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第八章

社交界の閉幕(一)

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 後ろに座するライムンドに一礼すると、テオバルドは正面を向き、ホールにいる面々に目を向ける。

「今日この日を無事に迎えられ、こうして皆の顔を見られたこと、心より嬉しく思う」

 朗々と響く声を聞きながら、ルシアナは内心の動揺を隠すべく笑みを顔に貼り付ける。
 馬車の中でレオンハルトに言われたことを処理しきれないまま、それでも公爵夫人としての体面を保つべく平静を装っていたルシアナだったが、入場後甘い笑みを向けられ、頬に掠めるようなキスを贈られ、貼り付けた公爵夫人の仮面が危うく外れそうになった。
 そのあとすぐにテオバルドたちが登場したことで何とか体裁は守られたが、もう少しあの状況が続いていれば相好を崩すはめになっていたはずだ。
 レオンハルトとの仲が良好であることをアピールせねばと思ってはいたものの、レオンハルト側から何か行動があるとは思っていなかったため、ルシアナは自分で思っている以上に動揺してしまっていた。

「さて……すでに皆も聞き及んでいるだろうが」

 朗らかに挨拶を終えたテオバルドが、表情を引き締め声のトーンを落とす。
 ルシアナは自分の動揺を必死に押し込めると、階段の上にいる人物に意識を向ける。

「二日前の狩猟大会最終日に、我が国の安寧を脅かさんと悪心を抱いた者が会場の警備をかいくぐり、忌まわしき存在を会場に放った。怪我人は出たものの皆命に別状はなく、犯人もすでに捕縛され処分も確定している。事態の収束は迅速に行われたが、守るべき民を危険に晒してしまったのは大会の最高責任者である私の失態だ」

(まあ……)

 一国を背負って立つ者として公的な場で謝罪はできないにしても、「失態」と明確に言葉にすることで言外にそれを滲ませている。
 それが、王太子という立場でありながら真っ直ぐな優しさを持ったままでいるテオバルドらしい、と思い、ルシアナの口元には自然な笑みが浮かんだ。

(キャサリン・アンデ――いえ、ジャネット・ダンヴィルの狙いが本当はわたくしだと王太子殿下もご存じのはずなのに、それも伏せてくださって……。あとできちんと謝罪とお礼を伝えなくては……あら?)

 ふと、テオバルドと目が合ったかと思うと、彼もその口元に弧を描いた。

「あの場に居合わせた者はすでに承知のことと思うが、被害が最小限で抑えられ、犯人捕縛が即日で叶ったのは、ひとえにシルバキエ公爵夫人の尽力あってのものだ。いち早く危険を察知し犯人に深手を負わせ、犯人が放った魔獣の討伐も彼女が行ってくれた。遅くなってしまったが、この場を借りて夫人の働きに最上級の感謝を伝えよう」

 ルシアナは両手でスカートをつまむと深く腰を落とし頭を下げる。
 テオバルドはそれに小さく頷くと、再び会場全体に目を向けた。

「今日この日は、このシュネーヴェ王国が興った建国記念の日でもある。十年前、北方全土を戦場へと陥れた旧シュリシモ王国の首謀者たちの行方はいまだ不明なままだ。だが、奴らの捜索は今も続けており、この禍根が私たちの代で終わるよう全力を尽くしている。十年前の元凶がどこかに潜んでいることに対し不安を抱く者もいるだろうが、我らの国には強大な守護者がいることをどうか忘れないでほしい」

 テオバルドに視線を向けられ、隣のレオンハルトが深く腰を折った。
 一瞬、不安に飲まれそうだった空気に、安堵が広がったのがわかる。

(やっぱり、レオンハルト様はこの国の方々にとって英雄なのね)

 先ほどの自分に対する“感謝”もいい振りだったな、とルシアナは小さく笑う。
 今、この国には精霊剣の使い手が二人いる。
 その事実に対する安心感をルシアナが理解することはできないが、レオンハルトの能力を知っている人々からすれば、それは不安を抱く必要がないほどのことなのだろう、と察することはできた。
 姿勢を戻したレオンハルトと視線を交わしたテオバルドは、その表情に全幅の信頼を見せ、鷹揚に頷いた。

「皆が心穏やかに過ごせる国になるよう、私も持てうる限りの力を尽くそう。――さあ! 最後の夜会に相応しく、狩猟大会の獲物以外にも北方の名産品を多く取りそろえた。皆、心ゆくまで楽しんで行ってくれ!」

 明るいテオバルドの声に呼応するように歓声が沸き、楽団の演奏が始まる。
 賑やかな周囲の様子に目を向けていると、そっと肩に手を回された。

「先に言っておくが、あいつへの礼は不要だからな」

 囁くように聞こえた声に、ルシアナは視線を横にずらす。体を屈めたレオンハルトと、至近距離で目が合った。
 ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返すルシアナに、レオンハルトは静かな声で続ける。

「あいつは“状況”と“事実”をうまく利用しただけだ。貴女を庇ったわけじゃない。あの魔法術師の狙いが何であれ、ああいう言い方をしたはずだ」

 ですが、と言おうとして、口を閉じる。
 肩に回された手の指が、緩く鎖骨を撫でたからだ。
 嵐が吹き荒れるように心の中に動揺が広がるのを感じながら、ルシアナは穏やかな微笑をその相貌に浮かべる。
 レオンハルトはわずかに笑むと、ルシアナの額に口付け姿勢を戻した。

 ルシアナとレオンハルトの周りだけ、妙に静まり返っている。
 突き刺さるような視線がルシアナの理性を強固にし、顔の笑みが崩れることはない。
 しかし、これ以上レオンハルトと二人でいれば、すぐにでもこの仮面が剥がれてしまうことは、誰よりも自分で理解していた。
 すでに正常に機能していない頭を何とか働かせ、ルシアナは周りに目を向ける。

(っ王太子殿下……!)

 目を剥いてこちらを凝視しているテオバルドと目が合い、ルシアナはレオンハルトを見上げる。

「レオンハルト様、ヘレナ様たちにご挨拶に伺いたいですわ」
「わかった」

 笑みを湛え続けるルシアナにレオンハルトも緩い微笑みを返したものの、ルシアナから視線を逸らすと、その表情はいつも通りの無に戻る。
 無意識だろうその行動が、レオンハルトの自分に対する想いを表しているようで、ルシアナは口元が必要以上に緩みそうになるのを必死に堪えた。
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