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第一章

穏やかな時間(二)

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「あ、ごめんなさい。不躾に訊くものではなかったわ」

 咄嗟に謝れば、ベルも慌てたように首を横に振った。

「いや、違う、すまない。ルシーの質問に不快になったわけじゃない。ただ、さっき森に行ったときに、ドラゴンにも同じこと訊かれたなと思って」

 “森”という言葉に、ルシアナは窓の外へ目を向ける。
 とある一画から突然広がる深い森。
 通称“シルスキの森”と呼ばれているそこは、クリーマ大陸の中心にあり、面積だけで言えば、シュネーヴェ王国やトゥルエノ王国に次ぐ広さを有している。それほど広い土地であるにもかかわらず、どの国も不可侵・不干渉の決まりを守っており、周りの国々がどのような変化を迎えようと、この森だけはずっと変わらないまま残っている。

(そもそも森に入ること自体難しいのだけれど)

 過去には、森に豊富な資源、肥沃な大地があるという噂を聞き、中に入ろうとする者もいた。しかし、すぐに元の場所に戻されたり、同じ場所をぐるぐると歩かされたり、なかには記憶障害を起こし森の周りを彷徨う者まで現れたため、自然と不可侵・不干渉が暗黙のルールとされるようになった。
 誰も受け付けない森は、「呪われた土地」と呼ばれるようになったが、後々になって森に入れない理由が判明。それによって改めて、不可侵・不干渉が定められ、「呪われた土地」は、いつしか“シルスキの森”と呼ばれるようになった。

(呪われた、と聞くと、少しだけ親近感が湧くわ)

 ルシアナは、ふっと表情を緩めると、視線をベルへと戻す。

「ドラゴンも恋愛に興味があるのね」

 そう言えば、彼女は嫌そうに顔を歪めた。

「あれはただ面白がってるだけだ。私をからかって遊びたいだけで、そんな可愛いもんじゃない」
「あら……意外とお茶目なのね、ドラゴンって」
「……あいつは私が覚醒する前から私のことを知ってるからね。他のドラゴンはもう少しまともだと思うよ」

 深い溜息をつくベルに、ルシアナはもう一度視線を外へ向ける。

「シルスキの森には、ベルのお友だち以外のドラゴンもいるの?」
「いや、今あの森にいるドラゴンはあいつだけだ。あと、私とあいつは別に友人じゃない」

 口を尖らせ反論するベルに、ルシアナはくすりと笑みを漏らす。

「あら、でも会いに行ったのでしょう?」
「もともと用があったのはエルフのほうだ。エルフの作る守りは人間の魔法術師が作るものより強力だからな。ルシーにプレゼントしようと思って」
「ベル……」

 どこまでも自分のことを考えてくれるベルに、ルシアナの目頭は熱くなる。漏れそうになるものを堪えながら、お礼を言おうと口を開いたものの、ルシアナが言葉を発するより早く、ベルは大きく舌打ちをした。

「エルフに会ったらすぐ帰るつもりだったのに……私が結界を通ったことに気付いてわざわざこっちまで来やがって……いつもは西部のほうに籠ってるくせに……」

 眉間に皺を寄せ、苛立たしげにそう漏らすベルに、ルシアナの目に滲んでいたものは、さっと消え去った。

(前にも何度かお話を聞いたことはあったけれど、こういうのを喧嘩するほど仲が良いと言うのかしら)

「ルシー……今何か気色悪いことを考えなかったか?」
「あら、きっと気のせいだわ」

 疑うような眼差しを向けるベルに、にこっと笑みを返せば、彼女は少しして大きく息を吐き出した。

「はー、やめだやめ。なんで可愛いルシーと一緒にいるのに、あんなやつのこと思い出さなきゃいけないんだ。――で、なんだっけ。好い人、だったか?」
「ああ、ええっと、口をついて出ただけなの。だから気にしないで」
「ルシーの言葉で不快になったわけじゃないって言っただろ? だからルシーこそ気にしなくていい」

 ベルはいつも通りの優しい笑みを浮かべると、考えるように顎に手を添えた。

「結論から言えば、私にそういう相手はいない。ルシーが塔にいる間、外に出たり、精霊界に戻ったりもしたが、あまりその辺りのことを気にしたことはなかったな」
「そう……」

 ルシアナが死んだあとも、ベルは長い時間を生きる。
 もしベルに好い人がいるなら、その相手にベルを絶対に幸せにしてくれと頼みたかったが、それは無理かもしれないな、とルシアナは思う。

(そもそも、あまり深くは考えていなかったけれど、ベルにそういう相手がいたらと思うと……少し寂しいわ)

 ルシアナは立ち上がると、ベルに近付き、その小さな体を抱き締める。

「ベル。ベルはわたくしの一番のお友だちで、大切な家族よ。これからもずっと」
「ルシーは本当にいつも突然だな」

 そう言いつつも、ベルは優しく抱き締め返してくれる。

「私にとっても、ルシーは一番の友人だし、大事な家族だよ。番ができても、子ができても、それはずっと変わらない」

 ベルの言葉に、ルシアナははっと顔を上げ、ベルを凝視した。

「ベルの……子ども……?」
「? 人間とは少し違うが、私たちだって番との間に子はできるぞ」
「……!」

 衝撃を受けたように、ルシアナは両手で口元を覆うと、そのままふらふらと後退し、ベッドに身を沈めた。

「ルシー!?」

 慌てたように傍に寄ってきたベルに、ルシアナは目を潤ませ、彼女を見つめた。

「ベルの子は、きっととても可愛いと思うの」
「……は?」

 訳がわからないといった様子で首を傾げたベルに、ルシアナは大きく頷く。

「わたくし、自分の子と同じくらい愛する自信があるわ。もちろん無理強いをするつもりはないけれど。けれど、もし、わたくしが生きている間に生まれたら、是非会わせてね」
「え、ああ……」

 目を爛々と輝かせるルシアナに、ベルは若干引いたような苦笑いを返すしかなかった。
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