11 / 232
第一章
穏やかな時間(一)
しおりを挟む
カルロスとの対話後、建物内を見学しては、という提案を受けたが、ルシアナはおとなしく部屋に籠ることにした。窓辺の椅子に座り、本を読んだり、お菓子をつまんだりして過ごしているうちに、気が付けば日が傾き始めていた。
出された紅茶を一口飲み、ルシアナは橙色に輝く窓の外へと目を向ける。
(お母様もお姉様方も、塔から出たらすぐに市井を見に行かれたとおっしゃっていたけれど、わたくしは案外、お姉様方のお話を伺うだけで満足していたのかしら)
「街への興味は変わらずあるのだけれど……」
ルシアナは小さく呟くと、自身の胸に手を当て、深く呼吸をする。
アリアン共和国に入る前にも感じた鼓動。それはふとした瞬間、思い出したように、ルシアナの胸に響いた。
(違う土地へ来て、やっと……結婚ということの現実味を感じているのかしら)
ルシアナは本の間からしおりを抜き取ると、それを眺める。しおりに使われている淡い青紫色の小ぶりの花は、トゥルエノでは見たことのないものだ。
縁談を受け入れるという返答をしたあと、新たな親書と共にシュネーヴェ王国から届いた一通の手紙。それに添えられていた花を、押し花にしてしおりにしてもらった。
(なぜ、シルバキエ公爵はこのお花を添えたのかしら)
手紙はルシアナに宛てられたもので、内容はなんてことない、事務的なものだった。
結婚が決まって喜ばしい。
不安なこともあるだろうが、何でも言って欲しい。
シュネーヴェの冬は寒く厳しいから、暖かくして来て欲しい。
(それから……)
「お会いできるのを、楽しみにしております……」
「なんだ? またあの男からの手紙を読んでたのか?」
「あら、おかえりなさい、ベル」
ルシアナは、視線をしおりから窓へと移動すると、宙に浮き、窓をすり抜けて中に入るベルへ笑いかける。
「ただいま。――ああ、その花を見てたのか」
ルシアナの手元を一瞥したベルは、向かいの席に座り小さく息を吐いた。
「よく見てるね。やっぱり気になる?」
「あら、もちろんよ。これからの人生を共に添い遂げる方だもの」
「ふーん……わかってはいたけど、戻る気はないんだな」
「里帰りという意味でならしたいわ。でも、結婚も何もかもなしにしてトゥルエノに戻るつもりはない。自分で決めたことだもの」
しおりを本に戻しながらそう言えば、ベルは再び「ふーん」と漏らした。
「相手が最低野郎だったらどうするんだ? 暴力、姦通、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存――」
「もう、すっかり人間界に染まりきっちゃって」
ルシアナは軽く頬を膨らますと、しおりが挟まる本を手に取る。
「お母様たちが何も調べていないはずないでしょう? もし少しでもそのような噂があったら、わたくしに尋ねることなくお断りしているわ。そのような話もなく、断っても断らなくても、わたくしにもトゥルエノにも害はないと判断されたから、わたくしはあの場に呼ばれたのだわ」
「……ま、それもそうだな」
ベルは大きく体を伸ばすと、背もたれに体を預け天井を眺める。
(お母様たちのことを過保護だとベルはよく言うけれど、ベルも同じくらいわたくしのことを気にかけてくれているわ。関係性上、彼女たちにはそれが当たり前なのでしょうけど)
「ふふふ」
「? どうかしたか?」
ルシアナへと視線を戻したベルに、ルシアナは首を横に振る。
「いいえ。ベルのことを好きだなと思っただけ」
「なんだ突然。私も好きだよ」
訝しげに眉根を寄せながらも好意を返してくれるベルに、ルシアナは笑みを深めると本を抱き締める。
「どのような方でも、自分で決めたのだから添い遂げるつもりよ。けれどもし……もしも、どうしようもないような方で、どうしても耐えられなくなってしまったら、そのときは国へ帰ることなく別の場所へでも行くわ。別の国でも、別の大陸でも」
「ああ、いいな。精霊界でもいいぞ」
「あら、人間は精霊界に行けないのではないの?」
驚きに目を瞬かせれば、ベルは、にっと口角を上げた。
「不可能ではないぞ。まぁ、人間ではなくなるけどね」
「あら、もしかして危ない話を持ち掛けられているのかしら」
はっとして口元に手を当てれば、ベルは愉快そうに笑い声をあげた。
「ま、人間界を見て回るのも楽しそうだ。ルシーが決めた人生なら、いくらでも付き合うよ」
ふっと目を細めて笑うベルの表情は、幼い姿に似つかわしくない、大人びた雰囲気がある。その眼差しが、彼女の本来の姿と重なって見えた。
(今のような幼い子どもの姿をとっているのは「楽だから」、とベルは言っていたけれど、子どものころ、わたくしが寂しがったからよね)
「ん? なんだ?」
じっと見つめていたためか、ベルが不思議そうに首を傾げる。
「いいえ、なんでもないわ」
(これから先の未来が、ベルにとっても幸せなものでないと意味がないわ。わたくしといる間も、わたくしと別れたあとも)
ルシアナは、抱いていた本へ視線を落とす。本から覗くしおりの紐を見て、「そういえば」とベルへ目を向けた。
「ベルたちにも、結婚という概念――番、と言ったかしら。確かそういうものがあるのよね? ベルに好い人はいるの?」
