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第一章
穏やかな時間(一)
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カルロスとの対話後、建物内を見学しては、という提案を受けたが、ルシアナはおとなしく部屋に籠ることにした。窓辺の椅子に座り、本を読んだり、お菓子をつまんだりして過ごしているうちに、気が付けば日が傾き始めていた。
出された紅茶を一口飲み、ルシアナは橙色に輝く窓の外へと目を向ける。
(お母様もお姉様方も、塔から出たらすぐに市井を見に行かれたとおっしゃっていたけれど、わたくしは案外、お姉様方のお話を伺うだけで満足していたのかしら)
「街への興味は変わらずあるのだけれど……」
ルシアナは小さく呟くと、自身の胸に手を当て、深く呼吸をする。
アリアン共和国に入る前にも感じた鼓動。それはふとした瞬間、思い出したように、ルシアナの胸に響いた。
(違う土地へ来て、やっと……結婚ということの現実味を感じているのかしら)
ルシアナは本の間からしおりを抜き取ると、それを眺める。しおりに使われている淡い青紫色の小ぶりの花は、トゥルエノでは見たことのないものだ。
縁談を受け入れるという返答をしたあと、新たな親書と共にシュネーヴェ王国から届いた一通の手紙。それに添えられていた花を、押し花にしてしおりにしてもらった。
(なぜ、シルバキエ公爵はこのお花を添えたのかしら)
手紙はルシアナに宛てられたもので、内容はなんてことない、事務的なものだった。
結婚が決まって喜ばしい。
不安なこともあるだろうが、何でも言って欲しい。
シュネーヴェの冬は寒く厳しいから、暖かくして来て欲しい。
(それから……)
「お会いできるのを、楽しみにしております……」
「なんだ? またあの男からの手紙を読んでたのか?」
「あら、おかえりなさい、ベル」
ルシアナは、視線をしおりから窓へと移動すると、宙に浮き、窓をすり抜けて中に入るベルへ笑いかける。
「ただいま。――ああ、その花を見てたのか」
ルシアナの手元を一瞥したベルは、向かいの席に座り小さく息を吐いた。
「よく見てるね。やっぱり気になる?」
「あら、もちろんよ。これからの人生を共に添い遂げる方だもの」
「ふーん……わかってはいたけど、戻る気はないんだな」
「里帰りという意味でならしたいわ。でも、結婚も何もかもなしにしてトゥルエノに戻るつもりはない。自分で決めたことだもの」
しおりを本に戻しながらそう言えば、ベルは再び「ふーん」と漏らした。
「相手が最低野郎だったらどうするんだ? 暴力、姦通、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存――」
「もう、すっかり人間界に染まりきっちゃって」
ルシアナは軽く頬を膨らますと、しおりが挟まる本を手に取る。
「お母様たちが何も調べていないはずないでしょう? もし少しでもそのような噂があったら、わたくしに尋ねることなくお断りしているわ。そのような話もなく、断っても断らなくても、わたくしにもトゥルエノにも害はないと判断されたから、わたくしはあの場に呼ばれたのだわ」
「……ま、それもそうだな」
ベルは大きく体を伸ばすと、背もたれに体を預け天井を眺める。
(お母様たちのことを過保護だとベルはよく言うけれど、ベルも同じくらいわたくしのことを気にかけてくれているわ。関係性上、彼女たちにはそれが当たり前なのでしょうけど)
「ふふふ」
「? どうかしたか?」
ルシアナへと視線を戻したベルに、ルシアナは首を横に振る。
「いいえ。ベルのことを好きだなと思っただけ」
「なんだ突然。私も好きだよ」
訝しげに眉根を寄せながらも好意を返してくれるベルに、ルシアナは笑みを深めると本を抱き締める。
「どのような方でも、自分で決めたのだから添い遂げるつもりよ。けれどもし……もしも、どうしようもないような方で、どうしても耐えられなくなってしまったら、そのときは国へ帰ることなく別の場所へでも行くわ。別の国でも、別の大陸でも」
「ああ、いいな。精霊界でもいいぞ」
「あら、人間は精霊界に行けないのではないの?」
驚きに目を瞬かせれば、ベルは、にっと口角を上げた。
「不可能ではないぞ。まぁ、人間ではなくなるけどね」
「あら、もしかして危ない話を持ち掛けられているのかしら」
はっとして口元に手を当てれば、ベルは愉快そうに笑い声をあげた。
「ま、人間界を見て回るのも楽しそうだ。ルシーが決めた人生なら、いくらでも付き合うよ」
ふっと目を細めて笑うベルの表情は、幼い姿に似つかわしくない、大人びた雰囲気がある。その眼差しが、彼女の本来の姿と重なって見えた。
(今のような幼い子どもの姿をとっているのは「楽だから」、とベルは言っていたけれど、子どものころ、わたくしが寂しがったからよね)
「ん? なんだ?」
じっと見つめていたためか、ベルが不思議そうに首を傾げる。
「いいえ、なんでもないわ」
(これから先の未来が、ベルにとっても幸せなものでないと意味がないわ。わたくしといる間も、わたくしと別れたあとも)
ルシアナは、抱いていた本へ視線を落とす。本から覗くしおりの紐を見て、「そういえば」とベルへ目を向けた。
