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人類の努力の放棄
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○日本国憲法
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
●自民党日本国憲法改正草案
〔削除〕
寛はツキミに会いに行くことにした。
時刻はおそらく日付が変わる頃合いだった。
急ぎ足で歩く。
近道をしようとして、土手を駆け下りて派手に転んだ。しかし、すかさず立ち上がる。
途中でインドカレー屋の前を通ると、インド人の店主と思しき人が余ったナンの入った袋をホームレスと思しき人に渡しているのを見かけた。
きっと、こういうことなんじゃないかと思った。
『個人』が社会を良くしていくのに出来ることは、こういうことなんじゃないか。優しいってこういうことなんじゃないか。
早くツキミに会いたいと、ますます思った。
老人と話していく内に、ツキミが取り込まれるわけがないと思った。ツキミは何よりも自由を愛する個性を持っている。
だから、彼女は嘘をついている。きっと、そうだろう。
もしも違っても、一度死に損なっているから何も怖いことはない。
ツキミなんて言うだろう。俺が自殺未遂したということを伝えたら。
きっと怒るだろう。または泣くかな。
どっちでもいい。とにかく会いたい。そして出来ればあのニマニマ笑いをまた向けて欲しい。最後に見たのが背中なんて真っ平だ。
拒絶されてもいい。それでも会ってもう一度話がしたかった。
ツキミは死んでいた。
自殺薬を飲んで。
だから、すぐに自殺衛生管理者が死体を引き取りに来ていて、遺体にも会えなかった。
おじさんが泣きながら、寛に謝った。寛は茫然自失となって、現実感のないまま立ち尽くしていた。
おじさんは、ツキミは遺書で、おばさんと寛に謝っていたことを告げた。
乱雑な字で、何度も大きく、大きく。まるで狂ったように。
寛は高校を卒業して、徴兵召集を受けた。進学すれば、当面は免除されたが、もうどうでも良かった。思考がもうずっと麻痺していた。
召集前におじさんがツキミの日記をくれた。自分は娘を徴兵に出したくなかったから結婚させようとしたんだ。新家族法により免除されるからと言い訳も言っていた。
なんとなく手に持って、開けたのは最後のページ。裏表紙の中側に所信表明なのかポエムなのかよくわからないが走り書きが書いてあった。
「二人きりの愛、二人きりの社会、ここでは金の魔力も及ばない。相対化する必要がない。ただその人を見ればよいのだから。数値化する必要だって無い。金は魔物というのはあらゆるものを相対化、数値化してしまうからだ。愛だって買えてしまう。社会、集団の中にあってはそれを免れない。もしもそれが世界中を覆ってしまっても、二人の愛だけが、それに勝ち得る。強く優しく生きるために必要なこと。バブル期にあって、恋愛至上主義が流行ったのはそういうことではなかったか。繰り返し歌われるラブソングはそういうことが理解っていたからではなかったか。
それでも本当に大切なものが、下らなく思えることがある。そんな朝がある。そんな時にはどうしたら良いだろう。
無くしたくなのに、捨ててしまいたくないのに。自分には価値のあるもののはずなのに。
自分にだけは価値があるもの。それが本当に大切なもののはずなのに。世の中から見たら、何の価値もないものだって、言われている気がして、その声に負けてしまうんだ。頭の中で響いているだけかもしれないけれど。
隣にいてほしいんだ。そばにいて、笑っていてほしい。大丈夫だよって言ってほしい。
くだらなくなんか無いよって、言ってほしい。まだ弱っちいから。君にだけは理解っていてほしい。
強く、優しく、生きるのが、大切なこと。まっすぐに向き合うこと。その事自体が大切なこと。
だけど、まだ強くも、優しくもないから、自信がないから、グラグラしちゃうんだ。だから、君にそばに居てほしい。甘えかもしれないけれど、人間って不完全なものだねって優しく笑い合いたい。
君に私の容れ物になってほしいのかも。わたしはあなたの容れ物になるから。お互いに、お互いの心を半分ずつ容れよう。そうしたら、みんなにも、強く優しく生きられる気がしたんだ。
本当には、君は君だけの容れ物を作らなきゃいけない。わたしはわたしだけの容れ物を作らなきゃいけない。それは理解ってる。だけど、何が大切なことなのか理解らなくなった時、君にそばにいてほしい。
