ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第六章

募る想い

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 狩猟大会の準備を行っていたラズルド騎士団の団員が負傷した、という話を聞いたのは、その日の夕方だった。怪我をした騎士のうち、一人は重傷だったが命に別状はなく、問題の魔物はすでにレオンハルトにより討伐された、とテオバルドの使いが知らせてくれた。
 夕食もそこそこに書庫へとやって来たルシアナは、いつものソファの上でしおりを胸に抱きながら、雲が広がったほの暗い空を見上げる。

(前回の魔物討伐は何事もなく終わったから、あまり気にしていなかったけれど……そうよね。こういうことは、きっとこれからもあるわ)

 レオンハルトなら大丈夫、という信頼はある。
 テオバルドの使いと共にやって来た、当時の状況を見ていたという近衛兵も、言葉通り目にも止まらぬ速さで魔物を仕留めたと、興奮した様子で話していた。

(わたくしが心配をするというのは、とても烏滸がましいことだわ。心配する必要がないこともわかっているのに……)

「レオンハルト様……」

 小さな呟きが夜気に混ざり、薄暗い室内に消える。
 昨夜ここで交わした熱がすべて幻だったのではないか。そう思えてしまうほど、室内の空気は冷たかった。

『武器を持つのは私だけでいい。愛する者には、安息の地で健やかに暮らしていてほしい』

 いつだったか、母が言っていた言葉が、ふと蘇える。
 トゥルエノ王国では、ルシアナの曾祖母の代から自由結婚が行われるようになったが、それでも暗黙的に、次期女王の伴侶は騎士などの武官から選ばれる、という共通認識があった。
 その風潮を断ち切り、当時の女王の反対を押し切って、文官の家系の夫を迎えたのが、他でもない母・ベアトリスだった。
 結局、母と結婚するにあたり、父は自身に一番合う武器を見つけ、それを極めることになったが、稀にある魔物の討伐などには絶対に同行させなかったと伝え聞いている。

(あのとき、あの言葉をおっしゃったお母様のお気持ちが、今なら少しだけわかるような気がするわ)

 レオンハルトは安全な場所に留まってくれるような人ではないし、周りもそれを許しはしないだろう。こう思うことは、ある種レオンハルトに対する侮辱だとわかってはいたが、危険な場所には行かないでほしい、と願わずにはいられなかった。

(レオンハルト様が魔物に後れを取ることはないと確信しているのに、どうしても心配になってしまう。決してその実力を疑っているわけではないのに)

 握り締めた両手を開いて、手中のしおりを見下ろす。

「……これが、愛しているということなのかしら」

 愛しているから、大丈夫だと思っていても、心配になってしまうのだろうか。
 父や義兄が、母や姉を常に案じているように。

「……」

 ルシアナは大きく息を吸うと顔を上げ、薄ぼんやりとその輪郭が見える月を見上げた。
 今、レオンハルトは何をしているだろうか。他の魔物の処理に追われているだろうか。食事は済んだだろうか。無理をしていないだろうか。
 レオンハルトのことを想うと、何故か涙が出そうになった。

(この気持ちが、愛なのかしら)

 両目からこぼれそうなこれが愛の証だというのなら、一粒もこぼすことなく留めておきたいと思った。

(それに、わたくしが泣いていたら、レオンハルト様は安心して邸を空けられないわ)

 ルシアナは両目を閉じると、大きく、ゆっくり深呼吸をした。

(レオンハルト様は大丈夫。わたくしも……大丈夫。三週間後、笑ってお会いするのよ)

 燻る想いを胸の奥に押し込み、ルシアナは、に、と口角を上げる。

(そうね、別のことを考えましょう。例えば――)

 ふと、近衛兵が言っていた“一角雷獣”という言葉が思い出される。

(一角雷獣は、本来人を襲うような魔物ではないわ。それが人を襲ったということは、他に大型の魔物がいるか、あるいは……一角雷獣にとって害のあるマナが食糧に染みついていたか、よね。魔法術師もたくさん同行していると聞くし、マナの相性が悪い方でもいたのかしら)

 “マナ”というのは、すべての生物が持って生まれるもので、生命力、魔力の根源、世界を構築する原初の要素と言われている。マナにはそれぞれ個性があり、自分と同じマナを持つ生物は、世界中どこを探してもいない。
 マナの相性というのは本来気にしなくていいものだが、中にはそれを敏感に察知する繊細な生物もおり、一角雷獣はその代表格のような生き物だった。

(もしくは、魔物には好ましくない魔法を使っていて、その気配を察知して食事ができていなかった可能性もあるわよね。相当繊細で神経質だと聞くもの)

 魔法は、マナを変異・操作して行うもので、マナの塊である妖精や精霊、ドラゴンやエルフなどは、生まれながら自由にマナの操作が行える。
 本来マナ操作を行えない人間やエルフ種を除いた亜人の中で、マナ操作を行える者が“魔法術師”と呼ばれていた。

(……何か不幸な偶然が重なっただけ、ならいいけれど)

 頭の片隅に、テレーゼに魔法をかけていた“キャサリン・アンデ”という魔法術師の名前が浮かぶ。レオンハルトたちがずっとその行方を追っているが、いまだ消息は掴めていないらしい。

(アシュレン伯爵夫人は、社交界への参加を禁じられてから領地に籠り、怪しい動きはないと監視から報告を受けているわ。だから大丈夫、だと思いたいけれど……)

 精霊の気を溢れさせたレオンハルトが魔法に惑わされることはないだろう。人間相手でも、魔物相手でも、レオンハルトは負けないと信じている。
 そう思うものの、心配する気持ちは、やはりなくならなかった。

(……別のことを考えようと思ったのに、結局レオンハルト様について考えてしまっているわね)

 小さく息を吐きながら、ルシアナはしおりの表面を撫でる。
 レオンハルトなら、あらゆる可能性を考慮しているだろう。今自分が考えたことは、レオンハルトも考えているはずだ。

(わたくしはレオンハルト様を信じて、万全の準備をして三週間後を迎えればいいだけだわ。何があっても大丈夫なように)

「レオンハルト様、どうかご無事で」

 胸元で手を組みながら、ルシアナは祈るように、そう小さく呟いた。
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