10 / 232
第一章
ルシアナの矜持(二)
しおりを挟む
思わず顔を見合わせれば、ベルは肩を竦め、親指で扉を指し示した。
タイミングの良さにくすくすと笑いながら、ルシアナは扉に向かって「はい」と声を掛ける。
「ルマデル伯爵がお越しです」
「お通ししてください」
「かしこまりました」
一拍置いて、「失礼します」という男性の声が聞こえた。
扉を開け姿を見せたのは、黒茶色の髪をオールバックにした若い男性だ。
「お呼び立てしてすみません、お義兄様」
「いえ。王女殿下にお呼びいただけるなら、西へ東へ北へ南へ、いつでも馳せ参じましょう」
「あら、わたくしがお義兄様を独り占めしては、アレックスお姉様が寂しがりますわ」
ルシアナはおかしそうに笑いながら、ベルと共に談話スペースにあるソファに移動する。義兄であるルマデル伯爵カルロス・アバスカルも座るよう、向かいのソファへ手を向ければ、彼は「失礼します」と一礼し、腰を下ろした。
「埋め合わせはきちんとするので問題ありません」
「まあ、ふふふ」
(お母様とお父様の関係も素敵だけれど、お姉様とお義兄様の関係性もとても素敵だわ)
両手を口に当て、楽しそうに笑うルシアナに、カルロスはふっと目を細め、優しい笑みを向けた。
「何かお困りごとでもございましたでしょうか。どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、お義兄様。実は少々お願いがありまして」
「なんでしょうか」
温かな視線を向けるカルロスに、ルシアナはにこりと笑うと、隣に座るベルへと手を向ける。
「ベルが街を観光したいそうなので、誰か二名ほどベルに同行していただきたいのです」
「は?」
「え?」
ベルとカルロスの声が重なる。二人とも驚いたように口を開けルシアナを見ると、窺うようにお互い視線を交えた。
「……?」
(あら……わたくし何かおかしなことを言ったかしら)
黙り込む二人に、ルシアナがわずかに首を傾げれば、カルロスが小さく手を挙げた。
「ええっと……確認ですが、ベル様お一人で出られるのでしょうか」
「はい」
「違うが!?」
肯定したルシアナの言葉を、ベルはすかさず否定する。
「あら……ベルは観光がしたかったのではないの?」
頬に手を当てながら尋ねれば、ベルは勢いよく首を縦に振る。しかし、すぐにぴたりと止まると「違う!」と声を上げた。
「観光がしたくないわけじゃないぞ!? そうじゃなくて、ルシーが街を見て回りたいかと思ったんだ。ルシーにとっては初めての他国だし……そもそも宮殿の敷地内から出ること自体、今回が初めてだろ? トゥルエノでは見て回れなかったけど、時間があるなら少し街っていうものを見せてあげたいと思ったんだ」
ベルの言葉に、カルロスもはっと目を見開くと、顎に手を当て数度頷いた。
「確かにそうか……。塔をお出になられて間もなくシュネーヴェからの話があって、出立までのひと月は準備でお忙しかった……。騎士の叙任式が行われるのも宮殿内ですし……」
カルロスはそこまで言うと、勢いよく頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらが気を配るべきでした」
「あら、あらあら、そんな、頭をお上げください、お義兄様」
ルシアナは両手を横に振ると、口をへの字に曲げるベルにも目を向ける。
「ベルも。ありがとう」
(街が気にならないわけではないわ。お話で聞いた、本で読んだ人々の暮らしというものを、実際に見てみたい。肌で感じてみたい。けれど――)
ルシアナはベルの頭を撫でながら、ベルとカルロスに向け、にこりと笑いかける。
「万が一にも、何かがあってはいけないわ。これは、ただの旅行ではないのだから」
(わたくしに何かがあっても問題だし、わたくしが何かをしてしまっても問題だわ)
今はまだ、結婚どころか、婚約式すら行っていない状態だ。なにがきっかけでこの話が白紙になるか、なにがきっかけでトゥルエノが不利な立場に立たされるかわからない。常日頃から王女然と振る舞うつもりはないが、常に王女という立場であることを意識しなければいけないことは、ルシアナ自身重々承知していた。