そばにいるって、きっと世界で一番優しい言葉だね。君の隣でマジックアワーをまた見たい。そうしたら、いろいろな大切なものを感じられる気がするんだ。ありがとう。そばにいてくれて。愛してる」
寛は笑ってしまった。アイツこんなこと思ってたのか。
そして、顔がくしゃくしゃになるくらいに涙が溢れてきた。
寛はもう死ぬ気にはなれなかった。
ツキミは寛の自殺薬を飲んで死んだ。せめて、寛に優しく殺して欲しかったのか。そんな幻影を見るほど追い詰められていたのか。
自分と同じで、二人で生きられないなら生きる意味がない。そう思ったのだろうか。この社会下にあって、二人の間の愛しか拠り所はなかったのだ。それが失われたら醜悪なものの一部となるか。石脇さんのように外になんとか脱出することも出来ない。社会全体を覆っているのだから。それとも、老人のように一人孤独に物と対話し生きるか。
しかし、二人きりで生きる道はなかったのか。
寛は二人で駆け落ちした姿を夢想した。
新家族法により、すぐに警察の追っ手がかかり、捕まる姿が想像できた。政府はインフラ整備はケチるくせに統治設備はそこら中に設置していた。
セーブニッポンを使わなければ、どこかに居住したり、働くことも、買い物することすら出来なかった。国外にも出国出来ない。スマホを起動するのにはセーブニッポンのアカウント登録が必須であり、スマホを使うということは常に統治機構に居場所を知られるということだった。セーブニッポンとは日本の支配層を救っても、国民を救うためのものではなかった。
そうなると、俺に迷惑がかかるだとか考えたのだろうか。寛は悲しくなった。
迷惑をかけて欲しかった。他人に迷惑をかけないことが自由なんかじゃないってことくらいツキミなら理解っていたはずだろう。
寛はツキミの自殺薬の入ったケースを握りしめた。無機質で、固くて、角が痛くて、何の生々しさも感じられなかった。
何もかもが遅すぎたのだ。罪深さを知ることも、話し合おうとすることも。
自由、平等、公平、愛、それら社会正義は善なるものだ。それらが公共のものとして、大衆に守られて、議論されている限り、力を失わないだろう。
しかし、支配層のための国家権力のように醜悪なるものは簡単にそれらを汚してしまう。積極的に汚して、排撃しようとする。これは彼らの利益にとってそれが邪魔だからだ。
階級的な物事を雄々しいと尊び、公共的な物事を女々しいと蔑む。男尊女卑傾向の強まりは、醜悪なるものの自己正当化に過ぎない。つまるところ、彼らは積極的に人を傷つけてでも自分の利するところを求めたいと言っているのである。人々は一旦立ち止まり、人間としてどうか?という視点を真剣に考えるべきだったろう。
強い事が正しいという事だ、と頭の中で声が自動的に木霊する。しかし、お前の言う強さは醜悪だ。
いくら構造に自覚的でいようが、すでに一個の大きな支配的なものの内に取り込まれてしまった個人には、階級社会の中で抗うことはとても困難だ。それは詰んだも同然で、せいぜいが外からの強烈な破壊を待つか、自滅を待つくらいしか出来ない。ましてや、これほどテクノロジーの発達が進んだ社会では、彼我の武力の差はとても覆せるものではない。大衆が群れの力で革命できる時代は物理的には終わっていたのだ。だから、それが効果を持ち得る社会を堅持しなければならなかった。
だから、壊してはならない枠というのがあった。解いてはならない鎖というのがあった。戻れない道というのが確実にあったのだ。
人間は一人では弱い。だから、まっすぐに手を繋げる内に繋いでおく必要があった。そうすれば、社会に正しさが宿り、幸福に満ちやすくなっただろう。それが今では足枷をつけられ、逆に鎖で繋がれた存在に成り果てた。
大切にしなければいけなかった。しかし、もはや取り戻せるものではない。
そして、それは当時子供だった自分たちにはどうすることも出来ないものだった。自分たちは一体どのような罪でこんな無力な存在になってしまったというのか。奴隷の子は奴隷となってしまった日があったのだ。
寛は先人を恨んだ。大衆的反知性主義を。罪深さに気づいているだろうか。未だに目を瞑っているのか。
いくら立派なお題目があっても、ちゃんとまっすぐに目を見て話して、知って、考えてということを個人がしなければ、立憲主義や民主主義という制度があっても意味がない。中身が伴わなければ、これらを基にした自浄作用は機能しない。
いや、自浄作用は機能したのだ。ただし、秩序という空っぽの社会正義を基にして。
それは一体、誰のための幸福なのか?