「ベルたちにも、結婚という概念――番、と言ったかしら。確かそういうものがあるのよね? ベルに好い人はいるの?」
自分の立場もあり、何の気なしに訊いたことだったが、ベルはひどく渋い顔を浮かべた。
出された紅茶を一口飲み、ルシアナは橙色に輝く窓の外へと目を向ける。
(お母様もお姉様方も、塔から出たらすぐに市井を見に行かれたとおっしゃっていたけれど、わたくしは案外、お姉様方のお話を伺うだけで満足していたのかしら)
「街への興味は変わらずあるのだけれど……」
ルシアナは小さく呟くと、自身の胸に手を当て、深く呼吸をする。
アリアン共和国に入る前にも感じた鼓動。それはふとした瞬間、思い出したように、ルシアナの胸に響いた。
(違う土地へ来て、やっと……結婚ということの現実味を感じているのかしら)
ルシアナは本の間からしおりを抜き取ると、それを眺める。しおりに使われている淡い青紫色の小ぶりの花は、トゥルエノでは見たことのないものだ。
縁談を受け入れるという返答をしたあと、新たな親書と共にシュネーヴェ王国から届いた一通の手紙。それに添えられていた花を、押し花にしてしおりにしてもらった。
(なぜ、シルバキエ公爵はこのお花を添えたのかしら)
手紙はルシアナに宛てられたもので、内容はなんてことない、事務的なものだった。
結婚が決まって喜ばしい。
不安なこともあるだろうが、何でも言って欲しい。
シュネーヴェの冬は寒く厳しいから、暖かくして来て欲しい。
(それから……)
「お会いできるのを、楽しみにしております……」
「なんだ? またあの男からの手紙を読んでたのか?」
「あら、おかえりなさい、ベル」
ルシアナは、視線をしおりから窓へと移動すると、宙に浮き、窓をすり抜けて中に入るベルへ笑いかける。
「ただいま。――ああ、その花を見てたのか」
ルシアナの手元を一瞥したベルは、向かいの席に座り小さく息を吐いた。
「よく見てるね。やっぱり気になる?」
「あら、もちろんよ。これからの人生を共に添い遂げる方だもの」
「ふーん……わかってはいたけど、戻る気はないんだな」
「里帰りという意味でならしたいわ。でも、結婚も何もかもなしにしてトゥルエノに戻るつもりはない。自分で決めたことだもの」
しおりを本に戻しながらそう言えば、ベルは再び「ふーん」と漏らした。
「相手が最低野郎だったらどうするんだ? 暴力、姦通、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存――」
「もう、すっかり人間界に染まりきっちゃって」
ルシアナは軽く頬を膨らますと、しおりが挟まる本を手に取る。
「お母様たちが何も調べていないはずないでしょう? もし少しでもそのような噂があったら、わたくしに尋ねることなくお断りしているわ。そのような話もなく、断っても断らなくても、わたくしにもトゥルエノにも害はないと判断されたから、わたくしはあの場に呼ばれたのだわ」
「……ま、それもそうだな」
ベルは大きく体を伸ばすと、背もたれに体を預け天井を眺める。
(お母様たちのことを過保護だとベルはよく言うけれど、ベルも同じくらいわたくしのことを気にかけてくれているわ。関係性上、彼女たちにはそれが当たり前なのでしょうけど)
「ふふふ」
「? どうかしたか?」
ルシアナへと視線を戻したベルに、ルシアナは首を横に振る。
「いいえ。ベルのことを好きだなと思っただけ」
「なんだ突然。私も好きだよ」
訝しげに眉根を寄せながらも好意を返してくれるベルに、ルシアナは笑みを深めると本を抱き締める。
「どのような方でも、自分で決めたのだから添い遂げるつもりよ。けれどもし……もしも、どうしようもないような方で、どうしても耐えられなくなってしまったら、そのときは国へ帰ることなく別の場所へでも行くわ。別の国でも、別の大陸でも」
「ああ、いいな。精霊界でもいいぞ」
「あら、人間は精霊界に行けないのではないの?」
驚きに目を瞬かせれば、ベルは、にっと口角を上げた。
「不可能ではないぞ。まぁ、人間ではなくなるけどね」
「あら、もしかして危ない話を持ち掛けられているのかしら」
はっとして口元に手を当てれば、ベルは愉快そうに笑い声をあげた。
「ま、人間界を見て回るのも楽しそうだ。ルシーが決めた人生なら、いくらでも付き合うよ」
ふっと目を細めて笑うベルの表情は、幼い姿に似つかわしくない、大人びた雰囲気がある。その眼差しが、彼女の本来の姿と重なって見えた。
(今のような幼い子どもの姿をとっているのは「楽だから」、とベルは言っていたけれど、子どものころ、わたくしが寂しがったからよね)
「ん? なんだ?」
じっと見つめていたためか、ベルが不思議そうに首を傾げる。
「いいえ、なんでもないわ」
(これから先の未来が、ベルにとっても幸せなものでないと意味がないわ。わたくしといる間も、わたくしと別れたあとも)
ルシアナは、抱いていた本へ視線を落とす。本から覗くしおりの紐を見て、「そういえば」とベルへ目を向けた。
「ベルたちにも、結婚という概念――番、と言ったかしら。確かそういうものがあるのよね? ベルに好い人はいるの?」
自分の立場もあり、何の気なしに訊いたことだったが、ベルはひどく渋い顔を浮かべた。
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