ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第八章

束の間の時間

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(少し緊張しているのかしら)

 レオンハルトのエスコートで馬車に乗ったルシアナは、座面に腰を下ろすと小さく息を吐いた。
 レオンハルトと想い合っているという事実。共に過ごした甘やかな時間。それらがあまりにも濃密に心を満たしてくれたため、ルシアナは自分がレオンハルトの妻であり想い人であるという自覚を自惚れでなく持つことができたが、今度はそれを外に対し見せつけなければいけない。
 シルバキエ公爵夫人として人前に出るのは狩猟大会のときにすでに経験しているが、あのときは会う人が限られていたし、何と言ってもレオンハルトがいなかった。
 妻としてレオンハルトの隣に立つのは、披露宴以来だ。

(披露宴のときはまだ王女としての心持ちのほうが強かったから、実質初めてのようなものね)

 自分を落ち着かせるように呼吸を繰り返していると、遅れてレオンハルトが馬車に乗り込んできた。

(……あら?)

 正面より少しずれ、ルシアナから見て左側に寄って座ったレオンハルトに小首を傾げると、彼はカーテンを閉めて手を差し出した。

「隣に座らないか?」

 ルシアナは、ぱっと顔を輝かせると、レオンハルトの手を取って彼の左隣に座る。レオンハルトはルシアナを掴んだ手をそのまま腰に回すと抱き寄せ、もう一方の手で後ろの壁を叩いた。
 ゆっくり進み始めた馬車に揺られながら、ルシアナはレオンハルトを見上げる。いつから見ていたのか、シアンの瞳としっかり目が合い、ルシアナは目を瞬かせた。
 レオンハルトは口元に小さな笑みを浮かべると、ルシアナの額に軽く口付ける。

「……今朝はすまなかった」

 小さく呟かれた言葉に、レオンハルトに身を寄せたルシアナは、はて、と首を傾げた。

「? 今朝、ですか?」

 謝罪を受けるようなことは特になかったはずだ。
 意味がわからず不思議そうにしていると、レオンハルトはわずかに眉尻を下げた。

「貴女に無体を働いただろう。すまなかった」
「……執務室でのことですか?」
「ああ」

 レオンハルトは重々しく頷くと、大きなラピスラズリと小さなダイヤが散りばめられた首飾りが煌めく首元に視線を落とす。

「……そもそも、あのように触れてはいけなかったのに……そのうえ貴女に噛みつくなど――」

 続きそうだった懺悔の言葉を遮るように、ルシアナはその口を手で塞ぐ。

「レオンハルト様はわたくしがねだったのを聞いてくださっただけですわ。それとも……」

 ルシアナは一度口を閉じると、レオンハルトの口元から手を退かし、視線を下げる。

「……それとも、本当はお嫌でしたか……? わたくしに触れるの――」
「そんなわけっ……」

 腰に回された腕に強く引き寄せられ、おのずと顔が上がる。
 きつく眉根を寄せながら至近距離でルシアナを見下ろしたレオンハルトは、そのまま深く息を吐き出すと、整えられたルシアナの髪が崩れないよう気を付けながら、その頭に顔を寄せた。

「……そんわけない。こんなに貴女に触れたいと思っているのに……。……そうじゃなくて、貴女は優しいから、俺の気持ちを優先してしまっているのかと……俺に、流されてしまっているのではないかと……」
「嫌だったらちゃんと嫌と言いますわ。レオンハルト様にされて嫌なことがないから言わないのです。わたくしは、そこまで従順な人間ではありませんわ」

 そっと息を吐き顔を離したレオンハルトは、顔の化粧に触れないようにしているのか、指の背でルシアナの顎を撫でた。

「……じゃあ、朝も夜も、場所も関係なく貴女を抱きたいと言ったら、貴女はどう思う?」

 じわり、と頬が熱くなる。静かに凪いでいる彼の瞳が、その欲求は当たり前のように彼の中にあるのだと言っているようで、余計体温が上がる。
 忙しいレオンハルトに朝も夜もという時間がないのはわかっている。これはただの比喩的な確認だと理解しているものの、やはりそれだけ強く求められているというのは嬉しかった。

「……人目がある場所は嫌ですわ。あと、予定がある日も困ります」
「貴女の乱れる姿を他人に見せるつもりはない。貴女の予定を邪魔するつもりも」

 レオンハルトは、ふっと目を細めると、ルシアナの顎の裏を指先で撫でた。

「テオバルドから早めに冬期休暇に入る許可をもらっている。順調に行けばあと数日で休みになるだろう」

 思いがけない言葉に、ルシアナは目を丸くする。

「まあ……! 冬期休暇は十二とにの月から二の月までの三ヵ月だと聞いていましたが……」
「そうだな。通常より二ヵ月近く早い休暇だ」

 レオンハルトとたくさん一緒に過ごせるのかと顔を輝かせると、彼は「それで」と続けた。

「休みに入ったら、こちらで少しゆっくり過ごして……貴女さえよければ、今年は領地に帰ろうと思う」
「! 領地ですか?」
「ああ。俺の領地はとても寒く、トゥルエノ出身の貴女には少々堪えるかもしれないから、もちろん無理にとは言わない」
「まあ、まあ、そんな。是非連れて行ってくださいまし。絶対に行きたいですわ」

 顎にあるレオンハルトの手を両手で包み込みながら言えば、彼は優しく目尻を下げた。

「そうか。早ければ来月から二の月の中頃までを向こうで過ごそうかと思っているが、貴女はどうしたい?」
「レオンハルト様の良きようにしていただいて構いませんわ」

 まさかこんなに早く、期間も長く、レオンハルトの領地に赴けるとは思っていなかったため、期待に胸が膨らむ。馬車に乗り込んだときに感じた緊張は、先の楽しみですべてなくなった。
 今日が終わればレオンハルトは数日で休みとなり、領地でゆっくり過ごせるのだ。
 そう思うと、自然とやる気も出てくる。

「嬉しそうだな、ルシアナ」
「もちろんですわ。だって、レオンハルト様とゆっくり過ごせるん……ですもの……?」

 言いながら、ルシアナは首を傾げる。

(……先ほどの、朝も夜も場所も、というのは比喩よね……?)

 レオンハルトが休みだというのなら、確かに時間は関係ないだろう。しかし、休みというのはあくまで仕事の話であって、邸や領地の管理に休みはない。彼が王城に出仕しなくなるからといって、暇になるわけではないのだ。だから、朝も夜も場所も関係なく、というのは現実的ではない。
 そう思いつつ、問いかけるように、ルシアナはにっこりと笑みを向ける。すると彼は目を細め、ルシアナの耳元に口を寄せた。

「これからいくらでも時間があるとはいえ、今貴女に特別なキスができないのが残念だ」

(え……)

「――着いたな」

 馬車が止まったのを受け、レオンハルトは軽いリップ音を立てて顔をした。言葉の真意を尋ねるより早くレオンハルトが次の行動へ移ってしまったため、ルシアナは大人しく口を閉じる。
 平然と、何もなかったかのようにカーテンを開け、外にいる王城のフットマンに合図を送るレオンハルトを見ながら、ルシアナはそっと、ひどく高鳴る胸を押さえた。
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