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第五章

自覚

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 いつものように穏やかな笑みを湛えながら、沿道にいる人々に手を振る。空からは色とりどりの花が降り注ぎ、辺りを彩った。
 シュネーヴェ王国へやって来た日のように、多くの人々が歓声を送ってくれている。

(ありがたいことだわ、本当に。ありがたい――)

 右隣に座るレオンハルトと腕がぶつかり、わずかに体が強張る。表情は変えないまま、ルシアナは込み上がって来る熱を誤魔化すように、静かに、深く、呼吸を繰り返す。

(……。……だめだわ!)

 冷静に自分を落ち着かせようとしても、ルシアナの鼓動はずっと速いままだ。
 自分たちの結婚を祝福するために開かれたパレード。それに集まってくれた人々にきちんと向き合わなければと思うものの、ルシアナの意識はずっと隣にいるレオンハルトに向いたままだった。

(これからレオンハルト様と距離を縮められたら、と思っていたけれど、実際親しく接されるというのは、こんなにも気恥ずかしいものなのね)

 自分にも恥ずかしいという感情があったのだな、と思いつつ、ルシアナは隣を盗み見る。

「!」

 いつからこちらを見ていたのか、思い切りレオンハルトと目が合ってしまい、ルシアナは思わず動きを止め、目を見開く。黙ってルシアナを見下ろしていたレオンハルトは、少しして、ルシアナの膝の上にあるサテンのケープへ手を伸ばした。

「やはりこれは羽織っていたほうがいい」
「……あ――」

 肩にケープを掛け、首元のリボンを結んでくれたレオンハルトにお礼を伝えようとしたものの、一層甲高く上がった女性たちの声に驚き、咄嗟に口を閉じる。
 沿道へ目を向ければ、若い女性たちが色めき立っていた。両親と同年代であろう人々は微笑ましそうにこちらを見つめ、男性たちは指笛を吹き囃している。
 その光景を見て初めて、“レオンハルトと結婚した”という事実がすとんと胸に落ちる。
 今、レオンハルトの妻として彼の隣にいるのは自分だ。死が二人を分かつまで、彼の隣にいるのは自分だろう。
 ルシアナ自身はもちろん、レオンハルトも離縁はしないだろう、という確信があった。

(きちんと妻に見えているのね。わたくしが)

 どこか遠くに聞こえていた歓声が、今度はしっかり脳にまで届く。
 レオンハルトの視線はすでに周りへと向き、無表情のまま、ただ手を挙げている。時折、体の向きは変えているものの、その姿はまるで彫像のようだった。
 ルシアナは一つ深呼吸をすると、レオンハルトと同じように再び沿道に目を向ける。先ほど同様、微笑を浮かべて手を振りながら、膝の上に置かれたもう一方の手を握り込んだ。

(レオンハルト様は、とっくに受け入れていらっしゃったのね)

 覚悟ができていなかったのは自分のほうだ。
 シュネーヴェ王国のシルバキエ公爵、レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクの妻になる。
 そう思って、この半年を過ごしてきた。しかしルシアナは、その“妻”という立場を、どこかただの役職のようにも思っていた。
 王女から公爵夫人に、娘から妻に。
 ただ肩書と立場が変わるだけなのだ、と。

(わたくしはこの半年間、一人の人間として真にレオンハルト様と向き合ったことがあったかしら。わたくしの夫となる人、という視点を除いて……)

 ルシアナにとって、レオンハルトは出会う前からずっと“夫になる人物”だった。だからこそ、レオンハルトには誰よりも誠実でいようと思った。そこに恋情がなくても、互いを尊重し合えるような、そんな関係になれればいい、と。

(……恋情が、なくても……?)

