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第二章

婚約、そして

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 教会へと向かう馬車の中でも、二人は無言のままだった。

(許可もなくお名前をお呼びしてしまったことを謝りたいけれど、先ほどのやり取りのあとで謝るというのも……)

 どうしたものかと考えるルシアナだったが、王宮から教会への距離は近く、考えがまとまるより早く馬車が停車する。
 向かいに座っていたレオンハルトが先に降り、王宮のときと同じように馬車の外で手を差し出してくれる。

「ありがとうございます」
「……いえ」

 どこかぎこちなく視線を逸らした彼に、ルシアナは小さな笑みを向けながら、目の前の教会を見上げる。

(教会も王城と同じ淡い灰色なのね)

 屋根はシュネーヴェ王国王家を連想させるターコイズグリーンで、厳かな雰囲気が感じられる。

(本で見た教会は白かったけれど、本当はいろいろな色があるのね)

「……こちらです」
「はい」

 呼びかけられ視線をレオンハルトへと向ければ、彼は中へとどんどん進んでいく。中は本で見た一般の教会と大差なく、奥の祭壇の側に司祭が一人立っていた。

「お待ちしておりました、シルバキエ公爵閣下、王女殿下。ブルデ教会司祭、マリアン・ドレヴェスと申します。このような佳き日に立ち会えること、心より嬉しく存じます」

 頭を上げた男性は口元の皺を深め、三枚の羊皮紙が置かれた台へ手を向ける。

「こちらに婚約誓約書をご用意しております」
「ああ」

 そう短く答えたレオンハルトは、内容を見ることなく万年筆を走らせる。素早く三枚分の署名を終えたレオンハルトが台の前から退き、今度はルシアナが台の前へと進む。
 誓約書の内容は当たり障りのないもので、レオンハルトが中身を確認せず署名したのも頷けた。

(それに、閣下のことだから内容の確認は事前に済ませているでしょうしね)

 万年筆を取ると、ルシアナもレオンハルトと同じように素早く署名欄に名前を書き、彼の隣へと移動する。

(なんだか不思議な気分だわ。わたくしが婚約だなんて)

 胸を押さえ、少々高鳴る胸を落ち着かせるように、そっと息を整えていると、誓約書を確認し終えたマリアンがにこやかな笑みをルシアナたちに向けた。

「シュネーヴェ王国ブルデ教会司祭マリアン・ドレヴェス立会いの下、レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクとルシアナ・ベリト・トゥルエノの婚約が正しく成立したことをここに宣言いたします。お二方のご婚約、心よりお慶び申し上げます」
「感謝する」
「ありがとうございます、神父様」

 マリアンは笑みを深めると、三枚の誓約書をそれぞれ丸めて紐で縛る。近くに用意してあった封蝋を結び目に垂らし印璽で刻印すると、レオンハルトとルシアナにそれぞれ一つずつ差し出した。

「婚約誓約書は、一つはブルデ教会で保存し、残りの二つはシルバキエ公爵閣下並びに王女殿下にそれぞれ一つずつ保管していただきます。ないこととは存じますが規則ですので念のためお伝えしておくと、婚約破棄される場合は封が解かれていない誓約書が二つ必要ですので、紛失や破損、開封にはご注意ください。破棄の意思がなければ、お二方の分はこの場でご開封いただいても構いません」

(この場で開封する方としない方、どちらのほうが多いのかしら)

 にこやかな笑みを崩さないマリアンに対し、ぼんやりとそんなことを思いながら、受け取った誓約書を見る。

(今開封しなければ、いずれ破棄する意思があると思われてしまうかしら。……なんて、そもそもわたくしにそのような考えはないけれど)

 特に迷いなく紐を引っ張ったルシアナだったが、隣で同じように紐を引いて封を開けたレオンハルトを見て驚きに目を見開く。彼もまた、同じタイミングでルシアナが開封したことに気付いたようで、わずかにその目を見張った。
 お互い固まったように見つめ合いながら動きを止めるが、そんな二人を尻目にマリアンが嬉しそうな声を上げた。

「この場で開封される方々はほぼいらっしゃらないのですが、私はどうやら素晴らしい場面に立ち会えたようですね。お二人の縁は、きっと素晴らしき未来へと続いていくことでしょう」
「……ああ。立会い、感謝する」

 マリアンへ視線を戻し、何事もなかったかのように言葉を続けるレオンハルトに、ルシアナも我に返ると、マリアンへ笑みを向けた。

「本当にありがとうございました。神父様」

 マリアンに別れを告げると、ルシアナとレオンハルトは教会前で待機していた馬車へと戻り、来たときと同じように無言で向かい合った。
 動き出した馬車に揺られながら、お互いの手に握られた封の解かれた誓約書を見ていたルシアナは、内からどんどん湧き出すものに耐えられず、つい笑みを漏らしてしまう。

「ふっ……ふふっ、うふふっ」

 両手で口元を押さえ突然おかしそうに笑いだしたルシアナに、レオンハルトが驚いたような視線を向けていることに気付いたが、ルシアナの笑いはおさまらなかった。

「ふふっ、ふ……申し訳ありません、閣下。ふふふ、なんだかおかしくて」

(なんだか、あまりわたくしらしくなかった気がするわ)

 ルシアナは漏れる笑い声を必死に抑えながら、手元の誓約書を開く。その署名欄には、何度も読み返した手紙で見た筆跡、何度も読み返した手紙で見た名前が記されている。
 指先でそっと彼の名前をなぞると、ルシアナは顔を上げ、戸惑ったように様子を窺うレオンハルトに、ふふっと笑いかけた。

「どうやら自分で思っていた以上に緊張していたようです。ですが……ふふふっ、何も言わず二人でそれぞれ封を開け、お互い驚いて固まってしまったことを思い出したら……ふふ……わたくしたち、案外似た者同士ではないかと思ってしまって。そうしたら、一気に緊張も解けてしまいましたわ」

 ふわりと、自然に顔が綻んでしまう。王族として、これから公爵夫人になる人間としてはふさわしくない、威厳のない姿かもしれない。しかし、レオンハルトなら許してくれるのではないか、そんな気がルシアナにはしていた。

(もちろん、閣下の優しさに甘えるだけではいけないけれど、最初から自分を繕ってばかりいても仕方がないわ)

 どこか吹っ切れたように、にこにこと笑いながら誓約書を眺めていると、少しして遠慮がちに「殿下」と呼びかけられた。
 顔を上げレオンハルトを見れば、彼は背筋を伸ばし、真っ直ぐルシアナを見つめていた。

「……名前を……。……王城へ着く前、お呼びいただいたように、私のことを名前で呼んではいただけないでしょうか。それから……」
「……それから?」
「……いえ」

 それ以降続く言葉はなく、口を閉じ視線を下げて黙ってしまったレオンハルトに、ルシアナは数度瞬きを繰り返すと、ふっと目を細める。

「……それでは、わたくしからもお願いをしてよろしいでしょうか――レオンハルト様」

 はっと顔を上げたレオンハルトに、ルシアナは穏やかな笑みを向ける。

「わたくしのことも、どうか名前で呼んでいただけませんか?」

「――はい、ルシアナ様」

 わずかに目尻を下げながらそう呟いたレオンハルトに、ルシアナは心からの満面の笑みを返した。
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