(今は特に……トゥルエノの王女として、シュネーヴェへ向かうのだから。問題が起きようもない状況に身を置くべきだわ)
「……いいのか? 本当に」
窺うようなベルに、ルシアナは大きく頷く。
「もちろんよ。その気持ちだけで十分嬉しいわ」
ルシアナはふふっと笑うと「それに」と続ける。
「これからいくらでも街を見る機会はあるわ。楽しみはあとにとっておくものだ、とアレックスお姉様もおっしゃっていたもの」
「……ルシーは先に楽しいことするし、先に好きなものは食べるタイプだろ」
「だからこそ、あとで得る喜びはひとしおだ、とフィリアお姉様がおっしゃっていたわ」
眉を吊り上げ、じっとルシアナを凝視していたベルは、少しして諦めたように息を吐いた。
「ま、ルシーが気にしてないならいいよ」
ベルはソファに座り直すと、カルロスへ視線を向ける。
「悪かったな、アレクサンドラの。呼び出しておいて」
「本当だわ。わざわざお時間を割いていただいたのに……」
「ああ、いえ。それはどうかお気になさらないでください。しかし、本当によろしいんですか?」
「お気遣いありがとうございます。本当にわたくしは大丈夫ですわ」
ルシアナは明るい笑みを浮かべたものの、どこか心配そうにベルへ目を向けた。
「ベルは本当にいいの? わたくしに遠慮せず行っていいのよ?」
ルシアナの言葉に、ベルは肩を竦める。
「本当に観光したかったら実体化解いて行ってる」
「あら、それもそうね」
口元に手を当てころころと笑いながら、ルシアナはカルロスへ視線を戻した。
「お呼び立てしたのにすみません、お義兄様」
「ははっ、私は大丈夫ですよ。むしろ今後のこともあるので、少しでも王女殿下とお言葉を交わすことができてよかったです」
「ああ、ふふ……そうでしたわね。シュネーヴェに着いてからも、どうぞよろしくお願いいたしますわ。カルロス様」
「ええ、こちらこそ。ルシアナ様」
にっこりとお手本のような笑みを浮かべたカルロスに、ルシアナも、気品漂う淑女のお手本のような笑みを返した。
タイミングの良さにくすくすと笑いながら、ルシアナは扉に向かって「はい」と声を掛ける。
「ルマデル伯爵がお越しです」
「お通ししてください」
「かしこまりました」
一拍置いて、「失礼します」という男性の声が聞こえた。
扉を開け姿を見せたのは、黒茶色の髪をオールバックにした若い男性だ。
「お呼び立てしてすみません、お義兄様」
「いえ。王女殿下にお呼びいただけるなら、西へ東へ北へ南へ、いつでも馳せ参じましょう」
「あら、わたくしがお義兄様を独り占めしては、アレックスお姉様が寂しがりますわ」
ルシアナはおかしそうに笑いながら、ベルと共に談話スペースにあるソファに移動する。義兄であるルマデル伯爵カルロス・アバスカルも座るよう、向かいのソファへ手を向ければ、彼は「失礼します」と一礼し、腰を下ろした。
「埋め合わせはきちんとするので問題ありません」
「まあ、ふふふ」
(お母様とお父様の関係も素敵だけれど、お姉様とお義兄様の関係性もとても素敵だわ)
両手を口に当て、楽しそうに笑うルシアナに、カルロスはふっと目を細め、優しい笑みを向けた。
「何かお困りごとでもございましたでしょうか。どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、お義兄様。実は少々お願いがありまして」
「なんでしょうか」
温かな視線を向けるカルロスに、ルシアナはにこりと笑うと、隣に座るベルへと手を向ける。
「ベルが街を観光したいそうなので、誰か二名ほどベルに同行していただきたいのです」
「は?」
「え?」
ベルとカルロスの声が重なる。二人とも驚いたように口を開けルシアナを見ると、窺うようにお互い視線を交えた。
「……?」
(あら……わたくし何かおかしなことを言ったかしら)
黙り込む二人に、ルシアナがわずかに首を傾げれば、カルロスが小さく手を挙げた。
「ええっと……確認ですが、ベル様お一人で出られるのでしょうか」
「はい」
「違うが!?」
肯定したルシアナの言葉を、ベルはすかさず否定する。
