ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第十章

求め合う夜(三)

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「……体を拭くものを持ってくる」

 意識がぼんやりとしたままだったルシアナは、中が空虚になる感覚にはっと我に返り、体を起こしたレオンハルトの袖を掴む。

「さ、最後まで……しないのですか……?」
「……帰って来たばかりで身綺麗とは言えないからな。それに避妊薬も飲んでいない」

 宥めるように額に口付けられ、ルシアナは口を閉じて小さく頷く。
 レオンハルトは小さく笑んで頬に口付けると、素早く立ち上がった。
 浴室へと向かったレオンハルトの足音を聞きながら、ルシアナもそっと上体を起こす。ナイトガウンと、もはや衣服とは言えない、ただの布になったナイトドレスとシュミーズを脱ぎながら、そんなこと気にしないのに、と心の中で呟く。

(けれど、レオンハルト様が気にされているのだから、わたくしがどう思ったところで意味はないわ。大事なのはレオンハルト様のお気持ちだもの)

 肌寒さに小さく身を震わせながら一つ息を吐くと、レオンハルトがタオルを手に持ち、彼のものであろう大きなナイトガウンを腕に掛けて戻って来る。
 ルシアナを見下ろしたレオンハルトは、きつく眉根を寄せた。しかし何も言うことなく、その場に跪くと、温かなタオルをルシアナの体に当てる。
 彼の唾液で濡れた胸元を拭き、腹部を辿って最も濡れている場所へタオルは向かったが、目的の場所に辿り着く前にレオンハルトはタオルから手を離し、指先を足のあわいに滑らせた。

(……えっ?)

 レオンハルトの手の動きに驚いている間に、顔を寄せたレオンハルトに首筋を舐められ、ルシアナはびくりと肩を跳ねさせる。

「あ、あの……レオンハルト様……?」

 窺うように名前を呼べば、彼ははっとしたように体を離した。しばらくルシアナを凝視したすえ、眉間の皺を深くしてルシアナを抱き締める。

「ルシアナ……」

 首元に顔をうずめ、求めるように熱く呼ばれ、甘く胸が痺れた。
 ルシアナは優しくうなじを撫でると、レオンハルトの頭に顔を寄せる。

「避妊薬はどれくらいで効いてくるのですか?」
「……それほど時間はかからない」
「湯浴みしている間に効果が出ますか?」
「ああ……」

 レオンハルトは深く息を吐き出すと、顔を上げる。
 その瞳に帰宅直後の獰猛さはないものの、それでも熱く滾っているものがしっかりとあった。ルシアナは口元を綻ばせると彼の両頬を包み、その額に口付ける。

「でしたら、避妊薬の効果が出るまで、レオンハルト様のお背中をお流ししてお待ちしますわ」
「ああ……は?」

 何を言われたかわからないとでもいうように目を見開くレオンハルトに、ルシアナは笑みを深めるとその目元に口付けを落とす。

「前回はわたくしが洗っていただいたので、今回はわたくしに洗わせてくださいまし。避妊薬も、わたくしが飲んでもいいのなら、わたくしが――」
「いやっ……いや……」

 ルシアナの口を手で覆い言葉を遮ったレオンハルトは、一度視線を逸らし口を閉じると、深呼吸をしてから再びルシアナを見た。

「避妊薬は……俺が飲む。害はないし、貴女が飲んでも問題はないが、あまり余計なものを貴女の体内に入れたくない。だから避妊薬のことは……」

 そこで言葉を途切れさせたレオンハルトは、言葉なく数度口を動かすと、顔を歪ませた。

「……一緒に入って、貴女に手を出さない自信がない」
「?」

 首を傾げたルシアナに、レオンハルトは口元から手を退かすと、柔らかな頬を撫でた。

「本来、貴女を抱くべきではない場所で、貴女に無理を強いることになる」
「無理だとは思いませんが……」

(そもそもそれ込みのお誘いだもの)

 ルシアナは首を捻ると、頬にあるレオンハルトの手に自らのそれを重ね、頬をすり寄せた。

「レオンハルト様がお嫌なら無理強いはしませんわ。けれど、わたくしを気遣ってくださっているだけなら一緒にいさせてくださいませ。……だめですか?」

 じっと見つめれば、レオンハルトは言葉を詰まらせ、絞り出すように「いや」と漏らした。

「……わかった。一緒に入ろう」

 溜息交じりに同意したレオンハルトは、タオルを取りルシアナを横抱きにすると浴室に向かう。前回と同じように、バスタブに少しだけお湯を張ってからルシアナを下ろし、その額に口付けた。

「……準備をしてくる」

 そう言い終わるや否や、レオンハルトは踵を返し浴室から出て行った。
 一人残されたルシアナは、徐々に溜まっていくお湯をぱしゃぱしゃと手で掬いながら、小さく唸る。

(少し強引だったかしら。レオンハルト様もおっしゃっていたように、浴室は体を繋げるような場所ではないもの。けれど、レオンハルト様は我慢されているようだったし……)

 少し考えたすえ、一度したのだから二度も三度も変わらない、と一人頷く。

(そうよ。それに、わたくしはお手紙の一つもなかったことを少し……ほんの少しだけ怒っていたのだから、これくらいのわがままは聞いていただきたいわ)

 しぼんでいた拗ねた気持ちが再び膨らみ始めて、ルシアナはむっと唇を尖らせる。しかし、それと同時に扉の開閉音が聞こえ、慌てて唇を引っ込めて澄まし顔を浮かべた。
 衝立の向こう側から聞こえる衣擦れの音や、ベルトのバックルを外す音を聞きながら、ルシアナは軽く顔を洗う。

(……今更だけれど、お風呂に入るべきはレオンハルト様だったのだから、わたくしが避妊薬をこちらに持ってくればよかったのではないかしら? 本来入る必要のないわたくしが悠々とバスタブに座っているのは――)

「ルシアナ」
「! はい。どうかなさいましたか?」

 衝立越しに聞こえた声に、思考を中断し答えれば、遠慮がちな声が返ってくる。

「すまないが……後ろを向いていてもらえないか?」
「――ええ、わかりましたわ」

 えっ、と思わず漏れそうになった声を飲み込み、ルシアナは後ろを向く。少しして近付いてくる足音が聞こえ、「もういい」と声が返ってくる。

 その声に振り返れば、レオンハルトがバスタブの傍で、背を向けて両膝をついていた。

「手桶で湯を掬ってかけてくれると助かる」
「……はい」

 後ろを向いたまま差し出された手桶を受け取り、まだお湯が出ている水栓から直接汲むと、それをレオンハルトの背中にかけていく。

「あの、中に入らないのですか?」
「ああ」

(何故……?)

「冷えませんか? わたくしが出ても――」
「だめだ。貴女はバスタブの中にいてくれ」

 きっぱりと告げられ、ルシアナは大人しくレオンハルトの体を濡らす。きっとレオンハルトなりの考えがあるのだろう、とそれ以上追及しないことにしたルシアナは、レオンハルトの後頭部を見て手を止める。

「せっかくですから、わたくしが髪の毛を洗ってもよろしいですか?」
「……ああ。構わない」

 しっかりと頷いたレオンハルトに、先ほど再び芽生え始めた拗ねた気持ちがどこへ行ったのか、ルシアナは満面の笑みを浮かべると、レオンハルトに一言声を掛けてから髪を濡らしていった。
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