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第十章

もう一人の執事(一)

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 レオンハルトと真の夫婦となって早十日。レオンハルトとは顔を合わせない日々を過ごしていた。
 ルシアナは、メモ用に置いていた白い紙に小さくレオンハルトの名前を書きながら、今日何度目かわからない溜息をついた。
 当初の予定では、彼は一週間ほど前にはすでに休暇に入っているはずだった。しかしその直前、西部でアンデッドが大量発生しアンデッド用の結界に綻びが生じたという知らせを受けたため、レオンハルトはすぐに西部へと向かって行ってしまった。

 本来であれば国軍の騎士が対応する案件ではあったが、当時、冬期休暇前の最後の視察としてテオバルドが西部を訪れていたため、彼は単身テオバルドの元へと向かったのだ。
 出立直前の、どこか申し訳なさそうなレオンハルトの顔を思い出しながら、名前の横に彼の似顔絵を書く。

『すまない、ルシアナ。俺は貴女を誰よりも愛しているし、何よりも大切にしたいと思っているが……優先順位の一番を、テオバルドから変えることはできない。本当にすまない』

 沈痛な面持ちで、それでも眼差しはどこまでも強く真っ直ぐで、彼は根っからの騎士なのだと思った。
 レオンハルトの、こういう真っ直ぐさが好きなのだとも。

(だから、わたくしは「大丈夫」だとお伝えしたわ)

 レオンハルトが後ろ髪を引かれないよう、ルシアナは満面の笑みを彼に向けた。

『王太子殿下はレオンハルト様の主君で、レオンハルト様は王太子殿下の騎士ですもの。王太子殿下を優先されるのは当然のことですわ。ですからどうかお気になさらず。どうかお気を付けていってらっしゃいませ』

 自分も騎士だから、騎士としてのレオンハルトを尊重する。
 そう伝わるように、態度で示した。
 それが無事伝わったのか、彼は安堵したような微笑を浮かべ、すぐに馬を走らせた。
 あのときは、あの言葉が本心だった。いや、今でも本心であることに変わりはない。
 レオンハルトがテオバルドを優先するのは当然だと思うし、レオンハルト自身のためにも、緊急性の度合いに関わらずテオバルドを優先してほしいと思う。
 しかしそれは、まったく放っておかれても気にしないという意味ではない。

(……せめて、お手紙の一通くらい……)

 レオンハルトの似顔絵の隣に封筒を書き足す。
 レオンハルトが緊急の仕事で西部に行っていることは、ルシアナも理解している。戦いに行ったのだから休めるときは休んでほしいし、無理して手紙を送ってほしいわけでもない。
 しかし、せめて状況がわかるような、安否がわかるような手紙が、一通でいいから欲しかった。
 普段であれば、同行したラズルド騎士団の団員が家族や仲間に出す手紙で現地の状況や帰還の目安を知ることができるが、今回団員は誰も同行していないため近況を知る術が何もないのだ。

「……」

 封筒の絵の下に小さく「無事だ」と書いたルシアナは、それをじっと見つめたあと、その下にさらに小さい字で「愛してる」と書き記した。
 本当は近況だけを知らされたいわけではないとわかっていたが、レオンハルトに嫌われたくないという思いが、物わかりのいい、いい子のふりをさせる。

「……休憩にしましょうか? 奥様」

 漏れかかった溜息を飲み込んだルシアナは、はっとしたように顔を上げ、目の前で柔らかく微笑むエーリクを見た。

「ご、ごめんなさい、エーリク。大丈夫よ」

 ルシアナはメモ用紙を端に追いやると、考え込むまで手を付けていた書類を手に取る。

「今年の冬の全体予算と、支出予定額を項目ごとにまとめてみたわ」
「では、私が確認している間、奥様はお休みになられてください」

 書類を受け取ったエーリクは、メイドにお茶を用意するように伝えた。

「……ありがとう、エーリク」
「いえ」

 柔和な笑みを浮かべ一礼したエーリクは、執務机の前のソファに座り書類に目を通してく。

(だめね、しっかりしなくては)

 ルシアナは深呼吸をすると、背もたれに寄りかかる。
 狩猟大会の準備期間中にも進めていた家政についての勉強が、この一週間ほどで一気に進んだ。準備期間中はヘレナに弓を教えたり、テレーゼと会ったりしていたが、今はそういった予定がないため、一日のほとんどの時間をエーリクとの勉強に使えていることが大きいだろう。
 しかしそれだけが理由ではないことは、誰よりもルシアナ自身がわかっていた。

(……発散する、というのはこういう感じなのかしら)

 日に日にレオンハルトに会いたい欲が溜まっていき、いずれ爆発するのではと恐ろしくなったルシアナは、余計なことを考えないよう勉強に身を入れた。そのおかげか、普段の倍以上の集中力を発揮し、現段階で必要なことはほぼ学び終えたような状態だった。
 レオンハルトに会えない鬱憤が学ぶ意欲へと変わったのなら、それはそれでよかったではないか、と思う自分と、それとこれとは話が違う、と訴える自分が脳内で言い争っている。
 どちらの言い分もわかるな、と脳内で繰り広げられる不毛な争いにぼんやりと意識を向けていると、扉をノックする音が響いた。
 メイドがお茶を持って来てくれたのだろう、と「どうぞ」と声を掛けると、「失礼いたします」と声が返ってくる。

(……あら?)

 その声は聞き馴染みのない男性のもので、脳内の自分たちを素早く消したルシアナは、扉に意識を集中する。
 扉が開き、ふわりと漂うレベンダーの香りとともに姿を現した男性は、軽く下げていた頭を上げると、オリーブ色の瞳をルシアナに向けた。

「ご無沙汰しております、奥様。と言っても、お会いしたのは一度だけで、ちょっとの時間だったので、ご無沙汰も何もないかもしれませんが」

 はははっと明るく笑う男性に、ルシアナは一瞬呆気に取られたものの、すぐに柔和な笑みを返す。

「前のときはきちんと挨拶できなくてごめんなさい。また会えて嬉しいわ、ヴァルター」
「覚えていただき光栄です、奥様」

 男性――ヴァルターは、ティーカップの載ったトレイを片手で持ちながら、恭しく頭を下げた。

「改めまして。旦那様の執事を務めております、ヴァルター・カロッサと申します。家令である父のギュンターがタウンハウスへと参じていた間、父の代わりとして領地におりましたが、再び旦那様のお傍に侍ることとなりました。これから奥様にお目にかかる機会も増えるかと存じますので、何卒よろしくお願いいたします」

 頭を上げたヴァルターは、にっと人好きのする笑みを浮かべ、そのオリーブ色の目を細めた。
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