褐色の姫、傭兵王を手篭めにする

葛城阿高

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第2話 姫の目覚め

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「シャフリヤール王の話によると、姫が行方不明になって三日だということだったわ。どういった状況でそうなったのかわからないけど、その後すぐに食べられたとすると、姫は三日間、ドラゴンの腹の中で生きていたことになるでしょうね」

 姫の世話は医術師と侍女に任せ、今回の遠征に参加した討伐隊の隊員は各々身を清めてから――移動中はろくに湯浴みもできなかったので――、夕食を摂るため再び食堂に集まった。
 大きな盆シーニーヤを囲んで座り、座った者から手を洗う。

「神の御名にかけて」

 食事前の言葉を述べ、イスカンダルが前菜単語メゼに手をつけたのを見て、他の者も料理をつつき出した。

「ルゥルゥ、三日どころではないぞ。姫を腹から出したのは、シェダルに帰還してからだ。四日。移動に四日かかったんだ。つまり、姫は一週間もドラゴンの腹のなかで生きていた」
「正直なところ、信じがたい話です」

 反論したのは、アキル。イスカンダルの弟だ。
 黒髪、碧眼、顔の作りも双子かと思うほどそっくりだが、快活でよく笑う兄と違って弟は常に冷静、滅多なことで笑わない。兄は体格からして武術に秀でているけれども、体の線も細く、見た目通りの頭脳派なのが弟である。
 二人の仲は悪くない。国王のくせに魔獣討伐以外の執務を避けてばかりいるイスカンダルにかわり、机に向かう仕事のほとんどを王弟であるアキルが担っている。前王が不慮の事故で還らぬ人となってから、兄弟二人、足りない部分を補い合うようにして、これまでシェダルに尽力してきた。
 アキルの疑問にイスカンダルが応答する。

「だが、姫の周囲にはドラゴンが飲み込んだたくさんの魔石があった。その魔石の作用で生き延びていたとするならば、あり得ない話じゃない」
「……どちらにしろ、魔法の作用についてはまだまだ解明されていないことも多いのです。症例がたった一つだけという今回の事象については、この場で確たる答えが出ることもないでしょう」

 たしかに、いくら議論を重ねたところで、不明なことが明らかになる可能性は低いだろう。食事がどんどん冷えていくばかりだ。
 アキルが問う。

「それで、どうなさいますか? 姫をかの国へ送り返しますか?」

 じつに現実的な問いだ。口に放り込んだチーズを噛み締め、イスカンダルは考え込んだ。

「……しばらく様子を見る。本人が帰りたいと言うのなら回復を待って送り届けるし、もし、帰りたくないと言うのなら――」
「言うのなら?」

 アキルに見つめられ、イスカンダルは言葉に詰まった。
 そこに、侍女の一人が入ってくる。

「失礼いたします。侍女のベネトナシュからのご報告を持って参りました」
「申せ」
くだんの姫君が目をお覚ましになったそうです」

 全員で顔を見合わせる。

「兄上、どうなさいますか?」
「……会う。話をしてみたい」

 手に持っていたパンホブスを口に投げ込んで、イスカンダルはその場を立った。

 辺りはとっぷり夜の闇に包まれている。渡り廊下を歩きながら、イスカンダルは星空を見上げた。
 そろそろ月が満ちてくる頃。メカニズムは誰も究明していないが、月の満ち欠けに応じ、魔獣の動きも活発になるという。
 幸いにも今回遠征で不在にしている間は、特段の騒ぎは起こらなかった。しかし、これから数日間は、ひと月のうちでもっとも警戒が必要な時期となるだろう。

 などと考えているうち、姫が休んでいる部屋の前にたどり着いた。
 外国からの賓客を泊める部屋の一つで、両開きの扉に、シェダルの「加護」を意味する文様が彫ってある。これは、長旅の疲れを癒してほしいという、シェダル流のもてなしの表れだ。

「これはこれは、イスカン――」
「いい。待っているから続けろ」

 彼が入室したときは、ちょうど医術師による問診のさなかだった。
 国王に気づき地に伏せようとした医術師と侍女を制し、イスカンダルは辺りに腰を落ち着けた。

「……気分は? 手足は動きますかな? どれ、この私の指を目で追ってくださいませ」

 ここらでは珍しい褐色の肌を持った姫は、医術師の求めに応じ、こくりこくりと頷いたり、目を左に右にキョロキョロ動かしたりしている。大きな琥珀色の瞳には、ランプの燃える炎が映り、まるで瞳が燃え盛っているような錯覚を抱く。
 問答に合わせ頭が揺れるたび、それに合わせて銀色の髪も慎ましやかにきらきら動いた。
 姫は彼に見つめられていることがどうも落ち着かないようで、何度も彼の顔を伺うが、それでも、イスカンダルは、じっと、一言も口を挟まずに、ただ静かに姫のことを見守っていた。

「うむ、今のところどこにも異常はなさそうです。また参りますが、今日のところはこれで」

 医療器具の入っている鞄を抱え、彼はその場を後にした。
 既に七十を超える高齢の老爺だが、長い経験に裏付けされたその腕は、誰もが認める超一流。とはいえ、年齢により手がぷるぷると震えるようになってしまってからは、外科手術からは引退し彼の弟子に役目を引き継いでいるけれど。

