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29)二次性
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「うわー出たぁ、瀬戸内議員」
「最近話題だもんね」
被害者が誰なのか、この二人にはまったく見当もつかない。
梓が入院していた理由は、体調不良ということになっているが、その裏には一部の人間だけが知っている事情があった。
働いていた店の上司たちは、梓が行方不明として警察の捜索を受けていたことを知っている。
だが、それは口にすることなく、すべてが秘密のままにされた。
店のトップクラスの従業員たちも、梓が事件の被害者であることには全く気づいていない。
スタッフには「ヒートが長引いている」と説明され、客には「体調を崩している」とだけ伝えられていた。
その説明で十分だと思う一方、梓はスタッフたちが何となく気づいていることを敏感に感じ取っていた。
瀬戸内丸馬という人物を知るスタッフが多く、梓がその人物の友人であったことも周知の事実。
事件の発生時期と、梓が仕事に来なくなったタイミングがぴったり一致していることから、
誰も口にしなくても、みんな心の中で理解しているに違いない。
それでも梓は、周囲の優しさに対して心から感謝していた。
「オメガにも平等な人生を、なんて言ってさ、自分の息子がオメガだから馬鹿にされたくなくて始めた運動でしょー? マジ偽善者」
「多分、自分の息子にオメガが生まれなかったら、軽視してただろうね」
「それー!絶対それー!でもまあ、結果的に世の中が良い方向に進んだからいいけど、この事件でイメージダウンだよね」
悠里と雪見は、フライドポテトをつまみながら、テレビに流れるニュースについて愚痴を零す。
「オメガの息子が不祥事起こしたお陰で、オメガってだけで性格まで異常って思われるじゃん。最低だよ。オメガだって普通の子はいるんだよ、普通の」
悠里が、ドリンクを飲みながらテレビに鋭い視線を投げる。
その目には、怒りだけでなく、深い悲しみと無力感が滲んでいた。
「……本当、マジ迷惑」
悠里の声に、悲しみと怒りが交錯した複雑な感情が混じり合っているのが、梓にはよくわかる。
何に対して怒りを感じ、どこに悲しみを抱えているのか、それが解らないことが、梓にはとても歯がゆかった。
「……あずちんさぁ、オメガなんでしょ?」
「え?」
「匂いでわかるよ。私、アルファだし」
悠里に突然問われ、そしてあっさりと断言されて、梓は驚き、戸惑いを隠せなかった。
「うっすい匂いだけど、オメガって感じ。気づかない人の方が多いけどね、ほんと微量な匂い。香水とかで消えるくらい」
梓は、悠里の言葉にどう反応すればいいのか、一瞬戸惑ってから、少し考え込む。
清武でさえ、近くにいても気づかなかった自分のオメガの匂い。それを、悠里はどうして一瞬で見抜いたのだろうか。
どんな顔で答えるべきか、言葉が出てこなかった。
「えっと……」
「別に誰にも言わないよ」
悠里が無邪気な笑顔を浮かべる。
その笑顔が、優しさと無垢さに満ちているからこそ、逆に梓の胸に不安を呼び起こす。
「じゃあ、私と一緒だね」
雪見が、突然会話に割り込んできた。
「雪見さんもオメガなの?」
「うん、そうだよ。番はいるよー」
雪見は、長い髪を両手で上げて、梓に首筋を見せる。
その首筋には、番が成立している証拠として、アルファによる噛み跡が刻まれていた。
「じゃあ……悠里さんと?」
「ううん、番は佳充だよ」
梓は、その名前を聞いて、頭が一瞬真っ白になった。
佳充──。自分が以前働いていた職場にいたあの佳充のことだろうか。
その時点で、梓の思考は一気に混乱し始める。
こんなにも親しい二人が番であることは、すぐに想像がついたが、急に今はいない人物の名前が上がることで、梓は頭の中がぐるぐる回り始めた。
「え?ええ?」
「あははははっ!あずちんって意外と間抜けな声出るんだね」
梓の驚きが隠せずに裏返った声を聞き、悠里は思わず腹を抱えて笑いながら言った。
