憲法改正と自殺薬

会川 明

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対等なる個人-5

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 これは偽善だろうか?偽善でも良い。露悪的になっても、それは真実でもなければ、現実でもない。支配層のための正当化の論理に過ぎない。



 お互いを縛り合うためだけの、秩序のための中身のないマナーや、酷薄で消費的な優越心を満たすためだけの物差しももう要らない。



 ただ誠実に、まっすぐに向き合って、お互いを大切にしたい。幸福や自由や平等や公平や愛が社会にとっても、大切なものなんだって、真面目に話したい。



 そんな社会を作ることは難しいことだろうか。すぐそこに『幸福』はあるかもしれないのに、いつまでも上から生産性で区切られているほうが、楽だから良いというのだろうか。でも、それは『幸福』から遠のき、『不幸』へと至る道だ。



 もう自分が不幸だってことも理解らなくなっているのかもしれない。何が幸福なのかを知らないから。



 誰それよりマシだって、安心できることが幸福だって教えられてしまったのかもしれない。なんて『貧相な幸福』だろうか。



 『個人』と『公共』は互いに栄養を交換し合い、成長していく関係にあるのだろう。多くの人々にとってより良い社会とは、幸福に基づいてこの二つが自覚的に支え合っているのではないか。



 『個人』とは、個でありながら、個であるが故に、自分だけでは幸福は成立し得ないことを知っている人のことだ。



 『個人』が他者の幸福を願う時、そこには愛が産まれている。それは一方的な関係ではない。直接返ってくるものではないかもしれないが、連環的な関係だ。その先にあるのが『公共』だ。



 だから、檻に囚われた『貧相な個人主義』ではなく、お互いに手を伸ばし合える『豊かな個人主義』を作らねばならない。



 そのための絶対必要条件はお互いが対等であるという自覚の元に行われるコミュニケーションであり、そこから産まれる愛という栄養素なのである。『豊かな個人主義』が補完的に連なった先に、公共的な社会が現出されるだろう。それは「困った時はお互い様」だと言える社会だ。



 そこには、真の幸福がある。



 だが、その幸福を簒奪しようとしたり、毀損しようとしたりして、自らの利益に変えようという連中も出てくる。



 いわゆる新自由主義者や歴史修正主義者、差別主義者だ。彼らがヘイトスピーチやヘイトクライムをしたり、我欲のみに駆られた行いをする時、社会は確実に傷つき、不幸へと向かっている。実際に彼らは他人の不幸から自分の利益を得ている。



 そんな連中を放置しておくべきだろうか。黙っていれば、確実に自分たちの幸福は奪われるというのに。



 それとも自らも醜悪なるものの一部となって、簒奪に加わるべきだろうか。しかし、待っている先は現在のような破滅だろう。



 自分たちの幸福を守らねばならない。他者の幸福を守ることは、自分の幸福を守ることに繋がっている。どちらが欠けてもならない。それが社会というものだろう。



 社会において常に問われなければならないのは、それは誰のための幸福か?そこに自分も含めた誰かの不幸が紛れ込んではいないか?ということだろう。



 富める者がより富めないことを不幸だと嘆くことがあるだろう。しかし、それは不幸とは言えない。貧者がより貧しい者を見て、自分は幸福だと安心するのも、幸福とは言えない。



 上下でしか捉えられない人間観には絶対的な幸福は存在しない。人は人と比べることでしか、幸福を感じられないと嘯くのは取り込まれたもののセリフだ。



 まっすぐに、対等に他者と向かい合えれば、幅も、奥行きも、深みもある豊かな幸福があるだろう。そこでは誰とも比べる必要のない、独自の、絶対的な個人が育まれる。そしてそれを阻害せず、むしろ促進させる公共社会がある。



 社会とは、つまるところ保障装置である。それは個人が幸福となるためにある。決して、誰かの不幸を促進し、一部の人々にのみ恩恵を与えるものであってはならない。



 共産主義ってわけじゃない。だが、金に使われるのも、国家に使われるのも御免だ。



 金も国家も、自分たちの幸福のために使いたい。主体的でありたい。そういう社会でありたい。だから、個人でありたい。



 そういったことを一気に寛は考えた。



 自分にとっての絶対的な幸福はどこにあるだろうか?



 答えは決まっていた。



 だが、その前に、老人に最後に聞きたいことがあった。



「この社会では個人で在り続けることは、非常に困難ですよね。恐らく、改憲前からそうだったはずです。何か良い方策はあるでしょうか?」



 老人は火に薪を加えて言った。



「ある憲法学者の本に書いてありました。個人を保つためにはやせ我慢が必要である、と」



「えっ」



 ここに来て根性論か、と寛は正直思った。



 老人は寛の表情を見て、微笑んだ。



「私も初めてそれを読んだ時、イマイチしっくり来ませんでした。



 しかし、それはどんな相手にも対等たろうとする態度を表しているのですね。ハッタリや安いプライドなどとも言い換えられると思います。



 例えば、昔観た洋画で、冴えない少年が憧れている綺麗な、少し大人っぽい少女に声をかけるんですね」



「ああ、そういうシーンよくありますね」



 寛は何故かそういうシーンを観ると、いつも叫び出したい気持ちに駆られた。これから起こる恥ずかしい出来事、断られて惨めな気分になる少年の心にリンクしてのことだったと思う。



「そうですよね。非常によくあるシーンのように思います。もちろんそこから物語が始まるからという実用的な意味もあるのでしょうが、それ以上に重要なメッセージがここにはあると思うんですね」



