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50)複雑な夜
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岼屋は慌ただしくその場を取り仕切っていた。
清武がラットを起こしそうになった瞬間、岼屋は必死に彼を落ち着かせるために奔走した。
清武の精神状態が不安定で、少しでも油断すれば、何をするか予測がつかない。
ようやく清武が落ち着きを取り戻し、岼屋は両親への説明をしようと部屋を出た。しかし、その行動がすぐに後悔へと変わる。
部屋に戻ったとき、清武の姿が消えていたからだ。
清武には過去に自殺未遂騒動を起こしている。
今の彼が何を思っているのか、どんな行動に出るのかは、誰にもわからない。
それでも、岼屋は無意識に、まず梓と和司がいる部屋に向かうべきだと思った。
名探偵のような鋭い洞察力はないが、女性の直感は時に信じるべきものだ。
案の定、清武はその予感を裏切らなかった。
彼は、重く、固く閉ざされた部屋の前で蹲っていた。
「清武くん……」
その姿に、岼屋はひとまず安堵の息をつく。
命を粗末にはしていないことに、胸を撫で下ろしながら、清武に近づく。
「こんなところにいても仕方ないわよ。早く来なさい」
手を差し伸べるも、清武は無反応だった。
空回りする手を自分の腰に置き、肩を落とす。
その時、廊下に漂う微かな梓のオメガフェロモンの香りが、岼屋の心を一瞬で捉えた。
耳を澄ませば、きっと部屋の奥では、梓と和司の声が交わされていることだろう。
それをわかっていても、どうして自ら辛い状況に飛び込んだのか、岼屋には理解できなかった。
「どうして、そんなにまで執着するの?」
その疑問が、胸の中に大きく膨れ上がる。
清武の梓への執着は、もはやただの執着心にとどまらない。
その思いは、諦めが悪いというレベルを遥かに超えている。
どこか恐ろしいほどの固執と、切実な願いが入り混じった、その感情に、岼屋は言葉を失っていた。
「……」
清武は、声を出すこともせず、まるで石像のように動かない。
その硬直した姿を前に、岼屋は何もできずにただ立ち尽くしていた。
「……さ、は……」
ようやく、清武が口を開いた。
その声は、泣きすぎて枯れ果て、聞き取りにくいほどにかすれていた。
「あずさは……俺の全てだから」
まるでストーカーが語るような、聞き飽きたセリフ。
それでも岼屋は、呆れた気持ちを抱えつつも、清武の言葉に耳を傾けずにはいられなかった。
「俺は、他人なんかに興味がなかった。小さい頃から、純潔アルファの斎藤家というだけで、周りの奴らは俺をチヤホヤしてくるだけだった。だから、俺は周りなんてうざいだけだった」
清武が語り始めると、過去の記憶が次々と脳裏をよぎる。
「でも、あずさには、そうじゃなかった。彼が俺を必要としてくれてる気がして、初めて誰かのために何かをしたくなった」
清武の声に、彼の若かりし日の初恋と、小さな英雄心が入り混じった感情が感じられた。
「梓は、俺の守るべき存在だって、ずっとそう思ってた」
清武の声が震え、岼屋の心に直接響く。
「梓の家庭は、俺の家庭とは全く違った。温かい家庭を知らずに育った梓を、俺は守らなくちゃって。だから、俺は、梓が一度でも何かを諦めた姿を見たとき、心が裂けるような思いで、どうしても守らなきゃいけないって思った」
清武の言葉には、梓に対する深い愛情と、もはや依存に近い思いがにじみ出ていた。
彼は、自分の中で梓を「守るべき存在」として、他の何者よりも大切にしているのだ。
「俺にとって、あずさは全てなんだ。梓から離れないことが、俺の全てをかけた愛情表現だった」
その言葉に、岼屋は言葉を失った。
清武の愛は、愛というよりも束縛と呼ぶべきものに変わりつつあるように感じられたからだ。
そして、それが梓に対する絶対的な執着心であることも、改めて痛感させられた。
