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第一章
ルシアナの矜持(二)
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思わず顔を見合わせれば、ベルは肩を竦め、親指で扉を指し示した。
タイミングの良さにくすくすと笑いながら、ルシアナは扉に向かって「はい」と声を掛ける。
「ルマデル伯爵がお越しです」
「お通ししてください」
「かしこまりました」
一拍置いて、「失礼します」という男性の声が聞こえた。
扉を開け姿を見せたのは、黒茶色の髪をオールバックにした若い男性だ。
「お呼び立てしてすみません、お義兄様」
「いえ。王女殿下にお呼びいただけるなら、西へ東へ北へ南へ、いつでも馳せ参じましょう」
「あら、わたくしがお義兄様を独り占めしては、アレックスお姉様が寂しがりますわ」
ルシアナはおかしそうに笑いながら、ベルと共に談話スペースにあるソファに移動する。義兄であるルマデル伯爵カルロス・アバスカルも座るよう、向かいのソファへ手を向ければ、彼は「失礼します」と一礼し、腰を下ろした。
「埋め合わせはきちんとするので問題ありません」
「まあ、ふふふ」
(お母様とお父様の関係も素敵だけれど、お姉様とお義兄様の関係性もとても素敵だわ)
両手を口に当て、楽しそうに笑うルシアナに、カルロスはふっと目を細め、優しい笑みを向けた。
「何かお困りごとでもございましたでしょうか。どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、お義兄様。実は少々お願いがありまして」
「なんでしょうか」
温かな視線を向けるカルロスに、ルシアナはにこりと笑うと、隣に座るベルへと手を向ける。
「ベルが街を観光したいそうなので、誰か二名ほどベルに同行していただきたいのです」
「は?」
「え?」
ベルとカルロスの声が重なる。二人とも驚いたように口を開けルシアナを見ると、窺うようにお互い視線を交えた。
「……?」
(あら……わたくし何かおかしなことを言ったかしら)
黙り込む二人に、ルシアナがわずかに首を傾げれば、カルロスが小さく手を挙げた。
「ええっと……確認ですが、ベル様お一人で出られるのでしょうか」
「はい」
「違うが!?」
肯定したルシアナの言葉を、ベルはすかさず否定する。
「あら……ベルは観光がしたかったのではないの?」
頬に手を当てながら尋ねれば、ベルは勢いよく首を縦に振る。しかし、すぐにぴたりと止まると「違う!」と声を上げた。
「観光がしたくないわけじゃないぞ!? そうじゃなくて、ルシーが街を見て回りたいかと思ったんだ。ルシーにとっては初めての他国だし……そもそも宮殿の敷地内から出ること自体、今回が初めてだろ? トゥルエノでは見て回れなかったけど、時間があるなら少し街っていうものを見せてあげたいと思ったんだ」
ベルの言葉に、カルロスもはっと目を見開くと、顎に手を当て数度頷いた。
「確かにそうか……。塔をお出になられて間もなくシュネーヴェからの話があって、出立までのひと月は準備でお忙しかった……。騎士の叙任式が行われるのも宮殿内ですし……」
カルロスはそこまで言うと、勢いよく頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらが気を配るべきでした」
「あら、あらあら、そんな、頭をお上げください、お義兄様」
ルシアナは両手を横に振ると、口をへの字に曲げるベルにも目を向ける。
「ベルも。ありがとう」
(街が気にならないわけではないわ。お話で聞いた、本で読んだ人々の暮らしというものを、実際に見てみたい。肌で感じてみたい。けれど――)
ルシアナはベルの頭を撫でながら、ベルとカルロスに向け、にこりと笑いかける。
「万が一にも、何かがあってはいけないわ。これは、ただの旅行ではないのだから」
(わたくしに何かがあっても問題だし、わたくしが何かをしてしまっても問題だわ)
