40 / 225
第三章
初めてのお茶会、のそのとき
しおりを挟む
テオバルドと席を交換し、楽しそうにヘレナと談笑するルシアナを見ながら、レオンハルトは先ほどルシアナが言った言葉を思い出していた。
『ふふ、本当に、剣を扱えるとはとても思えない手をしていると思いませんか?』
そう笑った彼女の姿が、ずっと頭の中に残っている。
「……悪かったな、レオンハルト」
隣から聞こえた静かな声に、視線をそちらへ向ければ、カップに視線を落としたテオバルドが困ったように笑っていた。
「珍しく静かだと思ったら……」
短く息を吐くと、ルシアナたちと少し距離を取るように椅子を引き、深く腰掛ける。それに倣うように、テオバルドも同じように椅子に座り直した。
「謝る相手が違うんじゃないか?」
「彼女にもあとで謝るさ。けど……お前にはヘレナのことを黙っててくれと頼んでしまったからな」
レオンハルトは、再び視線を前に向けた。
顔を寄せ合い、ときに内緒話でもするかのように声を潜めながら、明るく笑っているルシアナを見て、「いや」と漏らす。
「この半年、どんな噂が流れていたか、テオがそれにどれほど気を揉んでいたか、多少なりとも理解しているつもりだ。愛情深いテオが、気を遣って神経を尖らせていても仕方がない状況だったと思う。もし俺が同じ立場だったら……同じようにしていたかもしれない」
もしルシアナがヘレナと同じような立場、同じような状況だったら。
(テオバルド同様、彼女が気を病む要因を増やすようなことはしないだろうな)
目下の気がかりはテレーゼと会うことだな、と思いながら、紅茶を飲もうと腕を伸ばしたレオンハルトだが、テオバルドが大きく目を見開いていることに気付き、一度持ち上げたカップをソーサーに戻す。
「……なんだ」
「いや……」
数度瞬きを繰り返すと、テオバルドは心底嬉しそうに、ふっと表情を緩めた。
「なんでもないさ」
そう言っていつも通りの人懐こい笑みを浮かべたかと思うと、椅子をテーブルに近付け、テーブルに片肘をついてルシアナたちへ顔を向けた。
「そろそろ俺たちも混ぜてくれないか、お嬢様方」
(……なんなんだ)
テオバルドの言動を不可解に思いつつも、それ以上言及せず、椅子を元の位置に戻す。改めて紅茶に口をつけると、三人の会話に耳を澄ませた。
「それでね、ルシアナ様のドレスの刺繍糸は、黄金の獅子族の毛を加工したものなんだって」
「へえ。獣人――特に獅子族は気難しい種族だと聞いていたが……トゥルエノ王国の外交力は本当に素晴らしいな」
「たまたま、獅子族とトゥルエノの相性がよかっただけですわ。獅子族の女性は、とてもお強いですから」
「ああ! 獅子族は女性が狩りをするんだったか。弓の名手揃いだと聞いている。いつか交流してみたいものだ」
テオバルドの言葉に、ルシアナはただ、にこり、と笑みだけを返した。
(……賢明だな)
このお茶会は、極々私的な、ただの雑談の場ではあるが、テオバルドがシュネーヴェ王国の王太子であり、ルシアナがトゥルエノ王国の王女であるという事実は変わらない。
ルシアナとレオンハルトの結婚の条件に、トゥルエノ王国の商業都市・ネブリナでの自由貿易権も含まれていることを考えると、貿易や外交に関して、ルシアナが何か答えるのは得策とは言えなかった。
(口八丁手八丁のこの男の言葉に乗ってこないとは、本当にしっかりしている)
テオバルドもどこか感心したような、嬉しそうな笑みを浮かべると、背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「これからはシュネーヴェにも多くの人や物が入って来るだろう。他国や他種族との交流はもとより、ヘレナに似合う宝飾品を見繕うのが今から楽しみだ。それに合わせてドレスも作らなければな」
(……。……!)
