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第三章
疑惑と協力、のそのあと
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「というわけで、テレーゼ様とは仲良しのお友だち同士になりました」
「……なるほど」
嬉々としてそう告げるルシアナに一瞬体が固まるものの、レオンハルトはすぐになんとか頷いて見せると、再びナイフを動かし始める。
(念のため早めに帰宅したが……杞憂だったようだな)
絶対に大丈夫だと自信を持っているようだったので、使用人たちにもルシアナの指示を最優先にするよう伝えていたが、まさか本当に丸く収まるとは思っていなかった。
(彼女は優しく人がいいから、実際目にするまで注意しておきたいところだが……今は口を出すべきではないな)
にこにこと嬉しそうに食事をするルシアナを見て、レオンハルトはわずかに口角を上げる。
(共に食事をする回数を増やしたのは正解だったかもしれないな)
テオバルドたちとのお茶会で、ルシアナが婚約者であるということを、役割や情報として認識していることに気付かされた。彼女は実際、すぐそこにいる、実体を持った生身の存在であるにも関わらず、だ。
これまでの自身の行いを反省し、朝食だけではなく、なるべく夕食も一緒にとれるよう時間を確保するようになったが、以前に比べ一日の出来事をよく話してくれるようになった。
想定外の婚姻ではあるが、これから長い時を共に過ごすことを考えれば、少しでも良好な関係を築いていくべきだ。
(とはいえ、まだ婚約の段階だ。この間のようにむやみに触れることがないよう、適切な距離を保たなければ)
お茶会から帰ったあと強く心に誓った「決して近付きすぎない」を改めて念頭に置きながら、レオンハルトはワインに手を伸ばす。
「それで、レオンハルト様にお願いがあるのですが……」
ぴたり、とレオンハルトは動きを止める。
少々言うのを躊躇しているような様子のルシアナに、レオンハルトは伸ばしていた手を引っ込めると姿勢を正す。
これまでルシアナが口にしたお願いは、テレーゼやカルラに関することくらいで、とても“お願い”と言えるようなものではなかった。彼女もそれを理解しているのか、それらを頼むときは躊躇などしていなかったが、今は窺うようにこちらを見ている。
(内容にもよるが、彼女の初めてのお願いだ。極力叶えて差し上げるのが、婚約者の義務というものだろう)
参考にはならないが、身近な例である従兄弟の普段の様子や対応を思い浮かべながら、真っ直ぐ彼女を見つめる。
「はい、なんでしょうか」
少し間を空けて、ルシアナは遠慮がちに微笑んだ。
「よろしければ、書庫を利用させていただきたくて……」
「……書庫、ですか?」
予想もしていていなかった内容に、思わず聞き返してしまう。
(書庫? 書庫など自由に出入りして構わないが……)
言葉の意図が分からず、そのまま黙っていると、彼女は「いえ」と微笑を浮かべた。
「シルバキエ公爵邸の蔵書は素晴らしいとテレーゼ様に教えていただいたので、少々興味がわいただけなのです。無理を申しました。正式に公爵家の一員になったときに、改めてお伺いしますので、今は忘れてくださいませ」
「失礼いたしました」といつも通りの綺麗な笑みを浮かべ、彼女は食事に戻る。
(……そうだ。彼女は他国の王族だ)
どこか浮世離れしているようで、その実しっかりと王女であるルシアナという少女は、自身の立場をよく理解し、決してその身の振り方を間違えない。
他国の王族である自分が、シュネーヴェ王国王家の傍系であるシルバキエ公爵邸の書庫に軽々しく入ってはいけないと思ったのだろうか。
そもそも宮殿の書庫は限られた人間しか入れないため、彼女は書庫をそういうものだと認識しているのだろうか。
色々考えられることはあったが、唯一明らかだったのは、レオンハルトの言葉が足りなかったということだけだ。
「……ルシアナ様」
「はい」
ルシアナは、いつもと変わらない穏やかな笑みを、その口元に湛えている。
(俺は本当に、気の利かない人間だ)
レオンハルトは一つ深呼吸をすると、口を開く。
「先ほどの書庫の件ですが、もちろん自由に使用していただいて構いません」
