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第九章

宣言

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 かすかに聞こえた衣擦れの音に、ルシアナは重たい瞼を上げる。
 幕で閉じられたベッドは薄暗く、今が夜なのか朝なのかもわからない。
 いつもより暗く感じるベッドを、薄ぼんやりとした視界で眺めていたルシアナは、隣にある枕にわずかなへこみがあることに気付く。
 そのへこみに無意識のうちに手を伸ばしていたルシアナは、自分がガウンを纏っていることに気付き、小首を傾げる。

(……わたくし、ガウンを着たまま……?)

 それだったら、コルセットやナイトドレスを身に着けている感覚もあるはずだが、不思議と柔らかなガウンが体を包む感覚しかない。
 下着すら着ている感覚がないなんて、と思ったところで、じわじわと昨夜のことが思い出される。

(ガウン……レオンハルト様が着せてくださったのかしら)

 ならこのへこみはレオンハルトが寝た跡か、とへこみを撫でる。

(……な、なんだか、とてもすごかったわ)

 昨夜のことを思い出すと自然と顔が火照る。
 最後のほうはぐったりとしてしまい記憶が曖昧だが、だいぶぐちゃぐちゃにされたような気がするな、とルシアナは恥ずかしげに目を伏せる。

(体は……レオンハルト様が綺麗に……? それに、シーツも……)

 あれほどいろいろな体液に塗れていた体は、ずいぶんとさっぱりしている。シーツもだいぶ濡らしたはずだが、新しく替えたのではないかと思うほど張りがあって綺麗だ。
 レオンハルトがすべて一人でやったのだとしたら申し訳ないな、と思いつつ、ルシアナは彼が寝ていたであろう場所まで移動する。へこんだ枕に顔をうずめると、深く息を吸い込んで吐き出した。
 シーツは冷たく、彼の温もりは感じられない。一時的に抜けたのではなく、起きて出たことが窺える。

「……レオンハルトさま」

 今日はいつごろ帰って来るのだろうか、と思いながら小さく名前を呼ぶと、紺色の幕がわずかに開いた。

「ルシアナ?」

 そこから顔を見せた人物と聞こえた声に、ルシアナは驚いたように目を見開く。
 あまりにも呆然と見つめていたせいか、騎士服を身に纏ったレオンハルトが、申し訳なさそうに眉尻を下げてベッドに腰掛けた。

「すまない、起こしたか?」
「い、いいえ。大丈夫ですわ」

 体を起こそうとベッドに手をついたルシアナだが、ルシアナが自分で起き上がるより早く、レオンハルトがルシアナの上体を起こし、ヘッドボードの前に枕を重ねてルシアナを寄りかからせた。

「水を飲むか?」
「あ……ええと、ではお願いいたします」

 レオンハルトは優しく目尻を下げるとルシアナの額に口付け幕の向こう側へと行った。
 ルシアナはその隙にガウンの襟元を直し、髪に手櫛を通す。癖のある髪だが、絡まることなく指が通るのはありがたいことだ、と毎日手入れしてくれるエステルに心の中で感謝した。
 髪を片側に寄せたところで、水の入ったグラスを持ったレオンハルトが幕内に戻ってきた。
 慌てて居住まいを正したルシアナは、差し出されたグラスを受け取り「ありがとうございます」とお礼を伝えてから口を付ける。
 再びベッドの縁に腰掛けたレオンハルトに見守られながら水を飲むと、喉を通った水分がじわじわと全身に巡っていくのを感じた。

(思っていたより喉が渇いていたのね)

 あれだけ水分を失えば当然だろう、と昨夜のことが蘇りそうになり、ルシアナは一旦それらを頭の片隅に追いやった。
 半分ほど飲んたところで、ほっと息をつくと、レオンハルトが手袋を外して、手の甲でルシアナの頬を撫でた。

「大丈夫か?」
「? はい」

 何の確認かわからず、首を傾げながら頷くと、レオンハルトは目を細めてルシアナの唇に口付けた。
 触れるだけのキスを繰り返しながら、レオンハルトはルシアナの柔らかな髪に指を通した。

「……今日は、何か予定はあるか?」

 鼻先が触れ合うほどの距離で、レオンハルトが静かに尋ねる。ルシアナが緩やかに首を横に振ると、彼はわずかに口の端を上げた。

「今日は早く……日暮れ前には帰ってくる」
「えっ」

 ルシアナは思わず声を上げ、瞳を輝かせる。
 今の時期は日暮れが早く、それより前となるといつもより数時間は早い帰宅になる。わざわざ宣言するということは、一緒に過ごす時間を取ってくれるのだろうか、と期待に胸が高鳴った。
 ゆっくりお茶を飲む時間があるかもしれない、と出すお茶やお茶請けについて考えていると、レオンハルトは髪を梳いていた手でルシアナの頬を撫でた。

「だから、今日は少し早めに夕食をとろう。そうしたら……」

 一度言葉を区切ったレオンハルトが、美しい笑みを浮かべルシアナの耳元に顔を寄せた。

「今夜、貴女を抱く」

 脳に吹き込むように低く囁かれた言葉を、すぐには理解できず瞬きを繰り返す。何度も脳内で反芻するうちにやっと意味を理解し、一気に顔が熱くなった。
 グラスを持つ手に力が入り、顔が自然と俯く。

「あんなに欲しがっていたのは、貴女のほうなのに」

 笑みを含んだ呟きに、頬に赤みが増すのを感じる。
 頭の片隅に追いやったものが一気に脳内に広がった。
 昨夜、「慣らさなければ辛いのはルシアナだ」と言われ、何度も何度も絶え間なく果てへと導かれた。過ぎた快楽に気が狂いそうになり、「もう大丈夫だから入れてほしい」と頼んだのは、一度や二度ではない。

 薬も過ぎれば毒となると言うが、快楽も過ぎると苦痛になるのだと初めて知った。決して嫌だったわけではないが、快楽というものを知ったばかりのルシアナにはあの法悦の波を受け止めきれず、早く“慣らし”の時間を終わらせて楽にしてほしいと思ったのだ。
 昨夜のことが鮮明に蘇り、散々指や舌で愛でられた場所が疼いたような気がして、ルシアナは腹部に力を入れ、口を引き結んだ。
 そんなルシアナの頬に口付けると、レオンハルトは顔を離す。
 ちらりと視線を上げると、レオンハルトは夜の気配など感じさせない涼しげな表情で微笑んだ。

「今日一日、ゆっくり体を休めてくれ。もう一度寝るのもいいだろう。この部屋でずっと過ごしていいし、浴室でもどこでも好きに使ってくれていい。……体力を使うようなことだけは、控えてくれると嬉しい」

 あまりにもあからさまな要求に、ルシアナは目を伏せると、こくりと頷いた。顔だけではなく、首まで赤くなっているのを感じる。
 レオンハルトは優しくルシアナの頭を撫でると、静かに立ち上がった。

「では、いってくる」
「……いって、らっしゃいませ」

 恥ずかしさを押し殺し、何とか顔を上げてそう告げると、身を屈めたレオンハルトがルシアナの唇に軽く吸い付いて、すぐに顔を離した。

「またあとで」

 甘さを含んだ微笑を口元に湛え、レオンハルトは天蓋の幕内から出て行く。
 扉の閉まる音を聞いたルシアナは、すでに火照り始めた体の熱を下げるように、ぬるくなった水を一気に飲み干した。
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