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第五章

披露宴(四)

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 シュペール侯爵令嬢の一言で、ホールは静まり返った。雅やかな音楽を奏でていた楽器の音も消えている。しかし、興奮気味の彼女はそれに気付いていないのか、ただ鋭い視線をルシアナに向け続けていた。
 そんな彼女に対し、ルシアナはいつも通りの穏やかな笑みを向ける。

「カルロス様はトゥルエノ王国の外交官で、騎士では――」
「であればその者が傍にいるのはおかしいのでは!?」

 ルシアナの言葉を遮り金切り声を上げた彼女に、ルシアナはカルロスへ視線を送る。それを受けたカルロスは、飄々とした様子で肩を竦めた。
 そのやりとりを見て、シュペール侯爵令嬢は顔を真っ赤にさせる。

「王女殿下も突然の縁談に戸惑われたことでしょう! それには同情いたしますわ! けれど、決まったものは大人しく受け入れるべきではないのですか!? まるで当てつけのようにその者と……! レオンハルト様だって望んで貴女と結婚したわけではないのに……! レオンハルト様がお可哀想だとは思いませんの!?」

(……これ以上はいけないわ)

 怒りで呼吸が浅くなり、脳にまで酸素が回っていないのだろう。どこか焦点の合っていない目で、何度も短い呼吸を繰り返すシュペール侯爵令嬢に、ルシアナは顔を引き締めるとカルロスの腕に触れた。
 休憩室へ案内して、医師を呼んでほしい。
 そう伝えようとしただけだが、その行動に、彼女は血走った目を見開いた。

「あれほど素敵な方と結ばれたというのにっ! いつまでその愛人を侍らすおつもりなんですか!」

 彼女の声がホールに反響する。
 シュペール侯爵令嬢の言動に、ブロムベルク公爵令嬢はあからさまに顔を顰めた。他二人の令嬢も、その言葉はさすがに失言だと思ったのか、戸惑ったように視線を交わしている。

(……終わりね)

 国内の主要貴族やトゥルエノ王国の王女たちが集まるこの場で、彼女たちから、ルシアナの不貞に関する言葉、もしくはそれに準ずる言葉を引き出すことが今回の目的だった。
 す、と息を吸い口を開いたルシアナだったが、ルシアナが言葉を発するより前に、どこかからホールを揺るがすほどの大きな怒号が飛んでくる。

「ブリギッテ!」

 口を閉じ声のしたほうへ目を向ければ、シュペール侯爵令嬢の面影がある中年の男性が、眉を吊り上げ大股でこちらに近付いて来ていた。

「お父様! この方は公爵夫人に相応しくありません! これから様々な場所でこの方と顔を合わせることになるかと思うと、ぞっとしますわ! 汚らわしい!」

 もう正常な判断ができないのか、彼女は鼻息荒くそう続ける。
 ルシアナたちから目を逸らしていない彼女は、父であるシュペール侯爵が誰に対して憤怒の表情を浮かべているのか、気付いていないようだった。

(いけないわ)

「お義兄様」

 早足でこちらへ来るシュペール侯爵は、勢いのまま彼女を殴ってしまいそうな雰囲気があった。その前に侯爵を止めなければ、という思いに駆られ、反射的に、いつも通りの呼び方が口をついて出る。カルロスも、それを気に留めることなく小さく頷くと、一歩前に出た。

「そこまで!」

 よく通る声がホールにこだまする。
 カルロス、シュペール侯爵が動きを止め、全員の視線が声の主へと向かう。
 制止する声を上げたのは、テオバルドだった。
 彼は整えられた金の髪を乱雑にかきながら、ルシアナたちの元までやって来る。

「すまない。レオンハルトから何があっても手出しするなと言われていたんだが、さすがにこの状況を見過ごすのはどうかと思ってな」

 テオバルドの登場と、“レオンハルト”という言葉に、シュペール侯爵令嬢の呼吸がだんだんと落ち着いていく。しかし、まだ冷静になれていないのか、周りの人々が頭を下げているにも関わらず、彼女は呆然とテオバルドを見つめていた。シュペール侯爵も、いまだ怒りに震えてはいるが、しっかりとその頭を下げている。

「お騒がせして申し訳ございません、王太子殿下」
「いや、ルシアナ殿が謝ることは何もない」

 眉尻を下げて微笑むルシアナに、テオバルドも同じような表情で笑うと、いまだぼんやりとした様子のシュペール侯爵令嬢へ鋭い視線を向けた。

「それで? 我が従兄弟のめでたき場で、令嬢は何を喚いているんだ?」

 底冷えするかのような冷たい声を出すテオバルドに、レオンハルトと血が繋がっていることを初めて実感する。
 彼の冷たい視線に、やっと正気に戻ったのか、シュペール侯爵令嬢は、はっとしたように青ざめたものの、それでも恨みがましくルシアナへ目を向けた。

「シュペール侯爵令嬢。彼女は令嬢がそのような目を向けていい相手ではない。他国の王族もいるようなこの場で、よくも我がシュネーヴェ王国を貶めるような行いをしたものだ。陛下をはじめ、我々がどれだけこの繋がりを大事にしているのか、令嬢はわかっていないようだな」

 すかさずそう告げたテオバルドに、シュペール侯爵令嬢は慌ててルシアナから目を逸らしたが、その両手はきつくスカートを握り締めていた。

(いいタイミングかしら)

「王――」
「お、お、恐れ多くも発言をよろしいでしょうかっ……!」

 彼女や、周りの人々の誤解を解くなら今か、とテオバルドに話しかけようとしたルシアナだが、その言葉はシュペール侯爵令嬢に遮られる。

(あらあら)

 テオバルドもそれに気付き眉を顰めたものの、ルシアナは気にしてないという風に微笑む。彼女が先でいい、と示すように、彼女に手を向けようとしたルシアナだったが、こちらに向かってくる足音に気付き、動きを止める。
 静かな会場に響く、床を蹴る靴の音。
 それはとても聞きなれたもので、自然と顔がそちらへ向いた。
 その音の主に道を譲るように人垣が割れていき、そこから冷たいシアンの瞳で令嬢たちを射竦めるレオンハルトが姿を現した。

「おっ……まえ! どこ行ってたんだよ!?」
「上から会場を観察してた」
「花嫁置いて!? なんで!?」

 いつも通りの雰囲気に戻ったテオバルドは、レオンハルトの腕を引っ張ると、ルシアナの真横に彼を配置した。
 レオンハルトは一瞬ルシアナへ視線を落としたものの、すぐに会場にいる人々に目を向ける。

「愚かな噂を嬉々として吹聴した者は誰かと思ってな」

 血も凍るような、冷ややかな声。

(やっぱり、レオンハルト様は迫力があるわね)

 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。
 ずっと顔を赤くしていたシュペール侯爵も、レオンハルトの一言で顔面蒼白になり、今は違う意味で体を震わせているようだった。

「っす、すべて本当のことです……!」

(……まあ)

 まるで処刑前のような、張り詰めた重い沈黙を破ったのは、どこか淡い期待の籠ったような目でレオンハルトを見つめる、シュペール侯爵令嬢だった。
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