今はまだ、結婚どころか、婚約式すら行っていない状態だ。なにがきっかけでこの話が白紙になるか、なにがきっかけでトゥルエノが不利な立場に立たされるかわからない。常日頃から王女然と振る舞うつもりはないが、常に王女という立場であることを意識しなければいけないことは、ルシアナ自身重々承知していた。
(今は特に……トゥルエノの王女として、シュネーヴェへ向かうのだから。問題が起きようもない状況に身を置くべきだわ)
「……いいのか? 本当に」
窺うようなベルに、ルシアナは大きく頷く。
「もちろんよ。その気持ちだけで十分嬉しいわ」
ルシアナはふふっと笑うと「それに」と続ける。
「これからいくらでも街を見る機会はあるわ。楽しみはあとにとっておくものだ、とアレックスお姉様もおっしゃっていたもの」
「……ルシーは先に楽しいことするし、先に好きなものは食べるタイプだろ」
「だからこそ、あとで得る喜びはひとしおだ、とフィリアお姉様がおっしゃっていたわ」
眉を吊り上げ、じっとルシアナを凝視していたベルは、少しして諦めたように息を吐いた。
「ま、ルシーが気にしてないならいいよ」
ベルはソファに座り直すと、カルロスへ視線を向ける。
「悪かったな、アレクサンドラの。呼び出しておいて」
「本当だわ。わざわざお時間を割いていただいたのに……」
「ああ、いえ。それはどうかお気になさらないでください。しかし、本当によろしいんですか?」
「お気遣いありがとうございます。本当にわたくしは大丈夫ですわ」
ルシアナは明るい笑みを浮かべたものの、どこか心配そうにベルへ目を向けた。
「ベルは本当にいいの? わたくしに遠慮せず行っていいのよ?」
ルシアナの言葉に、ベルは肩を竦める。
「本当に観光したかったら実体化解いて行ってる」
「あら、それもそうね」
口元に手を当てころころと笑いながら、ルシアナはカルロスへ視線を戻した。
「お呼び立てしたのにすみません、お義兄様」
「ははっ、私は大丈夫ですよ。むしろ今後のこともあるので、少しでも王女殿下とお言葉を交わすことができてよかったです」
「ああ、ふふ……そうでしたわね。シュネーヴェに着いてからも、どうぞよろしくお願いいたしますわ。カルロス様」
「ええ、こちらこそ。ルシアナ様」
にっこりとお手本のような笑みを浮かべたカルロスに、ルシアナも、気品漂う淑女のお手本のような笑みを返した。
タイミングの良さにくすくすと笑いながら、ルシアナは扉に向かって「はい」と声を掛ける。
「ルマデル伯爵がお越しです」
「お通ししてください」
「かしこまりました」
一拍置いて、「失礼します」という男性の声が聞こえた。
扉を開け姿を見せたのは、黒茶色の髪をオールバックにした若い男性だ。
「お呼び立てしてすみません、お義兄様」
「いえ。王女殿下にお呼びいただけるなら、西へ東へ北へ南へ、いつでも馳せ参じましょう」
「あら、わたくしがお義兄様を独り占めしては、アレックスお姉様が寂しがりますわ」
ルシアナはおかしそうに笑いながら、ベルと共に談話スペースにあるソファに移動する。義兄であるルマデル伯爵カルロス・アバスカルも座るよう、向かいのソファへ手を向ければ、彼は「失礼します」と一礼し、腰を下ろした。
「埋め合わせはきちんとするので問題ありません」
「まあ、ふふふ」
(お母様とお父様の関係も素敵だけれど、お姉様とお義兄様の関係性もとても素敵だわ)
両手を口に当て、楽しそうに笑うルシアナに、カルロスはふっと目を細め、優しい笑みを向けた。
「何かお困りごとでもございましたでしょうか。どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、お義兄様。実は少々お願いがありまして」
「なんでしょうか」
温かな視線を向けるカルロスに、ルシアナはにこりと笑うと、隣に座るベルへと手を向ける。
「ベルが街を観光したいそうなので、誰か二名ほどベルに同行していただきたいのです」
「は?」
「え?」
ベルとカルロスの声が重なる。二人とも驚いたように口を開けルシアナを見ると、窺うようにお互い視線を交えた。
「……?」
(あら……わたくし何かおかしなことを言ったかしら)
黙り込む二人に、ルシアナがわずかに首を傾げれば、カルロスが小さく手を挙げた。
「ええっと……確認ですが、ベル様お一人で出られるのでしょうか」
「はい」
