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アルディオス視点

僕と彼女の6日目 前編

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彼女のいる寝室に戻ると愛さずにはいられなそうだったから、執務室の隣にある1人用のベッドで昨夜は寝泊りした。王位を継いですぐの頃、クリスが臣下になってくれる前まではよく使っていたけれど、久しぶりにここで寝起きする。
一つ上の階にある寝室に戻る余裕のないくらい、忙しい時に仮眠を取るための部屋だから部屋は広くないしクイーンサイズのベッドとチェスト、衣装ダンスしかない。朝起きて隣に温もりがないと寂しいんだと、ミュリエルが来るまでずっと一人寝だった僕は初めて知った。
それだけ彼女が僕の生活に馴染んできたということで、こそばゆい感じ。こういうのを幸せと言うのだろうか。
自分で身を整えて執務室へ移動する。
宣言後の多忙さは容易に想像できて、でもミュリエルとの時間も削りたくない。自分でもわがままだと思うけれど、できる時に執務を詰め込むために朝食もここに運んでもらうように頼んでおいた。クリスが来るまで少し時間ができて水晶を覗けば、彼女はまだ夢の中のようだった。
でも、昨日散々焦らされたようで寝ているのに息が少し荒い。体調不良でなければいいけれど、水晶越しでは魔力感知まではできないから詳細はわからなかった。

「アルディオス様、おはようございます。朝食をお持ちいたしました」
「おはようクリス。早速いただこうかな」

ミュリエルのことが気がかりではあったけれど、昼休憩に見にいくことに決めて一旦水晶の接続を切る。そのまま朝食を食べ始めた。
移動の手間もあってか今日のメニューはサンドイッチのようだ。でも半熟卵やカリカリのベーコン、新鮮な野菜など拘って作られたのがわかるものばかりで、僕は一つひとつ口に運んでは味わって食べた。
そのあと、香り立つ紅茶にミルクを入れて飲んで、今日の予定を確認する。宣言を行うと通達を出してから半月が経ち、予定はこの3日前後と伝えてあったため今城の中は僕の忠臣だらけになっている。開示されてはいないが意図を察しているためか謁見をねじ込んでくる者はいなかったけれど、近年稀に見る出入りの多さに城の外はそれなりに煩くなっているらしい。
かといって城の守りを緩める、つまり近衛騎士団を派遣するわけにもいかず、しばらくは王都に在中する自警団と国の騎士団が協力して治安維持に勤めてもらうことになりそうだ。
―この国で最も安全で、ある意味危ない奴らだな。
僕の前では忠実なんだけど、魔王不在の大食堂の席決めだけでクリスが2日を要したのだから、言葉にするのがなんとも難しい忠臣達だ。

「そういえば、クリス。花の名前を知りたいんだけど」
「どのような花ですか」
「人間の国で秋に咲いて、すごく甘い香りがするやつ」

そんな曖昧なことを言う僕にも、心当たりがあるようで1つ質問を返される。

「ふむ、木ですか?」
「多分、そうだったと思う。ミュリエルの魔力が同じ香りなんだ」
「なるほど。おそらくそれは・・・」

言いかけて、ノックがされた。クリスがドアを開くとそこには緊張の面持ちのツヴァイに付き添われて、父カインが立っていた。
僕は思わず立ち上がる。主賓ともいうべき彼は最初に探し始めたのに、連絡がついたのは最後だったから。

「やあ、アル。使い魔に持たせた手紙ありがとう。ギリギリ間に合いましたかね?」
「父さん! 本当に、はらはらしたんだから。放浪するのはいいけど、どこにいるかくらい自分でわかるようにしておいてよ」
「いやー、人間の国も旅してみると、知らない薬草がたくさんありましてね。森に分け入るうちに現在地が王国だか帝国だか分からなくなることが多くて困ってしまいました」

うわ、すごく想像できる。それで国境警備隊に捕まったら目も当てられないけど、父さんも伊達に150年以上森に潜ってないからその辺の身のこなしは大丈夫なはずだ。
ーでも、次にこの城から出るときは許可をとってクレーエをつけよう。ミュリエルも妻になることだし探す手間を考えたら断然効率がいい。
苦笑を浮かべる父を部屋に招き入れて、対面して座る。クリスが空間から揃いのティーカップとポットを取り出してサーブした。お礼と共に紅茶を一口飲んで、驚いたように見開かれる僕と揃いの目。

「美味しい、アルは随分優能な宰相を持ちましたね」
「クリスは僕のだからね・・・そういえば父さんこそドリアードの森に行って、エリクサーの情報を集めたりしなかったの?」
「そうできたらよかったのですが、私の魔法は彼らにとって炎以上に大敵です。近づくことも許されないですよ」

それもそうか。クリスは微笑みながら給仕しているけれど、つながりもあり本体が木である彼らにとっては毒を撒き散らされたら一族全滅だってありうる。まぁ、国の制度として自死を厳罰化するほど、どんな命も大切にする父さんがそんなことをしないのは百も承知だけれどね。

「今度、僕とクリスと一緒に行ってみる? 話くらいは聞いて」

もらえるかも、言いかけたところで部屋の隅の水晶が赤い光を放って点滅する。さっと立ち上がってそれに触れた。
困惑した表情の侍女と、その腕に抱き留められたミュリエル。今度は僕が目を見開く番だった。

