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第七章

約束の夜(五)

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 しばらく黙ったままルシアナを見下ろしていたレオンハルトは、そっとルシアナの頭に触れた。

「すまない、先に髪を解くべきだったな。俺でも解けるか?」
「あ、紐を解けばすぐに……わたくしが――」

 上体を起こそうとしたルシアナをやんわりと制し横向きに寝かせると、レオンハルトは、しゅるり、と紐を引く。三つ編みにされた髪がベッドに落ち、三つ編みを留める紐も解くと、普段よりうねりの強い髪がシーツの上に広がった。
 ついで、というようにケープの留め具も外し、それを引き抜くとヘッドボードにかける。
 露わになったうなじから梳くように髪に触れると、そのままうなじに鼻先を寄せた。かかる吐息のくすぐったさに身を捩ろうとしたものの、小さく名前を呼ばれ、ルシアナは動きを止める。

「ルシアナ、誤解せずに……聞いてほしいんだが……。……俺は、しばらく子はいいと思ってる」

(え……)

 思いがけない言葉に目を瞬かせる。仰向けになり、レオンハルトの顔を見ようとしたものの、彼はそのまま首筋に顔を埋め、軽く口付けた。薄い皮膚の上を滑る熱い息に、体が小さく震える。
 首元への口付けを繰り返し、顔を上げる様子のないレオンハルトに、ルシアナは短く息を吐くと、レオンハルトの後頭部に手を回し、その頭を撫でた。

「……理由をお伺いしてもよろしいですか?」

 少しの間を置いて頭を上げたレオンハルトは、ルシアナの頬や額に口付けを繰り返しながら続けた。

「貴女がこれまでできなかったことをたくさん経験してほしい。子がいてもできること、子がいなければできないことも多くあるだろうが、身軽のほうが自由にやりたいことができるだろう」

 慈しむような優しい口付けが繰り返され、胸に温かいものが広がっていくのを感じる。

(わたくしのことを気遣ってくださったのね)

 塔の中にいたときはもちろんだが、シュネーヴェ王国に来てからも、ルシアナが自由に過ごしたことはなかった。何かあればレオンハルトの責任になり、最悪、国際問題になりかねないという己の立場を理解し、必要最低限の場所以外は極力出歩かないよう気を付けていた。
 しかし、せっかく外へと出たのだから、街を歩いたり、外で食事をしたり、買い物というものもしてみたかった。

(レオンハルト様は、本当に……“わたくし自身”のことを見て、考えてくださっているのね)

「……しばらくというのは、どのくらいの期間を考えていらっしゃるのですか?」

 後頭部から頬へ手を滑らせれば、レオンハルトが顔を離す。
 目が合ったレオンハルトは、少々悩ましげに眉を寄せた。

「五……六、七……いや、十年……」

(十年!?)

 ぎょっと目を見張ったルシアナは、慌ててレオンハルトの名を呼ぶ。

「二年! 二年にいたしましょう! それだけお時間をいただければ十分ですわ!」

 ルシアナが慣例通り塔に入っていれば、十五の誕生日に塔から出ていたはずだ。レオンハルトとの縁談が決まる十八まで、本来は三年の自由な時間があるはずだった。本来あったはずの年数をそのまま要求してもよかったが、三年は少々長く、一年では短いような気がして、二年という期間を提示した。

「……短くはないか? 二年などあっという間に過ぎ去る」

 あまり納得がいっていない様子のレオンハルトに、ルシアナはくすりと笑うと、垂れるレオンハルトの髪を耳にかける。

「トゥルエノが多産の家系というのもありますが、わたくし自身、子はたくさんほしいのです。ですから、二年で十分ですわ」

 レオンハルトは小さく息を吞み、少し気まずそうに視線を逸らす。しかしすぐにルシアナを見ると、気遣わしげに眉を下げた。

「出産は命懸けだ。貴女が望むなら何でも叶えたいが……」

 言い淀み、そこで口を閉じる。それ以上続く言葉はなかったが、レオンハルトが何を言いたいのか、理解できた。

「小さく産まれ、以前はよく寝込んでいたことを考えれば、レオンハルト様が心配されるのも理解できます。出産は心身ともに負担の大きいことですから。けれど、だからこそ、早めに子を作りたいのです。若く体力のあるうちに、様子を見ながら……」

 レオンハルトの頬を両手で包み、さらりとしたその肌を撫でる。

「お願いいたします。愛する方と、子どもたちと、賑やかに暮らすことが昔からの夢なのです」

 ね、と笑いかければ、レオンハルトはしばしの沈黙ののち深く息を吐き出し、ルシアナの首元に顔を沈めた。

「……わかった」
「ありがとうございます」

 了承を得たことに嬉しそうな笑みを漏らすと、レオンハルトを抱き締め頭を撫でる。撫でながら、ルシアナは、ほっと息を吐き出し静かに続けた。

「……実は、わたくし初夜のことをすっかり忘れていたのです。ベルに指摘されて気付いて……レオンハルト様が大会の準備に出立される朝、忘れていたことの謝罪をしようと思っていたのですが、しばらく子の予定がないのなら杞憂だったようですね」

(よかったわ。初夜を忘れてしまったことをどう謝罪しようかと思っていたけれど、そもそもその予定はなかったのね)

 一つ肩の荷が下り胸を撫で下ろしたルシアナだったが、ゆっくり上体を起こしたレオンハルトの表情には困惑が滲んでいた。

「貴女を抱くつもりがないとは……言ってないんだが……」

 言葉の意味がわからず、しばらくレオンハルトの双眸を見つめていたルシアナは、少しして「えっ」と声を上げた。

「えっと、ですが……それは子のできる行為なのでは……?」

 戸惑うルシアナに、レオンハルトは少しだけ困ったように眉尻を下げた。

「知り合いに避妊の魔法薬を作ってもらった。貴女にとってはあまり気分のいい話ではないが……貴女に対するそういう欲は、結構前から自覚していたからな。もちろん、飲むのは貴女ではなく俺だが」

 呆然とするルシアナの頬を、レオンハルトは指の背で優しく撫でる。

「俺は貴女を愛しているから、貴女に触れたいと思う。貴女を抱くのは子どものためではなく、貴女を愛したいからだということを、どうか覚えていてほしい」

(子どものためではなく、わたくしを愛したいから、わたくしを求めてくださる……)

 考えたこともないことに、ルシアナの思考は停止する。閨事は跡継ぎを残すため、子を授かるためにすることだ、と思っていたルシアナにとって、レオンハルトの言葉は理解しがたいものだった。
 言葉の意味を十分に理解できず、何も言えずにいると、目の前のシアンの瞳が少しだけ悲しみに揺れた気がした。それに気付いたルシアナは、はっとして、レオンハルトの服を掴む。

「そのっ、閨事は子を授かるための行為だと思っていたので驚いてしまって……! よ、よくわからなくて……あの……」

 思考がまとまらず、うまく言葉が出てこない。焦り混乱するルシアナを落ち着かせるように、レオンハルトは頬に口付けた。

「俺に触れられるのは嫌か?」
「いいえっ、決してそのようなことはありませんわ……!」

 レオンハルトにされて嫌なことなどない。誤解されたくなくて、うまく言葉にできない代わりに、必死に目で訴える。
 訴えが通じたのか、レオンハルトは、ふっと小さく笑い、ルシアナの首筋を撫でた。

「……嫌でないのなら、少しだけ、貴女に触れてもいいか?」

(少しだけ……?)

 もうすでに触れているが、少しとかたくさんがあるのだろうか、と思いつつ、ルシアナは小さく首肯した。
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