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第六章
初めての交渉(一)
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「急な要請にも関わらず、ご対応いただき誠にありがとうございます。第一王女殿下」
「構わぬ。面を上げよ、シルバキエ公爵夫人」
凛とした声に従い頭を上げれば、目の前の人物は同じロイヤルパープルの瞳を細めて微笑んだ。
「まさか、このようなやり取りをするのがルシーが最初とはな。さあ、こちらへおいで。お前の好きな茶葉を用意したんだ」
「ありがとうございます、お姉様」
ルシアナがアレクサンドラの前に座ると、控えていたメイドたちがケーキスタンドやティーカップをテーブルに並べた。ティーポットは、ルシアナ用と、妊娠中のアレクサンドラ用の二つが用意される。
「嬉しい。ストロベリーティーを用意してくださったのですね」
「ああ。私は飲めないが、外交で使えるかもしれないと思ってな」
「まあ。では、わたくしがいただくのは……」
「シュネーヴェ王国の公爵夫人として来たんだろう? 立派な外交さ」
「まあ! ふふっ」
口元に手を当ておかしそうに笑えば、アレクサンドラも愉快そうに口の端を上げた。
(よかったわ。謁見の申請がすぐに通って)
エーリクから話を聞いたあと、ルシアナはすぐに手紙を書いて王城に使者を出した。
エーリクの呪いを解くことができるかもしれない人物を呼ぶには、まだ王城に残っているアレクサンドラに会うことが一番の近道だったからだ。
手紙には、昨日の感謝や謝罪とともに、“なるべく早く会いたい”という旨も記したが、それでも数日は待つことになるだろう、とルシアナは考えていた。
(アレックスお姉様が他のお姉様方より長めに滞在されるのは、身重の体が理由だと聞いていたけれど、お姉様のことだから何か予定を入れてらっしゃると思ったのよね)
しかし、ルシアナの予想とは違い、その日の午後に予定は組まれた。
もしかしたら、自分のために予定をキャンセル、もしくは後回ししたのではないか、と思い、一口だけ口を付けたカップを置くと、おずおずとアレクサンドラを見る。
「その、お姉様に負担をかけてはいませんか?」
「まさか。可愛い妹と会って癒されることはあっても、負担など。あるわけない」
アレクサンドラは即座に否定すると、少しして、ふっと肩を竦めた。
「実を言うと、今後の国交のために何人かの貴族夫人と会う予定だったんだが、昨日のこともあって、それを全部白紙にしたんだ。おかげで滞在中は暇になってね。もう動いても問題ない時期だというのに、カルロスもゆっくり休めと言うし、時間を持て余すところだったんだ。だから、どんな用があったとしても、こうして会いに来てくれて嬉しいよ」
「お姉様……」
眉を落とすルシアナに、アレクサンドラは「ああ、いや」と続けた。
「本当に、どんな理由でも嬉しいんだ。そこにルシーが罪悪感を抱く必要はない」
(わたくしが、自らの益のために突然訪ねたことを理解したうえで、歓迎してくださるのね)
呼び出しがあれば当然応じるが、エーリクのことがなければ、ルシアナからこうして訪ねることはなかっただろう。それが、他国の次期女王であるアレクサンドラと、一介の貴族夫人であるルシアナの適切な距離感だからだ。
それを理解しているのに、立場を利用して身勝手に会いに来ると言うのは、あまりにも都合のいい行いだ。
「申し訳ありません、お姉様。わたくしは自分のことばかりで……」
「お前が自分のためだけに動くような子ではないと知っているよ。お前は良くも悪くも、利他的な子だから」
「……それは良く言いすぎですわ。お姉様」
かすかに笑めば、アレクサンドラも小さく笑った。
「――まぁ、本当にルシーが気にすることは何もないんだ。そもそも、滞在中にもう一度会えるとは思ってなかったからな」
「まあ。お呼びいただければいつでも参じますのに」
「はは、いくら肉親とは言え、新婚を呼び出すほど野暮なことはしないさ。だから今日は驚いた」
白湯の入ったカップをぐっと傾けて飲むと、アレクサンドラはどこか寂しそうな目でルシアナを見つめた。
「まぁ、半年も共に暮らしていれば、何も昨夜が初めてということもないか。……娘を嫁にやる気分というのは、こういうものを言うんだろうな」
物悲しさを感じる視線を向けられながら、ルシアナはぽかん、とアレクサンドラを見つめ返す。
アレクサンドラが何を言っているのかわからず、一言一言、ゆっくり言葉を反芻する。
(あ……)
脳内で何度も何度も言葉を繰り返し、アレクサンドラの言いたいことを察したルシアナは、頭の隅に追いやっていたものを思い出し、暗い面持ちで視線を下げる。
「いえ、昨夜は……その、わたくしが何を行うのかすっかり忘れていて……」
