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第三章
疑惑と協力
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前回、初めてテレーゼに会ったときに感じたのが、かすかな、それでいて強い妖精の気だった。テレーゼが酷い態度を取るたびその気は強く表れ、そのおかげで、発生源が彼女の首飾りであることに気付いた。
最初は、テレーゼと敵対する立場である自分に向け威嚇をしているのではないかと考えた。しかし、それにしてはまったく攻撃性や悪意がなく、どちらかといえば妖精の気はテレーゼに向けられているように感じた。
彼女についている妖精が明らかに何かを訴えている、と気付いたのは、レオンハルトが来てからだ。まるで彼に気付いて欲しいとでもいうように、首飾りについている花に妖精の気が集まりだした。
レオンハルトがそれに気付くことはなかったが、何かあるかもしれない、とルシアナが疑問を持つには十分な出来事だった。とはいえ、何かあるとしても、それは「悪意を持った者に悪意を刷り込まれている」程度だと思っていた。
だからこそ外部との連絡禁止を条件に盛り込み、その後のレオンハルトの反応から、想像通り彼女に何かを吹き込み続けた、悪意を持った人物が彼女の周りにいるのだと確信した。
しかし、詳しいことを調べていくうちに、それだけではない可能性が浮上してきたのだ。
初めてテレーゼと会った日から数日、約束通り彼女の周辺人物に関する資料がエーリクから渡された。資料は膨大な量があり、テレーゼの両親はもちろん、リーバグナー公爵邸の使用人、出入りする業者、贔屓の仕立屋や家庭教師など、テレーゼと長く懇意にしている人物すべての情報が載っていた。
どの人物も同じだけ、同じように情報がまとめられており、主観などまるでない情報の提示が続く中、とある人物の最終ページにだけ、一番下に小さく「要注意」と書かれていた。
アシュレン伯爵夫人カルラ・ハルトマン。テレーゼの父方の伯母だ。
まとめられた資料を見る限り、彼女の経歴や素行に問題はないように見えたが、レオンハルトがわざわざ注意書きをするような人物だ。なるべく先入観は持たないように気を付けつつ、彼女の名前を見かけたら注視するように他の資料へ目を通していると、頻繁に彼女の名前が出て来るものがあった。
リーバグナー公爵家の来訪履歴だ。
カルラは以前から、月に一、二回は公爵邸を訪れているようだったが、一ヵ月ほど前からは週に三、四回、刺繍の教え子だという女性と来訪していた。
カルラが同伴者を連れ公爵邸を訪れるのは、記録を見る限り以前から何度もある。それに刺繍は淑女の嗜みだ。テレーゼに教えるという理由であれば、おかしいところは何もない。しかし、“刺繍”という単語、“一ヵ月前”という時期に、ルシアナは引っかかりを覚えた。
“刺繍”で思い出されるのは、テレーゼが使っていたリボン。
そして“一ヵ月前”は、ルシアナとレオンハルトの婚約が決まった時期だった。
「すべてはただの考えすぎ、ただの偶然である可能性も考えました。けれど、どうしても気になり、アシュレン伯爵夫人と刺繍の教え子だという女性についてより詳しい調査を行いました」
ルシアナは、青ざめているテレーゼを見ながら、淡々と話を進める。
「調査した結果、アシュレン伯爵夫人に怪しい動きはなく、刺繍の教え子だというキャサリン・アンデも、特に怪しいところのない子爵令嬢でした」
ほっとしたように彼女の顔には安堵の色が広がるが、ルシアナは「ただ」と続ける。
「このキャサリン・アンデという子爵令嬢は、二年ほど前からケイト・タスカという名前でアリアン共和国に住まわれているようでした」
「……え」
「アンデ家は財政的にずいぶんと厳しい状態だったようですが、二年ほど前にすべての借金を完済。領地の人口も税収もさほど変わっていないにも関わらず、土地の整備や開拓が頻繁に行われているようです」