「佳充とはね、高校の時には番なんだ」
雪見が無邪気に告げた事実に、梓は完全に言葉を失い、目を丸くする。
「仕事の関係上、関係は非公開だけど、二人は成人してから結婚してるよ」
悠里は、笑いを抑えきれず涙目になりながら、言葉を続ける。
「私さ、雪見のこと好きだったんだよねぇ。でも、私、女のアルファだから佳充の方がいいと思ったんだぁ……」
悠里の口調には、過去の悔しさが滲み出ている。
自分がアルファということが、かえって二人の関係を遠ざけてしまったことを悔いている様子が伝わる。
「私がアルファで、雪見と番になれるって喜んでたんだけど、世の中って甘くなくてさ。アルファでも女なら、女らしく子どもを産む方の身体を選びなさい!っていう感じでね」
アルファという立場は、エリートの道を約束された存在として崇められるが、その裏に隠された苦悩は、ベータやオメガには見えない。
梓は、そのことにようやく気づき始めていた。
「私、去勢してるんだ。子宮さえあればいいって親の判断で、私、高校の時に取らされたんだ。取っても、結局アルファのままだけどね。番とかできるかはわかんないしアルファの発情を起こす訳ではないけど、オメガの匂いはわかるんだよね」
悠里は過去の出来事を、まるで他人事のように語る。
その口調には、今さら悔しさや苦しみは見えなかった。
「あの頃はそりゃ泣いたよ。女らしくって何?って。でも、世の中ってそんなもんだよね。」
「悠里……」
雪見が、申し訳なさそうに、そしてほんの少しだけ切なそうに表情を崩す。
「私たちさ、本当は昔、付き合ってたんだ。でも去勢されて、雪見との子供ができないって思ったから、雪見が知らない誰かに取られるくらいならって、アルファの佳充と雪見を番にさせたんだよねぇ」
「俺は望んで雪見と番になったんだが?」
梓の背後から、低くて落ち着いた男の声が響いた。
それは、間違いなく佳充だった。
「おー来た来た」
悠里がその声を聞いて、嬉しそうに振り向く。
「ようやく来ましたか。お迎えご苦労さーん」
「俺はアシじゃねーんだよ」
どうやら、悠里か雪見のどちらかが佳充を呼び出したらしい。
今日は休みなのか、普段のスーツ姿とは違って、ラフな格好で登場した佳充に、梓は少し驚いた。
「梓、久しぶりだな。体調はどうだ?」
「お蔭様で、なんとか順調に」
「ならよかった」
佳充は、まるで何の前触れもなく、自然に梓の隣に座った。
その動きには、全く気負いがなく、ただの友人として振る舞う彼の姿に、梓はほっと胸をなでおろす。
「で?なんの話だ?」
「んー?私たちの過去」
悠里はちょっと悪戯っぽく笑って答えるが、佳充は不満げに小さく呟く。
しかし、雪見も悠里も、その話を止めることなく続けた。
過去の話、ホストに通う理由、そして今までの人生。それらは梓が全く知らなかった一面を見せてくれた。
初めて食べるシーフードのハンバーガーを口にしながら、梓は黙って三人の話を聞いていた。
その話の中には、雪見がオメガであったことによる軽視の過去や、二人のアルファたちが雪見を守ろうとしたエピソードが織り交ぜられていた。それはまるで、少し切なくも美しいお伽話のようだった。
二人のホスト通いが佳充の心配と雪見の嫉妬から始まったことを知ると、梓の心に暖かな気持ちが広がった。
そして、二人が今はお互いを深く愛し合っていることに、なんだか心が温かくなる。
学んだこともあった。
オメガだけでなく、アルファにも社会からの偏見や差別が存在することを、梓は初めて知ることができた。
そのことを恥じるように、梓は自分の無知さを感じた。
「どうしてこの話を……?」
梓は少し困惑したように声を漏らした。
この話を自分にしてどうなるのだろう、何か意味があるのだろうかと疑問がわいた。
「んー?あずちんがずっと暗いから、悩みあるのかなー?って」
「悩みを打ち明けるには、相手をちゃんと知らないとなかなか言えないでしょ?」
悠里の言葉に雪見も頷き、梓はその気遣いに胸を打たれた。