結婚式を行った日の夜は必ず共に過ごさなければならない、と何か法などで定められているわけではない。しかし、あまりにも一般的な行いとして広まっているため、それを忘れてしまっていたことが、何とも申し訳ない気持ちにさせられた。
語尾をすぼめ口籠るルシアナに、今度はアレクサンドラが、ぽかんとした表情を浮かべた。何か考えるように視線を逸らし、眉間に皺を寄せ、首を捻り、腕を組んで、「ふむ」と小さく漏らす。
「まさかと思うが、この半年で何もなかったのか?」
「……レオンハルト様は、伴侶でない者にそのような行為をする方ではありませんわ。それに、婚前交渉というのはよくないものなのでしょう?」
小さな咳払いを一つしてアレクサンドラを見れば、彼女は「いや」と首を横に振った。
「推奨されているわけではないが、婚約中の相手であれば別に問題はないさ。それこそ、シルバキエ公爵は一方的に婚約を破棄するような人物ではないだろう。そもそも、結婚より婚約のほうが誓約やら何やら厳しいのは、婚約中のもしもを考えてのことだからな」
(まあ……そういうものなのかしら)
目を瞬かせるルシアナに、アレクサンドラは、ふっと口の端を上げた。
「シルバキエ公爵は、お前のことを大切にしてくれていたようだな」
(大切に……)
レオンハルトを意識していることに気付かなければ、迷うことなくこの言葉に頷いていただろう。しかし、今のルシアナにはその言葉がどうも気恥ずかしく、誤魔化すようにカップを手に取る。
この行動をアレクサンドラがどう受け取るか、ルシアナ自身わかっていたが、それでも無邪気に「はい」と頷くことができなかった。
案の定、アレクサンドラは嬉しそうな、にこやかな笑みを浮かべる。
「そうか、安心した。ルシーはそういうのに疎いと思っていたから、自覚できているなら何よりだ」
(やっぱり昨日、ゆるみきった顔でもしていたのかしら……)
自覚して以降、顔が自然と緩んでしまうことは知覚していた。
頬に手を当て、反省するように頬を揉み込んだルシアナだったが、昨夜レオンハルトに触れられたことが蘇り、急いで手を退かし姿勢を正した。
(いけない、お姉様と和やかにお茶をするために来たわけではないのに)
こほん、と咳払いをすると、ルシアナはにっこりとアレクサンドラに笑いかけた。
「レオンハルト様とのことも大切ですが……本日はお願いがあってお姉様の――いえ、第一王女殿下の元を訪れたのです」
「ああ、そうだったな」
アレクサンドラは肩を竦めると椅子に座り直し、先ほどまでの親しげな姉の姿ではない、王女らしい威圧感を伴った鋭い視線をルシアナに向けた。
「それで? 私に頼みとは一体何だ? シルバキエ公爵夫人」
「構わぬ。面を上げよ、シルバキエ公爵夫人」
凛とした声に従い頭を上げれば、目の前の人物は同じロイヤルパープルの瞳を細めて微笑んだ。
「まさか、このようなやり取りをするのがルシーが最初とはな。さあ、こちらへおいで。お前の好きな茶葉を用意したんだ」
「ありがとうございます、お姉様」
ルシアナがアレクサンドラの前に座ると、控えていたメイドたちがケーキスタンドやティーカップをテーブルに並べた。ティーポットは、ルシアナ用と、妊娠中のアレクサンドラ用の二つが用意される。
「嬉しい。ストロベリーティーを用意してくださったのですね」
「ああ。私は飲めないが、外交で使えるかもしれないと思ってな」
「まあ。では、わたくしがいただくのは……」
「シュネーヴェ王国の公爵夫人として来たんだろう? 立派な外交さ」
「まあ! ふふっ」
口元に手を当ておかしそうに笑えば、アレクサンドラも愉快そうに口の端を上げた。
(よかったわ。謁見の申請がすぐに通って)
エーリクから話を聞いたあと、ルシアナはすぐに手紙を書いて王城に使者を出した。
エーリクの呪いを解くことができるかもしれない人物を呼ぶには、まだ王城に残っているアレクサンドラに会うことが一番の近道だったからだ。
手紙には、昨日の感謝や謝罪とともに、“なるべく早く会いたい”という旨も記したが、それでも数日は待つことになるだろう、とルシアナは考えていた。
(アレックスお姉様が他のお姉様方より長めに滞在されるのは、身重の体が理由だと聞いていたけれど、お姉様のことだから何か予定を入れてらっしゃると思ったのよね)
しかし、ルシアナの予想とは違い、その日の午後に予定は組まれた。
もしかしたら、自分のために予定をキャンセル、もしくは後回ししたのではないか、と思い、一口だけ口を付けたカップを置くと、おずおずとアレクサンドラを見る。
「その、お姉様に負担をかけてはいませんか?」
「まさか。可愛い妹と会って癒されることはあっても、負担など。あるわけない」
アレクサンドラは即座に否定すると、少しして、ふっと肩を竦めた。
「実を言うと、今後の国交のために何人かの貴族夫人と会う予定だったんだが、昨日のこともあって、それを全部白紙にしたんだ。おかげで滞在中は暇になってね。もう動いても問題ない時期だというのに、カルロスもゆっくり休めと言うし、時間を持て余すところだったんだ。だから、どんな用があったとしても、こうして会いに来てくれて嬉しいよ」