「と、いいますと?」



「大抵の作品では、少年はその時、なるべく堂々と振る舞おうとするんですね。それはいわば自分に下駄をはかす行為で、ハッタリです。相手と対等な目線に立とうとするのです」



「上でもなく、下でもなく、ただ同じ目線で対話するために必要な行為だということでしょうか。つまり、『個人』を保つためというわけですか」



「そのとおりです。相手と対等である個人同士でなければ豊かな関係は築けないということも理解っているからでしょう。見下したり、見上げたりする関係の中に、お互いを想い合う愛は実際上築き難いのです。だから、少年はハッタリを使うんですね」



「けど、ハッタリとかやせ我慢や安いプライドって、何だか日本だとイメージ悪いですね」



「そうですね。それらはよく攻撃されます。でもそれは、露悪的で階級的な連中の勝手な言い分だと思います。嘘をつくなよ、本心を言えよ、本当はお前は弱い奴なんだろ、と突っつくわけです。何の権利もないのに、安いプライドならば踏みにじってもいいとするわけです。



 しかし、それは人間の尊厳を踏みにじる行為です。それがハッタリだろうが、やせ我慢だろうが、安いプライドだろうがその人自身の物ですし、それらの価値は本来その人にしか決められません。その人にしかどうこうする権利はありません。



 露悪的で階級的な連中の行為は同情とは違います。同情とはあくまでも対等な立場から『大丈夫か?』と聞く行為でしょう。しかし、ここでは相手を尊重しようという態度は見られません。彼らは自分が汚れてしまったから、他の人も汚れなければ気が済まないといった類の連中です。自分が見下される存在であるから、他人もそうでなければ気が済まないといった連中です。彼らにとってはそれが真実であり、現実ですから。



 しかし、人には招かれねば入ってはいけない領分というのがあります。『個人』とは精神的に『個別の領域を持った人』とも言えるでしょう。



 それにしても、日本は確かに対等たろうとする頑張りを挫こうとしますね。上下ばかりを気にする社会だからでしょうが、『出る杭は打たれる』という言葉が象徴的ですね。ハッタリ、やせ我慢、安いプライドという言葉にマイナスイメージがある理由は、そういう社会的背景が作用したことは間違いないでしょう。



 階級社会であるがゆえに秩序という社会正義を保とうとするということ以上に、やはり自分より立場の弱い者には何をしても良いんだという考えが根強いように思います。それがこの社会を維持する何よりの燃料に思えてなりません。



 もしかしたら、これが日本社会の本質なのかもしれませんね。そうは思いたくありませんが」



 だとしたら、中身スカスカよりなお悪い。いや、比べ物にならない位、性質が悪い。『個人』同士の対等な社会観など望むべくもない。



 はっきり言って、日本は反人権社会だ。人権という言葉すら何か毛嫌いされている節がある。



 プライドを持て、と言われるより、プライドを捨てろと言われることの方が多い。プライドが高い、と言われる時、それは決して褒められてはいないだろう。



 だが、そもそもそれは高いとか低いとか値踏みされて良いものだろうか?



 ふと、中学三年生の頃、ツキミを抱きしめた時のことを思い出した。



 まるで取り残された子供のようなのに、必死で大切なものを守ろうとするその姿に心打たれた時のことを思い出した。



 自分はそんなツキミを愛しいと思い、頭にキスをした。



 やせ我慢でもハッタリでも、安いプライドでも何でも良い。重要なのは、『個人』を保つのに必要なのは、断固として渡さぬ、守ろうとする意志なのだと寛は悟った。



 そして、一人ぼっちでも、時に寂しさに耐えてでも、攻撃に晒されようとも『個人』を守ろうとすることこそが『強さ』なのだとも思った。



 それは特に日本のような階級社会下では、厳しい闘いだろう。



 そうだ、これは闘いだ。相手がどれほど凄かろうが、偉かろうが対等たろうとすることを守る闘いだ。



 また、寛はこうも思った。



「対等たろうと頑張るシーンが今でも繰り返し描かれているということは、この闘いは今でも、どんな社会でも常に起きているということではないでしょうか?



 だとしたら、やはり、わたし達もまた、対等な『個人』であることを守るために頑張らなければいけないのではないでしょうか」



 老人は寛の言葉を噛みしめるように頷いた。



「なるほど。確かに、そのとおりです。いけませんね。私はついつい露悪的になっていたようです。そこに行っても、『幸福』に根ざした真実があるわけでもないことを知っていたはずなのですが。



 気付かせてくれて、ありがとうございます」



 そう言って、老人は微笑み、寛は少し照れた。



 老人が言う。



「露悪的になるのではなく、そこで立ち止まって冷笑的になるのではなく、批判や分析を加え、反省しなければいけませんよね。冷笑的になるということは、多くのことを見下し、切り捨てるということに他ならないのですから。



 私達は自分が大切にされなかったから、自分も誰かのことを大切に扱わないでいい、などと開き直るのではなくて、負の連鎖を止める努力が必要だったということですね。



 見上げない努力も大切ですが、見下げない努力もまた大切です。対等を保つということは両方向からの努力が必要であり、バランスが大切だということですね。



 少し具体的に考えれば、もしも自分が不当に扱われても、関係のない第三者に当たるのは間違っているということです」



「言葉にすると、ものすごく幼稚で、なんだかつい呆れてしまいますね」
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