きもちいいあな

松田カエン

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獣軍連邦潜入編

50.ぬいぐるみ(壊)と手紙

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 散々愚痴を告げて、心穏やかな気持ちで布団を飛ばした私は、手の中の薄汚れてボロボロになってしまったぬいぐるみを見下ろした。
 いただいてまだ一カ月と経っていない筈なのに、たてがみや尾の毛は抜け、取れてしまった足部分からは、中の綿が溢れている。私はそっと優しく、ここまでずっと私の相棒だったぬいぐるみを撫でて、小さく息を吐いた。

 ここから中の魔具だけ、取り出すことは出来ないだろうか。ここまでみすぼらしくなったものをツェルリリが欲しがるとも思えないが、万が一、ということもありうる。

 私は足の部分に指を入れて、綿を掻き出した。パンパンに詰まっていたのか、出しても出しても綿が出てくる。ようやく胴体部分に仕込まれた、通信魔具に指が届いた。全体の形を把握しながら、ぐっとその魔具を引っ張る。中で何か引っかかっているのかなかなか取れない。もうちょっと穴を大きくすれば……。

「あっ」

 びりっと嫌な音を立てて、腹の部分が裂けてしまった。魔具は取り出せそうだが、どう見てもぬいぐるみは致命傷を受けている。
 私が無理をしたせいで、前右足もぷらんと半分ちぎれかかってしまった。……これは、もうだめだな。

 王国から一緒に旅をしてきた仲間を見送るつもりで、一度だけ目を伏せて、気持ち黙とうをささげてから、さらにびりびりと破り、中から魔具を抜き出す。それは小さな円柱のもので、私の手のひらであれば、あっさり隠せそうなものだった。二本の撚糸ねんしが巻き付けてあり、一つは馬の目の裏に伸び、もう一つには……うん?

 馬の腹から、ころん、と小指大のいびつな魔石が転げ落ちてきた。そして魔具の撚糸も、一本は何も繋がっていなかった。魔石に触って魔力を与えてみれば、強い反発を感じる。ほとんど未使用に近い状態の魔石だ。
 魔石が結びついていたのなら、おそらく、この通信魔具はしばらくの間、すべての周囲の物音を集音していたことだろう。

「いつから取れていたのだろう?」

 そもそも思い返してみれば、国境を越える前から随分振り回していた気がする。ユストゥスにも投げつけたりしたし、尾や首を握って叩いたことは数知れずだ。魔石に巻き付けていた撚糸が、外れてしまう可能性は十分にある。取れてしまっていてよかったのだろうか。
 くるくると魔石に巻き付けてみても、不器用すぎて上手く結べない。そのうち、ふよ……と漂った綿毛に鼻をくすぐられて、小さくくしゃみをしてしまう。……う、目もかゆい気がする。
 目元を手で擦りつつ、どうしたものかと頭を悩ませていると、遠慮がちなノックがされた。

「クンツくん?いるかい?」
「はい、今出ます」

 穏やかにかけられた渋い声は、院長先生のものだ。私は慌てて布団でまき散らした綿を隠し、魔具はベッド下から引っ張り出したトランクケースに押し込んで、鍵をかけて戻す。そして靴を履いてドアまで駆け寄りつつ、部屋の中を見回す。……よし。なにも変なところはないな。

 確認を終えた私は、ドアの鍵を外してドアノブを回した。そこに立っていたのは、院長のダーヴィト先生だった。羊獣人でふわふわとした白い髪の毛と、同じようなどこから髪か髭かわからない髭をお持ちの、初老の男性である。丸眼鏡と糸のように細い目で私を見上げてくる。
 どうしたのだろう。珍しい。院長先生はお忙しい方で、たいていの仕事は子供たちとほかの大人のボランティア職員で行っている。

