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第五章

静かな夜(一)

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 書庫での定位置となった大きな窓の下にあるソファで、ルシアナは両親と四人の姉たちからの手紙を読んでいた。肘置きの前に置いたクッションに寄りかかり、立てた膝を台に最後の一文へと目を通す。
 邸に帰ってすぐに手紙を読もうとしたものの、エステルやメイドたちに素早く浴槽へと連れられ、何故か式前と同じくらい丁寧に全身を磨かれたため、少々読むのが遅くなってしまった。

(けれどよかったわ。そのおかげでゆっくり読めたもの)

 手に持っていた手紙を封筒にしまうと、腹部に置いたすでに封の開いた五つの手紙とともに、リボンで緩くまとめる。
 その手紙の束を胸に抱いて、ルシアナは窓の外へと目を向けた。少し欠けた月はすでに天高く昇り、後ろのサイドテーブルに置かれた間接照明以外明かりの点いていない室内を優しく照らしている。

(お風呂に入って、お手紙を読んで……結構時間が経ったと思うけれど、レオンハルト様はまだ戻られないのかしら)

 今日のお礼を伝えたくて、時間があるなら一緒にお茶でも飲みたくて、レオンハルトが帰ったら教えてほしいとエーリクに伝えていた。

(けれど、きっとレオンハルト様もお疲れよね。あまり人前に出るようなことはお好きではないようなのに、パレードまでしていただいたもの。早く休まれたいはずだわ)

 いくら体を鍛えていようと、精神的な疲労はどうしようもない。慣れないことをすれば、なおさらだ。

(披露宴のときはほとんどお話しできなかったし、直接お会いしたかったけれど、明日のほうがいいかもしれないわ)

 今日この日から、正真正銘この場所が、ルシアナの帰るところなのだ。話そうと思えばいつでも話せる。もう賓客という立場でもないので、行きたいところにも自由に行くことができる。
 妻である以上、レオンハルトに会いたいときに会いに行っても許されるだろう。

(そうね、今日はもう休もうかしら。一言メッセージを書いて、レオンハルト様のお部屋に届けてほしいとエーリクにお願いするのがいいかもしれないわ)

 薄く雲がかかり、月明かりが途切れる。
 天も、もう休めと言ってるようだった。
 ルシアナは小さな笑みを口元に浮かべると、一度手紙をソファへと置き、体を捻って間接照明へ手を伸ばす。台座にあるゼンマイのようなつまみを回せば、ふっと灯りが消える。

(トゥルエノでは蝋燭やオイルランタンが多かったけれど、シュネーヴェではほぼ魔法石を使用した照明なのよね。やっぱり魔法術師が多く在籍しているからかしら)

 すでに慣れたものだな、とここでの生活を思い出しながら、姿勢を戻す。室内履きを履こうかと、足を下ろそうとしたところで、書庫の扉が開いた。
 月を覆っていた雲が晴れ、室内に白い光が差す。光は扉のほうまでは届かず、ただルシアナの影を伸ばしている。しかし、姿がはっきり見えなくても、そこに誰が立っているのかはすぐにわかった。

「レオンハルト様?」

 名前を呼べば、その人物は静かに歩みを進め、その姿が光の範囲内へと入ってくる。
 立っていたのは想像していた通りの人で、彼は濃藍色のナイトガウンにガウンと同じ素材のズボンを穿いた姿をしていた。

(レオンハルト様のこういったプライベートな姿は初めて見るわ)

 ぼうっとその姿を見ていると、目の前まで来たレオンハルトが片膝をついた。
 隣に座ればいいのに、と思いつつ、どこかまだ湿り気を帯びたレオンハルトの髪に手を伸ばす。まだ熱さの残る髪を梳くように指を通せば、彼は一瞬そちらへと視線を向けたのち、真っ直ぐルシアナを見つめた。

「今日はすまなかった」

 思いがけない言葉に、思わず目を見開く。

「レオンハルト様が謝られることは何もありませんわ」
「一生に一度の日を台無しにしてしまっただろう」
「まあ。台無しになどされておりませんわ。仮に謝罪が必要だとしたら、それはレオンハルト様ではなくシュペール侯爵令嬢です。台無しにはされていませんけど」

 念を押すようにそう言えば、レオンハルトはわずかに眉を寄せて小さく笑った。

「……そうか」

 自嘲にも似た笑みを漏らすレオンハルトに、ルシアナは両手で彼の頬を包む。

「レオンハルト様。わたくしは今日一日、とても幸せでした。多少想定以上のことはありましたが、挙式も、パレードも、披露宴も、どれも素敵な時間を過ごせました。それは、どなたも否定することができない事実ですわ」

 少々強い言い方になってしまったが、何かと気にしがちな彼にはこれくらい言ったほうがいいだろうとも思う。
 瞠目するレオンハルトに、ルシアナは柔らかな笑みを向けた。

「レオンハルト様は、今日一日が台無しだったと、そう思いますか?」
「思わない」

 間髪入れず否定したその姿に、笑みが深まる。

(よかった)

 一生に一度の日、というのはレオンハルトも同じはずだ。ルシアナは今日という日を幸福なまま終えようとしているが、レオンハルトにとってそうでなかったのなら、それこそ台無しだったと感じてしまうだろう。

(なんだか昨日とは逆ね)

 ふふっと思わず笑みを漏らせば、彼は眩しそうに目を細め、ルシアナの両手を掴んで顔を近付けた。

「……抱き締めても?」

 ふと笑みが止まる。彼の涼やかなシアンの瞳とは違い、自分の頬には熱が集まるのがわかった。

「……はい」

 少し間を空けて頷けば、手を放した彼の腕が背中へと回り、腰に添えられた腕が強くルシアナを抱き寄せた。
 肩口に顔を埋めた彼の熱が、首筋を伝って広がっていく。

(あ……石鹸の香り)

 ほのかに香る自分と同じ匂いに、胸がくすぐられるような心地になる。
 首に腕を回し抱き締め返せば、さらに彼という存在を強く感じた。

(……わたくしも、お願いしてもいいかしら。もう、敬称と敬語についてお願いしてしまったけれど……わがままだと……はしたないと思われるかしら)

 ルシアナはきつく手を握り込むと、「あの」と遠慮がちに声を掛けた。
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