『ミュリエル様!』
「すぐに行くから!」
「私の出番ですかね」

レネが呼びかける声に、聞こえるはずもないのに返事をして部屋を飛び出した。父さんもついてくるけどうなずく時間さえ惜しくて、驚いた近衛騎士にも構わずに階段を2段飛ばしで登った。


△▼△


封具の振動はいったん止めたけれど、僕の寝室は既にむせ返るような花の香りに満ちていた。

「魔力多加、ですね」

口元のガーゼを巻いたまま聴診器を外した父は、困ったような表情で薄い手袋を剥ぐ。
僕は少し離れて座り、彼の言葉の続きを待った。

「覚醒が近い上に、封具で蓋をされて彼女の体内は今、抑えきれないほどに聖女の魔力に満ちているようです。ですが、慎重なアルのことです。何度かガス抜きはしてあげたのでは?」
「うん、でも、昨日はしてない」

僕の答えにどうして、と父さんが尋ねることはなかった。
その代わりに診療道具を鞄にまとめて席を立ち、すれ違いざまに肩に手を置かれる。

「私の見立てでは彼女が耐えられるのはあと3時間が限度です。どういった過程を経てアルの妻にするかは、任せます」

そのまま父は、客間にいますからと手を振って退出する。
1人残された僕は一歩一歩近づいて父が座っていた椅子に腰を下ろした。
丸くなってきた頬を熟れた果実のように紅潮させて、額には玉のような汗が浮かんでいる。濡らしたタオルで何度か拭いてやって、額にのせた。根本的な解決にはならず、気休め程度でもそうすることで自分の気が済むような気がしたから。

喘ぐ彼女をぼんやり見つめながら、考える。
―どうしてあげたら、幸せにできるのだろう。
冷静に今までの行動を振り返ってみれば、僕本位のことばかりだった。彼女が欲しかったのも、妻にしたかったのも、愛しているのも。
だから唯一、わずかな時間ではあるけれどミュリエルの心が僕を受け入れるまでは、自分がどうあれじっと待つつもりだった。しかし、それすらできないなんて。

考えもまとまらず、ただただそばにいることしかできなかった。そうして何度かぬるくなった額の布を変えていると、小さなノックの音に気づく。

「失礼いたします、アルディオス様、こちらを」

見れば、肩で息をしたクリスがいた。手に持つ花瓶には、2種類のよく似た木の枝が生けられている。小さな花をびっしりとつけて、枝が多少しなっていて、艶やかな緑の葉は光沢をもっている。

「これは・・・?」
「オレンジの花が付いているのが金木犀、白い花が銀木犀です」

これほど、濃厚な香りならば金木犀かもしれませんね。
そう一言付け加えて、クリスは花瓶を僕の腕に乗せる。返答する間も無く目の前で閉められる扉。先ほどの答えをくれたのだとわかって、僕は踵を返してチェストにそれを置いた。
ミュリエルが目を開けたのは、ちょうどその時だった。

「ん・・・」
「ミュリエル、目が覚めた?」

銀の睫毛が揺れて、ゆっくりと開かれる紫の瞳。熱に浮かされて涙の膜が張ったそれが僕を見て、心臓が跳ねた。冷静な心を保ちたくて、ぎり、と奥歯を噛み締める。まだ、理性を失うわけにはいかなかったから。
ちらりと時計を見やれば、父から示された刻限まで1時間を切っていた。ミュリエルはふらつきながらもベッドから身を起こして、僕にもたれかかる。
受け止めて気づく。小さな、熱い身体。荒く上下する肩に触れた指先に、気のせいではない痺れが走る。
ー歯を噛み締めていてよかった。彼女がいつ顔を上げてもいいように引きつる顔をなんとか笑顔に整えて、僕は口を開いた。

「ごめん、体調が悪かったんだね。昨晩1人にして、寂しかったよね」
「・・・はい」

少し捲し立てるような口調になってしまったけれど、間があってミュリエルはうなずいて答えた。
まずい、彼女が纏う濃密な魔力に息が乱れて、全身に悪寒が走る。本能的に離しそうになった手を意志の力で押し留めた。
役職に縛られるのは嫌だ。だって僕は、君を愛しているから。でも同意のないまま身体を繋げて心が壊れてしまったらと、考えるだけでゾッとして動けない。

「しばらくは、ここにいるから、安心して眠るといいよ。何か食べられそう? クリスに作ってもらおうか」

違う、こんなことが言いたいんじゃない。でも、役職を知られてはいけないという制約のある今、なんて言って彼女を引き止めたらいい?
―お願いだから、そっちに行かないで。僕は、もうミュリエルなしじゃ生きていけないから。

額が押し付けられた左肩に、振動が走る。正直熱くて痛くて顔が歪みそうになる。でも、視線を落とせば、に振れる銀の髪。
ゆっくりとあげられた顔を、僕は一生忘れない。

「すき、です。アル様。私があげられるのは、この身一つしかありませんけれど・・・それでも、私だけを愛して幸せにしてくれますか?」

一息で告げたミュリエルは大きく、肩で息をする。待ち望んだ言葉すぎて、夢でも見ているのだろうかと自分の頬をつねりたくなった。
まさか、本当に。彼女から好きって言ってもらえるなんて。

「それは、この間の返事と思っていいのかな」

確認なんかできる余裕なんてなかったはずなのに、口をついて出る。ミュリエルは微笑んで、一つうなずいてくれた。






ーその刹那、指の痺れも、背筋の悪寒も、部屋に入ってからずっとあった息苦しさも、綺麗さっぱり感じなくなっていた。
 
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