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第二章

婚約、そして、のそのとき

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 レオンハルトは、王城で馬車を待っている間も、馬車に揺られている間も、教会に着いてからも、テオバルドに対する「余計なことを言いやがって」という気持ちが消えずにいた。

(口出しすべきではないとわかっていながら何故わざわざ言ったんだ、あいつは)

 ルシアナとの結婚が決まった当初から、考えなければいけないことは多かったが、ルシアナが真に精霊剣の使い手であるとわかった今、彼女と精霊剣の在り方を目の当たりにした今、彼女がただの結婚相手ではないということを改めて念頭に置かなければいけなかった。

(彼女は他の令嬢たちとは違う)

 そう思うものの、隣に立つ彼女があまりにも普通の少女で、彼女とどのように接すればいいのか、レオンハルト自身よくわからなかった。

「シュネーヴェ王国ブルデ教会司祭マリアン・ドレヴェス立会いの下、レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクとルシアナ・ベリト・トゥルエノの婚約が正しく成立したことをここに宣言いたします。お二方のご婚約、心よりお慶び申し上げます」
「感謝する」
「ありがとうございます、神父様」

 司祭のマリアンからかけられる言葉に返事をしながらも、レオンハルトはずっと、これからのことについて考えていた。そうして他のことを考えていたことに加え、自分から婚約破棄を申し込むことはないという確固たる意志もあったため、レオンハルトは特に迷うことなく誓約書の封を解いた。
 封を解いてから、隣に立つ彼女も同じように封を解き、また驚いたように自分を見つめていることに気付く。

 感動しているマリアンの言葉に返事をしながら、レオンハルトは内心しまったと考えていた。
 余程の事情がない限り、婚約誓約書が二つ揃わない状態での婚約破棄は不可能だ。悪徳な司祭や、不正を行っている教会であれば金で融通してくれるが、マリアンは敬虔な信徒であり、ここはわずかな埃すら出ないような教会ため、そういった方法は当然ながら取れない。

(まだ年若い殿下の逃げ道を失わせてしまったな……)

 教会に着くまでと同じように、帰りの馬車でもお互い無言のまま向かい合った。違うのは、お互いの手に封の解かれた誓約書が握られていることくらいだ。
 誓約書を見つめながら、レオンハルトは心の中で小さく溜息を漏らす。
 レオンハルトから婚約破棄を申し出ることは決してないが、それは婚約破棄をするつもりはないという意味ではない。ルシアナが望むのであれば、いつでもそれに応じるつもりでいた。

(ずいぶんと驚いた顔をしていたな。しかし…… )

「ふっ……ふふっ、うふふっ」

(……!)

 突然笑い出したルシアナに驚き、レオンハルトは目の前に座りおかしそうに口元を押さえる彼女を見つめる。
 笑い出した理由を説明した彼女は、先ほどまでに比べるとずいぶんと自然な笑顔でにこにこと誓約書を見た。彼女の表情はとても明るく、誓約書の封を解いてしまったことを微塵も後悔していないように見える。
 無邪気な子どものような彼女の姿を見て、レオンハルトもふっと肩の力が抜けるような気がした。

 これまで恋や愛などとは無縁な生活をしていたことも、相手が他国の王女であることも、精霊剣の使い手であることも、八つも下の十八の少女であることも、そのすべてが未知で、無意識の内に体が強張っていたようだ。

(いや……王城でのあの出来事も影響しているか。俺がついていながら、あのような戯言をこの子に聞かせてしまった)

 あのような侮辱を受け、自分も、不慣れさからぎこちない態度を取ってしまったというのに、彼女はずっと笑みを浮かべてくれていた。

(……ほどほどの距離を保てれば、それでいいと思っていた。一族を切り盛りしていくパートナーとして良好な関係を築ければ、それでいい。結婚をし、いずれ跡継ぎを産んでもらうことになるとしても、そこに特別な情などは必要ない。必要以上に親しくする理由はないと)

 その考えが、まったくなくなったわけではない。
 彼女についてはまだわからないことのほうが多く、共に暮らすことで何か目に付くところがあるかもしれない。

(けれど……)

『……レオンハルト様?』

 ふと、王城へ向かう途中で自分の名前を呼んだ、彼女の鈴のような声が思い出された。

『出会ったばかりで親しくしろというのも難しいだろうが、これからの人生を共に歩むパートナーに他人行儀すぎるのもどうかと思うぞ』

 従兄弟の、余計であり、至極真っ当な言葉も、脳裏をよぎる。

「……」

 レオンハルトは小さく息を吸うと、遠慮がちに「殿下」と呼びかける。

(けれど、もし彼女が……多少でも歩み寄っていいと……この縁に前向きであるというならば……)

 自分からも歩み寄るべきだ。
 いや、歩み寄ってみたい。
 彼女なら、それを許してくれるのではないか。そんな気がした。

「……名前を……。……王城へ着く前、お呼びいただいたように、私のことを名前で呼んではいただけないでしょうか」

 レオンハルトは手のひらがじんわりと湿っていくのを感じながら、強く誓約書を握り締めた。
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