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いつかの2人(ミュリエル視点)

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「そうそう、上手だよミュリエル」
「アル様が、わかりやすく教えてくださったからですわ」

ワン、ツー、ワン、ツー。
声をかけてもらいながら、手を繋いだ彼とステップを踏む。まだ怖くて、ハイヒールを履けない私に合わせてくれていたので、はじめてしばらくは私もアル様も裸足だった。ダンス中は常に顔を上げていなければいけないから、じっとは見ることはできないけれど、彼はつま先まで予断なく整えられている。そのため、練習の前日は私もレネに色付きのマニキュアをお願いしていた。
エメラルドのローヒールを履かせてもらったから、今は隠れているけれど。私の爪先は、爽やかなライトグリーンのフレアスカートと揃えて、驚くくらいに明るいグリーンに染まっている。私らしくない派手な色合いに、似合わないのではないかと少しドキドキしたが、胸ポケットに同じ色のスカーフを収めたアル様は満面の笑みで褒めてくれた。また、宣言の時にもつけていたアメトリンのブローチが、彼のクラバットの上に輝いていた。ちなみに私のチョーカーも、毎日手ずからつけてくれる。
こういった細やかな心遣いができるのだから、きっと幼少の頃から貴族の子女にはとても人気だったのだと思う。魔の国にきてから城で夜会のようなものは開かれていないが、もしあればご婦人方に囲まれている様子が容易に想像できた。

―それに、うまく対応することができるでしょうか。デビュタントもまだなのに。

「うん、そのまま姿勢を保って、そこでターン!」
「はいっ!」

アル様が左足を下げれば、それに合わせて右足を一歩前へ。そのままホールドを崩さずに数歩進んで、腰に回っていた手が離れるのと同じスピードでくるりと回る。手を繋いだまま、反対の手を少し角度をつけて止めて、その後にスカートの裾をちょっと摘んでお辞儀すればパチパチと拍手をするクリス。

数ヶ月前、体力をつけたいと言った私にアル様が提案してくださったのは社交ダンスだった。こちらにその文化があったのも驚きでしたが、クリスが男女が交流を深めるには共同作業が一番手っ取り早くて大切ですからね、と呟いていた。
―優れた芸術は国境を越えるものなのですね。
幼少の頃、うっすらと聞いたことのある作曲家の名前をあげたアル様に、そう思った。
王国では成人の半分である8歳ごろから習うはずのダンスも、私にとっては当然初めてのことで。そのため、まずは姿勢の保ち方やステップから教本を借りて丁寧に学びました。そのうちに、習うより慣れろ、とアル様はダンスホールへと私を連れて行ってくれました。
それからは、夕食後の少しの時間に付き合ってくださる。彼は私のたどたどしいステップにも、ふらつく姿勢も気にする様子もなく、いつもしっかりとしたリードで支えてくれる。

「少し、休憩しよう。おいで、ミュリエル」
「はい、アル様」

華やかながら品のある、とても広いダンスホール。柱の一つ一つが真っ白で、規則的な模様が描かれた大理石の床は一点の曇りもないほどピカピカに磨きあげられている。しかも、ここで踊るのは私たちだけ。なんて贅沢なのかしら。
それをお礼の言葉とともに伝えたら、むしろ私が来る前はしばらく使っていなかったから、ホールも喜んでいると返されてしまった。

「お疲れ様でございました。こちらをどうぞ」
「ありがとうございます」

エスコートされるがまま、丸椅子に腰を下ろした。背もたれがない分、先ほどまでの姿勢を意識することができる。カフェテーブルの上に2つ並んだアイスティーは、透明なガラスのグラスに注がれていた。持ち上げるとカランと氷がぶつかる軽やかな音がした。
いつもより薄い琥珀色を目で楽しむだけでなく、一口ふくめば爽やかな香りが鼻から抜ける。

「すごい、フルーツの香りがします」
「ええ、アイスティーは濃く淹れた紅茶を一気に氷で冷やしますから。香りが一気に花開くのです」
「マスカットティー、おいしいね」

隣で同じ丸椅子に腰掛けて、先に紅茶を飲み干したアル様は襟元を少し緩めた。集中して取り組んだおかげで私も背中にしっとりと汗をかいている。レネに喜ばれそうだわ。
やっと、普通くらいの体つきになった私に今足りていないのは適度な運動。週に2回、1時間ほどのステップ練習でも最初は筋肉痛になっていたのを思い出す。
初めての練習の翌日は腕にも足にも腰にも、全くもって力が入らなくてベッドから起き上がれなかったことも。そのおかげで旦那様がニコニコとした笑みと共に、自ら朝食を持って寝室に現れたのには驚いてしまったわ。

「これなら、次はもう少し高いヒールで練習できるんじゃないかな」
「そうですか? まだ、ちょっと怖いのですが」
「前にも言ったけど、羽のように軽いミュリエルに踏まれたくらいじゃ、僕はなんともないけどね」