自分の立場もあり、何の気なしに訊いたことだったが、ベルはひどく渋い顔を浮かべた。
出された紅茶を一口飲み、ルシアナは橙色に輝く窓の外へと目を向ける。
(お母様もお姉様方も、塔から出たらすぐに市井を見に行かれたとおっしゃっていたけれど、わたくしは案外、お姉様方のお話を伺うだけで満足していたのかしら)
「街への興味は変わらずあるのだけれど……」
ルシアナは小さく呟くと、自身の胸に手を当て、深く呼吸をする。
アリアン共和国に入る前にも感じた鼓動。それはふとした瞬間、思い出したように、ルシアナの胸に響いた。
(違う土地へ来て、やっと……結婚ということの現実味を感じているのかしら)
ルシアナは本の間からしおりを抜き取ると、それを眺める。しおりに使われている淡い青紫色の小ぶりの花は、トゥルエノでは見たことのないものだ。
縁談を受け入れるという返答をしたあと、新たな親書と共にシュネーヴェ王国から届いた一通の手紙。それに添えられていた花を、押し花にしてしおりにしてもらった。
(なぜ、シルバキエ公爵はこのお花を添えたのかしら)
手紙はルシアナに宛てられたもので、内容はなんてことない、事務的なものだった。
結婚が決まって喜ばしい。
不安なこともあるだろうが、何でも言って欲しい。
シュネーヴェの冬は寒く厳しいから、暖かくして来て欲しい。
(それから……)
「お会いできるのを、楽しみにしております……」
「なんだ? またあの男からの手紙を読んでたのか?」
「あら、おかえりなさい、ベル」
ルシアナは、視線をしおりから窓へと移動すると、宙に浮き、窓をすり抜けて中に入るベルへ笑いかける。
「ただいま。――ああ、その花を見てたのか」
ルシアナの手元を一瞥したベルは、向かいの席に座り小さく息を吐いた。
「よく見てるね。やっぱり気になる?」
「あら、もちろんよ。これからの人生を共に添い遂げる方だもの」
「ふーん……わかってはいたけど、戻る気はないんだな」
「里帰りという意味でならしたいわ。でも、結婚も何もかもなしにしてトゥルエノに戻るつもりはない。自分で決めたことだもの」
しおりを本に戻しながらそう言えば、ベルは再び「ふーん」と漏らした。
「相手が最低野郎だったらどうするんだ? 暴力、姦通、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存――」
「もう、すっかり人間界に染まりきっちゃって」
ルシアナは軽く頬を膨らますと、しおりが挟まる本を手に取る。
「お母様たちが何も調べていないはずないでしょう? もし少しでもそのような噂があったら、わたくしに尋ねることなくお断りしているわ。そのような話もなく、断っても断らなくても、わたくしにもトゥルエノにも害はないと判断されたから、わたくしはあの場に呼ばれたのだわ」
「……ま、それもそうだな」
ベルは大きく体を伸ばすと、背もたれに体を預け天井を眺める。
(お母様たちのことを過保護だとベルはよく言うけれど、ベルも同じくらいわたくしのことを気にかけてくれているわ。関係性上、彼女たちにはそれが当たり前なのでしょうけど)
「ふふふ」
「? どうかしたか?」
ルシアナへと視線を戻したベルに、ルシアナは首を横に振る。
「いいえ。ベルのことを好きだなと思っただけ」
「なんだ突然。私も好きだよ」
訝しげに眉根を寄せながらも好意を返してくれるベルに、ルシアナは笑みを深めると本を抱き締める。
「どのような方でも、自分で決めたのだから添い遂げるつもりよ。けれどもし……もしも、どうしようもないような方で、どうしても耐えられなくなってしまったら、そのときは国へ帰ることなく別の場所へでも行くわ。別の国でも、別の大陸でも」
「ああ、いいな。精霊界でもいいぞ」
「あら、人間は精霊界に行けないのではないの?」
驚きに目を瞬かせれば、ベルは、にっと口角を上げた。
「不可能ではないぞ。まぁ、人間ではなくなるけどね」
「あら、もしかして危ない話を持ち掛けられているのかしら」
はっとして口元に手を当てれば、ベルは愉快そうに笑い声をあげた。
「ま、人間界を見て回るのも楽しそうだ。ルシーが決めた人生なら、いくらでも付き合うよ」
ふっと目を細めて笑うベルの表情は、幼い姿に似つかわしくない、大人びた雰囲気がある。その眼差しが、彼女の本来の姿と重なって見えた。
(今のような幼い子どもの姿をとっているのは「楽だから」、とベルは言っていたけれど、子どものころ、わたくしが寂しがったからよね)
「ん? なんだ?」
じっと見つめていたためか、ベルが不思議そうに首を傾げる。
「いいえ、なんでもないわ」
(これから先の未来が、ベルにとっても幸せなものでないと意味がないわ。わたくしといる間も、わたくしと別れたあとも)
ルシアナは、抱いていた本へ視線を落とす。本から覗くしおりの紐を見て、「そういえば」とベルへ目を向けた。
「ベルたちにも、結婚という概念――番、と言ったかしら。確かそういうものがあるのよね? ベルに好い人はいるの?」
自分の立場もあり、何の気なしに訊いたことだったが、ベルはひどく渋い顔を浮かべた。
10
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる