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第三章

リーバグナー公爵令嬢テレーゼ・ブルノルト(二)

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「……ただいま帰りました」

 少々戸惑いが混じってはいるものの、穏やかな声色にルシアナは微笑を返す。しかし、一瞬和んだ空気はまたすぐに冷たくなり、暖かいはずの室内の空気は肌をひりつかせた。

「それで、テレーゼは何をしているんだ」

 決して責めるような冷たい声ではないが、テレーゼは大きく肩を揺らした。真っ赤だった顔は、元の白さに戻っている。

(あら……レオンハルト様にお会いしたら、先ほどまでのわたくしの言動について何かおっしゃるかと思っていたけれど……そうね……)

 話し出しそうにもないテレーゼを見て、ルシアナは軽く片手を挙げる。

「立ち話もなんですから、もしお時間があるようでしたら、座ってゆっくり話しませんか?」
「……っ」
「……そうですね」

 テレーゼは何か言いたげに唇を震わせたが、短く息を吐きながら賛同したレオンハルトを見て、きつく口を閉じた。

「ルシアナ様とテレーゼに新しい紅茶を。それを出したら下がっていい。ギュンターも」

 レオンハルトの指示を聞くや否や、彼らは瞬きの間にセッティングを終わらせ、素早く退室した。

(まあ。さすがレオンハルト様にお仕えする方々だわ。人ってあんなに素早く行動できるのね。いつの間にかレオンハルト様の分まで用意されているわ)

 自分の紅茶と並ぶように置かれたレオンハルト用のカップを見ながら、感心するように小さく頷いていると、「ルシアナ様」と声を掛けられる。レオンハルトのほうへと顔を向ければ、彼は遠慮がちにルシアナの隣へと視線を落とした。

「隣に座ってもよろしいでしょうか」
「あら……」

 想定外の問いかけにルシアナは目を瞬かせたが、すぐにふふっと笑みを漏らす。

「もちろんですわ」

 一歩横へズレれてスペースを開ければ、レオンハルトは「失礼します」と断りを入れてからルシアナの隣に立った。

(これは……わたくしが先に座ったほうがいいみたいね)

 思った通り、ルシアナが座ると、それに続くようにしてレオンハルトも腰を下ろした。

「テレーゼも座ったらどうだ」
「…………はい」

 ルシアナが先に座ったことにテレーゼは一瞬目を見開いたが、特に何か言うことはなく、大人しくソファに腰掛けた。

「それで……お前は一体何をしているんだ」

 一息つく間もなく、先ほどと同じ質問を繰り返したレオンハルトを、テレーゼは窺うように見つめる。そんな彼女を、レオンハルトはただ真っ直ぐ見据えた。

「その……おにい様の婚約者がいらっしゃったと聞いて……」
「聞いて、なんだ」
「えっと……どのような方なのか、気になって……」

 レオンハルトが現れる前までの姿がまるで幻だったかのように、エレーゼは小さく縮こまり、おどおどと言葉を選んでいる。

(こういった姿を何と言うのだったかしら……ええと……あ! そうだわ。“借りてきた猫”だわ。でも状況的には、狼に睨まれた子猫というほうが合っているかしら? まぁ、猫も狼も実際に見たことはないから想像でしかないのだけれど)

 レオンハルトとテレーゼの様子を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、隣から深い溜息が聞こえた。

「気になったからと、連絡もなしに来ていいと本当に思っているのか?」
「そっ、それはっ、だってっ……だって、今まではあげてくれたから……」
「さっきも言ったが、それはお前がまだ成人前の子どもだったからだ」
「だっ……でも、だって、わたしはおにい様の従妹で……」
「確かに俺とお前は従妹だ。だから多少のことには目を瞑ってきたし、今回もただ俺に会いに来ただけというなら口頭で注意するだけに留めただろう」

 レオンハルトはもう一度溜息をつくと、「だが」と語気を強めた。

「この方に会いに来たというなら話は別だ。身内だからと見過ごせるものではない」

 先ほどまでとは違う鋭さのある声に、テレーゼはびくりと肩を震わせた。

(……レオンハルト様のお立場であれば、そうでしょうね)

 レオンハルトとの婚約手続きは確かに済んだが、結婚していない以上、ルシアナの立場はまだトゥルエノ王国の王女であり、シュネーヴェ王国にとっては賓客だ。一介の貴族が言葉をかけることはおろか、許可なく謁見すること自体許される行為ではない。

(けれど――)

「レオンハルト様、令嬢と会うことを決め、邸に留めさせたのはわたくしですわ。わたくしが会わないと一言言えば、ギュンターたちは彼女を帰したでしょうから。なので、今回のことに関してはわたくしも同罪かと」

 そうにこやかに告げたルシアナだったが、レオンハルトは「いいえ」と首を横に振った。

「そもそも知らせもなく会いに来ること自体が間違いですので、ルシアナ様に非はございません」

(これは……あとでギュンターたちも叱られてしまうかもしれないわ)

 頑ななレオンハルトの姿勢に、どうしたものかと考えを巡らせるルシアナだったが、鋭い視線を感じ、テレーゼへと目を向ける。
 俯き、垂れた髪の隙間から、彼女はじっとルシアナを見つめていた。

(いえ、睨んでいる、と言ったほうが正しいかしら)

 嫉妬。羞恥。怒り。様々な感情が入り混じり、彼女自身、気持ちの落としどころがわからないような印象を受ける。

「リーバグナー公爵令嬢は、わたくしのことがお嫌いですか?」
「……は、はあ……?」

 ――おいおい、ルシー。何を言ってるんだ。

 突然、それも突拍子もない質問を投げかけられ、テレーゼは怪訝そうな声を上げる。今まで静かだったベルも驚いたような声を出し、レオンハルトもわずかに瞠目した。

「いえ、こうして同年代の方とお話しするのは初めてのことなので、もしわたくしのことをお嫌いでないのなら仲良くなりたいな、と」
「……?」

 ――……ルシー、人との会話には前置きや流れというものが必要でな……。
(――ええ、だからさっき質問を投げかけたでしょう?)
 ――う、うーん……。

 何やら悩み始めてしまったベルとの会話を切り上げ、ただただぽかんとしているテレーゼに改めて意識を向ける。

(最初から対抗心を向けられていたことを考えると、彼女が厭っているのはレオンハルト様の隣に立つ女性全般だわ。今も嫌いだと即答されていないし、わたくし個人を嫌っていないのなら仲良くなれるのではないかしら)

 ルシアナ自身、少々のん気な考え方をしているという自覚はあったが、テレーゼと仲良くできればいいというのは本心だった。

(だって、彼女はきっと、悪い方ではないもの)

 一瞬彼女の首元へ視線を送ったルシアナだったが、すぐに彼女の目を見つめ直すと、にこり、と笑いかける。

「……っ!」

 笑みを向けられたエレーゼは、大きく目を見開いたあと、一拍遅れて勢いよく顔を伏せた。
 しばらくそのまま動かなかったが、彼女の体が小刻みに震えだし、ぽたぽたと水滴が落ちたな、と思った瞬間、彼女はばっと立ち上がった。
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