慌てる君が見られるなら、ある意味ご褒美かも、などと呟かれて私は顔を赤くした。
誤魔化し半分、グラスについた口紅を拭った。

しばらくは先ほどまでのダンスの振り返りをしたり、ステップについて話をしたり。私が問えばすらすらと教えてくれるので、ついつい色々なことを尋ねてしまう。きっと、幼少の頃から、様々なことに努力を積み重ねてきたのだわ。
それでいて、執務も一切手を抜かずにこなされている。アル様が気持ちを安らかにできる時はあるでしょうか。



「それにしても、ごめんね」

表情を伺えばいつの間にかアル様は少し眉を下げたような、シュンとされたお顔をされていた。どうしてでしょうか?

「なにがでしょうか」
「ミュリエルがせっかくダンスを身につけても。僕が夜会を開くことはないから」
「そう、なのですか? 新年の挨拶や、アル様の誕生日パーティを開かれたりなどは?」
「新年の挨拶は、やるなら王座の間かな。それもこの2、3年やってないけど」

来年はやらなくちゃダメかなぁ。ミュリエルを一目見たいって言う忠臣たちがまだいて。
2杯目も飲み干して、うーんと背伸びをするアル様は当然のように仰る。その言葉に私は驚いてしまった。

「あの方達だけでは、なかったのですね」
「まぁ、領の統治が忙しかったり、城まで来るのが難しかったり。ほら、海や雪山に住んでる種族もいるから」
「なるほど・・・」
「それに、誕生日をパーティを開いてまで祝うなんて不思議な習慣だね。王国では普通なの?」
「え、ええ。貴族ではわりと普通ですね。私も幼い頃はお茶会を開いて、祝ってもらっていました」

お母様の作るラフランスのコンポートやマロンタルトが楽しみで、前日の夜に眠れなかったのを思い出す。
温かくて、優しい思い出。それを顧みることすら辛かった時期もあったけれど、今はあの時と同じくらい、それ以上に愛されている。
アル様が、そう思える余裕を私にくださっているのだわ。

「てっきり、ご存知なのかと思っておりました。先日私の誕生日に、ケーキをくださったから」
「ああ、あれ? あれは僕の好きなデザートで、ミュリエルにも知ってもらいたかっただけだよ」

でも、君の誕生日を祝う気持ちはあるな。その日に仕事を入れたくない思いはある。

「それに、魔の国では生まれた日はわりと重要な個人情報だから、公にしないのが普通なんだ。でも、もし叶うなら僕の誕生月のどこかで2人きりで過ごしたいな。ミュリエルを独占する権利を僕に頂戴」
「・・・そんなことで、よろしいのでしょうか」

私の奴隷としての隷属契約は、妻になったことで解除されたようですが。心のどこかで私の全てはこの方のものなのだと思う気持ちもありました。
―そして、それを心地よいと思っている自分も。
隣で私の髪を撫でていた左手が、つつと降りてきて頬を軽くつまむ。形のいい唇まで少し尖らせている。
もしかして、拗ねていらっしゃる・・・?

「知ってるんだからね、最近司書長のミネルヴァに、ニールとも歩み寄ろうとしてるでしょ。あーあ、僕の可愛い妻はいろんなところで好かれて、ずるいなぁ」
「ご、ご存知だったのですね・・・では、なにをしているのかも?」

おそるおそる尋ねる。まだ、形になっていないので知られてしまうのは恥ずかしすぎる。
貴族の子女らしからぬ生活を送っていた私は、様々な雑事をこなすことができますが。調理だけは、未経験だったのです。

「僕に言えないようなこと、しちゃった?」
「と、とんでもないです! でも」
「でも?」

優しい手から逃れて、首を横に振る。首を傾げる旦那様に私は人差し指を立てて、唇に寄せた。

「まだ、ひみつですっ」

しばらくの沈黙。表情も固まっていたアル様が突然立ち上がって、私の腕をとった。

「・・・よし、踊ろう」
「ヘ?」
「僕に秘密なんて作る余裕のあるミュリエルが、口を滑らせるくらいまでくたくたにさせてやる」
「えええっ!? あ、あの、お手柔らかに」

そう願いを口にするものの、あっという間にホールの中央まで導かれる。指をパチリと鳴らすだけで、どこからか音楽まで流れてくる。
三拍子のワルツ。うっすらと聞き覚えがあるような、ないような。

「すぐに、足腰たたなくさせてあげるよ」

物理的に、ね。
そう言って妖艶に微笑む夫のたくましい腕にしっかりとホールドされて、私はクリスに助けを求めようとするが振り返れば彼はグラスと共に消えていた。いつの間に。
観念して、と私の耳に囁く低く甘い声。黒曜石のような瞳は、頭上にあるシャンデリアに負けず劣らずきらきらと輝いていた。

(終)
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