「お姉様……」
眉を落とすルシアナに、アレクサンドラは「ああ、いや」と続けた。
「本当に、どんな理由でも嬉しいんだ。そこにルシーが罪悪感を抱く必要はない」
(わたくしが、自らの益のために突然訪ねたことを理解したうえで、歓迎してくださるのね)
呼び出しがあれば当然応じるが、エーリクのことがなければ、ルシアナからこうして訪ねることはなかっただろう。それが、他国の次期女王であるアレクサンドラと、一介の貴族夫人であるルシアナの適切な距離感だからだ。
それを理解しているのに、立場を利用して身勝手に会いに来ると言うのは、あまりにも都合のいい行いだ。
「申し訳ありません、お姉様。わたくしは自分のことばかりで……」
「お前が自分のためだけに動くような子ではないと知っているよ。お前は良くも悪くも、利他的な子だから」
「……それは良く言いすぎですわ。お姉様」
かすかに笑めば、アレクサンドラも小さく笑った。
「――まぁ、本当にルシーが気にすることは何もないんだ。そもそも、滞在中にもう一度会えるとは思ってなかったからな」
「まあ。お呼びいただければいつでも参じますのに」
「はは、いくら肉親とは言え、新婚を呼び出すほど野暮なことはしないさ。だから今日は驚いた」
白湯の入ったカップをぐっと傾けて飲むと、アレクサンドラはどこか寂しそうな目でルシアナを見つめた。
「まぁ、半年も共に暮らしていれば、何も昨夜が初めてということもないか。……娘を嫁にやる気分というのは、こういうものを言うんだろうな」
物悲しさを感じる視線を向けられながら、ルシアナはぽかん、とアレクサンドラを見つめ返す。
アレクサンドラが何を言っているのかわからず、一言一言、ゆっくり言葉を反芻する。
(あ……)
脳内で何度も何度も言葉を繰り返し、アレクサンドラの言いたいことを察したルシアナは、頭の隅に追いやっていたものを思い出し、暗い面持ちで視線を下げる。
「いえ、昨夜は……その、わたくしが何を行うのかすっかり忘れていて……」
結婚式を行った日の夜は必ず共に過ごさなければならない、と何か法などで定められているわけではない。しかし、あまりにも一般的な行いとして広まっているため、それを忘れてしまっていたことが、何とも申し訳ない気持ちにさせられた。
語尾をすぼめ口籠るルシアナに、今度はアレクサンドラが、ぽかんとした表情を浮かべた。何か考えるように視線を逸らし、眉間に皺を寄せ、首を捻り、腕を組んで、「ふむ」と小さく漏らす。
「まさかと思うが、この半年で何もなかったのか?」
「……レオンハルト様は、伴侶でない者にそのような行為をする方ではありませんわ。それに、婚前交渉というのはよくないものなのでしょう?」
小さな咳払いを一つしてアレクサンドラを見れば、彼女は「いや」と首を横に振った。
「推奨されているわけではないが、婚約中の相手であれば別に問題はないさ。それこそ、シルバキエ公爵は一方的に婚約を破棄するような人物ではないだろう。そもそも、結婚より婚約のほうが誓約やら何やら厳しいのは、婚約中のもしもを考えてのことだからな」
(まあ……そういうものなのかしら)
目を瞬かせるルシアナに、アレクサンドラは、ふっと口の端を上げた。
「シルバキエ公爵は、お前のことを大切にしてくれていたようだな」
(大切に……)
レオンハルトを意識していることに気付かなければ、迷うことなくこの言葉に頷いていただろう。しかし、今のルシアナにはその言葉がどうも気恥ずかしく、誤魔化すようにカップを手に取る。
この行動をアレクサンドラがどう受け取るか、ルシアナ自身わかっていたが、それでも無邪気に「はい」と頷くことができなかった。
案の定、アレクサンドラは嬉しそうな、にこやかな笑みを浮かべる。
「そうか、安心した。ルシーはそういうのに疎いと思っていたから、自覚できているなら何よりだ」
(やっぱり昨日、ゆるみきった顔でもしていたのかしら……)
自覚して以降、顔が自然と緩んでしまうことは知覚していた。
頬に手を当て、反省するように頬を揉み込んだルシアナだったが、昨夜レオンハルトに触れられたことが蘇り、急いで手を退かし姿勢を正した。
(いけない、お姉様と和やかにお茶をするために来たわけではないのに)
こほん、と咳払いをすると、ルシアナはにっこりとアレクサンドラに笑いかけた。
「レオンハルト様とのことも大切ですが……本日はお願いがあってお姉様の――いえ、第一王女殿下の元を訪れたのです」
「ああ、そうだったな」
アレクサンドラは肩を竦めると椅子に座り直し、先ほどまでの親しげな姉の姿ではない、王女らしい威圧感を伴った鋭い視線をルシアナに向けた。
「それで? 私に頼みとは一体何だ? シルバキエ公爵夫人」
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