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第七章
狩猟大会・一日目(二)
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遠目から見たときは、木々が立ち並び鬱蒼としているように感じたが、木々はそれほど密集して生えているわけではなく、時折開けた場所に出ては、野生の草花がその地を埋めていた。
木の周りには熟れて落ちた果実や、木の実、きのこなどがあり、この土地の豊かさが感じられる。優しい木漏れ日の中、そっと目を閉じれば、この地に住まう生き物たちの鼓動が聞こえてくるようだった。
かさり、と小さな音が聞こえ、ルシアナは視線をそちらに向ける。現在立っている開けた場所のずっと先、野草の生い茂った場所に、白く短い尻尾が震えた。木に阻まれその姿の全体が見えないため、正確に何の生き物かはわからない。
(尻尾の形と大きさからしてヤギ……かしら)
ルシアナはヘレナに目配せすると、足音を立てないようにしながら、ゆっくり横に移動する。
全体像を確認すると、それは思った通りの生き物だった。ルシアナはヘレナを手招くとその場に片膝をつく。そうっとルシアナの傍まで来たヘレナは、ルシアナと同じように片膝をつき、十字弓を構えた。
ルシアナはヘレナの背に手を置き、息を殺す。注意深くヤギの動向を観察しながら、心の中で数を数えた。
(一、二、三、四……一、二、三、四……一、二――今)
素早くヘレナの背から手を退かすと、彼女はすぐにレバーを引いた。
草を食べようと頭を下げたヤギの首を、ヘレナの放った矢が射貫く。驚いたヤギは大きく跳躍し、そのまま左右を行き来するように跳ねた。ヘレナに付いて来ていた近衛兵はヤギに駆け寄り、二人がかりでヤギを捕らえる。
一連の出来事を見守っていたルシアナは、ほっと息を吐くと、隣で放心したように十字弓を抱えているヘレナに声を掛ける。
「おめでとうございます、ヘレナ様。お見事でしたわ」
「……はあ」
いまだぼうっとした様子のヘレナに、ルシアナは立ち上がると手を差し出した。
「さあ、参りましょう」
「……はい」
ルシアナの手を借り立ち上がったヘレナは、恐るおそる、護衛たちとヤギがいる場所まで移動する。
護衛たちの腕の中にいるヤギは、まだ死に切れていないのか腹部が上下に動いていた。
窺うようにヘレナを見れば、彼女は覚悟を決めた表情で大きく深呼吸し、その場に両膝をついて胸の前で手を組んだ。
「あなたの命を無駄にはしないわ」
もう一度深呼吸をしたヘレナは、腰にある短剣を取るとヤギの喉に突き刺し、縦に切れ込みを入れる。
血を流し動かなくなったヤギを前に、ルシアナたちも胸の前で手を組んだ。
全員が手を解いたところで、護衛の一人が番号の書かれたタグをヤギの耳に装着し、近くの木に逆さまに吊る。
「では、私は血抜きが終わり次第、獲物を提出して参ります」
「ええ、お願い」
護衛に微笑を向けたヘレナは、小さく息を吐くと血塗れの短剣に目を落とす。
「……ヘレナ様」
そっと声を掛ければ、ヘレナは小さな笑みをルシアナに向けた。
「改めて、私が普段口にしているものは“命”なんだ、と実感してしまいました」
ヘレナは大きく息を吸うと、ヤギへ目を向ける。
「命を奪った責任を、他の命を自分の血肉にすることの重さをきちんと受け止め……余すことなくあの子を食したいと思います」
力強いヘレナの言葉に、ルシアナもしっかり首肯する。
「そうですね。それが命を奪い、いただく者の礼儀だと、わたくしも思いますわ」
「ふふ、狩猟大会への参加を決めたのは、自分の立場に合った役割を果たそうと思ったからですが……より大事なことを思い起こすことができました」
丁寧に短剣の血を拭うヘレナに、ルシアナは、ふっと表情を緩める。
もしかしたら、ヘレナは獲物を射ることができないかもしれない、とルシアナは考えていた。以前よりも気力が満ちているのは感じていたが、どうしても、初めて会ったときの弱々しい姿が忘れられなかった。ヘレナの意志を尊重し同行したが、少しでも無理した様子があれば止めよう、とひそかに決めていた。
(思い上がりね。ヘレナ様は、わたくしが思っているよりずっと心根が強い方だわ)