「陛下……」

 侍女がイスカンダルを伺う。

「ああ、ベネは少し外していてくれ」

 礼をしてその場を辞し、扉が閉まったのを確認してから、イスカンダルはおもむろに姫に近づいた。彼女がいる寝台の横の、小さな椅子に腰掛ける。

「…………」
「…………」

 お互い、見つめあったままだ。
 イスカンダルは、姫が何も喋らないのをいいことに、彼女をじろじろと観察することにした。
 シェダルでは珍しい褐色の肌に、琥珀色にきらめく瞳。垂れた眉に、垂れた目。イスカンダルとは対照的な銀糸のように色素の薄い髪は長く、シーツの上をたゆたっている。
 日中はドラゴンの胃酸の影響で、ところどころ破れたり薄くなったりした布を辛うじて「巻いている」ような状態だったが、侍女たちの手により取り払われ、その体も綺麗に清められた。今では新たにシェダルの寝間着を着せられて、先ほどの惨状など夢かと錯覚してしまいそうだ。服の白さと肌の黒さの対比が、また神秘的にイスカンダルの目には映る。
 
「あの……あ、あなたは」

 沈黙を先に破ったのは姫の方。
 か細く、高い声。まるで鈴が鳴っているようだ。

「イスカンダルという」
「イスカンダル……? まさか、シェダル王国の? ここはシェダル王国なのですか?」

 姫――推測に過ぎないが――というだけあって教養もそれなりに叩き込まれているのだろう、彼の名を聞いただけで、どの国の誰なのか、彼女は把握したようだ。

「そうだ。ここはシェダル王国王宮内だ。ドラゴンに食われていたそなたを助け出し、今こうしてここにいる」

 姫が口に手を当てて、まぁ、と小さく呟いた。

「そなたの名を聞いてもよいか?」

 おそらく、メンカリナン王国のシェヘラザード姫に違いない。
 イスカンダルは確信めいたものがあったが、それでも礼儀として、一応聞いておくことにした。

「はい。わたくしは、シェヘラ――」

 そこで姫は言い淀んだ。そして、あたふたとしてから言い直す。

「ラ、ラ、ええと……ライラと申します」
「…………ほう」
「ライラです。……ライラ。ただの町娘のライラ」

 偽名である。己のことを「わたくし」などと言う町娘など、イスカンダルは聞いたことがない。そもそも「シェヘラ」まで明かしておいて、なかったことにするなどおかしい。
 じっと疑いの目を向けてみたが、目をそらしてまで「わたくしはライラ」と自分に言い聞かせるように呟いている始末。
 イスカンダルは、諦めのため息を一つ吐いてから決めた。

「……そうか。ライラか」

 そう言い張りたいなら、好きにするがよい。
 シェヘラザード改め「ライラ」が何を思っているのかは、イスカンダルには測れない。であるなら、彼女の思うままやってみろと、イスカンダルは容認したのだ。
 自称「ライラ」はバッと顔を上げた。

「はい! ライラです!」

 元気よく言い、眉尻を下げてにこりと笑う。イスカンダルも笑う――ただし、「にこり」ではなく「にやり」と――。

「どこぞの王女ではなく?」
「ええ、単なる町娘のライラですわ!」
「……わかった。ライラ、しばらく我が王宮内で養生するがよい」
「はい! ありがとうございます!」



***



「ライラ? 違うでしょ、あの姫はメンカリナン王国王女のシェヘラザード姫でしょう?」
「おそらく。だが、姫にはなんらかの事情があって素性を明かしたくないのだろう」

 あの父親、シャフリヤール王のふるまいを考えると、もしかしたら、ライラは他人を顧みない父親の陰で、窮屈な思いをしながら生きてきたのかもしれない。そう考えると、イスカンダルは彼女に同情の念を寄せずにはいられなかったのだ。
 生まれた国に縛られる必要はない。羽ばたけるのなら、羽ばたけばいい。
 イスカンダルは、そう思った。

「メンカリナンへの報告はいかがいたしましょう?」

 アキルが言った。
 イスカンダルとしては、ここシェダルにいる間はライラはライラの自由に振舞って欲しいと考えていたが、今のまま彼女の母国に黙っていては誘拐と誤解されるかもしれない。もしも姫の所在がどこかからメンカリナンに漏れた場合、シェダルはあらぬ疑いを向けられるに違いない。たとえ、シャフリヤール王が姫のことを大切に思っていなくても。

「しばらく様子を見よう。姫が帰りたいと言えば還せばいいし、そうでないのなら――」
「そうでないのなら?」
「……まあ、なるようになるだろう」

 その発言は深く考えた上での発言か、また考えなしの発言なのか。
 事実、イスカンダルはその両方を巧みに操る――自由きままの「オレ様」的発言とも言える――ため、誰にも彼の思惑は読めない。
 にへらと笑ってごまかそうとする兄に、弟は冷たくため息を吐いた。

「適当な国王なことですね」
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