「あら……ベルは観光がしたかったのではないの?」
頬に手を当てながら尋ねれば、ベルは勢いよく首を縦に振る。しかし、すぐにぴたりと止まると「違う!」と声を上げた。
「観光がしたくないわけじゃないぞ!? そうじゃなくて、ルシーが街を見て回りたいかと思ったんだ。ルシーにとっては初めての他国だし……そもそも宮殿の敷地内から出ること自体、今回が初めてだろ? トゥルエノでは見て回れなかったけど、時間があるなら少し街っていうものを見せてあげたいと思ったんだ」
ベルの言葉に、カルロスもはっと目を見開くと、顎に手を当て数度頷いた。
「確かにそうか……。塔をお出になられて間もなくシュネーヴェからの話があって、出立までのひと月は準備でお忙しかった……。騎士の叙任式が行われるのも宮殿内ですし……」
カルロスはそこまで言うと、勢いよく頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらが気を配るべきでした」
「あら、あらあら、そんな、頭をお上げください、お義兄様」
ルシアナは両手を横に振ると、口をへの字に曲げるベルにも目を向ける。
「ベルも。ありがとう」
(街が気にならないわけではないわ。お話で聞いた、本で読んだ人々の暮らしというものを、実際に見てみたい。肌で感じてみたい。けれど――)
ルシアナはベルの頭を撫でながら、ベルとカルロスに向け、にこりと笑いかける。
「万が一にも、何かがあってはいけないわ。これは、ただの旅行ではないのだから」
(わたくしに何かがあっても問題だし、わたくしが何かをしてしまっても問題だわ)
今はまだ、結婚どころか、婚約式すら行っていない状態だ。なにがきっかけでこの話が白紙になるか、なにがきっかけでトゥルエノが不利な立場に立たされるかわからない。常日頃から王女然と振る舞うつもりはないが、常に王女という立場であることを意識しなければいけないことは、ルシアナ自身重々承知していた。
(今は特に……トゥルエノの王女として、シュネーヴェへ向かうのだから。問題が起きようもない状況に身を置くべきだわ)
「……いいのか? 本当に」
窺うようなベルに、ルシアナは大きく頷く。
「もちろんよ。その気持ちだけで十分嬉しいわ」
ルシアナはふふっと笑うと「それに」と続ける。
「これからいくらでも街を見る機会はあるわ。楽しみはあとにとっておくものだ、とアレックスお姉様もおっしゃっていたもの」
「……ルシーは先に楽しいことするし、先に好きなものは食べるタイプだろ」
「だからこそ、あとで得る喜びはひとしおだ、とフィリアお姉様がおっしゃっていたわ」
眉を吊り上げ、じっとルシアナを凝視していたベルは、少しして諦めたように息を吐いた。
「ま、ルシーが気にしてないならいいよ」
ベルはソファに座り直すと、カルロスへ視線を向ける。
「悪かったな、アレクサンドラの。呼び出しておいて」
「本当だわ。わざわざお時間を割いていただいたのに……」
「ああ、いえ。それはどうかお気になさらないでください。しかし、本当によろしいんですか?」
「お気遣いありがとうございます。本当にわたくしは大丈夫ですわ」
ルシアナは明るい笑みを浮かべたものの、どこか心配そうにベルへ目を向けた。
「ベルは本当にいいの? わたくしに遠慮せず行っていいのよ?」
ルシアナの言葉に、ベルは肩を竦める。
「本当に観光したかったら実体化解いて行ってる」
「あら、それもそうね」
口元に手を当てころころと笑いながら、ルシアナはカルロスへ視線を戻した。
「お呼び立てしたのにすみません、お義兄様」
「ははっ、私は大丈夫ですよ。むしろ今後のこともあるので、少しでも王女殿下とお言葉を交わすことができてよかったです」
「ああ、ふふ……そうでしたわね。シュネーヴェに着いてからも、どうぞよろしくお願いいたしますわ。カルロス様」
「ええ、こちらこそ。ルシアナ様」
にっこりとお手本のような笑みを浮かべたカルロスに、ルシアナも、気品漂う淑女のお手本のような笑みを返した。
11
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる