野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第一章

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(すごい……本当に黒いんだ……)

 視線の先にそびえ立つ城を見上げながら、シーラは白い息を吐き出す。
 屋根も壁も黒一色で造られた城は、曇天の影響か、どこかどんよりとした薄気味悪い雰囲気を漂わせていた。

(……ここ、本当に人住んでるんだよね? 門のところに守衛もいないけど、廃城とかじゃないよね? 荒れてる感じはしな――)

「ひぃっ!?」

 黒い鉄柵の門に触れようとした瞬間、鉄扉が自動で開き、思わず情けない声が漏れる。

(び、びっくりしたー……! わたし触ってないよね!? 勝手に開っ……、……開けて、くれたのかな……)

「……わたし、来てよかったんだよね……?」

 小さな呟きは冷たい風とともに、人気のない寒々とした空間に消えていく。
 開いた鉄柵をしばらく見つめていたシーラは、大きく息を吸い込むと、小さなトランクを持ち直した。

(手紙をくれたのはジルだもん! ジルが「妻に」って言ってくれたんだもん!)

 シーラは気合いを入れ直すと、門の中に足を踏み入れた。数歩前へと進めば、門は自動で閉まる。ガチャリ、と鍵が閉まる重厚な音を聞きながら、シーラは辺りを見渡した。
 門から城の入り口までそれなりの距離があるが、その道中を彩る庭園は何とも侘しいものだった。

(冬だから……? ……ううん。敷地内はジルの魔法の影響下にあるから、季節なんて関係なく花を咲かせることはできるはず……なのに花が一輪もない)

 植栽されている花どころか、野花すら見当たらない。丁寧に管理されている庭園であればそれも納得だが、この庭園がそれほど熱心に手入れをされているようには見えなかった。
 庭園を形作る生垣も、等間隔で植えられた樹木も、それなりに切り揃えられてはいる。しかし、それはあくまでも“それなり”で、ところどころ枝は伸び、葉は萎れて見えた。

(遊びに来てくれたときに一緒に花を植えたり、苗や種を渡して、育った花をくれたりしたから、ジルも花が好きだと思ったんだけど……)

『お前を見ると、季節関係なく向日葵を思い出す。向日葵のような鮮やかな黄色い髪に、新芽のような若草色の瞳。それに溌溂とした明るい笑みが、太陽に向かって花開く向日葵みたいだろう?』

 そう笑って、いつも向日葵と季節の花をプレゼントしてくれた。
 花はすべて自分で育てているのか聞いたとき、彼は答えてくれなかった。けれど、「いつか領地の城に遊びに来ればいい」とも言っていた。だから彼の城の庭園には花が咲き誇っているのだろう、と思ったが、どうやらそれは思い違いだったようだ。

(――ううん! もしかしたら忙しくて庭園に使う分の魔力がなかったのかもしれないし、庭師の方がお休みをいただいているのかも! それに、やっぱり冬だからって庭園を放置してる可能性も否めないものね!)

 誰にするでもない言い訳を心の中で並べ立てながら、シーラは城に向かってどんどん進んで行く。一歩進むごとに、トランクの持ち手を掴む手には力が入っていった。

(大丈夫! ジルはジルだもん! これは、会うのが久しぶりだから、ちょっと緊張してるだけ……!)

 手袋の中でじわじわと汗ばんでいくものを感じながら、シーラは前だけを見つめる。
 徐々に近付く城を視界に収めつつ、約半年前のことを思い出していた。



 およそ半年前、シーラの長年の片想いの相手である彼――東部公爵家当主、ジルヴィウス・ヴァルテル・バウスコールから求婚の手紙が届いた。
 それには、シーラを妻に望む旨と、応えるつもりがあるのならシーラの十八歳の誕生日当日に単身東部公爵領に来るように、ということが書かれていた。

