ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第四章

初めての社交界(三)

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 案内されたのは、王族が使用する休憩室の一つだった。部屋にはソファやテーブル以外にベッドも用意され、休憩室というよりゲストルームのようだ。
 王城のメイドはテーブルに軽食とティーセットを並べると、素早く立ち去った。

「……」

 ルシアナは、斜め前で何かを考えている様子のレオンハルトをちらりと窺う。

(ここに来る間もずっと何かを考え込んでいらっしゃる様子だったわ)

 どうしたものかと考えながら、わずかに足を動かすと、ヒールが床に当たる音が小さく鳴った。レオンハルトはその音にはっとしたように顔を上げると、振り返り深く腰を折る。

「失礼いたしました。ルシアナ様はどうかおかけください」
「レオンハルト様はもう行かれるのですか?」

 レオンハルトはぴくりと肩を揺らすと、ゆっくり上体を起こす。逡巡するように、視線は斜め下を向いていた。

(いけない、レオンハルト様は物理的に距離をおいていらっしゃるのだったわ。レオンハルト様のお考えはわからないけれど、わたくしが引き止めてしまえば、この方はそれに従うわ)

 なんでもない、と口を開こうとしたところで、レオンハルトのシアンの瞳がルシアナへと向いた。久しぶりにしっかりと絡まる視線に、ルシアナの鼓動がわずかに跳ねる。

(そういえば、レオンハルト様が髪を上げていらっしゃる姿を見るのも初めてだわ)

 いつもは顔にかかっているレオンハルトの前髪が上げて分けられ、いつもよりはっきりとその相貌が見て取れる。わずかに上がった切れ長の目は理知的で、眉尻が上がってはいるものの、不思議と柔らかい印象を受ける。

(会場でも多くの女性の視線を集めていたわ)

 レオンハルトの見目がいいことはルシアナも理解していたが、見目がいいからと言って、それ以上の感想を抱くこともなかった。しかし、今回多くの視線を集めるレオンハルトを見て初めて、「整った容姿をしている」と心から感じた。

「……私の顔に何か?」

 少々戸惑ったように眉尻を下げたレオンハルトに、ルシアナはにこりと笑い首を横に振る。

「いいえ、何でもありませんわ」
「……そうですか」

 レオンハルトは小さく頷くと、テーブルへ目を向ける。

「私ももう少しここにいます。ご一緒してもよろしいですか?」
「まあ。もちろんですわ。けれどよろしいのですか?」

 進んだレオンハルトについて行きながらそう問えば、彼はしっかり首肯する。

「会場には他にも警備がいるので問題はないでしょう」

(……ああ!)

 テオバルドの警護のことを言っている、と察したルシアナは、「それなら、よかったですわ」と話を合わせる。

(自意識過剰と言うのよね、こういうの。恥ずかしいわ)

 頬が若干熱くなるのを感じながら、ルシアナは促されるまま三人ほどが掛けられそうなソファに座る。ルシアナが座ったのを確認すると、レオンハルトは斜め前にある一人用のソファへと腰を下ろした。

(カップは向かいのソファの前に置いてあったのに……)

 ティーカップを移動させてまで近くに座ってくれるとは思ってもおらず、ルシアナは自然と緩む口元を隠すようにカップに口を付けた。
 しばらく二人して黙ったままだったが、カップが空になるころに、レオンハルトはそっと口を開いた。

「大丈夫ですか」
「……? はい」

 小首を傾げながら頷けば、レオンハルトが「ああ」と小さく漏らす。

「アシュレン伯爵夫人のことです」
「ああ……ええ、テレーゼ様から事前にお教えいただいた通りの出来事だったので。それに何かをされたわけでもありませんし」

 レオンハルトは少しの間ルシアナを見つめると、視線を手元に落とした。

「……勘違いならいいのですが、ルシアナ様にとってはこれが初めての社交の場なのではないですか?」
「あ……」

(……まあ、レオンハルト様が知らないほうがおかしいものね)

 ルシアナは、ふっと小さな笑みを漏らすと、ゆっくりと首肯した。

「はい。わたくしはデビュタントボールを開いていませんので」
「……理由をお伺いしてもいいですか?」

 貴族女性は十八になると正式に社交界にデビューするデビュタントとなり、高位の貴族になればなるほど、デビュタントを祝うデビュタントボールは盛大で豪華な催しとなる。
 一国の王女ともなれば、国を挙げた一大イベントとなるはずだ。ルシアナの姉たちも盛大なデビュタントボールを行い、シーズン中ではないにも関わらず、一週間ほどお祭りのような盛り上がりを見せた。

(見せていただいた舞踏会の切り絵はとても華やかで、お姉様方はとても美しかったわ)

 デビュタントボールのその日に切り絵を持って会いに来てくれた姉たちの姿を思い出していると、レオンハルトが気まずそうにルシアナを見遣った。

「お話しされたくなければ構いません。不躾な質問をしてしまいました」
「ああ、いえ。違うんです」

 ルシアナははっとしたように意識をレオンハルトに戻すと、首を横に振る。

(塔の存在は隠しているわけではないわ。お母様にも話していいと許可をいただいているし……)

 握る手に力を入れたルシアナは、大きく呼吸をし、真っ直ぐレオンハルトを見つめる。

「是非、お話させてください。それに、お伝えしなければいけないことも……ありますので」

 もじもじと指先を合わせながら一度言葉を区切ったルシアナは、もう一度息を深く吸い込むと、「ですが」と続ける。

「トゥルエノの……慣習に触れる話でもありますので、タウンハウスに戻ってからでもよろしいでしょうか。あまり長くここにいるわけにも参りませんし」

 そう微笑を向ければ、レオンハルトは一度視線を逸らしたあと、小さく頷いた。

「……そうですね。わかりました」

 壁にかかっている柱時計へ目を向けたレオンハルトは、ポットの紅茶をカップに注ぐとそれを一気に飲み干した。

「私は戻りますが……ルシアナ様はどうされますか?」
「わたくしはもう少しここにいますわ」
「わかりました。すぐに別の者を寄越すので、それまで少々お待ちください」
「ありがとうございます」

 一礼し出ていくレオンハルトを笑顔で見送ると、ルシアナはソファに深く腰掛ける。

(レオンハルト様はどこまでわたくしのことをご存じなのかしら。……わたくしの塔入りが遅れた理由をお知りになったら、がっかりさせてしまうかしら)

 ルシアナに与えられた部屋にある、ルシアナより背の大きな人物を想定して作れた家具たち。仕方のないことだと、自分のために用意してくれたことが嬉しいと、それらすべてを受け入れてきたが、少しだけ不安になった。

(わたくしとは、少しだけ歳も離れているし)

 シュネーヴェ王国は、まだ終戦から四年しか経っていないということもあり、二十歳を超えても独身の令嬢や令息がたくさんいる。今日のパーティーに参加するにあたり、シュネーヴェ王国の貴族名鑑も頭に入れてきたが、高位貴族の中には、レオンハルトと釣り合いが取れる年頃の娘が多くいた。

(……なんて、こうして考えるのはわたくしらしくないわ。そもそもわたくしたちは政略結婚だもの)

 ルシアナは大きく体を伸ばすと、天井を見上げる。

「……」

 これからカルラがどのような行動に出るのか、予想や対策を考えなければいけないのに、ルシアナの脳内はレオンハルトとの約束で一杯になった。



 しかし、当日レオンハルトが邸に帰って来ることはなく、約束の時間はやって来なかった。
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