ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第六章

姉妹の時間、のそのころ(二)

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(……ん?)

 休憩も兼ね、のんびりと馬を歩かせていたレオンハルトは、視界の先にある幕舎が並ぶ場所に、本来ここにいるはずのない臙脂の騎士服を身に纏った人々がいることに気付き、踵を馬の腹に当てる。それだけで馬はスピードを上げ、一瞬で幕舎の在る開けた場所に出た。

「閣下!」

 開けた場所に出た瞬間、目敏くレオンハルトを見つけた人物が、テールグリーンのマントを翻しながら駆け寄って来る。

「ゲオルク団長」

 駆け寄って来たのは、狩猟大会の準備を一緒に行っていた、国軍第七騎士団の団長ゲオルクだった。レオンハルトが馬から降りると、ゲオルクは後ろについて来た同じテールグリーンの騎士服を着た男性に、レオンハルトの馬を厩舎に戻すよう指示する。
 レオンハルトが手綱を渡したのを見て、彼は眉を下げて小さく笑った。

「おそらく閣下の想像通りの方です。閣下の幕舎にいらっしゃいます」

 レオンハルトは漏れそうになる溜息を何とか堪えると、早足に自身の幕舎へ向かう。

「いつごろいらっしゃったんですか?」
「一時間ほど前です。呼びに行かなくていい、とのご指示だったのでご報告が遅れました。申し訳ございません」
「いえ。ゲオルク団長が謝罪されることではありません」

(まったく……)

 ラズルド騎士団の面々は想定外の来客に驚いた様子もないが、第七騎士団の団員たちには困惑が広がっているようだった。

「しばらくこの場の指揮をお願いします。ラズルド騎士団への対応は第六部隊隊長のフランツへ伝えてください」
「かしこまりました」

 足を止め頭を下げたゲオルクに小さく頷き返すと、再び歩みを進める。レオンハルトの幕舎の入り口には、臙脂の騎士服を身に纏った人物が二人、申し訳なさそうに立っていた。
 レオンハルトの姿を確認すると、二人は素早く敬礼する。
 彼らの所属を確認するように、レオンハルトは襟元へ目を向けた。

(襟章は……まぁ、そうだろうな)

 レオンハルトから見て右側の襟には、黒地に赤い線が三本縫われた襟章が付いている。
 中にいる人物が誰なのか確信したレオンハルトは、一つ呼吸をすると軽く手を挙げた。二人の騎士は敬礼を解き、幕舎へ目を向ける。

「シルバキエ公爵閣下がご帰還されました」
「ああ、入れてくれ」

 中から聞こえた明るい声に、臙脂の騎士は素早く幕舎の戸口となる幕を捲る。その奥で、椅子に座り何かを齧っていた人物は、金の髪を揺らしながら人好きのする笑みを浮かべた。

「ご苦労だったな、シルバキエ公爵」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。お待たせしてしまい申し訳ございません」

 胸に手を当て、深く腰を折ったレオンハルトに、テオバルドは快活に笑う。

「はは! いい、いい。俺が勝手に来ただけだしな」

 椅子から立ち上がったテオバルドは、臙脂の騎士に目を向ける。

「緊急の案件以外は誰も通さないでくれ。――公爵」
「失礼いたします」

 頭を上げ、幕舎の中へと入る。戸口の幕が完全に下りたのを横目で確認したレオンハルトは、小さく息を漏らし、再び椅子に腰掛けたテオバルドを見た。

「来るときは事前に連絡を入れろと言ってあっただろ」
「いやぁ、それはそうなんだが急用だったからな。人を送るより俺が来たほうが早いと思って」

 小さな木製テーブルを挟み、テオバルドの向かいに椅子を置いたレオンハルトは、それに座ると顔を寄せ声を潜めた。

「何かあったのか?」

 テオバルドはときに奔放で、人の話など聞いていないのではないか、と思うような振る舞いをすることもあるが、その実自身の立場も、自分の行動が周りに及ぼす影響もきちんと理解している。
 そんな彼がレオンハルトの言葉を無視して押しかけたということは、それだけ大事な話があるということだ。

(急用だと言いつつ来たことを知らせなかったことを考えると、重要な案件だが時間の猶予はある……言い換えれば、慎重に検討すべき案件ということだ)

 先ほどの人払いを踏まえても、この考えは間違っていないだろう、とレオンハルトは真っ直ぐ目の前の人物を見つめる。テオバルドも同じように真剣な表情で見つめ返したかと思えば、すぐに悩ましげに眉を寄せた。

「あったと言えばものすごくあったんだが、これをシルバキエ公爵としてのお前に言うか、俺の側近としてのお前に言うか、悩ましいところなんだよなぁ。まぁ、とりあず、俺の側近としてこれを見てくれ」

 自らの背と背もたれの間に挟んでいたらしい大きな封筒を差し出され、何を言っているのだろうか、とわずかに眉根を寄せながらそれを受け取る。しかし、その封筒の中身を見てテオバルドの言葉の意味を理解し、レオンハルトは眉間の皺を深めた。

(……なるほどな。確かに、重要で慎重に検討すべき案件だ。それに――)

 レオンハルトは短く息を吐くと、視線をテオバルドへ戻す。

「これはまだ正式に決まったものではないんだろう?」
「ああ。まだ要求の段階だ。が、断ることはほぼ不可能だし、そもそも理由がない。正直な話、トゥルエノ側がこの程度で引いてくれるなら、王家としてはシルバキエ公爵夫人の申し出を喜んで受けたい」

 レオンハルトはさらに顔を顰め、もう一度手元の書類に目を落とす。
 封筒の中には何枚かの書類が入っており、一番上の用紙には『シルバキエ公爵夫人ルシアナ・ヴァステンブルクが所有するコリダリスが自生する土地“エブル”を、シュネーヴェ・トゥルエノ間の仮の外交拠点として使用することを許可すること』、『仮の拠点として使用する間、エブルにあるコリダリスをトゥルエノの研究者に提供することを許可すること』、『コリダリスを使用した成果物は、シュネーヴェ側で精査したのち、三割をシュネーヴェ側に、七割をトゥルエノ側に無償で供与すること許可すること』など、トゥルエノ王国側の要望が記されていた。

(彼女が書いた誓約者や同意書を複写したものもある、か)

 しばしの沈黙ののち、レオンハルトは深く息を吐き出すと、眉間の皺をなくしてテオバルドを見た。
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