ぱち、ぱち、ぱち、と長い睫毛を三度上下させたルシアナは、花が咲いたように顔中に笑みを広げたが、はっとしたように、すぐに両手で口元を押さえた。
「いえ、ですが……」
(……こうしていると、年相応の普通の少女に見えるな)
不敬とも思えることを考えながら、レオンハルトは、ふっと表情を緩める。
「書庫だけではなく、この邸宅の敷地内、領地の本邸をはじめ、“シルバキエ公爵”が所有しているすべての場所、すべての物、すべての人を使用する権利が、ルシアナ様にはあります」
シャンデリアの光か、彼女の感情が表れているのか、彼女の宝石のようなロイヤルパープルの瞳が、より一層煌めく。
「……ですが、わたくしはまだ公爵家の人間ではありませんわ」
「シルバキエ公爵夫人の座は、ルシアナ様だけのものです」
遠慮がちに呟かれた言葉にそう返せば、彼女の瞳が小さく揺れた。透き通るような白い頬をわずかに染め、彼女はそっと視線を逸らす。
「……その、本当によろしいとおっしゃってくださるなら……是非、書庫を利用させていただきたいですわ」
「もちろんです」
ルシアナが書庫を利用する気になってくれたことに安堵し、レオンハルトはワインを一口飲む。
(彼女はあまり欲がないように見える。立場上遠慮しているだけの可能性はあるが……そうだな、ちょうどいいかもしれない)
「ルシアナ様、明日は何か予定がありますでしょうか」
書庫を使えることが嬉しいのか、桃色に染まった頬を両手で包んでいたルシアナは、はっとしたように顔を上げ、首を横に振った。
「え、いいえ。特にありませんわ。どうかされましたか?」
にこっと笑いかけてくれるルシアナに、レオンハルトもわずかに口角を上げた。
「仕立屋と宝石商を呼びますので、ドレスや装飾品などを好きに買ってください」
「……えっ」
「詳しい日程はまだ決まっていませんが、社交界が本格的に始まる前に両親が一度こちらに顔を出すそうなので、そのとき私と揃いで着られるものも一着お願いします」
「えっ……!」
「わからないことがあればエーリクに訊いてください」
「……ええ、わかりました」
目を白黒させながらも、ゆっくりと頷いたルシアナに頷き返し、レオンハルトは食事に戻る。
食事を続けながら、婚約者としてやるべきことが他にあるか、思考を巡らせた。
「……なるほど」
嬉々としてそう告げるルシアナに一瞬体が固まるものの、レオンハルトはすぐになんとか頷いて見せると、再びナイフを動かし始める。
(念のため早めに帰宅したが……杞憂だったようだな)
絶対に大丈夫だと自信を持っているようだったので、使用人たちにもルシアナの指示を最優先にするよう伝えていたが、まさか本当に丸く収まるとは思っていなかった。
(彼女は優しく人がいいから、実際目にするまで注意しておきたいところだが……今は口を出すべきではないな)
にこにこと嬉しそうに食事をするルシアナを見て、レオンハルトはわずかに口角を上げる。
(共に食事をする回数を増やしたのは正解だったかもしれないな)
テオバルドたちとのお茶会で、ルシアナが婚約者であるということを、役割や情報として認識していることに気付かされた。彼女は実際、すぐそこにいる、実体を持った生身の存在であるにも関わらず、だ。
これまでの自身の行いを反省し、朝食だけではなく、なるべく夕食も一緒にとれるよう時間を確保するようになったが、以前に比べ一日の出来事をよく話してくれるようになった。
想定外の婚姻ではあるが、これから長い時を共に過ごすことを考えれば、少しでも良好な関係を築いていくべきだ。
(とはいえ、まだ婚約の段階だ。この間のようにむやみに触れることがないよう、適切な距離を保たなければ)
お茶会から帰ったあと強く心に誓った「決して近付きすぎない」を改めて念頭に置きながら、レオンハルトはワインに手を伸ばす。
「それで、レオンハルト様にお願いがあるのですが……」
ぴたり、とレオンハルトは動きを止める。
少々言うのを躊躇しているような様子のルシアナに、レオンハルトは伸ばしていた手を引っ込めると姿勢を正す。
これまでルシアナが口にしたお願いは、テレーゼやカルラに関することくらいで、とても“お願い”と言えるようなものではなかった。彼女もそれを理解しているのか、それらを頼むときは躊躇などしていなかったが、今は窺うようにこちらを見ている。