「ああよかった、出てくれたね」
「あ……すみません。団体行動を乱してしまった」

 本来なら、朝食後の時間は、皆で働きに出なければいけないのだ。子供だからとはいえ、遊ばせておく時間も金もない。
 小型や草食獣人は食事の用意や手紙の分別など、その身軽さを生かせる仕事の手伝いについており、肉食獣人や大型はその力を生かせるような、肉体労働系の仕事の手伝いをしている。私も今日は、野菜の荷運びの手伝いをするはずだったのだ。どうしてもマルツィオ様に愚痴を言いたくて部屋に篭ってしまった。反省しなければ。

「いいさ、気にしないでおくれ。来たばっかりなのに、クンツくんにも無理をさせてしまったね……ああ、目もこんなに赤くして」

 私が肩を落とすと、ダーヴィト先生はそう言いながら、張りのない細い手で私の頬をゆっくりと撫でた。優しい手つきに思わずうっとりとしてしまう。それから気恥ずかしさがふと湧き上がって、そっと院長先生の手を外した。

「これは、少し痒くて擦ってしまっただけです」
「……そうなんだね。気分がすぐれないようなら、今日は休んでいてもいいんだよ」
「いえ。大丈夫です。私も荷運びを手伝います」

 働かざる者食うべからず、だ。私は食事などなくてもいいが、それでもこの孤児院に受け入れてもらった以上、きちんと肉体労働に励まなければならない。私が微笑むと、先生はどこか眩しいものでも見るような表情になった。

「ライニールくんから、これを預かっていてね」
 そう言いながら院長先生は、先ほどご臨終した、ぬいぐるみの足を取り出した。今更受け取ってもばらばらにしてしまったので、どうしようもない。そっと目を伏せたまま、私はその足を受け取る。

「裁縫も得意な子がいるからね。手直しもできるよ」
 足が取れただけの状態であれば、つけてもらうのも良かったかもしれないが、今は馬の開きが出来ている。あれを縫ってほしいというわけにもいかないし、なにより、もう大事に守る理由もない。必要な、大事な魔具は抜き取ったのだ。
 私はゆっくりと首を横に振った。

「もう、いいのです。……畑に出て、皆と合流します」
 院長先生がぬいぐるみのことを気にされているようなので、微笑みながらそう告げると、ゆっくりと手を握られた。少し長めに、息を吐かれる。それからにっこりと笑ってくれた。

「いや……今日は、畑には行かなくていいよ。代わりに、一つ、頼まれごとをしてもらえるかな」
 穏やかで優しい日差しのような温かさの手に、「私でできることなら」と即答していた。

 院長先生の頼まれごとというのは、ドゥシャンに手紙を届けてほしいということだった。ドゥシャンに会えるということは、アーモスにも会えるし、上手く行けば、ユストゥスにも会える。院長室まで同行すると、ダーヴィト先生は、その場ですらすらと書いた手紙に封をして、私に差し出した。
 時間は気にしなくていいので、きちんと返事をもらってきてほしい、と言われたので深く頷く。こういった頼まれごとは、孤児院に来てから初めてだった。少し院長先生に頼りにされているようで、誇らしげな気持ちになる。

 一度部屋に戻ると、私は布団の下に隠したぬいぐるみをかき集めた。首に着けていたスカーフをほどいて広げ、それをスカーフで包み込む。もしうまくユストゥスに会えたら、これはそっと捨ててもらおう。院の中で廃棄すると、バレた時に泣く子がいるかもしれない。ツェルリリもだが、ほかにもずいぶんと欲しがっていた子もいたのだ。

 手紙もいっしょにスカーフに入れて、少し考えてから首に巻く。不格好な包みを身に着けているように見えるかもしれないが、ドゥシャンがいるところは、孤児院がある高さよりだいぶ下だ。大人や手慣れた子は、手に荷物を持っていても身軽に足場を飛び越えていくが、私はまだ慣れていない。両手は空いていた方がいい。
 あと、ドゥシャンからもらった手袋も一度外そう。手を触られたりしなければきっと、この剣だこも気づかれないだろう。

