ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第五章

静かな夜、のそのあと

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「……おやすみなさいませ」

 瞳を潤ませ、頬を上気させながらそう呟き書庫を出て行く彼女の姿を、レオンハルトはただ呆然と見つめた。
 扉が閉まったあともしばらく動くことができず、先ほどまで腕の中にあった温もりがもう手元にないことに、何とも言えない気持ちになる。

(……トゥルエノに初夜という概念はないのか?)

 そんな有り得ないことを考えながら、レオンハルトは髪をかき上げた。

(閨教育はどうなって……いや、そんなことはどうでもいい)

 昨夜の二の舞にはなるまいと、煩悩に支配されそうな頭を切り替えるように息を吐く。
 どうにか別のことを考えようと頭を働かせるものの、先ほどの彼女の姿ばかりが浮かび、まったく脳が機能しない。何か気を紛らわせるものはないかと視線を彷徨わせると、ソファに手紙の束が置かれていることに気付く。
 封蝋にある紋章は、トゥルエノ王家のものだった。

(……本当に、仲が良いんだな。トゥルエノの王家は)

 姉たちと嬉しそうに談笑するルシアナの姿が思い出される。
 年齢よりは少々大人びて見える穏やかな笑みではなく、どこか幼さが垣間見える無邪気な笑み。気を許し、安心していることがわかるような、そんな視線。彼女を愛し、愛されることが当然とでもいうような距離感。

(たった半年……共に暮らしたからと、彼女にとっての王女殿下方のような存在になれるとは思っていないが)

 いや、とレオンハルトは首を振る。

(兄弟姉妹と夫婦は違う。俺は彼女の兄ではない)

『レオンハルトさま』

 身を溶かすような、甘い声。片腕でも余ってしまう華奢な体に、ふわりと柔らかな髪。透き通った滑らかな肌は淡く色づき、好奇心か無垢に先を求める姿は理性を失わせるようだった。

「……はあ」

 自身の中に籠る熱を逃がすように、レオンハルトは息を吐く。
 じっと手紙の束を見下ろしながら、これを届ける口実に部屋を訪ねようか、という考えも浮かんだが、すぐにそれを消し去る。

(彼女も朝早くから疲れただろう。別に、必ず夜を共にしなければいけないわけでもない)

 手紙はあとでエステルにでも届けるか、と思いながら、レオンハルトは一度立ち上がるとソファに座り直す。
 背もたれに全体重を預けながら、熱が引いていくのを静かに待つ。

『い、まのも、キス、ですか……?』

「――ふ」

 ふと、ぼんやりとした様子でそう訊ねた彼女の姿が思い浮かび、思わず笑みが漏れる。口元が愉快そうに緩んでいるのを感じ、誰もいないのに手で覆った。

(そうだ。彼女にとっては多くのことが初めてなんだ)

 これから、どれほど多くの初めてを彼女と共有できるのだろうか。どれほど多くの初めてを自分が教えられるのだろうか。考えるだけで、心には愉悦が広がるようだった。

(できるだけ、一つでも多く共にしたい)

 自分しか知らない彼女を。
 自分だけが許されることを。
 一つ一つ、ルシアナと一緒に積み重ねていきたい。

 独占欲なのか、支配欲なのか、優越感なのか。もはやそのどれもが入り混じったような感情が、レオンハルトの中で燻っていた。
 昨日は確かに、純粋な気持ちだった。純粋に、彼女と一緒に様々なことを経験したいと思っていた。しかし、彼女に触れることを許され、その温かさを知ってしまった今、心の奥底にあるのは、ただの欲望だ。

(醜く愚かだ)

 そう自覚するものの、言うほどの嫌悪は覚えなかった。
 きっと、あの生殺しのような状況の中、ルシアナを逃がすことができたことが大きかったのだろう。
 ルシアナを大切にしたい。
 そう思うことは何度もあったが、タガが外れ己の欲求を優先してしまうかもしれない、という思いも常に頭の隅にあった。これまで感じたことも、持ったこともない感情を持て余し、自分がどのような行動に出るのか、レオンハルト自身わからなかった。

(よかった、あそこで止められて)

 ルシアナがソファから落ちたときはやってしまったと思ったが、あれで逆に冷静になれたような気がする。あのままもう一度キスをねだられていたら、と思うと若干の不安が残るが、きっと彼女の許可なく先へ進むことはないだろう。
 それに限らず、今後どのような場面であっても、彼女を優先させるに違いない。
 それだけは自信を持って言えるような気がした。
 レオンハルトは左手を掲げ、その薬指に輝くものを見る。
 月光を受け、斜めに並んだダイヤモンドも、細いプラチナのアームも煌めいている。

「……おやすみ、ルシアナ」

(大切にすると誓おう。何よりも)

 指輪にそっと口付けたレオンハルトは、手紙の束を持って立ち上がり、柔らかな微笑を浮かべながら書庫を後にした。
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