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第六章
ヘレナからのお願い
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あれから五日後、先んじて帰国していた他の姉たちに続き、アレクサンドラも帰国のため王城を発った。「エブルの件はつつがなく」という連絡とともに、「早朝に発つから見送りはいい」とも言われていたため、ルシアナは公爵邸から帰路の安全を祈った。
アレクサンドラが出立し、レオンハルトも傍にいない今、狩猟大会までは大人しく邸に籠っているのがいいだろう、と考えたルシアナだったが、その日の夕方、ルシアナの元に一通の招待状が届いた。
翌日、ルシアナは招待主であるヘレナに会うため、王太子妃宮に来ていた。
「狩猟大会に一緒に参加してほしい、ですか?」
鼻に抜けるジャスミンの甘やかな香りを堪能していたルシアナは、カップをソーサーに戻しながら目を瞬かせた。
「はい。昨年の狩猟大会は王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人が共に参加したと聞いて、私も参加すべきかずっと迷っていたんです。他の女性は誰も参加していなかったし、私も参加する必要はない、とテオには言われていたのですが……」
(確かに、王妃殿下が参加されたことがあるのなら、ヘレナ様も出られたほうがいいわね)
目の前に座るヘレナは、もじもじと指先をすり合わせながら話を続ける。
「王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人が参加されているのを見て、参加したいと思った令嬢もいるようで……。今年から、王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人は参加されないと聞きますし、私が参加しないと他の令嬢も参加しにくいかな、と」
(まあ)
初めて会ったときはあれほど委縮していたヘレナが、王太子妃として、自ら進んで人の前に立とうとしている姿を見て、ルシアナは思わず温かな笑みを漏らした。
「わたくしでよければ、ご一緒させてください」
「……! ありがとうございますっ」
ぱあっと顔を輝かせたヘレナだったが、彼女はすぐに「それで、あの……」と視線を下げる。
「実は、その、もう一つルシアナ様にお願いがあって……」
「はい。わたくしにできることでしたら何でもおっしゃってください」
ヘレナは、柔和に微笑むルシアナをちらりと見ると、強く両手を握り締め、大きく息を吸った。
「わ、私に弓を教えてほしいのです!」
室内にヘレナの声が響く。音の余韻がなくなるころ、ルシアナはやっとヘレナに言われたことを理解した。
「……弓、ですか?」
予想外の“お願い”に、ルシアナの反応が一拍遅れる。それをどう捉えたのか、ヘレナは慌てたように両手を挙げた。
「あの、実はアレクサンドラ様とお話しする機会がありましてっ! そのときにルシアナ様は弓がとても得意だと教えていただいてっ……私が今から普通の弓を満足に扱うのは難しいかもしれませんが、十字弓なら扱えるのではないか、と……! もちろん、十字弓と普通の弓が違うというのは理解しているのですが、ルシアナ様は非常に目がいいから獲物の仕留め方を教わったらいいんじゃないかと……!」
十字弓とは、台座に矢をセットし、レバーを引いてバネの力で矢を発射させる、初心者でもそれほど扱いが難しくない弓のことだ。矢の代わりに石や鉄球を使うこともあり、狩猟用の武器としては用いられることも多い。
(ヘレナ様は十字弓を使われる予定なのね)
狩猟大会までそれほど日はないが、十字弓なら問題ないだろう、と考えたルシアナは、頬を赤らめ、落ち着きなく手を動かすヘレナに、穏やかに笑みを向ける。
「申し訳ございません、突然のことで驚いてしまって。もちろん構いませんわ」
「あ、ありがとうございます、ルシアナ様……!」
ほっと息を吐いたヘレナに微笑を返したルシアナだったが、すぐにその眉尻を下げる。
「ですが、ヘレナ様もおっしゃった通り、十字弓と弓は違いますので、どこまでお力になれるか……」
「いえっ、優勝を狙っているわけではありませんし、ある程度扱えるようになれば十分ですから。それに、一緒に参加してくださることが何よりも心強いので……本当にありがとうございます」
嬉しそうに笑うヘレナに、ルシアナも同じような表情を返す。
相当緊張していたのか、ヘレナは心底安堵した様子でカップを手に取った。
「ルシアナ様が快く引き受けてくださってよかったです。私は肩書だけの人間で、何をお返しできるのかわかりませんが、私でお力になれることがあれば、いつでもおっしゃってくださいね。ルシアナ様のためなら、いつだって駆けつけますから」
