃん? 大丈夫? 全然、休みたかったら休んでいいからね?」

 思わず考え込んでしまったルシアナは、コンスタンツェの声に我に返ると、ゆっくり首を横に動かす。

「本当? 大丈夫? 無理してない?」

 大丈夫、と示すように小さく笑み、瞬きをすれば、コンスタンツェはほっと息を吐いた。

「それなら、ルシアナさんが起きているうちに医者に診てもらいましょう。すぐに呼んで来るわ」

(ありがとうございます、お義母様)

 小さく頷いたルシアナの頭をひと撫ですると、ユーディットは部屋を後にした。退室したユーディットを見送ったコンスタンツェは、「じゃあ」と明るく声を上げる。

「フーゴ先生が来る前にルシアナちゃんの体起こそうか。マトス夫人、手伝ってもらってもいいかしら?」
「喜んでお手伝いさせていただきます。よろしいでしょうか、ルシアナ様」

 同意するように頷けば、二人は笑みを返し、慎重にルシアナの体を起こしてくれる。

(ありがとうございます、コニー様。ありがとう、エステル)

 心の中で二人にお礼を伝えながら、ルシアナはふと、こういうときに真っ先に顔を出し声を掛けてくれる人物の姿を思い出す。

(……そういえば、一番初めに助けを求めなかったのは初めてかもしれないわ)

 声が出せないとわかった瞬間、助けを求めるべきだった存在。
 エステルが来る前、「誰か」と心の中で叫ぶ前に、最初に呼ぶべきだった名前。

(……)

 いつも力強く自分を見つめていた赤い瞳が、最後に見たときには弱々しく震えていたことを思い出しながら、ルシアナはそれ以上何も考えないように、コンスタンツェとエステルの会話に耳を傾けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...