清武の語る「美談」――それは、いかにもよくある恋愛漫画やドラマに出てくるストーリーのようだ。
だが、それは清武にとっては、紛れもない真実であり、彼の全ての思いがそこに凝縮されているのだろう。
彼の言葉から、梓への想いがどれだけ深いものかが伝わってきて、岼屋は再びその重みに圧倒された。
岼屋は清武の話を聞きながら、彼がどれほど梓に執着しているのかを感じ取った。
だが、清武にとっては、それが生きる全てだったのだろう。
自分にとっての「運命」を、梓に見出してしまったがために、彼はここまで来てしまったのだろうと思うと同情すら芽生える。
時間がゆっくりと流れ、静寂が支配するその空間。
清武は動くことなく、ただひたすらに扉の前に座り込み続けていた。
岼屋はその姿を見守りながら、仕方ないと思いながらも付き合い続けるしかなかった。
夜が深くなり、やがて廊下に広がる静けさが一層濃くなっていった。
その中で、厚いドアの向こうから微かに聞こえる声が、まるで甘く、幸福の音色のように響き渡る。
まるで時間さえもその音に酔いしれているかのようだった。
しばらくして、その甘い香りが徐々に薄れ、次第に消えていくのを、岼屋ははっきりと感じ取った。
その香りは、まるで何かを告げるように、彼の胸の中に一抹の寂しさを残して消えていった。
―――ああ、彼らは番になったのか。
その思いが、静かに岼屋の胸に浮かんだ。
清武もまた、消えゆく香りを感じ取り、それが意味することを理解したようだった。
それでも、彼は動くことなく、ただその場に座り込んでいた。
夜の闇がさらに深まる中で、清武の姿は動くことなく静止し続ける。
岼屋はその横で、夜が明けるまで清武に付き合い続けた。どこかで、自分が彼の支えになっているのだと信じたかった。
しかし、静けさの中で香りが消えたあと、清武はまるでその場から動こうとしない。
彼の顔には、諦めきれない思いが滲み出ていた。
その姿は、時間が過ぎ去るのをただ黙って待っているようで、岼屋の胸に複雑な感情が渦巻いた。
彼が何を思っているのか、岼屋には分からなかった。
清武がラットを起こしそうになった瞬間、岼屋は必死に彼を落ち着かせるために奔走した。
清武の精神状態が不安定で、少しでも油断すれば、何をするか予測がつかない。
ようやく清武が落ち着きを取り戻し、岼屋は両親への説明をしようと部屋を出た。しかし、その行動がすぐに後悔へと変わる。
部屋に戻ったとき、清武の姿が消えていたからだ。
清武には過去に自殺未遂騒動を起こしている。
今の彼が何を思っているのか、どんな行動に出るのかは、誰にもわからない。
それでも、岼屋は無意識に、まず梓と和司がいる部屋に向かうべきだと思った。
名探偵のような鋭い洞察力はないが、女性の直感は時に信じるべきものだ。
案の定、清武はその予感を裏切らなかった。
彼は、重く、固く閉ざされた部屋の前で蹲っていた。
「清武くん……」
その姿に、岼屋はひとまず安堵の息をつく。
命を粗末にはしていないことに、胸を撫で下ろしながら、清武に近づく。
「こんなところにいても仕方ないわよ。早く来なさい」
手を差し伸べるも、清武は無反応だった。
空回りする手を自分の腰に置き、肩を落とす。
その時、廊下に漂う微かな梓のオメガフェロモンの香りが、岼屋の心を一瞬で捉えた。
耳を澄ませば、きっと部屋の奥では、梓と和司の声が交わされていることだろう。
それをわかっていても、どうして自ら辛い状況に飛び込んだのか、岼屋には理解できなかった。
「どうして、そんなにまで執着するの?」
その疑問が、胸の中に大きく膨れ上がる。
清武の梓への執着は、もはやただの執着心にとどまらない。
その思いは、諦めが悪いというレベルを遥かに超えている。
どこか恐ろしいほどの固執と、切実な願いが入り混じった、その感情に、岼屋は言葉を失っていた。
「……」
清武は、声を出すこともせず、まるで石像のように動かない。
その硬直した姿を前に、岼屋は何もできずにただ立ち尽くしていた。