 ルシアナは内心首を傾げる。何故、恋情をないものだと考えているのだろうか。
 レオンハルトのことは間違いなく好ましく思っている。伴侶として申し分ない、素敵な人だと、そう感じている。彼が自分をどう思っているかはわからないが、少なくともルシアナ自身は、好意的な感情をレオンハルトに向けている。
 考えを巡らせていたルシアナは、しばらくして、はっとしたように息を吞んだ。
 無意識の内にあった自身の考えに気付き、握り込む手に力を込める。

(…………いえ、そんな……なんと、いうことかしら。今……気付くなんて……)

 レオンハルトとはきっといい関係を築き、それを維持することができる。それを確信していたからこそ、ルシアナにとってレオンハルトは恋い慕う相手ではなく、家族として親愛を抱く相手だった。
 唯一無二の伴侶となることが決まっている相手を恋い慕う必要はない、と無意識的に思っていたのだ。

(レオンハルト様はお父様やお義兄様とは違うのに、“家族”という思いがあまりにも先行しすぎていたわ)

 レオンハルトとの向き合い方が最初から間違っていたことに今更気付き、動揺する。それと同時に、果たしてレオンハルトはどうだろうか、ということが気になった。
 レオンハルトも、“妻となる人物”という視点を通して自分を見続けていたのだろうか。

(いえ、だとしても仕方がないわ。わたくしがずっとそうだったのだか、ら……)

 ふと、昨夜のことが思い出された。
 レオンハルトとあのような距離で私的な話をしたのが初めてで確信は持てないが、あれは、あの雰囲気は、果たしてフィルター越しの距離感だっただろうか。
 あのとき確かに、レオンハルトは自分自身をきちんと見てくれている、と感じた。

(……勘違いかしら。けれど、だって……)

 もしかしたら、彼は一人の女性として、真に自分を見てくれていたのではないか。
 そう思った瞬間、足先から頭頂部まで一気に熱が駆け巡った。

(ああ……! そうだわ……! わたくしはなんて愚かな……!)

 レオンハルトに対したまに起こる胸の高鳴りは、異性に対する免疫のなさから来るものだと思っていた。彼に触れられて顔が熱くなるのも、きっとそのせいだろう、と。もちろん、理由の一つには不慣れもあるだろうが、今考えればそれだけではないとはっきりわかる。

(と、ときめいていたんだわ……! きっとそうよ……! 以前読んだ恋物語の内容と一致するもの……!)

 経験できることが少ない分、多くのことを知っておこうと様々な書物に目を通してきた。知識だけを入れても本当に理解することはできないとわかっていたが、純粋にそれが楽しく、専門書から創作物まであらゆるものを読みふけった。しかし、やはり知識だけ入れても仕方がないのだな、ということを痛感し、ルシアナは内心肩を落とす。

(なんだか、とても恥ずかしわ……)

 今すぐ顔を隠して丸まりたいのを必死に我慢し、鉄壁の微笑を浮かべ続けた。

(笑い顔が癖になっていてよかったわ……。そうでなければ、とても見せられないような顔をレオンハルト様にお見せすることになるもの)

 他の誰にどんな姿を見せようと、レオンハルトには乱れた姿は見せたくない。
 そう思い付いて、ルシアナは心の中で溜息を漏らした。

(……さっき、兄妹に見られたくないと思ったのもそうだけれど……そうね、そう思った時点で、わたくしはレオンハルト様を意識していたのだわ)

 レオンハルトは家族として慈しむ対象であって、恋い慕う対象ではない、という無意識下の思い込みを排除すれば、簡単に自分の気持ちが透けて見える。

(恋……をしているのかどうかはわからないけれど、恋情を向ける相手として意識しているのは間違いないわ)

 ルシアナは再び、レオンハルトに視線を向けた。
 精悍な顔つきをした、涼しげな人。ただ見つめるだけで、鼓動が大きくなる。
 彼がもし、自分と同じように、“妻”や“夫”、“婚約者”という立場を抜きにして、自分を意識してくれているとしたら。
 そう考えただけで、胸が締め付けられるようだった。

(自惚れかしら……直接何かを言われたわけでもないのに)

 昨夜のどこか潤んだ瞳が、先ほどの力強い腕が、言葉以上に何かを伝えてくれている。そんな気がしてならなかった。

(自惚れでないと、嬉しいわ……)

 ルシアナは小さく息を吐くと、わずかにあった隙間を埋めるように、レオンハルトに体を寄せた。
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