カラオケに誘ったものの、ただ見かけただけでは声をかけなかったという二人の言葉に、梓は心から感謝した。
「ただ話したいだけだった」と言わんばかりの、あたたかい言葉が梓の心にしみていく。
二人が自分にどれだけ優しくしてくれているのかを、改めて実感する。
「だからさ、あずちん。ちょっとでいいから吐き出そう?」
「無理にとは言わないから、いつか話して」
二人の言葉が、梓の心に深く響いた。
なぜこんなにも優しくしてくれるのかと問えば、二人は何気なく、でも真剣に言った。
「友達だと思ってるから」
梓の心は温かさで満たされ、同時に少しの申し訳なさも感じていた。
客と従業員という関係を超えて、友達として接してくれることが嬉しく、そして少し恥ずかしくもあった。
店で働き始めてから、ずっとお世話になってきた三人。
ホストとしての技術や知識、何よりも、彼らから教わった多くのことに感謝している。
友達という言葉に違和感を覚えるのではなく、その言葉を心から受け入れたかった。
だからこそ、打ち明けることを迷うのだ。
しかし、梓はその迷いを乗り越え、伸ばされた手を素直に取ることを決めた。
自分がオメガであること。
事件のこと。
清武のこと。
清武の親に言われたこと。
全てを順番に、ゆっくりと話す。
感情が高ぶらないように、他人を責めないようにと心掛けた。
けれども、言葉を並べるうちに、どうしても心の中の保守的な部分が顔を出し、どこか抑揚を欠いた言い方になってしまった。
それでも、どの言葉も、決して嘘ではなかった。
「何それ!酷い!」
悠里が怒りをそのまま体で表し、机を力強く叩いて声を荒げた。
「梓ちゃん、今日は帰らないで、みんなでオールしようよ!」
「今日は休みだから、付き合ってやるよ」
雪見と佳充も、その顔に激しい憤りを浮かべてはいたが、冷静さを欠かさず、落ち着いたトーンで梓に話しかけてくる。
思わず全てを話してしまったことに、少し後悔が残る一方で、話したことでどこか気持ちが軽くなったような気がした。
それは、まるで久しぶりに重い心の荷物を降ろしたかのように。
梓は、気づけば自然と頬が緩み、安堵したように小さな笑みをこぼした。
「最近話題だもんね」
被害者が誰なのか、この二人にはまったく見当もつかない。
梓が入院していた理由は、体調不良ということになっているが、その裏には一部の人間だけが知っている事情があった。
働いていた店の上司たちは、梓が行方不明として警察の捜索を受けていたことを知っている。
だが、それは口にすることなく、すべてが秘密のままにされた。
店のトップクラスの従業員たちも、梓が事件の被害者であることには全く気づいていない。
スタッフには「ヒートが長引いている」と説明され、客には「体調を崩している」とだけ伝えられていた。
その説明で十分だと思う一方、梓はスタッフたちが何となく気づいていることを敏感に感じ取っていた。
瀬戸内丸馬という人物を知るスタッフが多く、梓がその人物の友人であったことも周知の事実。
事件の発生時期と、梓が仕事に来なくなったタイミングがぴったり一致していることから、
誰も口にしなくても、みんな心の中で理解しているに違いない。
それでも梓は、周囲の優しさに対して心から感謝していた。
「オメガにも平等な人生を、なんて言ってさ、自分の息子がオメガだから馬鹿にされたくなくて始めた運動でしょー? マジ偽善者」
「多分、自分の息子にオメガが生まれなかったら、軽視してただろうね」
「それー!絶対それー!でもまあ、結果的に世の中が良い方向に進んだからいいけど、この事件でイメージダウンだよね」
悠里と雪見は、フライドポテトをつまみながら、テレビに流れるニュースについて愚痴を零す。
「オメガの息子が不祥事起こしたお陰で、オメガってだけで性格まで異常って思われるじゃん。最低だよ。オメガだって普通の子はいるんだよ、普通の」
悠里が、ドリンクを飲みながらテレビに鋭い視線を投げる。
その目には、怒りだけでなく、深い悲しみと無力感が滲んでいた。
「……本当、マジ迷惑」
悠里の声に、悲しみと怒りが交錯した複雑な感情が混じり合っているのが、梓にはよくわかる。
