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19)決められた婚約
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和司は絶え間ない仕事に追われ、ようやく今日の分を切り上げて一呼吸を置く。
デスクの上を片付けている最中、スマートフォンが震えた。
見ると、画面には母親の名前が表示されていた。
要件は、大体想像がつく。
和司はそれでも、親からの呼び出しに応じざるを得なかった。
「今日は実家に顔を出しなさい」
そう言われ、和司は久しぶりに実家へ足を運ぶことにした。
リビングに入ると、両親はソファに腰を掛け、どこか真剣な面持ちで和司を見つめていた。
その様子に、和司は予感を感じる。すぐに、父親が口を開いた。
「そろそろ先方も、日取りを決めたいと言っていてね」
その言葉に、和司はあらかじめ予想していた通りだと感じると同時に、心の中で少しだけ苛立ちが湧いた。
「今じゃない」
そう返事をするが、両親は諦めた様子もなく、困惑を顔に浮かべながら続けてきた。
「彼女も良い年齢なの、子供を望む限りもう時間がないのよ」
「だからって、今すぐに結婚という訳にはいかないと思いますよ」
「彼女なら和司もよく知っているでしょ」
「仕事仲間であって、そういった感情を抱いたことはないので」
和司は結婚の決断を迫られていた。
見合いを何度も断り、ただひたすら仕事に没頭していた和司の元に、両親は勝手に婚約を進めていた。
その婚約者は、和司もよく知っている人物だった。
「岼屋も同じだと思いますが」
岼屋楓――和司の同僚である女警察官であり、アルファの二次性を持つ彼女。
斎藤家と岼屋家は、親同士が昔からの知り合いで、若い頃から顔を合わせていた。
警察学校に入った頃からは、少しずつ交流を持つようになり、ここ数年では何度か一緒に食事をする関係でもあったが、恋愛感情が芽生えることは一度もなかった。
和司にとって岼屋は、単なる仕事仲間であり、思い入れを持つ対象ではなかった。
それでも、両親は彼らの仲を勝手に結びつけ、婚約を押し付けてきた。
「岼屋も、今じゃないと思ってるはずですが」
「彼女は前向きよ。明日にでも入籍したいと言っていたわ」
母親が嬉しそうに岼屋のことを語り始めた。
家柄が良く、容姿も性格も素晴らしいと褒め、まるで彼女を迎え入れる準備が整ったかのように話し続ける。
その言葉を耳にしながら、和司は心の中で冷静に考える。
容姿や家柄の話など、和司にとっては意味がない。
彼の頭に浮かぶのは、岼屋ではなく、別の人物だった。
――村上梓。
思い浮かべるのは、繊細で壊れそうなほど儚いその姿。
花のように優しく、触れるだけで壊れてしまいそうな気がしてならなかった。
梓の柔らかな微笑み、彼女の優しさがあふれる言動を思い出すと、和司の胸が締め付けられるような感覚に包まれた。
梓ほど、心から惹かれる人物に出会ったことはない。
何気ない日常の中で、梓と一緒に買い物をした日を思い出す。
どんな場所でも輝いて見えた彼女の笑顔、そしてその笑顔が向けられたとき、和司はこれまでで一番愛おしいと感じた瞬間だった。
「和司? 聞いてるの?」
母親の言葉が耳に届かないほど、和司はその思いに浸っていた。
やがて、母親が冷たい言葉で彼の意識を引き戻した。
「ああ、はい」
「とりあえず、彼女と日取りを決めてきてほしいの」
拒否権はないというような言葉。
「……帰ります」
和司は席を立ち、重い気持ちを胸に抱えながら部屋を出た。
溜息すらも出せずに、コートを片手にリビングを後にした。
心の中では、呆れたような、諦めたような言葉が何度も繰り返されていた。
足音が静かな廊下に響く中、ふと目の前に立つ人物の存在に気づく。
「兄貴……」
その声に、和司は足を止めた。