「なんだよクンツ、さぼりかー!」

 部屋を出て鍵をかけ、孤児院を降り始めると、下の階層にある、まるでキノコの笠のように半円形にせり出して作られた畑で農作業をしていた、獣人の1人に声をかけられた。
 今朝声だけは聞いたが気がする。ツェルリリと仲がいい、大猪獣人のギィスだ。年はたしか9歳だったか。
 私よりも既に大きく、10センチほど差がある。もちろん体格もギィスの方が、素晴らしく良い。彼は先祖返りが色濃く表れていて、他の子より獣らしさが強かった。茶褐色の毛に身体半分を覆われているらしい。笑うと伸びた下犬歯が良く見えた。

 彼はライニールとも仲が良く、ほかの子供たちの間でも中心人物だが、よくツェルリリと悪戯しては、先生方を困らせていた。彼が怒られるのを聞いたのは、一度や二度だけではない。

 そして彼に、私はよく尻の匂いを嗅がれるし、よく部屋に侵入される。

 何やら匂いを嗅いで、興奮しているのはわかるのだが、本人はそれがどうすれば解消されるのか、わかっていない節があった。……私とうっかりおまんこしそうな相手、その2である。
 一番危なそうなのはライニールだと思っている。どちらにしても、大人な私が気をつけなければいけない相手だ。そう。私は、大人、なのだから。だから、ぬいぐるみがなくても大丈夫。

「院長先生のお使いだ。さぼりではない」
 そう律義に答えていると、手を止めたギィスが近づいてきた。院長先生がしてくれたのとは違う、粗野な手つきで頬を撫でられる。
「目、赤いぜ。ツェルリリにいじめられて、泣いたって聞いたぞ」
 食事後は畑仕事なのだが、一番に職員の手伝いに出ると、ちょっとだけごはんが増えるらしい。ギィスは真っ先に食べ終えて、畑に出ていたから、私とツェルリリのやり取りを見ていなかったのだろう。

「泣いてない。これは少し痒くて擦っただけだ」
「へえ?意地っ張りめ!俺に頼めば、ツェルリリにもぬいぐるみ取られないようにしてやるぜ。どうだ」
「別に大丈夫だ。……だが、ありがとう」

 胸を張って自分を指差したギィスに、私は断った。でもその気持ちだけは、ありがたく受け取っておく。
 私が礼を口にすると、途端にギィスの顔がぽんっと顔が赤くなる。……今なにか、顔を赤らめるようなことがあっただろうか。

 首を傾げていると、ばしばしと強く肩を叩かれた。痛い。手加減されていない。
 これを小型獣人が食らったら吹き飛ぶだろう。……でも彼もその辺りは十分理解しているらしく、こんな素振りを見せるのは、私とツェルリリ、それから気が弱いが、大型で牛獣人のブラムだけだ。ライニールにもこんな風には叩かない。

「へへ!お前どんくさいからな!俺が守ってやるよ!その代わり、また尻の匂い嗅がせろよ~!」
「は……嗅がせないっ。嗅がせないからな!」

 得意満面な表情で畑に戻るギィスに怒鳴ったが、ちゃんと聞いてくれただろうか。彼の悪いところに、話を聞かない、というところがある。不安だ……。
 今日もしっかり鍵をかけよう。ほんとにちゃんと、もっと確認しよう。建付けが悪くて外れてしまうのかもしれない。それも確認しなくては。

 一抹の不安を意識的に追い払って、私はどんどん降りていく。私が獣群連邦の外から連れ戻された子供だという話を知っている大人は、皆私に優しく接してくれた。国境近くの西果で会ったような、人の尻を撫でてくる大人は、ほんの一握りしかいない。そんな大人は柵の外に蹴りだしてやれば、柵にへばりつきながら、皆心を入れ替えた。ふん、私の尻は高いのだ。