何に対して怒りを感じ、どこに悲しみを抱えているのか、それが解らないことが、梓にはとても歯がゆかった。
「……あずちんさぁ、オメガなんでしょ?」
「え?」
「匂いでわかるよ。私、アルファだし」
悠里に突然問われ、そしてあっさりと断言されて、梓は驚き、戸惑いを隠せなかった。
「うっすい匂いだけど、オメガって感じ。気づかない人の方が多いけどね、ほんと微量な匂い。香水とかで消えるくらい」
梓は、悠里の言葉にどう反応すればいいのか、一瞬戸惑ってから、少し考え込む。
清武でさえ、近くにいても気づかなかった自分のオメガの匂い。それを、悠里はどうして一瞬で見抜いたのだろうか。
どんな顔で答えるべきか、言葉が出てこなかった。
「えっと……」
「別に誰にも言わないよ」
悠里が無邪気な笑顔を浮かべる。
その笑顔が、優しさと無垢さに満ちているからこそ、逆に梓の胸に不安を呼び起こす。
「じゃあ、私と一緒だね」
雪見が、突然会話に割り込んできた。
「雪見さんもオメガなの?」
「うん、そうだよ。番はいるよー」
雪見は、長い髪を両手で上げて、梓に首筋を見せる。
その首筋には、番が成立している証拠として、アルファによる噛み跡が刻まれていた。
「じゃあ……悠里さんと?」
「ううん、番は佳充だよ」
梓は、その名前を聞いて、頭が一瞬真っ白になった。
佳充──。自分が以前働いていた職場にいたあの佳充のことだろうか。
その時点で、梓の思考は一気に混乱し始める。
こんなにも親しい二人が番であることは、すぐに想像がついたが、急に今はいない人物の名前が上がることで、梓は頭の中がぐるぐる回り始めた。
「え?ええ?」
「あははははっ!あずちんって意外と間抜けな声出るんだね」
梓の驚きが隠せずに裏返った声を聞き、悠里は思わず腹を抱えて笑いながら言った。
「佳充とはね、高校の時には番なんだ」
雪見が無邪気に告げた事実に、梓は完全に言葉を失い、目を丸くする。
「仕事の関係上、関係は非公開だけど、二人は成人してから結婚してるよ」
悠里は、笑いを抑えきれず涙目になりながら、言葉を続ける。
「私さ、雪見のこと好きだったんだよねぇ。でも、私、女のアルファだから佳充の方がいいと思ったんだぁ……」
悠里の口調には、過去の悔しさが滲み出ている。
自分がアルファということが、かえって二人の関係を遠ざけてしまったことを悔いている様子が伝わる。
「私がアルファで、雪見と番になれるって喜んでたんだけど、世の中って甘くなくてさ。アルファでも女なら、女らしく子どもを産む方の身体を選びなさい!っていう感じでね」
アルファという立場は、エリートの道を約束された存在として崇められるが、その裏に隠された苦悩は、ベータやオメガには見えない。
梓は、そのことにようやく気づき始めていた。
「私、去勢してるんだ。子宮さえあればいいって親の判断で、私、高校の時に取らされたんだ。取っても、結局アルファのままだけどね。番とかできるかはわかんないしアルファの発情を起こす訳ではないけど、オメガの匂いはわかるんだよね」
悠里は過去の出来事を、まるで他人事のように語る。
その口調には、今さら悔しさや苦しみは見えなかった。
「あの頃はそりゃ泣いたよ。女らしくって何?って。でも、世の中ってそんなもんだよね。」
「悠里……」
雪見が、申し訳なさそうに、そしてほんの少しだけ切なそうに表情を崩す。
「私たちさ、本当は昔、付き合ってたんだ。でも去勢されて、雪見との子供ができないって思ったから、雪見が知らない誰かに取られるくらいならって、アルファの佳充と雪見を番にさせたんだよねぇ」
「俺は望んで雪見と番になったんだが?」
梓の背後から、低くて落ち着いた男の声が響いた。
それは、間違いなく佳充だった。
「おー来た来た」
悠里がその声を聞いて、嬉しそうに振り向く。
「ようやく来ましたか。お迎えご苦労さーん」
「俺はアシじゃねーんだよ」
どうやら、悠里か雪見のどちらかが佳充を呼び出したらしい。
今日は休みなのか、普段のスーツ姿とは違って、ラフな格好で登場した佳充に、梓は少し驚いた。