落ち着いた様子でハーブティーを飲むルシアナとは対照的に、テレーゼは今すぐにも倒れてしまいそうなほど酷い顔色だった。
ルシアナは一息つくと、再び口を開く。
「それと、令嬢が会っていた“キャサリン・アンデ”という女性は、一週間ほど前から消息が掴めず、忽然と姿を消しています」
「――っ」
はっとしたように、テレーゼが息をのむ。
(このような話し方をすれば、最悪の状況を想像してしまうわね)
ルシアナはテレーゼを落ち着かせるように、穏やかな声色で笑いかける。
「おそらく、彼女は言葉の通り姿を消しただけだと思います。本人がいないので確認のしようがないのですが、おそらくこの国にいた“キャサリン・アンデ”は魔法術師ですので」
「! じゃあ、もしかして……」
「はい。リーバグナー公爵令嬢は精神系の魔法をかけられていたと推察されます」
「そんな……」
頭を抱える彼女の胡桃色の髪が揺れる。
ルシアナは少しだけ逡巡したのち、テレーゼに声を掛けた。
「令嬢のリボンには美しい刺繍が施されていましたが、その刺繍の中に、かけた魔法を継続させるという魔法術式が組み込まれていました。余程注意して探らなければわからないほどマナが最小限まで抑えられていたことから、相当腕のいい術師だったのでしょう」
「……カルラ伯母様なら、そういう者を使うわ。……そう。だからあの子たちはリボンを持って行ったのね」
テレーゼは深く息を吸い込むと、真剣な眼差しでルシアナを見つめる。
「……伯母様が、関わったという証拠はあるの?」
「いいえ。アンデ家とケイト・タスカさん本人から、多額の金銭と引き換えに相手の要求に応じたとの証言は取れましたが、その相手が誰なのかは彼らも知らないようでした。数回接触があったようですが、訪ねて来る人物は毎回違い、そこから何人も人を経由していたようで、こちらでも把握しきれなかったので」
「……そう。証拠がないなら、キャサリンのことも知らなかった、で通されるでしょうね」
複雑そうな表情のテレーゼに、ルシアナは小首を傾げる。
「アンデ家に接触しているのは二年も前ですが、そこは疑問に思わないのですか?」
「伯母様ならやりかねないわ。伯母様はずっと、一つのことに執着されているから」
テレーゼは大きく息を吐き出すと、ふっと自嘲するような笑みを漏らした。
「……わたしにはとてもよくしてくれたけど、それが単純な好意でないことは、もうずっとわかってたのよ。でも、伯母様はいつもわたしが喜ぶことを言ってくれて、嬉しいことをしてくれて……だめだとわかってたけど、甘えてしまった」
「……テ――」
テレーゼの名前を呼ぼうとしたルシアナだが、その声は彼女が自身の両頬を思い切り叩いた音にかき消される。
(……!?)
突然のテレーゼの行動に呆気に取られ、彼女の様子を呆然と見ていると、テレーゼは勢いよく立ち上がり、ルシアナの傍までやって来た。
「わたし、協力するわ。謹慎中だし……わたしに何ができるのかはわからないけど……伯母様のことなら、あなたやおにい様よりきっと詳しいもの。もし助けが必要なら言って頂戴。……まぁ、本当に、あの……役に立つかはわからないけど……」
唇をわずかに尖らせ、視線を逸らしながら気恥ずかしそうに話すテレーゼに、ルシアナは数度瞬きを繰り返すと、首を傾げる。
「アシュレン伯爵夫人に関することしかだめでしょうか?」
「……は?」
「わたくし、そういったことを抜きにしても、令嬢と仲良くなりたのですが……」
眉を八の字にしながら、窺うようにじっと見つめれば、彼女は口をぱくぱくとさせたあと「わかったわよ!」と叫んだ。
「言っておくけど、わたし、あなたのこと認めたわけじゃないからね!?」
「はい。これから認めていただけるよう頑張りますわ。それから、わたくしのことは是非ルシアナ、と。令嬢のこともお名前でお呼びしてもいいでしょうか」
席を立ちテレーゼの両手を掴めば、彼女は顔を真っ赤にしながら、ふんっと顔を逸らす。
