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第一章

旅立ち(三)

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 目に涙を溜めたコンラッドは、その巨体でルシアナを潰さないよう、真綿を抱くように優しく抱き締めた。

「……いつかは、と思っておったが、こんなすぐにルシーを手放すことになるとは思わなんだ。もっとたくさん、ルシーに教えたいことがあった。もっともっとたくさん、傍で愛したかった」

 コンラッドは体を離すと、硬く無骨な手でルシアナの頭を撫でる。

「ルシーをとても大切に想い、愛している人間がいることを忘れないでおくれ。だが、向こうでの暮らしが幸せであるのなら、わしらのことは気にせんでくれ。ルシーの幸せを一番に考えるんじゃよ」
「ありがとうございます、お父様。愛情深いお父様の元に生まれただけで、わたくしは十分幸せですわ。お父様がお母様を愛し、傍で支えられたように、わたくしもそのような伴侶でありたいと思っております。お父様はわたくしの目標ですわ」
「ルシー……! ううっ……わしからのプレゼントはトリスのものとセットになっておる……向こうに着いて落ち着いたら、よく観察してみるのじゃ」
「楽しみにしておりますわ、お父様」

 ハンカチで涙を拭きながら鼻を啜るコンラッドを力強く抱き締めると、馬車の前で背筋を伸ばし待っている母・ベアトリスの前へと行く。
 トゥルエノ王家の血筋を表すロイヤルパープルの瞳が、鋭くルシアナを捉える。

「ルシアナよ」

 女王としての威厳か、気品か、ベアトリスが言葉を発するだけで、その場の空気が引き締まる。しかしルシアナはそれを意にも介さず、変わらず緩やかな笑みをベアトリスに向けた。

「はい、お母様」

 そんなルシアナに、ベアトリスの鋭い目が優しげに細められ、彼女は慈しむようにルシアナを抱き寄せた。

「我が末娘。我らが末姫よ。そなたを産んだ日のことはよく覚えておる。姉たちに比べ小さく生まれ、このまま生きられるかわからぬと侍医に言われた。それゆえ、そなたを塔へ送る日を規定より遅らせたが、その結果、出てきたばかりの愛娘を他国へ行かせることとなってしまった」

 ベアトリスは抱き締める腕を緩めると、ルシアナの頬をそっと撫でる。

「そなたが決めたことに否やは唱えぬ。そなたが決めたことなら、その背を押そう。だが、もっとそなたにしてやりたいことがあったのも事実。だからルシアナよ。この母の、そしてトゥルエノの力が必要になったときは、いつでも連絡をしておくれ。向こうでの生活が耐えられねば、いつでも戻ってくるがよい」

 ベアトリスの言葉に、ルシアナは大きく目を見開き、瞬きを数度繰り返すと、ふふっと小さな笑みを漏らした。

「そのようなことをおっしゃってよろしいのですか? わたくしが出戻るということは、シュネーヴェ王国と敵対する可能性が生まれるということですわ」
「構わぬ。もし向こうが剣を向けるなら、この母と父、そして姉たちが相手をしよう。国民に負担をかけるようなことはせぬゆえ、そなたは気にせずこの母の胸に戻ってくるとよい。無論、そうならず、向こうでそなたが幸せに暮らしてくれるのが最もよいがな」

 一国の王ではなく、一人の親として、温かな目を向けてくれるベアトリスに、ルシアナの口は緩やかな弧を描く。

「……大丈夫ですわ、お母様。きっと大丈夫だと、そんな予感がしているのです。だからどうか、安心して送り出してくださいませ」
「……ああ。そなたと、そなたの夫となる者を信じよう」

 ベアトリスはもう一度強くルシアナを抱き締めると、体を離し右手を挙げる。それに合わせ、控えていた騎士たちは馬に、メイドと侍女数名は大型馬車コーチに乗り、ルシアナの乗る馬車の扉も御者により開かれる。
 静かだった宮殿前の広場は騒がしくなり、出立の時が来たことを感じさせた。

「ルシアナ。この髪留めをそなたに贈ろう」

 ベアトリスは、自身の後ろに控えていたメイドから葉の形を模した木製の髪留めを受け取ると、それをルシアナの髪に付ける。

「そなたが良き家庭を築けることを願っておる」
「……はい、ありがとうございます、お母様。お母様の子に生まれたことが、わたくしの誇りですわ」
「ああ。どこにいようと、そなたが我が娘であることは決して変わらぬ」

 ベアトリスが差し出した手に掴まり、ルシアナは馬車に乗り込む。扉が閉められると、姉たちが馬車に近付いた。
 涙を浮かべる人、笑みを向ける人、様々な視線を浴びながら、ルシアナは大きく手を振る。

「みなさま、どうかお元気で」

 動き出した馬車に揺られながら、ルシアナは手を振り続けた。
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