大人しく静聴していたレオンハルトだが、テオバルドのある言葉に、はっと目を見開く。思わず咽そうになるのを堪えながら、流れ続ける会話に耳を傾けた。
「もう、テオったら。この間、何着もドレスをくれたじゃない。それなのに、今日のためにって、このドレスも新しく贈ってくれて」
「俺と共に出席する場に、俺と揃いのドレスをプレゼントするのは当然だろ? それに、もうすぐ本格的に社交界が始まる。そのためにも新しいドレスは必要だろう」
「それはそうだけど……結局一緒に参加することが多いし、そうなったら、いつもお揃いのドレスを贈るじゃない」
「……それはそれ! これはこれ! だ! だいたい俺たちが貯め込んでたら経済は回らないしな。なあ、ルシアナ嬢?」
「ふふ、そうですわね」
楽しそうな三人の会話の聞きながら、レオンハルトは内心、大きな溜息をついた。
(一週間あれば、一着くらいドレスを作ることはできたはずだ)
この一週間の謹慎は、「この機会にルシアナとの仲を深めてこい」というテオバルドの思い付きから決まったもので、謹慎とは名ばかりの休暇に近いものだった。
テレーゼの一件は自身に非があると思っていたレオンハルトは、テオバルドの言葉を聞き流し、領地からの報告書や帳簿の確認などをして過ごしていた。邸宅にいる以上、食事はルシアナと共にしたが、それ以外でルシアナと顔を合わせることも、言葉を交わすこともなかった。
(何も言われないからと……最も気遣わなければいけない人を……)
「――い、おい、レオンハルト」
「!」
軽く肩を叩かれ、レオンハルトは我に返る。テオバルドは特に気にしていないようだったが、ヘレナとルシアナはどこか心配そうな表情を浮かべていた。
(だめだな、切り替えなければ)
「悪い、なんだ」
肩を叩いた張本人であるテオバルドに目を向ければ、彼はレオンハルトの額を指先で軽く弾いた。
「お前たちの結婚式の話だよ。ルシアナ嬢のドレスは王室専属の裁縫師に任せてはどうか、と陛下から提案があった。これは本当に提案で、強制するものじゃないから不要なら断ってくれていい。ちなみに言うと、俺は賛成だ」
(ロイヤルワラントではなく専属か……)
額を擦りながら、レオンハルトは考えるように一度視線を逸らす。少しして、額から手を退かすとルシアナを見た。
「ルシアナ様さえよろしければ、お願いしたいと思います。いかがでしょうか」
ルシアナは、長い睫毛を揺らしながら数回瞬きをすると、にこやかな微笑を見せた。
「過分なご配慮ではありますが、お言葉に甘えさせていただきますわ」
(何かあれば俺が風除けになればいい)
彼女に小さな笑みを返し頷くと、隣のテオバルドへ視線を向ける。
「……」
了承の言葉を伝えようとしたレオンハルトだが、テオバルドがあまりにも締まりのない顔でにやついていたため、思わず言葉を飲み込む。
「…………どうした」
ようやく、そう絞り出してみたものの、テオバルドは「別に」と肩を竦めた。
「なんでもないさ。なあ、ヘレナ?」
話題を振られたヘレナを見れば、彼女も瞳を輝かせながら頷いていた。
(……なんなんだ、本当に)
何故か共感しあっているテオバルドとヘレナを見ながら、レオンハルトは半年後にある結婚式に思いを馳せた。
『ふふ、本当に、剣を扱えるとはとても思えない手をしていると思いませんか?』
そう笑った彼女の姿が、ずっと頭の中に残っている。
「……悪かったな、レオンハルト」
隣から聞こえた静かな声に、視線をそちらへ向ければ、カップに視線を落としたテオバルドが困ったように笑っていた。
「珍しく静かだと思ったら……」
短く息を吐くと、ルシアナたちと少し距離を取るように椅子を引き、深く腰掛ける。それに倣うように、テオバルドも同じように椅子に座り直した。
「謝る相手が違うんじゃないか?」
「彼女にもあとで謝るさ。けど……お前にはヘレナのことを黙っててくれと頼んでしまったからな」
レオンハルトは、再び視線を前に向けた。
顔を寄せ合い、ときに内緒話でもするかのように声を潜めながら、明るく笑っているルシアナを見て、「いや」と漏らす。
「この半年、どんな噂が流れていたか、テオがそれにどれほど気を揉んでいたか、多少なりとも理解しているつもりだ。愛情深いテオが、気を遣って神経を尖らせていても仕方がない状況だったと思う。もし俺が同じ立場だったら……同じようにしていたかもしれない」
もしルシアナがヘレナと同じような立場、同じような状況だったら。
(テオバルド同様、彼女が気を病む要因を増やすようなことはしないだろうな)
目下の気がかりはテレーゼと会うことだな、と思いながら、紅茶を飲もうと腕を伸ばしたレオンハルトだが、テオバルドが大きく目を見開いていることに気付き、一度持ち上げたカップをソーサーに戻す。
「……なんだ」
「いや……」
数度瞬きを繰り返すと、テオバルドは心底嬉しそうに、ふっと表情を緩めた。
「なんでもないさ」
そう言っていつも通りの人懐こい笑みを浮かべたかと思うと、椅子をテーブルに近付け、テーブルに片肘をついてルシアナたちへ顔を向けた。
「そろそろ俺たちも混ぜてくれないか、お嬢様方」
(……なんなんだ)
テオバルドの言動を不可解に思いつつも、それ以上言及せず、椅子を元の位置に戻す。改めて紅茶に口をつけると、三人の会話に耳を澄ませた。
「それでね、ルシアナ様のドレスの刺繍糸は、黄金の獅子族の毛を加工したものなんだって」
「へえ。獣人――特に獅子族は気難しい種族だと聞いていたが……トゥルエノ王国の外交力は本当に素晴らしいな」
「たまたま、獅子族とトゥルエノの相性がよかっただけですわ。獅子族の女性は、とてもお強いですから」
「ああ! 獅子族は女性が狩りをするんだったか。弓の名手揃いだと聞いている。いつか交流してみたいものだ」
テオバルドの言葉に、ルシアナはただ、にこり、と笑みだけを返した。
(……賢明だな)
このお茶会は、極々私的な、ただの雑談の場ではあるが、テオバルドがシュネーヴェ王国の王太子であり、ルシアナがトゥルエノ王国の王女であるという事実は変わらない。
ルシアナとレオンハルトの結婚の条件に、トゥルエノ王国の商業都市・ネブリナでの自由貿易権も含まれていることを考えると、貿易や外交に関して、ルシアナが何か答えるのは得策とは言えなかった。
(口八丁手八丁のこの男の言葉に乗ってこないとは、本当にしっかりしている)
テオバルドもどこか感心したような、嬉しそうな笑みを浮かべると、背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「これからはシュネーヴェにも多くの人や物が入って来るだろう。他国や他種族との交流はもとより、ヘレナに似合う宝飾品を見繕うのが今から楽しみだ。それに合わせてドレスも作らなければな」
(……。……!)