清武がそこに立っていた。
普段と変わらぬ表情のはずが、弟の顔にはどこか、重たい雰囲気が漂っているようだった。
デスクの上を片付けている最中、スマートフォンが震えた。
見ると、画面には母親の名前が表示されていた。
要件は、大体想像がつく。
和司はそれでも、親からの呼び出しに応じざるを得なかった。
「今日は実家に顔を出しなさい」
そう言われ、和司は久しぶりに実家へ足を運ぶことにした。
リビングに入ると、両親はソファに腰を掛け、どこか真剣な面持ちで和司を見つめていた。
その様子に、和司は予感を感じる。すぐに、父親が口を開いた。
「そろそろ先方も、日取りを決めたいと言っていてね」
その言葉に、和司はあらかじめ予想していた通りだと感じると同時に、心の中で少しだけ苛立ちが湧いた。
「今じゃない」
そう返事をするが、両親は諦めた様子もなく、困惑を顔に浮かべながら続けてきた。
「彼女も良い年齢なの、子供を望む限りもう時間がないのよ」
「だからって、今すぐに結婚という訳にはいかないと思いますよ」
「彼女なら和司もよく知っているでしょ」
「仕事仲間であって、そういった感情を抱いたことはないので」
和司は結婚の決断を迫られていた。
見合いを何度も断り、ただひたすら仕事に没頭していた和司の元に、両親は勝手に婚約を進めていた。
その婚約者は、和司もよく知っている人物だった。
「岼屋も同じだと思いますが」
岼屋楓――和司の同僚である女警察官であり、アルファの二次性を持つ彼女。
斎藤家と岼屋家は、親同士が昔からの知り合いで、若い頃から顔を合わせていた。
警察学校に入った頃からは、少しずつ交流を持つようになり、ここ数年では何度か一緒に食事をする関係でもあったが、恋愛感情が芽生えることは一度もなかった。
和司にとって岼屋は、単なる仕事仲間であり、思い入れを持つ対象ではなかった。
それでも、両親は彼らの仲を勝手に結びつけ、婚約を押し付けてきた。
「岼屋も、今じゃないと思ってるはずですが」
「彼女は前向きよ。明日にでも入籍したいと言っていたわ」
母親が嬉しそうに岼屋のことを語り始めた。
家柄が良く、容姿も性格も素晴らしいと褒め、まるで彼女を迎え入れる準備が整ったかのように話し続ける。
その言葉を耳にしながら、和司は心の中で冷静に考える。
容姿や家柄の話など、和司にとっては意味がない。
彼の頭に浮かぶのは、岼屋ではなく、別の人物だった。
――村上梓。
思い浮かべるのは、繊細で壊れそうなほど儚いその姿。
花のように優しく、触れるだけで壊れてしまいそうな気がしてならなかった。
梓の柔らかな微笑み、彼女の優しさがあふれる言動を思い出すと、和司の胸が締め付けられるような感覚に包まれた。
梓ほど、心から惹かれる人物に出会ったことはない。
何気ない日常の中で、梓と一緒に買い物をした日を思い出す。
どんな場所でも輝いて見えた彼女の笑顔、そしてその笑顔が向けられたとき、和司はこれまでで一番愛おしいと感じた瞬間だった。
「和司? 聞いてるの?」
母親の言葉が耳に届かないほど、和司はその思いに浸っていた。
やがて、母親が冷たい言葉で彼の意識を引き戻した。
「ああ、はい」
「とりあえず、彼女と日取りを決めてきてほしいの」
拒否権はないというような言葉。
「……帰ります」
和司は席を立ち、重い気持ちを胸に抱えながら部屋を出た。
溜息すらも出せずに、コートを片手にリビングを後にした。
心の中では、呆れたような、諦めたような言葉が何度も繰り返されていた。
足音が静かな廊下に響く中、ふと目の前に立つ人物の存在に気づく。
「兄貴……」
その声に、和司は足を止めた。
清武がそこに立っていた。
普段と変わらぬ表情のはずが、弟の顔にはどこか、重たい雰囲気が漂っているようだった。
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