ツキミは蕾のまま死んでしまった。
この社会では公平も平等も死んでしまった。
寛はこれから徴兵される。訓練が終われば、集団的自衛権の行使により、中東まで見も知らない相手を殺すお手伝いに参加することになるかもしれない。
憲法九条に軍が明記されれば、では軍とは何か?という議論が始まり、恣意的な定義がなされることは少し頭を働かせれば理解っただろうに。それとも、自分は行かないだろうから、どうでも良いという考えだったのだろうか。違う。自分が変えなきゃいけなかったはずだ。自分はうまくやってるから、それで良いんだなんていうのは間違いだ。その積み重ねが今の醜悪な社会だろう。
せめて、仕方がないなんて言わずに、より良い社会を願って欲しかった。訳知り顔で世界中にはもっと辛い人たちが居るんだ、自分たちの社会はマシな方だという言い訳の材料を提供するためにジャーナリストが存在していたはずがないだろう。
理想を足蹴にすれば、自分を正当化出来るかもしれない。だが、その誘惑に負けないで欲しかった。ただ願うだけでも構わない。それが社会を良くする始まりだろう。そこから数多の選択肢が産まれていく。願いには無限の可能性が含まれている。
少数の実行者が居ることよりも、多数の人に想いが共有されていることこそが社会理念や社会正義にとっては重要だ。だから、平和を願い、理想を語る者に対して「で、お前は平和のために何やってるの?」などと言うのは慎むべきだ。そういった人々は何故か実行者以外には公共の財産を論じる資格も、想う資格もないと考えがちだ。しかし、それは間違っている。それは他者の主体性を摘み取る行為だ。『公共』はすべての人が論じ、想う資格を持っている。むしろ、そうでなければならない。そうすることで少数の実行者の正当な後ろ盾となるのだから。それは政治に対しても同じことだったろう。でなければ、この国には真の民主主義は永遠に産まれ得ない。
手元には自殺薬がある。支給された偽物の自由。ずいぶん死が身近になった。幸福を諦めた時、自殺薬は何よりも優しく微笑む。しかし、それは恣意的な正義だ。支配層からしたら、生産に寄与しない国民はコストでしかないと断じているのだ。それは酷薄で醜悪なソリューションだ。だが、そのおぞましさに多くの人々は気づいているだろうか?まさか、自分だけは特別だなんてこの期に及んで思っているのだろうか?
偽りの安心、偽りの器を与えられた国民が、最も大切だったはずの中身を一様な形に整えられて出荷されていく。
牛のように生まれたときから番号をつけられ管理される。発言権を奪われ、生産性という指標で等級を区分けされたもの。独自の精神の器すら必要としない、完全なるエコノミックアニマル。
一様な自殺薬のケースを渡されて、本当は独自の形をしていたはずの生命が一様に押し込められている。
ツキミはずっと苦しんでいたはずだ。なぜ、自分は気づけず、もっとそばに居てやれなかったのか。約束したはずだ。なぜ、自分はこんなにも愚かなのか。見たいものしか見なかった。多くのことに無自覚だった。これが自らの大きな罪だ。この罪を贖うことは、もはや出来るわけもない。
ツキミは死んだ。それはフィクションではない。目の前にそびえ立つ現実だ。彼女のために出来ることなど、もう何も無い。
寛は自殺薬のケースを両手で握りしめた。それはまるで祈るかのような格好だった。中に入っている、ツキミの生命を想った。それは寛にとって唯一残された絶対の欠片だった。
寛は自分自身を憎んだ。そして、この社会を憎んだ。強く、強く憎んだ。忘れないように。なんとか手放さないでいられるように。もう、それしか出来ることはなかった。
『個人』でいられるよう、強く、優しく生きること。それが大切なことの始まりなのだということはもう理解っている。そして、それを手放さないでいられるような粘り強さが必要なのだということも理解っている。闘わなければいけないことも理解っている。
けど、理解っているだけだ。もう、手を繋いで、大切なことを感じることは出来ない。
一人、取り残された子供に何が出来ただろう?