 頑丈な橋を渡り、二つ隣の巨木に渡る。ここまで来ると、だいぶ住んでいる住人の顔ぶれが違った。いかつく、身体の大きな獣人ばかりが道をすれ違う。それでも皆子供には優しいのか、幹側を歩くように譲ってくれた。
 もう一段だけ下がれば、ドゥシャンがいる傭兵の詰め所だ。畑のあったところのように広がった笠の上に、詰め所の入り口となる平屋の建物が建っている。木に取り込まれたツリーハウスだ。
 この木は不思議なことに、別の場所で切り出した板を傷をつけたところに植えると、ゆっくりと取り込んで、天然の壁が作れるらしい。笠もそうやって、継ぎ足して広げて作っていくと教わった。

 本当に異世界のようだ、ここは。

 取り込まれ、床や壁、天井になったところは、殴った程度では繊維の結びつきが強く、壊れないらしい。ここにいると、ドゥシャンが群青騎士団本部の壁が脆いと言った意味がよくわかる。
 斧やのこぎりで切り付ければ別だが、柔らかいようで硬い。それでいて、幹の中は適度に空洞なのだ。内側にも同じように切れ目を入れて、板を差し込めば節が作られて住宅地になる。難点なのは幹に開けた穴は、年に数回削らなければ、いずれ塞がってしまうことぐらいだろうか。

「クンツだが、ドゥシャンはいるだろうか。ダーヴィト先生の使いで来た」
 開けっ放しになっている、詰所のドアをこんこんと叩き、私は詰め所の中を覗いた。

「クーちゃんッ!おにーたんだよ~!」
 黄色い声を上げて迎えてくれたのは、狐獣人のアーモスである。彼はここの事務所では、基本的に事務員のようなことをしていた。ただ別に傭兵として、虫退治をしないわけではないようで、訪れても会えないときもあった。
 ぴょんっとカウンターを飛び越えたアーモスは、私をぎゅっと抱きしめた。くんっと匂いを嗅がれるが、これは親しさの表れ、らしい。なのでほとんど匂いがわからないが、同じように嗅ぎ返す。

「お兄様。お父様に手紙を届けに来たのだが、お父様は?」
「ああドゥシャンなら、ちょっと大きな虫が出たって、クーちゃんのとこの木の下で、ユストゥスの援護に回ってるぜ」
「っそうか。どうしても今日中に、ドゥシャンに返事を書いてもらいたい手紙なのだ。それなら、戻ってユスのところに行かないといけないな!」

 やった!今日はユスだけじゃなく、ドゥシャンともおまんこできる!
 首都にいる傭兵の仕事は、ほとんどが木を登ってこようとするワーム退治だ。私に付いてきたユストゥスは、傭兵の一員として、私がいる木の、根元に近い場所で居を構えることになった。
 いつもは与えられた日中の休憩時間と、夕食後の空き時間に会いに行くのだが、キスもろくにできないし、触れ合う時間も少なくて辟易していた。寮生活では随分贅沢していたのだと、今更ながら思う。

 ひどいときには私がいる間にワームが出て、中に注ぐだけ注いで飛び出していくユスを、見送るしかできなかった。私も一緒に戦いたいのだが、それを言うと皆が怒る。子供は戦わせてはいけないらしい。……ちっ。

「あーじゃあ、クーちゃんだけじゃ危ないから、俺も行くよ!」
「エッ」

 アーモスがいそいそと装備を整えながら、尻尾を振る。とても上機嫌で、ついてこないでほしいとは言えない。
 アーモスは、まだ私が成獣だということに気づいてくれない。心底気づいてほしい。そしたら一緒に交尾もできるのだが、自分からは言わないようにと、ドゥシャンにきつく言い含められている。お兄様、私は悲しい。

「さー行こうか!」
「ハイ」

 めくるめく時間がばらばらに散った気がして、私はひっそりと肩を落とした。


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