「まあ……肩書だけなど、そのようなことおっしゃらないでください。いくらヘレナ様でも、わたくしの好きな方をそのようにおっしゃるのは許せませんわ」
少し大げさに拗ねた表情を見せれば、ヘレナはその金の瞳を瞬かせたあと、おかしそうに破顔した。
「まあっ、ふふ……。……ありがとうございます、ルシアナ様」
わずかに瞳を潤ませながら目尻を下げるヘレナに、ルシアナも柔らかな笑みを向けたものの、すぐに「あ」と小さく漏らす。
「あの、それでは、早速になりますが、一つよろしいでしょうか」
「もちろんです。なんでしょうか」
気合いを入れた様子で瞳を輝かせるヘレナに、ルシアナは小さな笑みを漏らす。
「実は、狩猟大会について、詳しいことはまだあまり知らないのです。よろしければ教えていただけませんか?」
それなら自分にもできる、と思ったのか、ヘレナはさらに瞳を煌めかせると、大きく頷いた。
「はい。是非お任せください」
(大会まで、意外と忙しくなりそうだわ)
狩猟大会までなるべく頻繁にヘレナに会いに来ることを約束し、ルシアナはヘレナと別れた。
(思ったより気を張っていたのかしら。ヘレナ様とお会いして、少し肩が軽くなったわ。それにしても……)
馬車に揺られながら、ヘレナとの楽しいお茶会を思い出しつつ、ルシアナはヘレナから聞いた話を反芻する。
狩猟大会は全部で三日間行われ、獲得した獲物の大きさや希少度によって得点が変わり、もっとも多くの得点を得たものが優勝となる。三日間ずっと狩場に出てもいいし、一日だけ出る、という形でもいいそうだ。
精霊剣などの精霊の加護を受けた武器はもちろん、魔法道具の使用も禁止で、使えるのは大会側で準備した量産型の剣、短剣、弓、十字弓、槍、投げ槍だけ。武器の使用制限はなく、複数の武器を持ち歩いたり、壊れたらいつでも新しいものと交換できるらしい。
(当然と言えば当然だけれど、自分の剣と弓を使えないのは少し大変かもしれないわ)
弓は使ううちに慣れるだろうが、男性が扱うのと同じ剣を使うのは難しいだろう、と息を漏らす。
(わたくしのようにあまり体の大きくない女性でも自由に振るえる剣を、シュネーヴェでも扱ってもらわないといけないわね。……いつごろ、どれほどの工房が取り扱ってくれるかはわからないけれど)
レオンハルトに会ったら聞いてみよう、と伝えたいことリストを更新しながら、ルシアナはもうそろそろ日が陰ろうかという空を見る。
(……あと、二週間)
まだそんなに日数があるのかと、ルシアナの口からは知らず知らずのうちに小さな溜息が漏れていた。
アレクサンドラが出立し、レオンハルトも傍にいない今、狩猟大会までは大人しく邸に籠っているのがいいだろう、と考えたルシアナだったが、その日の夕方、ルシアナの元に一通の招待状が届いた。
翌日、ルシアナは招待主であるヘレナに会うため、王太子妃宮に来ていた。
「狩猟大会に一緒に参加してほしい、ですか?」
鼻に抜けるジャスミンの甘やかな香りを堪能していたルシアナは、カップをソーサーに戻しながら目を瞬かせた。
「はい。昨年の狩猟大会は王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人が共に参加したと聞いて、私も参加すべきかずっと迷っていたんです。他の女性は誰も参加していなかったし、私も参加する必要はない、とテオには言われていたのですが……」
(確かに、王妃殿下が参加されたことがあるのなら、ヘレナ様も出られたほうがいいわね)
目の前に座るヘレナは、もじもじと指先をすり合わせながら話を続ける。
「王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人が参加されているのを見て、参加したいと思った令嬢もいるようで……。今年から、王妃殿下とヴァルヘルター公爵夫人は参加されないと聞きますし、私が参加しないと他の令嬢も参加しにくいかな、と」
(まあ)
初めて会ったときはあれほど委縮していたヘレナが、王太子妃として、自ら進んで人の前に立とうとしている姿を見て、ルシアナは思わず温かな笑みを漏らした。
「わたくしでよければ、ご一緒させてください」
「……! ありがとうございますっ」
ぱあっと顔を輝かせたヘレナだったが、彼女はすぐに「それで、あの……」と視線を下げる。
「実は、その、もう一つルシアナ様にお願いがあって……」
「はい。わたくしにできることでしたら何でもおっしゃってください」
ヘレナは、柔和に微笑むルシアナをちらりと見ると、強く両手を握り締め、大きく息を吸った。
「わ、私に弓を教えてほしいのです!」
室内にヘレナの声が響く。音の余韻がなくなるころ、ルシアナはやっとヘレナに言われたことを理解した。
「……弓、ですか?」