祈りとは、願いとは真逆の行為だ。あらゆる可能性が閉じられている。
いつの間にか魔法の時間は終わり、真っ暗な暗闇が空一面を支配していた。
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
●自民党日本国憲法改正草案
〔削除〕
寛はツキミに会いに行くことにした。
時刻はおそらく日付が変わる頃合いだった。
急ぎ足で歩く。
近道をしようとして、土手を駆け下りて派手に転んだ。しかし、すかさず立ち上がる。
途中でインドカレー屋の前を通ると、インド人の店主と思しき人が余ったナンの入った袋をホームレスと思しき人に渡しているのを見かけた。
きっと、こういうことなんじゃないかと思った。
『個人』が社会を良くしていくのに出来ることは、こういうことなんじゃないか。優しいってこういうことなんじゃないか。
早くツキミに会いたいと、ますます思った。
老人と話していく内に、ツキミが取り込まれるわけがないと思った。ツキミは何よりも自由を愛する個性を持っている。
だから、彼女は嘘をついている。きっと、そうだろう。
もしも違っても、一度死に損なっているから何も怖いことはない。
ツキミなんて言うだろう。俺が自殺未遂したということを伝えたら。
きっと怒るだろう。または泣くかな。
どっちでもいい。とにかく会いたい。そして出来ればあのニマニマ笑いをまた向けて欲しい。最後に見たのが背中なんて真っ平だ。
拒絶されてもいい。それでも会ってもう一度話がしたかった。
ツキミは死んでいた。
自殺薬を飲んで。
だから、すぐに自殺衛生管理者が死体を引き取りに来ていて、遺体にも会えなかった。
おじさんが泣きながら、寛に謝った。寛は茫然自失となって、現実感のないまま立ち尽くしていた。
おじさんは、ツキミは遺書で、おばさんと寛に謝っていたことを告げた。
乱雑な字で、何度も大きく、大きく。まるで狂ったように。
寛は高校を卒業して、徴兵召集を受けた。進学すれば、当面は免除されたが、もうどうでも良かった。思考がもうずっと麻痺していた。
召集前におじさんがツキミの日記をくれた。自分は娘を徴兵に出したくなかったから結婚させようとしたんだ。新家族法により免除されるからと言い訳も言っていた。
なんとなく手に持って、開けたのは最後のページ。裏表紙の中側に所信表明なのかポエムなのかよくわからないが走り書きが書いてあった。
「二人きりの愛、二人きりの社会、ここでは金の魔力も及ばない。相対化する必要がない。ただその人を見ればよいのだから。数値化する必要だって無い。金は魔物というのはあらゆるものを相対化、数値化してしまうからだ。愛だって買えてしまう。社会、集団の中にあってはそれを免れない。もしもそれが世界中を覆ってしまっても、二人の愛だけが、それに勝ち得る。強く優しく生きるために必要なこと。バブル期にあって、恋愛至上主義が流行ったのはそういうことではなかったか。繰り返し歌われるラブソングはそういうことが理解っていたからではなかったか。
それでも本当に大切なものが、下らなく思えることがある。そんな朝がある。そんな時にはどうしたら良いだろう。
無くしたくなのに、捨ててしまいたくないのに。自分には価値のあるもののはずなのに。
自分にだけは価値があるもの。それが本当に大切なもののはずなのに。世の中から見たら、何の価値もないものだって、言われている気がして、その声に負けてしまうんだ。頭の中で響いているだけかもしれないけれど。
隣にいてほしいんだ。そばにいて、笑っていてほしい。大丈夫だよって言ってほしい。
くだらなくなんか無いよって、言ってほしい。まだ弱っちいから。君にだけは理解っていてほしい。
強く、優しく、生きるのが、大切なこと。まっすぐに向き合うこと。その事自体が大切なこと。
だけど、まだ強くも、優しくもないから、自信がないから、グラグラしちゃうんだ。だから、君にそばに居てほしい。甘えかもしれないけれど、人間って不完全なものだねって優しく笑い合いたい。
君に私の容れ物になってほしいのかも。わたしはあなたの容れ物になるから。お互いに、お互いの心を半分ずつ容れよう。そうしたら、みんなにも、強く優しく生きられる気がしたんだ。
本当には、君は君だけの容れ物を作らなきゃいけない。わたしはわたしだけの容れ物を作らなきゃいけない。それは理解ってる。だけど、何が大切なことなのか理解らなくなった時、君にそばにいてほしい。
