ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

文字の大きさ
上 下
98 / 232
第六章

募る想い

しおりを挟む
 狩猟大会の準備を行っていたラズルド騎士団の団員が負傷した、という話を聞いたのは、その日の夕方だった。怪我をした騎士のうち、一人は重傷だったが命に別状はなく、問題の魔物はすでにレオンハルトにより討伐された、とテオバルドの使いが知らせてくれた。
 夕食もそこそこに書庫へとやって来たルシアナは、いつものソファの上でしおりを胸に抱きながら、雲が広がったほの暗い空を見上げる。

(前回の魔物討伐は何事もなく終わったから、あまり気にしていなかったけれど……そうよね。こういうことは、きっとこれからもあるわ)

 レオンハルトなら大丈夫、という信頼はある。
 テオバルドの使いと共にやって来た、当時の状況を見ていたという近衛兵も、言葉通り目にも止まらぬ速さで魔物を仕留めたと、興奮した様子で話していた。

(わたくしが心配をするというのは、とても烏滸がましいことだわ。心配する必要がないこともわかっているのに……)

「レオンハルト様……」

 小さな呟きが夜気に混ざり、薄暗い室内に消える。
 昨夜ここで交わした熱がすべて幻だったのではないか。そう思えてしまうほど、室内の空気は冷たかった。

『武器を持つのは私だけでいい。愛する者には、安息の地で健やかに暮らしていてほしい』

 いつだったか、母が言っていた言葉が、ふと蘇える。
 トゥルエノ王国では、ルシアナの曾祖母の代から自由結婚が行われるようになったが、それでも暗黙的に、次期女王の伴侶は騎士などの武官から選ばれる、という共通認識があった。
 その風潮を断ち切り、当時の女王の反対を押し切って、文官の家系の夫を迎えたのが、他でもない母・ベアトリスだった。
 結局、母と結婚するにあたり、父は自身に一番合う武器を見つけ、それを極めることになったが、稀にある魔物の討伐などには絶対に同行させなかったと伝え聞いている。

(あのとき、あの言葉をおっしゃったお母様のお気持ちが、今なら少しだけわかるような気がするわ)

 レオンハルトは安全な場所に留まってくれるような人ではないし、周りもそれを許しはしないだろう。こう思うことは、ある種レオンハルトに対する侮辱だとわかってはいたが、危険な場所には行かないでほしい、と願わずにはいられなかった。

(レオンハルト様が魔物に後れを取ることはないと確信しているのに、どうしても心配になってしまう。決してその実力を疑っているわけではないのに)

 握り締めた両手を開いて、手中のしおりを見下ろす。

「……これが、愛しているということなのかしら」

 愛しているから、大丈夫だと思っていても、心配になってしまうのだろうか。
 父や義兄が、母や姉を常に案じているように。

「……」

 ルシアナは大きく息を吸うと顔を上げ、薄ぼんやりとその輪郭が見える月を見上げた。
 今、レオンハルトは何をしているだろうか。他の魔物の処理に追われているだろうか。食事は済んだだろうか。無理をしていないだろうか。
 レオンハルトのことを想うと、何故か涙が出そうになった。

(この気持ちが、愛なのかしら)

 両目からこぼれそうなこれが愛の証だというのなら、一粒もこぼすことなく留めておきたいと思った。

(それに、わたくしが泣いていたら、レオンハルト様は安心して邸を空けられないわ)

 ルシアナは両目を閉じると、大きく、ゆっくり深呼吸をした。

(レオンハルト様は大丈夫。わたくしも……大丈夫。三週間後、笑ってお会いするのよ)

 燻る想いを胸の奥に押し込み、ルシアナは、に、と口角を上げる。

(そうね、別のことを考えましょう。例えば――)

 ふと、近衛兵が言っていた“一角雷獣”という言葉が思い出される。

(一角雷獣は、本来人を襲うような魔物ではないわ。それが人を襲ったということは、他に大型の魔物がいるか、あるいは……一角雷獣にとって害のあるマナが食糧に染みついていたか、よね。魔法術師もたくさん同行していると聞くし、マナの相性が悪い方でもいたのかしら)

 “マナ”というのは、すべての生物が持って生まれるもので、生命力、魔力の根源、世界を構築する原初の要素と言われている。マナにはそれぞれ個性があり、自分と同じマナを持つ生物は、世界中どこを探してもいない。
 マナの相性というのは本来気にしなくていいものだが、中にはそれを敏感に察知する繊細な生物もおり、一角雷獣はその代表格のような生き物だった。

(もしくは、魔物には好ましくない魔法を使っていて、その気配を察知して食事ができていなかった可能性もあるわよね。相当繊細で神経質だと聞くもの)

 魔法は、マナを変異・操作して行うもので、マナの塊である妖精や精霊、ドラゴンやエルフなどは、生まれながら自由にマナの操作が行える。
 本来マナ操作を行えない人間やエルフ種を除いた亜人の中で、マナ操作を行える者が“魔法術師”と呼ばれていた。

(……何か不幸な偶然が重なっただけ、ならいいけれど)

 頭の片隅に、テレーゼに魔法をかけていた“キャサリン・アンデ”という魔法術師の名前が浮かぶ。レオンハルトたちがずっとその行方を追っているが、いまだ消息は掴めていないらしい。

(アシュレン伯爵夫人は、社交界への参加を禁じられてから領地に籠り、怪しい動きはないと監視から報告を受けているわ。だから大丈夫、だと思いたいけれど……)

 精霊の気を溢れさせたレオンハルトが魔法に惑わされることはないだろう。人間相手でも、魔物相手でも、レオンハルトは負けないと信じている。
 そう思うものの、心配する気持ちは、やはりなくならなかった。

(……別のことを考えようと思ったのに、結局レオンハルト様について考えてしまっているわね)

 小さく息を吐きながら、ルシアナはしおりの表面を撫でる。
 レオンハルトなら、あらゆる可能性を考慮しているだろう。今自分が考えたことは、レオンハルトも考えているはずだ。

(わたくしはレオンハルト様を信じて、万全の準備をして三週間後を迎えればいいだけだわ。何があっても大丈夫なように)

「レオンハルト様、どうかご無事で」

 胸元で手を組みながら、ルシアナは祈るように、そう小さく呟いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

処理中です...