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第八章

準備いろいろ(二)

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「こちら、アレクサンドラ王女殿下よりお預かりしていたものです」
「アレックスお姉様から?」

 戻って来たエステルに差し出された、布に包まれた厚いものを受け取ったルシアナは、布をゆっくり取っていく。

(……本?)

 アレクサンドラから預かったというものは、上製本ハードカバーの小説のようなものだった。赤い布地に金糸の刺繍が施された、タイトルもないシンプルな表紙の本だ。
 ぱらぱらと何枚かめくって、ルシアナは本を閉じる。
 数度深呼吸をすると、にこりと笑いエステルへ視線を戻す。

「この本を預かるとき、お姉様は何かおっしゃっていた?」
「トゥルエノでは閨事は義務として必要最低限の知識を端的に説明するから、旦那様と心を通わせたらきっと戸惑うだろう、と。もし閨について何か相談を受けたら、そちらの御本をお渡しするように、と仰せつかりました」
「そうなの……」

 ルシアナは再び、今度はそろりとページをめくる。

(まあ……)

 そこには、先ほどルシアナが考えた手や口で行う奉仕や、夜の営みが盛り上がるという様々な行為が、絵図付きで掲載されていた。

(あら……体を交わらせると一言で言っても、様々な姿勢があるのね……)

「……」

 軽く全体に目を通したルシアナは、本を閉じると視線を上げる。

「エステルは、この本の内容を知ってる?」
「はい」
「ここに書いてあることを行えば、愛し合う者同士の閨事になるのかしら?」

 これまで穏やかに微笑み受け答えをしていたエステルが、この質問で初めて少し困ったように眉尻を下げた。

「そう、ですね……何とお答えすればよろしいのか……」

 言い淀み悩むエステルの向こう側で、宝飾品を並べていたイェニーと目が合う。ルシアナは口元に笑みを浮かべると、「イェニー、カーヤ」と声を掛ける。すると、二人は待ってましたとばかりにエステルの少し後ろに並んだ。

「あなたたちの意見も聞かせて」
「私たちでお役に立つのでしたら喜んで」

 明るく笑ったイェニーとカーヤに、ルシアナは本を差し出す。
 二人は「失礼いたします」と断りを入れると、本の中身を見る。会話の内容から閨に関することだと察していたのか、二人は本の中を見ても特に表情を変えなかった。一通り見たのか、二人は顔を見合わせると「ありがとうございます」と本を返した。

「恐れながら、そちらに書かれていることを行うからといって、それが愛し合う者同士の閨事になるわけではないかと」

 カーヤの言葉に、イェニーも続ける。

「全員がそうだとは限りませんが……愛していれば自然と、そこに書かれているようなことをしたい、して差し上げたい、と思うようになるものだと私は考えます」

(あ……)

 確かに、この本に目を通す前に、レオンハルトへの奉仕について考えた。やり方がわからなかっただけで、やりたいという気持ちはちゃんとある。
 困ったように微笑んでいたエステルも、二人の言葉にゆっくり首肯した。

「そうですね。そこに記載されていることを実行せずとも、ルシアナ様がご自身の意思で、ご自身の思うように旦那様と触れ合えば、それがルシアナ様と旦那様の“愛し合う者同士の閨事”になるかと存じます」
「そう……そうよね」

 この本に書かれているのは、ただの“方法”だ。
 触れ合いたい、愛を交わしたいと思ったときに、それを実行する方法を記しているに過ぎない。

(書かれていることをなぞればいいわけではないわよね)

 ルシアナは、ふっと小さく息を吐くと、三人に笑みを向ける。

「ありがとう。エステル、カーヤ、イェニー。少しだけ難しく考えすぎていたのかもしれないわ」

 晴れやかな笑みを浮かべるルシアナに、三人も安堵したように息をつく。
 三人とも仕事に戻っていい、と伝えようとしたルシアナだが、それより早くイェニーが「あ」と声を漏らした。

「行為そのものではなく、“愛する者同士”という雰囲気を感じられたいのであれば、官能小説を読まれるのもよいかと」
「ああ……そうですね。ルシアナ様は恋物語も好きでいらっしゃるから、そちらに目を通されるのもよろしいかもしれません」

 続けられたエステルの言葉に、カーヤも無言で頷いている。
 何やら通じ合っている三人を見ながら、ルシアナは首を傾げた。

「官能小説……というのは一体どういうものなのかしら」
「失礼いたしました。官能小説というのは、ルシアナ様が普段読まれている恋愛小説のようなもので、そこに登場人物たちの閨事が追加された書籍のことでございます」
「まあ……!」

 エステルの説明に、ルシアナは目を丸くする。

(そんな物語があるのね!)

 これまでルシアナが読んできた恋物語は健全も健全で、男女の触れ合いは手を握る、抱き締め合う程度で、稀に触れるだけのキスがある、といったような具合だった。そんなルシアナにとって、男女の睦み合いが記された物語があるというのは、まさに青天の霹靂だ。

「まあ、まあ、是非読みたいわ」

 瞳を煌めかせるルシアナに、三人は温かな笑みを浮かべた。

「それでしたら、シュネーヴェで手に入るものを一通り調べておきますね」
「ありがとう、エステル。助かるわ」

(すごいわ。どんなことが書かれているのかしら)

 “官能小説”という未知の存在に、わくわくと胸を膨らませていると、コンコンコンコンと扉がノックされる。
 四人は肩を跳ねさせると、ルシアナは持っていた本を包みにしまい、イェニーとカーヤは夜会の準備に戻り、エステルは急いで扉へと向かった。エステルの視線を受け、背中に本を隠したルシアナは、こくこくと頷く。
 頷き返したエステルが扉を開けると、そこにはエーリクが立っていた。

「まあ、エーリク。どうしたの?」

 入浴後、シュミーズにナイトガウンを着用しただけだったルシアナは、レオンハルトの言いつけを守るように、その上からショールを羽織る。あまり肌が見えないように気を付けながら扉の前まで行くと、エーリクは深く腰を折った。

「お寛ぎのところ失礼いたします。実は奥様にお願いがございまして……」
「お願い? わたくしに?」

 一体なんだろうと首を傾げるルシアナに、頭を上げたエーリクは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
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