そばにいるって、きっと世界で一番優しい言葉だね。君の隣でマジックアワーをまた見たい。そうしたら、いろいろな大切なものを感じられる気がするんだ。ありがとう。そばにいてくれて。愛してる」
寛は笑ってしまった。アイツこんなこと思ってたのか。
そして、顔がくしゃくしゃになるくらいに涙が溢れてきた。
寛はもう死ぬ気にはなれなかった。
ツキミは寛の自殺薬を飲んで死んだ。せめて、寛に優しく殺して欲しかったのか。そんな幻影を見るほど追い詰められていたのか。
自分と同じで、二人で生きられないなら生きる意味がない。そう思ったのだろうか。この社会下にあって、二人の間の愛しか拠り所はなかったのだ。それが失われたら醜悪なものの一部となるか。石脇さんのように外になんとか脱出することも出来ない。社会全体を覆っているのだから。それとも、老人のように一人孤独に物と対話し生きるか。
しかし、二人きりで生きる道はなかったのか。
寛は二人で駆け落ちした姿を夢想した。
新家族法により、すぐに警察の追っ手がかかり、捕まる姿が想像できた。政府はインフラ整備はケチるくせに統治設備はそこら中に設置していた。
セーブニッポンを使わなければ、どこかに居住したり、働くことも、買い物することすら出来なかった。国外にも出国出来ない。スマホを起動するのにはセーブニッポンのアカウント登録が必須であり、スマホを使うということは常に統治機構に居場所を知られるということだった。セーブニッポンとは日本の支配層を救っても、国民を救うためのものではなかった。
そうなると、俺に迷惑がかかるだとか考えたのだろうか。寛は悲しくなった。
迷惑をかけて欲しかった。他人に迷惑をかけないことが自由なんかじゃないってことくらいツキミなら理解っていたはずだろう。
寛はツキミの自殺薬の入ったケースを握りしめた。無機質で、固くて、角が痛くて、何の生々しさも感じられなかった。
何もかもが遅すぎたのだ。罪深さを知ることも、話し合おうとすることも。
自由、平等、公平、愛、それら社会正義は善なるものだ。それらが公共のものとして、大衆に守られて、議論されている限り、力を失わないだろう。
しかし、支配層のための国家権力のように醜悪なるものは簡単にそれらを汚してしまう。積極的に汚して、排撃しようとする。これは彼らの利益にとってそれが邪魔だからだ。
階級的な物事を雄々しいと尊び、公共的な物事を女々しいと蔑む。男尊女卑傾向の強まりは、醜悪なるものの自己正当化に過ぎない。つまるところ、彼らは積極的に人を傷つけてでも自分の利するところを求めたいと言っているのである。人々は一旦立ち止まり、人間としてどうか?という視点を真剣に考えるべきだったろう。
強い事が正しいという事だ、と頭の中で声が自動的に木霊する。しかし、お前の言う強さは醜悪だ。
いくら構造に自覚的でいようが、すでに一個の大きな支配的なものの内に取り込まれてしまった個人には、階級社会の中で抗うことはとても困難だ。それは詰んだも同然で、せいぜいが外からの強烈な破壊を待つか、自滅を待つくらいしか出来ない。ましてや、これほどテクノロジーの発達が進んだ社会では、彼我の武力の差はとても覆せるものではない。大衆が群れの力で革命できる時代は物理的には終わっていたのだ。だから、それが効果を持ち得る社会を堅持しなければならなかった。
だから、壊してはならない枠というのがあった。解いてはならない鎖というのがあった。戻れない道というのが確実にあったのだ。
人間は一人では弱い。だから、まっすぐに手を繋げる内に繋いでおく必要があった。そうすれば、社会に正しさが宿り、幸福に満ちやすくなっただろう。それが今では足枷をつけられ、逆に鎖で繋がれた存在に成り果てた。
大切にしなければいけなかった。しかし、もはや取り戻せるものではない。
そして、それは当時子供だった自分たちにはどうすることも出来ないものだった。自分たちは一体どのような罪でこんな無力な存在になってしまったというのか。奴隷の子は奴隷となってしまった日があったのだ。
寛は先人を恨んだ。大衆的反知性主義を。罪深さに気づいているだろうか。未だに目を瞑っているのか。
いくら立派なお題目があっても、ちゃんとまっすぐに目を見て話して、知って、考えてということを個人がしなければ、立憲主義や民主主義という制度があっても意味がない。中身が伴わなければ、これらを基にした自浄作用は機能しない。
いや、自浄作用は機能したのだ。ただし、秩序という空っぽの社会正義を基にして。
それは一体、誰のための幸福なのか?