「――もう! 好きにしたらいいでしょ!」
不満そうにぼそぼそと何かを呟きつつも、手を振り払う様子のないテレーゼに、ルシアナは満面の笑みを返した。
最初は、テレーゼと敵対する立場である自分に向け威嚇をしているのではないかと考えた。しかし、それにしてはまったく攻撃性や悪意がなく、どちらかといえば妖精の気はテレーゼに向けられているように感じた。
彼女についている妖精が明らかに何かを訴えている、と気付いたのは、レオンハルトが来てからだ。まるで彼に気付いて欲しいとでもいうように、首飾りについている花に妖精の気が集まりだした。
レオンハルトがそれに気付くことはなかったが、何かあるかもしれない、とルシアナが疑問を持つには十分な出来事だった。とはいえ、何かあるとしても、それは「悪意を持った者に悪意を刷り込まれている」程度だと思っていた。
だからこそ外部との連絡禁止を条件に盛り込み、その後のレオンハルトの反応から、想像通り彼女に何かを吹き込み続けた、悪意を持った人物が彼女の周りにいるのだと確信した。
しかし、詳しいことを調べていくうちに、それだけではない可能性が浮上してきたのだ。
初めてテレーゼと会った日から数日、約束通り彼女の周辺人物に関する資料がエーリクから渡された。資料は膨大な量があり、テレーゼの両親はもちろん、リーバグナー公爵邸の使用人、出入りする業者、贔屓の仕立屋や家庭教師など、テレーゼと長く懇意にしている人物すべての情報が載っていた。
どの人物も同じだけ、同じように情報がまとめられており、主観などまるでない情報の提示が続く中、とある人物の最終ページにだけ、一番下に小さく「要注意」と書かれていた。
アシュレン伯爵夫人カルラ・ハルトマン。テレーゼの父方の伯母だ。
まとめられた資料を見る限り、彼女の経歴や素行に問題はないように見えたが、レオンハルトがわざわざ注意書きをするような人物だ。なるべく先入観は持たないように気を付けつつ、彼女の名前を見かけたら注視するように他の資料へ目を通していると、頻繁に彼女の名前が出て来るものがあった。
リーバグナー公爵家の来訪履歴だ。
カルラは以前から、月に一、二回は公爵邸を訪れているようだったが、一ヵ月ほど前からは週に三、四回、刺繍の教え子だという女性と来訪していた。
カルラが同伴者を連れ公爵邸を訪れるのは、記録を見る限り以前から何度もある。それに刺繍は淑女の嗜みだ。テレーゼに教えるという理由であれば、おかしいところは何もない。しかし、“刺繍”という単語、“一ヵ月前”という時期に、ルシアナは引っかかりを覚えた。
“刺繍”で思い出されるのは、テレーゼが使っていたリボン。
そして“一ヵ月前”は、ルシアナとレオンハルトの婚約が決まった時期だった。
「すべてはただの考えすぎ、ただの偶然である可能性も考えました。けれど、どうしても気になり、アシュレン伯爵夫人と刺繍の教え子だという女性についてより詳しい調査を行いました」
ルシアナは、青ざめているテレーゼを見ながら、淡々と話を進める。
「調査した結果、アシュレン伯爵夫人に怪しい動きはなく、刺繍の教え子だというキャサリン・アンデも、特に怪しいところのない子爵令嬢でした」
ほっとしたように彼女の顔には安堵の色が広がるが、ルシアナは「ただ」と続ける。
「このキャサリン・アンデという子爵令嬢は、二年ほど前からケイト・タスカという名前でアリアン共和国に住まわれているようでした」
「……え」
「アンデ家は財政的にずいぶんと厳しい状態だったようですが、二年ほど前にすべての借金を完済。領地の人口も税収もさほど変わっていないにも関わらず、土地の整備や開拓が頻繁に行われているようです」
落ち着いた様子でハーブティーを飲むルシアナとは対照的に、テレーゼは今すぐにも倒れてしまいそうなほど酷い顔色だった。
ルシアナは一息つくと、再び口を開く。
「それと、令嬢が会っていた“キャサリン・アンデ”という女性は、一週間ほど前から消息が掴めず、忽然と姿を消しています」