状況や環境の変化で精神が摩耗し、心が脆くなってしまうのは仕方がない。それは、屈強な百戦錬磨の騎士にだって起こり得ることだ。そこから立ち直れるかどうかは本人次第だが、ヘレナはすでにその様をルシアナに見せていた。
最初の印象に引っ張られ、心配で盲目なってしまっていたことに気付き、ルシアナは軽く首を横に振る。
(求められたときに、最善を尽くして助け支える。それがわたくしのすべきことだわ)
ルシアナは考えを改めるように肺いっぱいに息を吸うと、綺麗に血が拭けて満足そうなヘレナを見上げる。
「獲物は捕らえましたが、まだ狩場を見て回られますか? それとも、もう戻られますか?」
「え!?」
驚いたように声を上げたヘレナに、ルシアナも目を瞬かせる。
「ルシアナ様がまだ……あ、いえ、私が同行をお願いしただけなので、ルシアナ様が無理に参加されることはないのですが……」
(そうね……参加して手ぶらというのも外聞が悪いかしら)
ルシアナが本当に精霊剣の使い手なのか、騎士としての素質が本当にあるのか、ということを、シュネーヴェ王国の多くの貴族が気にしていることを、ルシアナは知っていた。
誰にどう思われようと事実は変わらないためルシアナ自身は特に気にしていなかったが、一頭くらいは何か狩っていったほうがいいか、とルシアナは言い淀むヘレナに笑みを向ける。
「そうですわね。せっかくですから、わたくしも参加いたしますわ」
ぱっと顔を輝かせたヘレナは、辺りへ目を向けた。
「ルシアナ様は、何を狙われるのですか?」
「そうですね……」
ヘレナにヤギを狙うよう促したのは、大会が始まる前に「できれば白い毛の動物がいい」と言われていたからだった。大会にどんな生き物がいるのかは、事前に配られた一覧表で確認していたため、他の参加者に狩られていないことを願いつつ、ヤギを探して狩場を回っていた。
大会で狩られた生き物の肉は、誰が狩ったかなど関係なく、シーズン最後の夜会で振る舞われることになっているが、その毛皮などについては狩った本人の所有となった。そのため、参加者はあらかじめ放たれた動物を確認し、毛皮や羽根、角など、欲しいもので標的を決めている場合がほとんどだった。
(わたくしはそういったものがなかったから、狙いは定めてなかったのよね)
少し考え込んだのち、ルシアナは「そうだわ」と、ヘレナににっこり笑いかける。
「ヘレナ様、好きなお肉はありますか?」
木の周りには熟れて落ちた果実や、木の実、きのこなどがあり、この土地の豊かさが感じられる。優しい木漏れ日の中、そっと目を閉じれば、この地に住まう生き物たちの鼓動が聞こえてくるようだった。
かさり、と小さな音が聞こえ、ルシアナは視線をそちらに向ける。現在立っている開けた場所のずっと先、野草の生い茂った場所に、白く短い尻尾が震えた。木に阻まれその姿の全体が見えないため、正確に何の生き物かはわからない。
(尻尾の形と大きさからしてヤギ……かしら)
ルシアナはヘレナに目配せすると、足音を立てないようにしながら、ゆっくり横に移動する。
全体像を確認すると、それは思った通りの生き物だった。ルシアナはヘレナを手招くとその場に片膝をつく。そうっとルシアナの傍まで来たヘレナは、ルシアナと同じように片膝をつき、十字弓を構えた。
ルシアナはヘレナの背に手を置き、息を殺す。注意深くヤギの動向を観察しながら、心の中で数を数えた。
(一、二、三、四……一、二、三、四……一、二――今)
素早くヘレナの背から手を退かすと、彼女はすぐにレバーを引いた。
草を食べようと頭を下げたヤギの首を、ヘレナの放った矢が射貫く。驚いたヤギは大きく跳躍し、そのまま左右を行き来するように跳ねた。ヘレナに付いて来ていた近衛兵はヤギに駆け寄り、二人がかりでヤギを捕らえる。
一連の出来事を見守っていたルシアナは、ほっと息を吐くと、隣で放心したように十字弓を抱えているヘレナに声を掛ける。
「おめでとうございます、ヘレナ様。お見事でしたわ」
「……はあ」
いまだぼうっとした様子のヘレナに、ルシアナは立ち上がると手を差し出した。
「さあ、参りましょう」
「……はい」
ルシアナの手を借り立ち上がったヘレナは、恐るおそる、護衛たちとヤギがいる場所まで移動する。
護衛たちの腕の中にいるヤギは、まだ死に切れていないのか腹部が上下に動いていた。
窺うようにヘレナを見れば、彼女は覚悟を決めた表情で大きく深呼吸し、その場に両膝をついて胸の前で手を組んだ。
「あなたの命を無駄にはしないわ」
もう一度深呼吸をしたヘレナは、腰にある短剣を取るとヤギの喉に突き刺し、縦に切れ込みを入れる。
血を流し動かなくなったヤギを前に、ルシアナたちも胸の前で手を組んだ。
全員が手を解いたところで、護衛の一人が番号の書かれたタグをヤギの耳に装着し、近くの木に逆さまに吊る。
「では、私は血抜きが終わり次第、獲物を提出して参ります」
「ええ、お願い」
護衛に微笑を向けたヘレナは、小さく息を吐くと血塗れの短剣に目を落とす。
「……ヘレナ様」
そっと声を掛ければ、ヘレナは小さな笑みをルシアナに向けた。
「改めて、私が普段口にしているものは“命”なんだ、と実感してしまいました」
ヘレナは大きく息を吸うと、ヤギへ目を向ける。
「命を奪った責任を、他の命を自分の血肉にすることの重さをきちんと受け止め……余すことなくあの子を食したいと思います」
力強いヘレナの言葉に、ルシアナもしっかり首肯する。
「そうですね。それが命を奪い、いただく者の礼儀だと、わたくしも思いますわ」
「ふふ、狩猟大会への参加を決めたのは、自分の立場に合った役割を果たそうと思ったからですが……より大事なことを思い起こすことができました」
丁寧に短剣の血を拭うヘレナに、ルシアナは、ふっと表情を緩める。
もしかしたら、ヘレナは獲物を射ることができないかもしれない、とルシアナは考えていた。以前よりも気力が満ちているのは感じていたが、どうしても、初めて会ったときの弱々しい姿が忘れられなかった。ヘレナの意志を尊重し同行したが、少しでも無理した様子があれば止めよう、とひそかに決めていた。
(思い上がりね。ヘレナ様は、わたくしが思っているよりずっと心根が強い方だわ)
状況や環境の変化で精神が摩耗し、心が脆くなってしまうのは仕方がない。それは、屈強な百戦錬磨の騎士にだって起こり得ることだ。そこから立ち直れるかどうかは本人次第だが、ヘレナはすでにその様をルシアナに見せていた。
最初の印象に引っ張られ、心配で盲目なってしまっていたことに気付き、ルシアナは軽く首を横に振る。
(求められたときに、最善を尽くして助け支える。それがわたくしのすべきことだわ)
ルシアナは考えを改めるように肺いっぱいに息を吸うと、綺麗に血が拭けて満足そうなヘレナを見上げる。
「獲物は捕らえましたが、まだ狩場を見て回られますか? それとも、もう戻られますか?」
「え!?」
驚いたように声を上げたヘレナに、ルシアナも目を瞬かせる。
「ルシアナ様がまだ……あ、いえ、私が同行をお願いしただけなので、ルシアナ様が無理に参加されることはないのですが……」
(そうね……参加して手ぶらというのも外聞が悪いかしら)
ルシアナが本当に精霊剣の使い手なのか、騎士としての素質が本当にあるのか、ということを、シュネーヴェ王国の多くの貴族が気にしていることを、ルシアナは知っていた。
誰にどう思われようと事実は変わらないためルシアナ自身は特に気にしていなかったが、一頭くらいは何か狩っていったほうがいいか、とルシアナは言い淀むヘレナに笑みを向ける。
「そうですわね。せっかくですから、わたくしも参加いたしますわ」
ぱっと顔を輝かせたヘレナは、辺りへ目を向けた。
「ルシアナ様は、何を狙われるのですか?」
「そうですね……」
ヘレナにヤギを狙うよう促したのは、大会が始まる前に「できれば白い毛の動物がいい」と言われていたからだった。大会にどんな生き物がいるのかは、事前に配られた一覧表で確認していたため、他の参加者に狩られていないことを願いつつ、ヤギを探して狩場を回っていた。
大会で狩られた生き物の肉は、誰が狩ったかなど関係なく、シーズン最後の夜会で振る舞われることになっているが、その毛皮などについては狩った本人の所有となった。そのため、参加者はあらかじめ放たれた動物を確認し、毛皮や羽根、角など、欲しいもので標的を決めている場合がほとんどだった。
(わたくしはそういったものがなかったから、狙いは定めてなかったのよね)
少し考え込んだのち、ルシアナは「そうだわ」と、ヘレナににっこり笑いかける。
「ヘレナ様、好きなお肉はありますか?」
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