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第五章

長い宴の終わり、のそのころ(一)

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 ルシアナと、デイフィリア、ロベルティナ、クリスティナの四人が話しているころ、早々に着替え終わったレオンハルトは、別室でアレクサンドラと向かい合っていた。扉の側には壁に寄りかかったカルロスが立っている。
 ルイボスティーを優雅に飲んでいたアレクサンドラは、カップを置くと真っ直ぐ見据える。

「改めてになるが、この度は結婚おめでとう、シルバキエ公爵」
「ありがとうございます。第一王女殿下におかれましてはご懐妊とのこと、誠におめでとうございます。また改めて、そのような御身である第一王女殿下を巻き込んでしまったこと、お詫び申し上げます」
「いい。頭を上げてくれ。何も問題はないと判断したからこの国に来たんだ。そしてこの国に来たからには、ルシーのために行動する。姉として当然の行いだ」

 少しして頭を上げたレオンハルトは、ロイヤルパープルの瞳を見つめ返す。
 ルシアナと同じはずなのに、まったく違う、鋭い瞳だ。

「こうして貴殿との対話の場を設けてもらったのは、そのルシー――ルシアナのことで、少し話しておきたいことがあったからだ」

 膝の上に置いた手に、自然と力が入る。
 一体何を言われるのかと身構えていると、彼女はわずかに視線を下げた。

「……あの子の……ルシアナの幼少期について話を聞いたことはあるか?」

 “幼少期”という言葉に、指先がかすかに震える。
 脳裏に浮かんだのは、昨夜見た背中を丸める彼女の姿だ。

(何故そんなことを……)

 アレクサンドラの意図はわからなかったが、レオンハルトは少し逡巡したのち、小さく首肯した。

「そうか。塔のことは?」
「そちらも伺いました」
「……そうか」

 ふっと、一瞬アレクサンドラの声色が優しくなった。視線はまだわずかに下を向いているものの、その目尻はかすかに下がっている。
 彼女は自身の腹に触れると、そのまま静かに続けた。

「トゥルエノの一族は、不思議と昔から体が丈夫でね。ちょっとやそっとのことでは倒れるどころか体調を崩すこともない。もちろんそれは、個々人が体を鍛えてきた成果でもあるが、生まれ持ったものも大きく影響しているだろう」

 口元に小さな笑みを浮かべ腹を一撫でしたアレクサンドラだったが、すぐにその顔から笑みが消える。

「……ルシーは例外、だが」

 握り込む手にさらに力が入る。

「……何を、おっしゃりたいのですか?」

 自分では至極冷静に問うたつもりだったが、口から出た言葉には明らかな苛立ちが込められており、自分でも驚いた。
 すぐに、しまった、と思ったものの、目の前の人物は愉快そうに喉の奥で笑う。

「政略結婚など、と思っていたが、どうやら杞憂だったようだな。……可愛いだろう、ルシーは」

 視線を上げたアレクサンドラが自慢げに微笑む。

「まぁ、私の妹たちは皆とても可愛いのだが。……一番歳が離れているせいかな。皆同じように愛しているが、やはりどうしても気にかかってしまう。いや、歳のせいではないな。フィリアもルティナもスティナも、ルシーのことは他の姉妹に比べてよく気にかけていた。父も母も、多くの人間があの子のことを気にしていた」

(……本当に何の話だ?)

 式を挙げ、披露宴まで済ませたというのに、やはり嫁になぞやれんとでも言う気だろうか、と体を強張らせていると、アレクサンドラは自嘲にも似た笑みを漏らした。

「気にかけすぎていたんだ。多くの人間が」

 彼女は一つ息を吐くと、眉尻を下げる。

「あの子、良く笑うだろう。目が合えば必ずと言っていいほど笑い返してくれる。それを見て私たちも自然と笑顔になり、あの子を愛おしいと思う。はたから見れば、微笑ましい光景に見えるだろう」

 レオンハルトの脳内に、この半年の彼女の姿が思い出される。

(確かに、彼女はよく笑う。初めて会ったときから、ずっと)

 ルシアナに会ったことがある人に、彼女の姿を思い浮かべろと言えば、全員が全員、彼女が笑っている姿を思い出すだろう。しかしそれがどうかしたのか、と思っていると、再びカップに口を付けたアレクサンドラが、今度はそれを置くことなく、揺れる水面を見つめた。

「私たちは塔にいる間、それなりに厳しく鍛えられる。さすがの私も慣れないうちは何度か吐いたものだ。だが、体が丈夫なゆえか、慣れないうちでも回復はとても早かった。もちろん、他の妹たちも」

 ルシアナは除くが、という言葉が聞こえたような気がした。
 レオンハルトは閉じる口に力を入れたものの、大人しくアレクサンドラの言葉に耳を傾ける。

「ルシーは、鍛錬中よく倒れては熱を出した。様子を見て座学だけにしても、熱を出して寝込むことが多かった。次第にその回数も減っていき、ここ三、四年は、熱を出したと報告を受けることもなかったが……それ以前は、ひと月のほとんどをベッドで過ごすことも珍しくはなかった。そのたびに、あの子のことが心配で、皆で見舞いに行ったものだ」

 彼女はまるでその行いを後悔するかのように、眉根を寄せた。

「それが、いけなかったんだ。あの子はいつの間にか、私たちが顔を見せるたび、笑って、大丈夫、心配をかけて申し訳ない、と言うようになった。高熱を出して、どれほど息苦しそうに、辛そうにしていても、私たちの姿がある限り、あの子が笑みを絶やすことはなくなった」

 あ、とレオンハルトは目を見開く。
 彼女のその姿には覚えがあった。
 シュネーヴェ王国へやって来た日のことも、テレーゼが突撃して来た日のこともそうだが、レオンハルトが自身の至らなさを詫びたときのことが、瞬時に蘇る。
 彼女はいつだって、大丈夫だと笑ってくれた。気にしていないと、逆に申し訳ないと、まだこれからだ、と。
 口元を手で覆い、これまでの彼女との記憶を思い返すレオンハルトを尻目に、アレクサンドラは続ける。

「あの子を朗らかな子だと思うのは……まぁ、間違いではない。おおらかで明るい部分があるのは事実だ。だが、不自然なほどそこ以外を見せることがない。意識的にか、無意識的にかはわからないが、あの子は癖になってしまったんだ。笑うことも、大丈夫だと言うことも」

(……ああ)

 すべてのことが、腑に落ちた。
 何故彼女は無礼なことを言われも、無礼な態度を取られても、変わらず穏やかな笑みを湛え続けるのか。

(周りに心配をかけないよう、気を揉ませないよう徹底した結果、それが染みついてしまったんだ)

「辛いときは辛いと言っていいし、泣きたいときは泣いていい。怒りたいときは怒っていいのだと何度も言い聞かせたが、あの子はわかったと笑うばかりだった。あの子の凄いところは、それが決して無理をしていたり、我慢しているように見えないところだ。ま、実際にしていないのだろう。あの子にとっては、それがもう当たり前になっているのだから」

 ぐっと眉間に皺が寄る。
 今アレクサンドラにこの話をされなければ、レオンハルトがそのことに気付くことはなかっただろう。気付くことなく、ただそれが彼女の性格なのだと、彼女の優しさなのだと思い、彼女に一生笑顔の仮面を付けさせたままだったかもしれない。
 そう考えるだけで、ぞっとするような心地になる。

「……今日は、あの子の保護者代わりとして、貴殿にお願いがあって来たんだ」

 いつの間にか逸らしていた視線を再びアレクサンドラに戻せば、彼女は優しげに目を細めていた。
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