「――っ」
はっとしたように、テレーゼが息をのむ。
(このような話し方をすれば、最悪の状況を想像してしまうわね)
ルシアナはテレーゼを落ち着かせるように、穏やかな声色で笑いかける。
「おそらく、彼女は言葉の通り姿を消しただけだと思います。本人がいないので確認のしようがないのですが、おそらくこの国にいた“キャサリン・アンデ”は魔法術師ですので」
「! じゃあ、もしかして……」
「はい。リーバグナー公爵令嬢は精神系の魔法をかけられていたと推察されます」
「そんな……」
頭を抱える彼女の胡桃色の髪が揺れる。
ルシアナは少しだけ逡巡したのち、テレーゼに声を掛けた。
「令嬢のリボンには美しい刺繍が施されていましたが、その刺繍の中に、かけた魔法を継続させるという魔法術式が組み込まれていました。余程注意して探らなければわからないほどマナが最小限まで抑えられていたことから、相当腕のいい術師だったのでしょう」
「……カルラ伯母様なら、そういう者を使うわ。……そう。だからあの子たちはリボンを持って行ったのね」
テレーゼは深く息を吸い込むと、真剣な眼差しでルシアナを見つめる。
「……伯母様が、関わったという証拠はあるの?」
「いいえ。アンデ家とケイト・タスカさん本人から、多額の金銭と引き換えに相手の要求に応じたとの証言は取れましたが、その相手が誰なのかは彼らも知らないようでした。数回接触があったようですが、訪ねて来る人物は毎回違い、そこから何人も人を経由していたようで、こちらでも把握しきれなかったので」
「……そう。証拠がないなら、キャサリンのことも知らなかった、で通されるでしょうね」
複雑そうな表情のテレーゼに、ルシアナは小首を傾げる。
「アンデ家に接触しているのは二年も前ですが、そこは疑問に思わないのですか?」
「伯母様ならやりかねないわ。伯母様はずっと、一つのことに執着されているから」
テレーゼは大きく息を吐き出すと、ふっと自嘲するような笑みを漏らした。
「……わたしにはとてもよくしてくれたけど、それが単純な好意でないことは、もうずっとわかってたのよ。でも、伯母様はいつもわたしが喜ぶことを言ってくれて、嬉しいことをしてくれて……だめだとわかってたけど、甘えてしまった」
「……テ――」
テレーゼの名前を呼ぼうとしたルシアナだが、その声は彼女が自身の両頬を思い切り叩いた音にかき消される。
(……!?)
突然のテレーゼの行動に呆気に取られ、彼女の様子を呆然と見ていると、テレーゼは勢いよく立ち上がり、ルシアナの傍までやって来た。
「わたし、協力するわ。謹慎中だし……わたしに何ができるのかはわからないけど……伯母様のことなら、あなたやおにい様よりきっと詳しいもの。もし助けが必要なら言って頂戴。……まぁ、本当に、あの……役に立つかはわからないけど……」
唇をわずかに尖らせ、視線を逸らしながら気恥ずかしそうに話すテレーゼに、ルシアナは数度瞬きを繰り返すと、首を傾げる。
「アシュレン伯爵夫人に関することしかだめでしょうか?」
「……は?」
「わたくし、そういったことを抜きにしても、令嬢と仲良くなりたのですが……」
眉を八の字にしながら、窺うようにじっと見つめれば、彼女は口をぱくぱくとさせたあと「わかったわよ!」と叫んだ。
「言っておくけど、わたし、あなたのこと認めたわけじゃないからね!?」
「はい。これから認めていただけるよう頑張りますわ。それから、わたくしのことは是非ルシアナ、と。令嬢のこともお名前でお呼びしてもいいでしょうか」
席を立ちテレーゼの両手を掴めば、彼女は顔を真っ赤にしながら、ふんっと顔を逸らす。
「――もう! 好きにしたらいいでしょ!」
不満そうにぼそぼそと何かを呟きつつも、手を振り払う様子のないテレーゼに、ルシアナは満面の笑みを返した。
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