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第七章
狩猟大会・三日目(五)
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「……レオンハルト様」
名前を呼ぶと、彼は澄んだシアンの瞳でルシアナを見上げた。その瞳を見ていると、出してはいけないものが込み上げて来そうで、ルシアナはもう一度大きく息を吸う。
そして、いつも通りにっこりと、レオンハルトに笑みを向けた。
「何があったかの聴取をしなくてはなりませんよね。今――」
「あーあーあー、待て。待て、ルシー」
突如頭上から聞こえた声に、ルシアナとレオンハルトは揃って顔を上げる。
「まあ、ベル。どうし――」
言いかけて、ルシアナはきつく口を閉じる。
幼いころからずっと一緒で、一番傍で自分を支え、これまでたくさん甘えてきた相手の姿に、目が熱を持ち視界が滲む。
ルシアナが咄嗟に顔を伏せると、ベルは短く息を吐き出し、心配そうにルシアナを見ているレオンハルトへ声を掛けた。
「レオンハルト。詳しい説明は私がテオバルドとこの土地にいる魔法術師にする。どのみち、魔法術師の追跡に精霊の気で溢れたお前は連れて行けないからな。だから一先ず……一時の間だけ、こいつを借りていくぞ、ルシー」
「! 待っ――」
しん、と静かになった舎内に、ルシアナは下げていた頭をゆっくり上げる。
「……レオンハルト様は物ではないわ」
誰に向けたわけでもない小さな呟きは、広い幕舎内にすぐに溶けて消えてしまう。
(……本当にわたくしものだったらよかったのに)
「――え」
ふと浮かんだ考えに、ルシアナは大きく目を見開く。しかしすぐにぐっと眉を寄せると、目からは堪えていたものがぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……っ」
ルシアナは勢いよく立ち上がると尻に敷いていたレオンハルトのマントを頭から被り、靴を脱いでベッドに横になる。体を丸め、全身をマントに隠すようにしながら、涙を止めようと両手を目に当てる。
しかし、手袋が涙を吸うばかりで、出てくるものが減ることはなかった。
「っ、ふ……」
息を吸おうと開いた口から嗚咽が漏れ、すぐに口を閉じる。自分を落ち着かせるようにゆっくり呼吸を繰り返すものの、漏れ出るものはどうにも止まらず、どうしたらいいかルシアナ自身わからなかった。
(わたくしは、お仕事を頑張られているレオンハルト様が好きだわ)
己の職務に実直に向き合うレオンハルトが好きだ。
己の領分を理解し、テオバルドに誠心誠意仕えているレオンハルトが好きだ。
ルシアナ自身、騎士の家系に生を受け、騎士としての叙任を受けているため、騎士として愚直に生きるレオンハルトに好感を持っているし、その生き方を否定するつもりは毛頭ない。
別に、テオバルドのような行動を取ってほしかったわけではない。テオバルドを置いて自分のほうに来ていたら、嬉しいと思う反面、いいのだろうかと思ったことだろう。無論、レオンハルトが自分のほうに来たからといって、テオバルドがそれを咎めることはないだろうが、自分の存在が何かレオンハルトの足を引っ張っていないかと心配になったに違いない。
あの場を離れるとき、「テオバルドからの命だ」と言われたのも、別によかった。その言葉を聞いて、それならこの場を離れても大丈夫か、と思ったのも事実だからだ。
(……けれど……)
しかし、ただ少し、ほんの少し、たった一言でもいいから、レオンハルト自身が自分のことを気にしてくれたのだと、そうわかる言葉が欲しかった。いや、言葉でなくてもいい。声色で、表情で、少しでいいからそれを感じたかった。
もう少しだけ、自分のことを考えて、気にかけてほしかった。
(……我儘だわ、わたくし)
少し前だったら、こんなことは思わなかった。
むしろ、テオバルドの命とはいえ、晒された足を隠し、人のいない場所まで運び、そのうえ治療までしてくれるなど、なんて誠実で優しい人なのだろう、と考えたことだろう。
本当は、ルメンバッハ伯爵令嬢の話も羨ましかった。
ベルにしたフォローは本心でもあったが、一方で、自分も手紙の一通でも欲しかったと思った。婚約者からまめに手紙が来たという彼女の話を聞いて、やっぱり質問の相手として自分は相応しくないのではないかと、少しだけ侘しい気持ちになった。
レオンハルトと深い関係にならなければ。いや、レオンハルトに恋をしなければ、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
披露宴でシュペール侯爵令嬢があそこまで暴走した理由が、今になってやっと理解できた。
「っふ、ぅ……っ」
少しだけ、なんて嘘だ。
もっとたくさん、自分のことを考えて、気にかけてほしい。
レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクという人物にとって、自分が一番でありたい。
(なんて、醜い……)
恋というものは、これほど人を欲深い生き物にしてしまうのか、と身勝手で情けない自分の感情に、さらに涙が溢れてくる。
レオンハルトに嫌われたくない。呆れられたくない。
我儘だと。子どもだと思われたくない。
(好き……好き。レオンハルト様が好き。だから……だめよ。好意を重荷にしてはだめ……我慢しなくてはだめ。前は大丈夫だったじゃない。だから、だから……)
酸素を取り込むため大きく口を開けた瞬間、トンッという軽やかな音が聞こえた。
木の床に人が降り立ったような、そんな音だ。
(だめ……!)
レオンハルトが帰って来たのだと気付いたルシアナは、咄嗟に口を両手で塞ぐ。
心臓は痛いくらい激しく脈動し、まるで裁きを待つ罪人のような心地になりながら、ルシアナはぎゅっと身を固くした。
名前を呼ぶと、彼は澄んだシアンの瞳でルシアナを見上げた。その瞳を見ていると、出してはいけないものが込み上げて来そうで、ルシアナはもう一度大きく息を吸う。
そして、いつも通りにっこりと、レオンハルトに笑みを向けた。
「何があったかの聴取をしなくてはなりませんよね。今――」
「あーあーあー、待て。待て、ルシー」
突如頭上から聞こえた声に、ルシアナとレオンハルトは揃って顔を上げる。
「まあ、ベル。どうし――」
言いかけて、ルシアナはきつく口を閉じる。
幼いころからずっと一緒で、一番傍で自分を支え、これまでたくさん甘えてきた相手の姿に、目が熱を持ち視界が滲む。
ルシアナが咄嗟に顔を伏せると、ベルは短く息を吐き出し、心配そうにルシアナを見ているレオンハルトへ声を掛けた。
「レオンハルト。詳しい説明は私がテオバルドとこの土地にいる魔法術師にする。どのみち、魔法術師の追跡に精霊の気で溢れたお前は連れて行けないからな。だから一先ず……一時の間だけ、こいつを借りていくぞ、ルシー」
「! 待っ――」
しん、と静かになった舎内に、ルシアナは下げていた頭をゆっくり上げる。
「……レオンハルト様は物ではないわ」
誰に向けたわけでもない小さな呟きは、広い幕舎内にすぐに溶けて消えてしまう。
(……本当にわたくしものだったらよかったのに)
「――え」
ふと浮かんだ考えに、ルシアナは大きく目を見開く。しかしすぐにぐっと眉を寄せると、目からは堪えていたものがぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……っ」
ルシアナは勢いよく立ち上がると尻に敷いていたレオンハルトのマントを頭から被り、靴を脱いでベッドに横になる。体を丸め、全身をマントに隠すようにしながら、涙を止めようと両手を目に当てる。
しかし、手袋が涙を吸うばかりで、出てくるものが減ることはなかった。
「っ、ふ……」
息を吸おうと開いた口から嗚咽が漏れ、すぐに口を閉じる。自分を落ち着かせるようにゆっくり呼吸を繰り返すものの、漏れ出るものはどうにも止まらず、どうしたらいいかルシアナ自身わからなかった。
(わたくしは、お仕事を頑張られているレオンハルト様が好きだわ)
己の職務に実直に向き合うレオンハルトが好きだ。
己の領分を理解し、テオバルドに誠心誠意仕えているレオンハルトが好きだ。
ルシアナ自身、騎士の家系に生を受け、騎士としての叙任を受けているため、騎士として愚直に生きるレオンハルトに好感を持っているし、その生き方を否定するつもりは毛頭ない。
別に、テオバルドのような行動を取ってほしかったわけではない。テオバルドを置いて自分のほうに来ていたら、嬉しいと思う反面、いいのだろうかと思ったことだろう。無論、レオンハルトが自分のほうに来たからといって、テオバルドがそれを咎めることはないだろうが、自分の存在が何かレオンハルトの足を引っ張っていないかと心配になったに違いない。
あの場を離れるとき、「テオバルドからの命だ」と言われたのも、別によかった。その言葉を聞いて、それならこの場を離れても大丈夫か、と思ったのも事実だからだ。
(……けれど……)
しかし、ただ少し、ほんの少し、たった一言でもいいから、レオンハルト自身が自分のことを気にしてくれたのだと、そうわかる言葉が欲しかった。いや、言葉でなくてもいい。声色で、表情で、少しでいいからそれを感じたかった。
もう少しだけ、自分のことを考えて、気にかけてほしかった。
(……我儘だわ、わたくし)
少し前だったら、こんなことは思わなかった。
むしろ、テオバルドの命とはいえ、晒された足を隠し、人のいない場所まで運び、そのうえ治療までしてくれるなど、なんて誠実で優しい人なのだろう、と考えたことだろう。
本当は、ルメンバッハ伯爵令嬢の話も羨ましかった。
ベルにしたフォローは本心でもあったが、一方で、自分も手紙の一通でも欲しかったと思った。婚約者からまめに手紙が来たという彼女の話を聞いて、やっぱり質問の相手として自分は相応しくないのではないかと、少しだけ侘しい気持ちになった。
レオンハルトと深い関係にならなければ。いや、レオンハルトに恋をしなければ、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
披露宴でシュペール侯爵令嬢があそこまで暴走した理由が、今になってやっと理解できた。
「っふ、ぅ……っ」
少しだけ、なんて嘘だ。
もっとたくさん、自分のことを考えて、気にかけてほしい。
レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクという人物にとって、自分が一番でありたい。
(なんて、醜い……)
恋というものは、これほど人を欲深い生き物にしてしまうのか、と身勝手で情けない自分の感情に、さらに涙が溢れてくる。
レオンハルトに嫌われたくない。呆れられたくない。
我儘だと。子どもだと思われたくない。
(好き……好き。レオンハルト様が好き。だから……だめよ。好意を重荷にしてはだめ……我慢しなくてはだめ。前は大丈夫だったじゃない。だから、だから……)
酸素を取り込むため大きく口を開けた瞬間、トンッという軽やかな音が聞こえた。
木の床に人が降り立ったような、そんな音だ。
(だめ……!)
レオンハルトが帰って来たのだと気付いたルシアナは、咄嗟に口を両手で塞ぐ。
心臓は痛いくらい激しく脈動し、まるで裁きを待つ罪人のような心地になりながら、ルシアナはぎゅっと身を固くした。
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