「梓、久しぶりだな。体調はどうだ?」
「お蔭様で、なんとか順調に」
「ならよかった」
佳充は、まるで何の前触れもなく、自然に梓の隣に座った。
その動きには、全く気負いがなく、ただの友人として振る舞う彼の姿に、梓はほっと胸をなでおろす。
「で?なんの話だ?」
「んー?私たちの過去」
悠里はちょっと悪戯っぽく笑って答えるが、佳充は不満げに小さく呟く。
しかし、雪見も悠里も、その話を止めることなく続けた。
過去の話、ホストに通う理由、そして今までの人生。それらは梓が全く知らなかった一面を見せてくれた。
初めて食べるシーフードのハンバーガーを口にしながら、梓は黙って三人の話を聞いていた。
その話の中には、雪見がオメガであったことによる軽視の過去や、二人のアルファたちが雪見を守ろうとしたエピソードが織り交ぜられていた。それはまるで、少し切なくも美しいお伽話のようだった。
二人のホスト通いが佳充の心配と雪見の嫉妬から始まったことを知ると、梓の心に暖かな気持ちが広がった。
そして、二人が今はお互いを深く愛し合っていることに、なんだか心が温かくなる。
学んだこともあった。
オメガだけでなく、アルファにも社会からの偏見や差別が存在することを、梓は初めて知ることができた。
そのことを恥じるように、梓は自分の無知さを感じた。
「どうしてこの話を……?」
梓は少し困惑したように声を漏らした。
この話を自分にしてどうなるのだろう、何か意味があるのだろうかと疑問がわいた。
「んー?あずちんがずっと暗いから、悩みあるのかなー?って」
「悩みを打ち明けるには、相手をちゃんと知らないとなかなか言えないでしょ?」
悠里の言葉に雪見も頷き、梓はその気遣いに胸を打たれた。
カラオケに誘ったものの、ただ見かけただけでは声をかけなかったという二人の言葉に、梓は心から感謝した。
「ただ話したいだけだった」と言わんばかりの、あたたかい言葉が梓の心にしみていく。
二人が自分にどれだけ優しくしてくれているのかを、改めて実感する。
「だからさ、あずちん。ちょっとでいいから吐き出そう?」
「無理にとは言わないから、いつか話して」
二人の言葉が、梓の心に深く響いた。
なぜこんなにも優しくしてくれるのかと問えば、二人は何気なく、でも真剣に言った。
「友達だと思ってるから」
梓の心は温かさで満たされ、同時に少しの申し訳なさも感じていた。
客と従業員という関係を超えて、友達として接してくれることが嬉しく、そして少し恥ずかしくもあった。
店で働き始めてから、ずっとお世話になってきた三人。
ホストとしての技術や知識、何よりも、彼らから教わった多くのことに感謝している。
友達という言葉に違和感を覚えるのではなく、その言葉を心から受け入れたかった。
だからこそ、打ち明けることを迷うのだ。
しかし、梓はその迷いを乗り越え、伸ばされた手を素直に取ることを決めた。
自分がオメガであること。
事件のこと。
清武のこと。
清武の親に言われたこと。
全てを順番に、ゆっくりと話す。
感情が高ぶらないように、他人を責めないようにと心掛けた。
けれども、言葉を並べるうちに、どうしても心の中の保守的な部分が顔を出し、どこか抑揚を欠いた言い方になってしまった。
それでも、どの言葉も、決して嘘ではなかった。
「何それ!酷い!」
悠里が怒りをそのまま体で表し、机を力強く叩いて声を荒げた。
「梓ちゃん、今日は帰らないで、みんなでオールしようよ!」
「今日は休みだから、付き合ってやるよ」
雪見と佳充も、その顔に激しい憤りを浮かべてはいたが、冷静さを欠かさず、落ち着いたトーンで梓に話しかけてくる。
思わず全てを話してしまったことに、少し後悔が残る一方で、話したことでどこか気持ちが軽くなったような気がした。
それは、まるで久しぶりに重い心の荷物を降ろしたかのように。
梓は、気づけば自然と頬が緩み、安堵したように小さな笑みをこぼした。
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