 他にも、必要なものはジルヴィウス側で用意するため、荷物は必要最低限で構わないこと。側仕えもジルヴィウス側で用意するため、他者の同行は認めないこと。受ける場合も断る場合も連絡は一切不要なこと。持参金も不要なこと。一秒でも日をまたげばこの話は無効とすることなど、一方的な言葉がそこには連ねられていた。
 これに兄のヨエルは渋い顔を浮かべ、ジルヴィウスらしくない文言にシーラも戸惑った。しかしそれ以上に、妻に、と望まれたことが嬉しくて、気が付けば「絶対に行く!」と声を上げていた。

『お前の誕生日まで約半年……これはジルヴィウスなりに考える時間を与えてくれたんじゃないか? そんなに急いで決めなくても――』
『今でも明日でも半年後でも答えは変わらないよ! お兄様が反対したって、わたしはジルのところに行くから!』

 そう息巻くシーラに、ヨエルは複雑な表情を浮かべたものの、「お前がいいなら構わない」と許しを与えてくれた。
 それからシーラは、人々の噂にならないよう、こっそり身の回りの整理をしながら約半年を過ごした。
 公爵家に嫁ぐというのにのんびりと過ごせたのは、これまで培ってきたものがあったからだ。
 公爵夫人に必要な教養や礼節は、すでに身に付いている。

 それに、シーラの住んでいたノルティーン辺境伯領は王国の南東、地域としては東部に位置しているため、北部公爵家の公子と婚約していたときのように、その地域にまつわる風習や、その地域に住む貴族や封臣などを新たに覚える必要もなかった。
 兄の結婚式を見届け、これまでのことを復習しながら、シーラは来たるべき日を待った。



(そうよ、わたしは待ってたの……! だから、別に不安なんて――)

「ひぁあっ」

 ガサガサッと枝葉が揺れる音に、大袈裟なくらい肩が跳ねた。ドキドキと脈打つ胸元に手を当てながら、シーラは音のしたほうへ顔を向ける。
 それなりに整えられた樹木の頂から、鋭い眼光がこちらを見つめていた。

(びっ、くりしたぁ……! なに……大きい、鳥……? ……鷲、かな……? 東部公爵家の敷地内だし……)

 遥か昔、シームルグという、犬の頭と鷲の体、獅子の爪に孔雀の尾を持つ霊鳥を、東部公爵家の祖となる人物が助けた。それに感謝したシームルグが、友愛の証として、自身の眷属である鷲を東部公爵家に与えたそうだ。それ以来、東部公爵家は代々鷲を使い魔にしており、東部公爵家の紋章にも鷲が使われるようになった。

(鉄柵にあった意匠も鷲だよね。エントランスポーチのレリーフも、たぶんそう)

 目前に迫った城を見つめ、エントランスポーチの屋根に彫られたレリーフを見る。
 造形物であってもその瞳は鋭く、どことなく初めて会ったときのジルヴィウスを思い起こさせた。

「……」

 ジルヴィウスに最後に会ったのは、約八年前だ。
 彼と疎遠になっていた間、彼がどのように過ごしていたのか、ほとんど知らない。
 聞くに堪えない噂が本当だとしたら、シーラの記憶にある彼とはまるで違う人物がこの先に待っている可能性もある。
 彼はもう、シーラの知っている、以前の彼ではないかも知れない。
 その可能性を、この半年の間考えなかったわけではない。
 何度も、何度も何度も考えた結果、それでも構わないと、シーラはこの日を迎えたのだ。

(――うん。大丈夫)

 シーラはゆっくり深呼吸をすると、ポーチの中に足を踏み入れた。
 数段の階段を上がり扉の前まで行くと、ドアノッカーに手を伸ばす。ドアノッカーも鷲を模しており、公爵城は鷲尽くしなのだな、と思わず微笑が漏れた。と、ほぼ同時にドアがゆっくりと開き、シーラは咄嗟に手を引っ込める。
 爆音で脈打つ心臓をなんとか落ち着かせながら、シーラは小さく喉を鳴らした。
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