予想外の“お願い”に、ルシアナの反応が一拍遅れる。それをどう捉えたのか、ヘレナは慌てたように両手を挙げた。
「あの、実はアレクサンドラ様とお話しする機会がありましてっ! そのときにルシアナ様は弓がとても得意だと教えていただいてっ……私が今から普通の弓を満足に扱うのは難しいかもしれませんが、十字弓なら扱えるのではないか、と……! もちろん、十字弓と普通の弓が違うというのは理解しているのですが、ルシアナ様は非常に目がいいから獲物の仕留め方を教わったらいいんじゃないかと……!」
十字弓とは、台座に矢をセットし、レバーを引いてバネの力で矢を発射させる、初心者でもそれほど扱いが難しくない弓のことだ。矢の代わりに石や鉄球を使うこともあり、狩猟用の武器としては用いられることも多い。
(ヘレナ様は十字弓を使われる予定なのね)
狩猟大会までそれほど日はないが、十字弓なら問題ないだろう、と考えたルシアナは、頬を赤らめ、落ち着きなく手を動かすヘレナに、穏やかに笑みを向ける。
「申し訳ございません、突然のことで驚いてしまって。もちろん構いませんわ」
「あ、ありがとうございます、ルシアナ様……!」
ほっと息を吐いたヘレナに微笑を返したルシアナだったが、すぐにその眉尻を下げる。
「ですが、ヘレナ様もおっしゃった通り、十字弓と弓は違いますので、どこまでお力になれるか……」
「いえっ、優勝を狙っているわけではありませんし、ある程度扱えるようになれば十分ですから。それに、一緒に参加してくださることが何よりも心強いので……本当にありがとうございます」
嬉しそうに笑うヘレナに、ルシアナも同じような表情を返す。
相当緊張していたのか、ヘレナは心底安堵した様子でカップを手に取った。
「ルシアナ様が快く引き受けてくださってよかったです。私は肩書だけの人間で、何をお返しできるのかわかりませんが、私でお力になれることがあれば、いつでもおっしゃってくださいね。ルシアナ様のためなら、いつだって駆けつけますから」
「まあ……肩書だけなど、そのようなことおっしゃらないでください。いくらヘレナ様でも、わたくしの好きな方をそのようにおっしゃるのは許せませんわ」
少し大げさに拗ねた表情を見せれば、ヘレナはその金の瞳を瞬かせたあと、おかしそうに破顔した。
「まあっ、ふふ……。……ありがとうございます、ルシアナ様」
わずかに瞳を潤ませながら目尻を下げるヘレナに、ルシアナも柔らかな笑みを向けたものの、すぐに「あ」と小さく漏らす。
「あの、それでは、早速になりますが、一つよろしいでしょうか」
「もちろんです。なんでしょうか」
気合いを入れた様子で瞳を輝かせるヘレナに、ルシアナは小さな笑みを漏らす。
「実は、狩猟大会について、詳しいことはまだあまり知らないのです。よろしければ教えていただけませんか?」
それなら自分にもできる、と思ったのか、ヘレナはさらに瞳を煌めかせると、大きく頷いた。
「はい。是非お任せください」
(大会まで、意外と忙しくなりそうだわ)
狩猟大会までなるべく頻繁にヘレナに会いに来ることを約束し、ルシアナはヘレナと別れた。
(思ったより気を張っていたのかしら。ヘレナ様とお会いして、少し肩が軽くなったわ。それにしても……)
馬車に揺られながら、ヘレナとの楽しいお茶会を思い出しつつ、ルシアナはヘレナから聞いた話を反芻する。
狩猟大会は全部で三日間行われ、獲得した獲物の大きさや希少度によって得点が変わり、もっとも多くの得点を得たものが優勝となる。三日間ずっと狩場に出てもいいし、一日だけ出る、という形でもいいそうだ。
精霊剣などの精霊の加護を受けた武器はもちろん、魔法道具の使用も禁止で、使えるのは大会側で準備した量産型の剣、短剣、弓、十字弓、槍、投げ槍だけ。武器の使用制限はなく、複数の武器を持ち歩いたり、壊れたらいつでも新しいものと交換できるらしい。
(当然と言えば当然だけれど、自分の剣と弓を使えないのは少し大変かもしれないわ)
弓は使ううちに慣れるだろうが、男性が扱うのと同じ剣を使うのは難しいだろう、と息を漏らす。
(わたくしのようにあまり体の大きくない女性でも自由に振るえる剣を、シュネーヴェでも扱ってもらわないといけないわね。……いつごろ、どれほどの工房が取り扱ってくれるかはわからないけれど)
レオンハルトに会ったら聞いてみよう、と伝えたいことリストを更新しながら、ルシアナはもうそろそろ日が陰ろうかという空を見る。
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まだそんなに日数があるのかと、ルシアナの口からは知らず知らずのうちに小さな溜息が漏れていた。
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