「違うが!?」
肯定したルシアナの言葉を、ベルはすかさず否定する。
「あら……ベルは観光がしたかったのではないの?」
頬に手を当てながら尋ねれば、ベルは勢いよく首を縦に振る。しかし、すぐにぴたりと止まると「違う!」と声を上げた。
「観光がしたくないわけじゃないぞ!? そうじゃなくて、ルシーが街を見て回りたいかと思ったんだ。ルシーにとっては初めての他国だし……そもそも宮殿の敷地内から出ること自体、今回が初めてだろ? トゥルエノでは見て回れなかったけど、時間があるなら少し街っていうものを見せてあげたいと思ったんだ」
ベルの言葉に、カルロスもはっと目を見開くと、顎に手を当て数度頷いた。
「確かにそうか……。塔をお出になられて間もなくシュネーヴェからの話があって、出立までのひと月は準備でお忙しかった……。騎士の叙任式が行われるのも宮殿内ですし……」
カルロスはそこまで言うと、勢いよく頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらが気を配るべきでした」
「あら、あらあら、そんな、頭をお上げください、お義兄様」
ルシアナは両手を横に振ると、口をへの字に曲げるベルにも目を向ける。
「ベルも。ありがとう」
(街が気にならないわけではないわ。お話で聞いた、本で読んだ人々の暮らしというものを、実際に見てみたい。肌で感じてみたい。けれど――)
ルシアナはベルの頭を撫でながら、ベルとカルロスに向け、にこりと笑いかける。
「万が一にも、何かがあってはいけないわ。これは、ただの旅行ではないのだから」
(わたくしに何かがあっても問題だし、わたくしが何かをしてしまっても問題だわ)
今はまだ、結婚どころか、婚約式すら行っていない状態だ。なにがきっかけでこの話が白紙になるか、なにがきっかけでトゥルエノが不利な立場に立たされるかわからない。常日頃から王女然と振る舞うつもりはないが、常に王女という立場であることを意識しなければいけないことは、ルシアナ自身重々承知していた。
(今は特に……トゥルエノの王女として、シュネーヴェへ向かうのだから。問題が起きようもない状況に身を置くべきだわ)
「……いいのか? 本当に」
窺うようなベルに、ルシアナは大きく頷く。
「もちろんよ。その気持ちだけで十分嬉しいわ」
ルシアナはふふっと笑うと「それに」と続ける。
「これからいくらでも街を見る機会はあるわ。楽しみはあとにとっておくものだ、とアレックスお姉様もおっしゃっていたもの」
「……ルシーは先に楽しいことするし、先に好きなものは食べるタイプだろ」
「だからこそ、あとで得る喜びはひとしおだ、とフィリアお姉様がおっしゃっていたわ」
眉を吊り上げ、じっとルシアナを凝視していたベルは、少しして諦めたように息を吐いた。
「ま、ルシーが気にしてないならいいよ」
ベルはソファに座り直すと、カルロスへ視線を向ける。
「悪かったな、アレクサンドラの。呼び出しておいて」
「本当だわ。わざわざお時間を割いていただいたのに……」
「ああ、いえ。それはどうかお気になさらないでください。しかし、本当によろしいんですか?」
「お気遣いありがとうございます。本当にわたくしは大丈夫ですわ」
ルシアナは明るい笑みを浮かべたものの、どこか心配そうにベルへ目を向けた。
「ベルは本当にいいの? わたくしに遠慮せず行っていいのよ?」
ルシアナの言葉に、ベルは肩を竦める。
「本当に観光したかったら実体化解いて行ってる」
「あら、それもそうね」
口元に手を当てころころと笑いながら、ルシアナはカルロスへ視線を戻した。
「お呼び立てしたのにすみません、お義兄様」
「ははっ、私は大丈夫ですよ。むしろ今後のこともあるので、少しでも王女殿下とお言葉を交わすことができてよかったです」
「ああ、ふふ……そうでしたわね。シュネーヴェに着いてからも、どうぞよろしくお願いいたしますわ。カルロス様」
「ええ、こちらこそ。ルシアナ様」
にっこりとお手本のような笑みを浮かべたカルロスに、ルシアナも、気品漂う淑女のお手本のような笑みを返した。
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