オメガのホストはベータとして生きる

３１）梓の決意

　夜の九時を過ぎ、時計の針がゆっくりと進んでいく。
外は冬の冷たい風が吹いていたが、店内は二十四時間営業のため、眩しいほどに明るかった。時間が遅く、客足はまばらだが、それでも静かな店内に響く音楽と、ちょっとした食器の音が、静けさを演出している。

　梓と和司は、店の奥の隅の席に座っていた。二人の間に流れるのは、気まずい沈黙だけではなかった。梓は、穏やかに見えるその表情の裏で、心の中でいくつもの感情が波立っているのを感じていた。

　反対側のテーブルには、悠里、雪見、佳充が座っている。悠里は、まるで和司を睨むかのような鋭い目つきでじっと見つめ、彼の動きを見逃さない。
和司が何かをしてしまうのではないかと警戒しているのが分かる。

　梓はその視線を受け流しながら、ゆっくりと冷めたコーラを飲み干し、和司に話しかける。

「斎藤さんと話すの、久しぶりですね」

　甘い炭酸が喉を通る音と共に、梓の声が店内に響いた。彼女は、どこか遠くを見るような目をしながら言葉を続けた。和司が何かを言いかけ、しばらく黙った後、重い口を開く。

「そうだな……」

　和司は言葉を選ぶように、ためらいながら答える。その顔には何かを伝えたいという気持ちと、それをどう伝えるべきかという葛藤が浮かんでいる。

「……母親の件は申し訳ないと思っている」

　和司のその一言に、梓は驚きとともに心を痛める。自分の母親が言ったことに対する謝罪を受ける必要はないと分かっていても、和司がそう言うことで何かが変わるわけでもないことを梓は知っている。

「斎藤さんが謝る事じゃないですよ」

　梓は、そんな和司にかすかな微笑みを浮かべて言った。彼の優しさを感じながらも、彼の心情を汲み取っている自分に、改めて胸が苦しくなる。

「希清さんの言う事も、解るんです。俺、もう産めないオメガだし」

「村上くん……それは……」

　梓の声が静かに、確かに響き、少し震えていた。

　梓の言葉を受け止めきれず、彼が感じている苦しみをどうしても理解できない自分に、和司はどう答えればよいのか分からない。

「でも、いい機会かなって」

　梓は、和司の目を見つめた。
その黒い瞳は、まるで優しさを前に出し、自分の感情や辛さを隠しているようだった。

「俺、清武と結婚しても辛いだけだと思うから……」

　梓の言葉は、和司の心に突き刺さるような痛みを与えた。
自分から与えたその痛みは、自分の心の中に深く浸透していくようで、梓は少しだけ身を震わせた。

　梓は、自分が今後どう生きていくべきかを、ゆっくりと、そして確信を持って語り始める。
オメガとしての未来における選択肢、そして子供を持てない自分の不安。
それでも、自分の感情を整理し、理性的に決断しようとする気持ちが強くなる。

「男だから、子宮無くてもいいかなって思うんですよ。発情はくるかもしれないですけど、使えないものがあっても仕方ないんで」

　梓の言葉は、どこか自分を諦めたような響きを持っていた。その一方で、和司の心に深い痛みを与える。

「そんな事ないだろ」

　和司がその言葉に反応し、悲しげに言った。
その言葉の裏には、梓を守りたいという気持ちと、彼の中にある罪悪感が見え隠れしていた。

「無いなら諦められると思うんですよ。子供も斎藤さんの事も」

　梓は、目を伏せながら言う。その言葉は、和司にとっては痛みを感じるものだった。

「それに、清武と結婚したとして、斎藤さんが義兄として近くにいる事になるのが、俺は耐えられそうにないんです」

　梓の言葉に、和司は言葉を失う。
彼の心の中で、色々な思いが交錯していた。梓がどれほど苦しんでいるのか、その痛みを和司は感じていた。

「村上くん……」

　和司は、困惑と痛みが交錯する表情を浮かべ、梓の言葉に耳を傾ける。

「俺、あなたがまだ好きなんです」

　梓が、少し震えるようにその言葉を呟いた。
その声は、静かでありながらも、和司の心に大きな波紋を広げた。

「斎藤さんが好きです。あなたがもし俺を選んでくれたとしても、今度は清武に申し訳なくて、辛い気持ちを抱えたまま生きると思うから……俺はどちらも選びません」

　梓の決断に、和司は深く胸を痛める。それでも、梓の決意を理解し、尊重しようとする気持ちが湧き上がる。

「子宮を取って、今までみたいにベータとして生きていきます」

　梓は、静かに決意を言葉にした。
その顔には、まだ涙の跡が残っていたが、それを隠すように強い意志を見せていた。