(内容にもよるが、彼女の初めてのお願いだ。極力叶えて差し上げるのが、婚約者の義務というものだろう)
参考にはならないが、身近な例である従兄弟の普段の様子や対応を思い浮かべながら、真っ直ぐ彼女を見つめる。
「はい、なんでしょうか」
少し間を空けて、ルシアナは遠慮がちに微笑んだ。
「よろしければ、書庫を利用させていただきたくて……」
「……書庫、ですか?」
予想もしていていなかった内容に、思わず聞き返してしまう。
(書庫? 書庫など自由に出入りして構わないが……)
言葉の意図が分からず、そのまま黙っていると、彼女は「いえ」と微笑を浮かべた。
「シルバキエ公爵邸の蔵書は素晴らしいとテレーゼ様に教えていただいたので、少々興味がわいただけなのです。無理を申しました。正式に公爵家の一員になったときに、改めてお伺いしますので、今は忘れてくださいませ」
「失礼いたしました」といつも通りの綺麗な笑みを浮かべ、彼女は食事に戻る。
(……そうだ。彼女は他国の王族だ)
どこか浮世離れしているようで、その実しっかりと王女であるルシアナという少女は、自身の立場をよく理解し、決してその身の振り方を間違えない。
他国の王族である自分が、シュネーヴェ王国王家の傍系であるシルバキエ公爵邸の書庫に軽々しく入ってはいけないと思ったのだろうか。
そもそも宮殿の書庫は限られた人間しか入れないため、彼女は書庫をそういうものだと認識しているのだろうか。
色々考えられることはあったが、唯一明らかだったのは、レオンハルトの言葉が足りなかったということだけだ。
「……ルシアナ様」
「はい」
ルシアナは、いつもと変わらない穏やかな笑みを、その口元に湛えている。
(俺は本当に、気の利かない人間だ)
レオンハルトは一つ深呼吸をすると、口を開く。
「先ほどの書庫の件ですが、もちろん自由に使用していただいて構いません」
ぱち、ぱち、ぱち、と長い睫毛を三度上下させたルシアナは、花が咲いたように顔中に笑みを広げたが、はっとしたように、すぐに両手で口元を押さえた。
「いえ、ですが……」
(……こうしていると、年相応の普通の少女に見えるな)
不敬とも思えることを考えながら、レオンハルトは、ふっと表情を緩める。
「書庫だけではなく、この邸宅の敷地内、領地の本邸をはじめ、“シルバキエ公爵”が所有しているすべての場所、すべての物、すべての人を使用する権利が、ルシアナ様にはあります」
シャンデリアの光か、彼女の感情が表れているのか、彼女の宝石のようなロイヤルパープルの瞳が、より一層煌めく。
「……ですが、わたくしはまだ公爵家の人間ではありませんわ」
「シルバキエ公爵夫人の座は、ルシアナ様だけのものです」
遠慮がちに呟かれた言葉にそう返せば、彼女の瞳が小さく揺れた。透き通るような白い頬をわずかに染め、彼女はそっと視線を逸らす。
「……その、本当によろしいとおっしゃってくださるなら……是非、書庫を利用させていただきたいですわ」
「もちろんです」
ルシアナが書庫を利用する気になってくれたことに安堵し、レオンハルトはワインを一口飲む。
(彼女はあまり欲がないように見える。立場上遠慮しているだけの可能性はあるが……そうだな、ちょうどいいかもしれない)
「ルシアナ様、明日は何か予定がありますでしょうか」
書庫を使えることが嬉しいのか、桃色に染まった頬を両手で包んでいたルシアナは、はっとしたように顔を上げ、首を横に振った。
「え、いいえ。特にありませんわ。どうかされましたか?」
にこっと笑いかけてくれるルシアナに、レオンハルトもわずかに口角を上げた。
「仕立屋と宝石商を呼びますので、ドレスや装飾品などを好きに買ってください」
「……えっ」
「詳しい日程はまだ決まっていませんが、社交界が本格的に始まる前に両親が一度こちらに顔を出すそうなので、そのとき私と揃いで着られるものも一着お願いします」
「えっ……!」
「わからないことがあればエーリクに訊いてください」
「……ええ、わかりました」
目を白黒させながらも、ゆっくりと頷いたルシアナに頷き返し、レオンハルトは食事に戻る。
食事を続けながら、婚約者としてやるべきことが他にあるか、思考を巡らせた。
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