「……さ、は……」
ようやく、清武が口を開いた。
その声は、泣きすぎて枯れ果て、聞き取りにくいほどにかすれていた。
「あずさは……俺の全てだから」
まるでストーカーが語るような、聞き飽きたセリフ。
それでも岼屋は、呆れた気持ちを抱えつつも、清武の言葉に耳を傾けずにはいられなかった。
「俺は、他人なんかに興味がなかった。小さい頃から、純潔アルファの斎藤家というだけで、周りの奴らは俺をチヤホヤしてくるだけだった。だから、俺は周りなんてうざいだけだった」
清武が語り始めると、過去の記憶が次々と脳裏をよぎる。
「でも、あずさには、そうじゃなかった。彼が俺を必要としてくれてる気がして、初めて誰かのために何かをしたくなった」
清武の声に、彼の若かりし日の初恋と、小さな英雄心が入り混じった感情が感じられた。
「梓は、俺の守るべき存在だって、ずっとそう思ってた」
清武の声が震え、岼屋の心に直接響く。
「梓の家庭は、俺の家庭とは全く違った。温かい家庭を知らずに育った梓を、俺は守らなくちゃって。だから、俺は、梓が一度でも何かを諦めた姿を見たとき、心が裂けるような思いで、どうしても守らなきゃいけないって思った」
清武の言葉には、梓に対する深い愛情と、もはや依存に近い思いがにじみ出ていた。
彼は、自分の中で梓を「守るべき存在」として、他の何者よりも大切にしているのだ。
「俺にとって、あずさは全てなんだ。梓から離れないことが、俺の全てをかけた愛情表現だった」
その言葉に、岼屋は言葉を失った。
清武の愛は、愛というよりも束縛と呼ぶべきものに変わりつつあるように感じられたからだ。
そして、それが梓に対する絶対的な執着心であることも、改めて痛感させられた。
清武の語る「美談」――それは、いかにもよくある恋愛漫画やドラマに出てくるストーリーのようだ。
だが、それは清武にとっては、紛れもない真実であり、彼の全ての思いがそこに凝縮されているのだろう。
彼の言葉から、梓への想いがどれだけ深いものかが伝わってきて、岼屋は再びその重みに圧倒された。
岼屋は清武の話を聞きながら、彼がどれほど梓に執着しているのかを感じ取った。
だが、清武にとっては、それが生きる全てだったのだろう。
自分にとっての「運命」を、梓に見出してしまったがために、彼はここまで来てしまったのだろうと思うと同情すら芽生える。
時間がゆっくりと流れ、静寂が支配するその空間。
清武は動くことなく、ただひたすらに扉の前に座り込み続けていた。
岼屋はその姿を見守りながら、仕方ないと思いながらも付き合い続けるしかなかった。
夜が深くなり、やがて廊下に広がる静けさが一層濃くなっていった。
その中で、厚いドアの向こうから微かに聞こえる声が、まるで甘く、幸福の音色のように響き渡る。
まるで時間さえもその音に酔いしれているかのようだった。
しばらくして、その甘い香りが徐々に薄れ、次第に消えていくのを、岼屋ははっきりと感じ取った。
その香りは、まるで何かを告げるように、彼の胸の中に一抹の寂しさを残して消えていった。
―――ああ、彼らは番になったのか。
その思いが、静かに岼屋の胸に浮かんだ。
清武もまた、消えゆく香りを感じ取り、それが意味することを理解したようだった。
それでも、彼は動くことなく、ただその場に座り込んでいた。
夜の闇がさらに深まる中で、清武の姿は動くことなく静止し続ける。
岼屋はその横で、夜が明けるまで清武に付き合い続けた。どこかで、自分が彼の支えになっているのだと信じたかった。
しかし、静けさの中で香りが消えたあと、清武はまるでその場から動こうとしない。
彼の顔には、諦めきれない思いが滲み出ていた。
その姿は、時間が過ぎ去るのをただ黙って待っているようで、岼屋の胸に複雑な感情が渦巻いた。
彼が何を思っているのか、岼屋には分からなかった。
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