ツキミは蕾のまま死んでしまった。
この社会では公平も平等も死んでしまった。
寛はこれから徴兵される。訓練が終われば、集団的自衛権の行使により、中東まで見も知らない相手を殺すお手伝いに参加することになるかもしれない。
憲法九条に軍が明記されれば、では軍とは何か?という議論が始まり、恣意的な定義がなされることは少し頭を働かせれば理解っただろうに。それとも、自分は行かないだろうから、どうでも良いという考えだったのだろうか。違う。自分が変えなきゃいけなかったはずだ。自分はうまくやってるから、それで良いんだなんていうのは間違いだ。その積み重ねが今の醜悪な社会だろう。
せめて、仕方がないなんて言わずに、より良い社会を願って欲しかった。訳知り顔で世界中にはもっと辛い人たちが居るんだ、自分たちの社会はマシな方だという言い訳の材料を提供するためにジャーナリストが存在していたはずがないだろう。
理想を足蹴にすれば、自分を正当化出来るかもしれない。だが、その誘惑に負けないで欲しかった。ただ願うだけでも構わない。それが社会を良くする始まりだろう。そこから数多の選択肢が産まれていく。願いには無限の可能性が含まれている。
少数の実行者が居ることよりも、多数の人に想いが共有されていることこそが社会理念や社会正義にとっては重要だ。だから、平和を願い、理想を語る者に対して「で、お前は平和のために何やってるの?」などと言うのは慎むべきだ。そういった人々は何故か実行者以外には公共の財産を論じる資格も、想う資格もないと考えがちだ。しかし、それは間違っている。それは他者の主体性を摘み取る行為だ。『公共』はすべての人が論じ、想う資格を持っている。むしろ、そうでなければならない。そうすることで少数の実行者の正当な後ろ盾となるのだから。それは政治に対しても同じことだったろう。でなければ、この国には真の民主主義は永遠に産まれ得ない。
手元には自殺薬がある。支給された偽物の自由。ずいぶん死が身近になった。幸福を諦めた時、自殺薬は何よりも優しく微笑む。しかし、それは恣意的な正義だ。支配層からしたら、生産に寄与しない国民はコストでしかないと断じているのだ。それは酷薄で醜悪なソリューションだ。だが、そのおぞましさに多くの人々は気づいているだろうか?まさか、自分だけは特別だなんてこの期に及んで思っているのだろうか?
偽りの安心、偽りの器を与えられた国民が、最も大切だったはずの中身を一様な形に整えられて出荷されていく。
牛のように生まれたときから番号をつけられ管理される。発言権を奪われ、生産性という指標で等級を区分けされたもの。独自の精神の器すら必要としない、完全なるエコノミックアニマル。
一様な自殺薬のケースを渡されて、本当は独自の形をしていたはずの生命が一様に押し込められている。
ツキミはずっと苦しんでいたはずだ。なぜ、自分は気づけず、もっとそばに居てやれなかったのか。約束したはずだ。なぜ、自分はこんなにも愚かなのか。見たいものしか見なかった。多くのことに無自覚だった。これが自らの大きな罪だ。この罪を贖うことは、もはや出来るわけもない。
ツキミは死んだ。それはフィクションではない。目の前にそびえ立つ現実だ。彼女のために出来ることなど、もう何も無い。
寛は自殺薬のケースを両手で握りしめた。それはまるで祈るかのような格好だった。中に入っている、ツキミの生命を想った。それは寛にとって唯一残された絶対の欠片だった。
寛は自分自身を憎んだ。そして、この社会を憎んだ。強く、強く憎んだ。忘れないように。なんとか手放さないでいられるように。もう、それしか出来ることはなかった。
『個人』でいられるよう、強く、優しく生きること。それが大切なことの始まりなのだということはもう理解っている。そして、それを手放さないでいられるような粘り強さが必要なのだということも理解っている。闘わなければいけないことも理解っている。
けど、理解っているだけだ。もう、手を繋いで、大切なことを感じることは出来ない。
一人、取り残された子供に何が出来ただろう?
祈りとは、願いとは真逆の行為だ。あらゆる可能性が閉じられている。
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