大人しく静聴していたレオンハルトだが、テオバルドのある言葉に、はっと目を見開く。思わず咽そうになるのを堪えながら、流れ続ける会話に耳を傾けた。
「もう、テオったら。この間、何着もドレスをくれたじゃない。それなのに、今日のためにって、このドレスも新しく贈ってくれて」
「俺と共に出席する場に、俺と揃いのドレスをプレゼントするのは当然だろ? それに、もうすぐ本格的に社交界が始まる。そのためにも新しいドレスは必要だろう」
「それはそうだけど……結局一緒に参加することが多いし、そうなったら、いつもお揃いのドレスを贈るじゃない」
「……それはそれ! これはこれ! だ! だいたい俺たちが貯め込んでたら経済は回らないしな。なあ、ルシアナ嬢?」
「ふふ、そうですわね」
楽しそうな三人の会話の聞きながら、レオンハルトは内心、大きな溜息をついた。
(一週間あれば、一着くらいドレスを作ることはできたはずだ)
この一週間の謹慎は、「この機会にルシアナとの仲を深めてこい」というテオバルドの思い付きから決まったもので、謹慎とは名ばかりの休暇に近いものだった。
テレーゼの一件は自身に非があると思っていたレオンハルトは、テオバルドの言葉を聞き流し、領地からの報告書や帳簿の確認などをして過ごしていた。邸宅にいる以上、食事はルシアナと共にしたが、それ以外でルシアナと顔を合わせることも、言葉を交わすこともなかった。
(何も言われないからと……最も気遣わなければいけない人を……)
「――い、おい、レオンハルト」
「!」
軽く肩を叩かれ、レオンハルトは我に返る。テオバルドは特に気にしていないようだったが、ヘレナとルシアナはどこか心配そうな表情を浮かべていた。
(だめだな、切り替えなければ)
「悪い、なんだ」
肩を叩いた張本人であるテオバルドに目を向ければ、彼はレオンハルトの額を指先で軽く弾いた。
「お前たちの結婚式の話だよ。ルシアナ嬢のドレスは王室専属の裁縫師に任せてはどうか、と陛下から提案があった。これは本当に提案で、強制するものじゃないから不要なら断ってくれていい。ちなみに言うと、俺は賛成だ」
(ロイヤルワラントではなく専属か……)
額を擦りながら、レオンハルトは考えるように一度視線を逸らす。少しして、額から手を退かすとルシアナを見た。
「ルシアナ様さえよろしければ、お願いしたいと思います。いかがでしょうか」
ルシアナは、長い睫毛を揺らしながら数回瞬きをすると、にこやかな微笑を見せた。
「過分なご配慮ではありますが、お言葉に甘えさせていただきますわ」
(何かあれば俺が風除けになればいい)
彼女に小さな笑みを返し頷くと、隣のテオバルドへ視線を向ける。
「……」
了承の言葉を伝えようとしたレオンハルトだが、テオバルドがあまりにも締まりのない顔でにやついていたため、思わず言葉を飲み込む。
「…………どうした」
ようやく、そう絞り出してみたものの、テオバルドは「別に」と肩を竦めた。
「なんでもないさ。なあ、ヘレナ?」
話題を振られたヘレナを見れば、彼女も瞳を輝かせながら頷いていた。
(……なんなんだ、本当に)
何故か共感しあっているテオバルドとヘレナを見ながら、レオンハルトは半年後にある結婚式に思いを馳せた。
1
お気に入りに追加
99
あなたにおすすめの小説
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
森でオッサンに拾って貰いました。
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。
ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。
そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!?
貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる