上 下
123 / 225
第七章

狩猟大会・三日目(五)

しおりを挟む
「……レオンハルト様」

 名前を呼ぶと、彼は澄んだシアンの瞳でルシアナを見上げた。その瞳を見ていると、出してはいけないものが込み上げて来そうで、ルシアナはもう一度大きく息を吸う。
 そして、いつも通りにっこりと、レオンハルトに笑みを向けた。

「何があったかの聴取をしなくてはなりませんよね。今――」
「あーあーあー、待て。待て、ルシー」

 突如頭上から聞こえた声に、ルシアナとレオンハルトは揃って顔を上げる。

「まあ、ベル。どうし――」

 言いかけて、ルシアナはきつく口を閉じる。
 幼いころからずっと一緒で、一番傍で自分を支え、これまでたくさん甘えてきた相手の姿に、目が熱を持ち視界が滲む。
 ルシアナが咄嗟に顔を伏せると、ベルは短く息を吐き出し、心配そうにルシアナを見ているレオンハルトへ声を掛けた。

「レオンハルト。詳しい説明は私がテオバルドとこの土地にいる魔法術師にする。どのみち、魔法術師の追跡に精霊の気で溢れたお前は連れて行けないからな。だから一先ず……一時いっときの間だけ、こいつを借りていくぞ、ルシー」
「! 待っ――」

 しん、と静かになった舎内に、ルシアナは下げていた頭をゆっくり上げる。

「……レオンハルト様は物ではないわ」

 誰に向けたわけでもない小さな呟きは、広い幕舎内にすぐに溶けて消えてしまう。

(……本当にわたくしものだったらよかったのに)

「――え」

 ふと浮かんだ考えに、ルシアナは大きく目を見開く。しかしすぐにぐっと眉を寄せると、目からは堪えていたものがぽろぽろとこぼれ落ちた。

「……っ」

 ルシアナは勢いよく立ち上がると尻に敷いていたレオンハルトのマントを頭から被り、靴を脱いでベッドに横になる。体を丸め、全身をマントに隠すようにしながら、涙を止めようと両手を目に当てる。
 しかし、手袋が涙を吸うばかりで、出てくるものが減ることはなかった。

「っ、ふ……」

 息を吸おうと開いた口から嗚咽が漏れ、すぐに口を閉じる。自分を落ち着かせるようにゆっくり呼吸を繰り返すものの、漏れ出るものはどうにも止まらず、どうしたらいいかルシアナ自身わからなかった。

(わたくしは、お仕事を頑張られているレオンハルト様が好きだわ)

 己の職務に実直に向き合うレオンハルトが好きだ。
 己の領分を理解し、テオバルドに誠心誠意仕えているレオンハルトが好きだ。
 ルシアナ自身、騎士の家系に生を受け、騎士としての叙任を受けているため、騎士として愚直に生きるレオンハルトに好感を持っているし、その生き方を否定するつもりは毛頭ない。

 別に、テオバルドのような行動を取ってほしかったわけではない。テオバルドを置いて自分のほうに来ていたら、嬉しいと思う反面、いいのだろうかと思ったことだろう。無論、レオンハルトが自分のほうに来たからといって、テオバルドがそれを咎めることはないだろうが、自分の存在が何かレオンハルトの足を引っ張っていないかと心配になったに違いない。
 あの場を離れるとき、「テオバルドからの命だ」と言われたのも、別によかった。その言葉を聞いて、それならこの場を離れても大丈夫か、と思ったのも事実だからだ。

(……けれど……)

 しかし、ただ少し、ほんの少し、たった一言でもいいから、が自分のことを気にしてくれたのだと、そうわかる言葉が欲しかった。いや、言葉でなくてもいい。声色で、表情で、少しでいいからそれを感じたかった。
 もう少しだけ、自分のことを考えて、気にかけてほしかった。

(……我儘だわ、わたくし)

 少し前だったら、こんなことは思わなかった。
 むしろ、テオバルドの命とはいえ、晒された足を隠し、人のいない場所まで運び、そのうえ治療までしてくれるなど、なんて誠実で優しい人なのだろう、と考えたことだろう。
 本当は、ルメンバッハ伯爵令嬢の話も羨ましかった。
 ベルにしたフォローは本心でもあったが、一方で、自分も手紙の一通でも欲しかったと思った。婚約者からまめに手紙が来たという彼女の話を聞いて、やっぱり質問の相手として自分は相応しくないのではないかと、少しだけ侘しい気持ちになった。
 レオンハルトと深い関係にならなければ。いや、レオンハルトに恋をしなければ、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
 披露宴でシュペール侯爵令嬢があそこまで暴走した理由が、今になってやっと理解できた。

「っふ、ぅ……っ」

 少しだけ、なんて嘘だ。
 もっとたくさん、自分のことを考えて、気にかけてほしい。
 レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクという人物にとって、自分が一番でありたい。

(なんて、醜い……)

 恋というものは、これほど人を欲深い生き物にしてしまうのか、と身勝手で情けない自分の感情に、さらに涙が溢れてくる。
 レオンハルトに嫌われたくない。呆れられたくない。
 我儘だと。子どもだと思われたくない。

(好き……好き。レオンハルト様が好き。だから……だめよ。好意を重荷にしてはだめ……我慢しなくてはだめ。前は大丈夫だったじゃない。だから、だから……)

 酸素を取り込むため大きく口を開けた瞬間、トンッという軽やかな音が聞こえた。
 木の床に人が降り立ったような、そんな音だ。

(だめ……!)

 レオンハルトが帰って来たのだと気付いたルシアナは、咄嗟に口を両手で塞ぐ。
 心臓は痛いくらい激しく脈動し、まるで裁きを待つ罪人のような心地になりながら、ルシアナはぎゅっと身を固くした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。 そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!? 貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

獅子の最愛〜獣人団長の執着〜

水無月瑠璃
恋愛
獅子の獣人ライアンは領地の森で魔物に襲われそうになっている女を助ける。助けた女は気を失ってしまい、邸へと連れて帰ることに。 目を覚ました彼女…リリは人化した獣人の男を前にすると様子がおかしくなるも顔が獅子のライアンは平気なようで抱きついて来る。 女嫌いなライアンだが何故かリリには抱きつかれても平気。 素性を明かさないリリを保護することにしたライアン。 謎の多いリリと初めての感情に戸惑うライアン、2人の行く末は… ヒーローはずっとライオンの姿で人化はしません。

獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない

たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。 何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話

【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪

奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」 「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」 AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。 そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。 でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ! 全員美味しくいただいちゃいまーす。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

処理中です...