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本編裏話
ある従者の話(クリス視点)
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アルディオスの従者であるクリス視点。
ーーーーーーーーーー
私は私であると意識した時から、欲しているものがある。それは知識だ。
幸い私には種としての長寿、多くのつながりがあり、一言求めるだけでたくさんの知識が流れ込んでくる。時折目眩がしそうなほどのそれを徐々に吸い上げ、整理し、全く関係がなさそうなもの同士を結びつけ、また新たな知識を生む。それは私を至極幸福にし、その充足感に酔いしれることが私の生きがいだった。
だが、なんでも知っているというわけではない。時たま私たちの住処に迷い込む二足歩行の餌・・・あれはとても美味なものもあれば、一見骨と皮しかないようなものも私たちの知らない知識を蓄えている場合がある。
あるとき、私はつながりたちに尋ねた。
―あれは、なんだ?
『ヒトと言う生き物だ』
―なぜ味に差がある?
『・・・』
―どこから来るのだ?
『この森の向こうから』
―この森の向こうには何がある?
「街があるよ。君達の大好きなヒトがたくさん生きていて、まあ、集合体のようなものだね」
いつのまにか、私の前には黒髪の男がいた。見目はとてもよく似ているが、これはヒトではない。その証拠に彼が一歩踏み出すたびに、ずしりと空間が音を立てるような錯覚を覚える。
肩に止められたマントの下には、隣接する魔の国での正装とされる漆黒の軍服を着ていた。魔王が代替わりしていたことは知っていたが、軍服も少々デザインに変更があったようだ。鬱蒼とした森にいるには不釣り合いなほど、襟元まできっちりボタンを止めていて隙がない。
それ以上に気になる彼の纏う濃密な魔力は、まさか。
「魔王、か」
「ああ、お初にお目にかかる。僕はアルディオス・フォン・ルシフェル。つい5年前に王位を継いだまだ若輩者だよ」
「私も、ドリアードの中では年若でな。して、魔王よ。なぜヒトは街にいるのだ」
「弱いから。彼らが僕らに対抗するには、数で勝負するしかないだろう?」
「なるほど、実に合理的だ」
私は合点がいき、心の内でうなずいた。もっと話が聞きたいと、彼には私の幹を張り巡らせた椅子を勧める。男は美しく整った顔をほころばせてそれを受け入れ、最近の国内の情勢や近隣国の流行りなど、私の欲を満たす話をたくさんしてくれた。
どれだけ話をしただろうか、その内にそうだ、とふと思いついたかように彼は手を打った。
「さっき君が同胞に聞いていたヒトの味が違う理由、確かめてみたくない?」
その申し出に私は、椅子ごと彼の肩を揺さぶりたい気持ちを抑えるのに必死だった。
「知っているのか?」
「いいや、僕は食べないから知らない。でも、予測はできる。実験してみることで答えがわかるんじゃないかな?」
「動けない私でもか」
「いいや、君は動ける。僕と主従契約してくれればね」
確かに、彼の魔力量ならば私を人型にしてここから連れ出すことも可能だろう。
私たちの知らないことを知る魔王。つながりだけでは底が見えてきた私にとってその提案はなんとも甘美な響きを持っていて、価値は計り知れない。
「しかし、魔王よ。貴殿になんのメリットがある」
「その知識をほんの少し、僕にも分けて欲しい。具体的にいうと参謀ってところかな。まだまだ、信頼できる部下が少なくて困っているんだ」
ふぅ、とため息をついて肩を竦めるのは、いかにも演技じみているが真実なのであろう。魔族ですら迷う、この森に共もつけずに飾りの剣1本をぶら下げただけの軽装で足を踏み入れたのだから。
「承知した。それと引き換えに、私がこれより陛下の配下となろう」
「うーん、できれば魔王じゃなくて僕の忠臣になってほしいんだけど。あと、僕が契約したいのは君だから、君の名前を教えてくれるかな?」
首を傾げる美丈夫に私は言い淀んだ。ドリアードである私は奥底で皆とつながっているため、意識はあるものの個人を識別する必要に駆られたことなどなかった。
「すまぬ。私には名がない」
「じゃあ、今から君の名前はクリス。クリスの望みを叶える代わりに、アルディオス・フォン・ルシフェルの名の下に主従契約を」
差し出された左手。その言葉を受け入れた瞬間、私は眩い光に包まれる。仲間とのつながりが切れ、初めて味わう感覚。後ほどそれは浮遊感というのだと陛下が教えてくれたが、目を開けた時には見下げていた彼を見上げるようになっていた。
近くで見れば見るほど、彼には一切の綻びがない。その長い手足も喜びに輝く瞳も、性をどちらにでもできる私でもわかるほどに美しかった。
「このクリス、契約に従い陛下に必要な知識を授けよう」
「ありがとう、これからよろしくね。期待してるよ」
そうして、私より頭一つほど高い主人と、生まれて初めての握手をしたのだった。
△▼△
「そういえば、最近は食べてないみたいだけど。いいのかい?」
月光がさす執務室。先日起きた銀狼族とオーガ族との小競り合いについてまとめられた文書に目を通しながら、アルディオス様は唐突に言った。
何を指しているかを一瞬で精査し、私は笑みを浮かべる。
「ええ、ヒトより美味しく食べられるものがあると知りましたから」
2つしかないものの、自由に、繊細に動かせる手足を手に入れたその一環で、一時期食材を調理するその手法に興味を持ち取得までしていたことを思い出す。結果、私の味覚には血の滴る肉よりも淡白な川魚が合っていた。
まあ、その過程の一つで彼の執事よろしく紅茶の淹れ方まで覚えられたのだから、何がどこで役立つかわからないものだ。
そう、知識欲に飢えていた私はもういない。もちろんまだ知り得ないことがたくさんあるため、見聞は広げていくつもりだが今は得た知識を使いこなす方が何十倍も有意義だということを知ったのだ。もちろん目の前の彼のためにだが。
「ならいいんだけど」
「それにあの頃は食べ方を気にする必要はありませんでしたが、今はアルディオス様の顔に泥を塗るわけには参りません」
そう、彼が最初に城に連れ帰った臣下であり、今や宰相の地位にいる私の一挙一動には、疾しいことがある者もない者も目を光らせている。探られて痛い腹などないが、親しみを込めたこの呼び方も2人でいるときだけだ。
彼の地位は私が忠臣となり20年、ようやっと安定を見せ始めた。1番の難所だったのは、15年ほど前からの5年間、アルディオス様が頭痛や倦怠感など原因不明の体調不良に襲われたことだ。
どれだけ手を尽くしても改善の兆しは見えず、むしろ日を追うごとに悪化する一方で。役に立たない自分に忠臣としての価値を見出せなくなる。
見苦しくも泣きながら契約を解除してくれと懇願する私に、せっかく手に入れたのに逃すものかとベッドの上から彼は一蹴したが。
その代わりに国の宰相として私を祭り上げ、自分は表舞台から消えて情報統制を行う影の部隊の育成や、増え始めた臣下のうち本当の忠臣を選別する機会としてしまったのだから、その思慮深さに平伏するより他にない。
ー結局原因はわからぬまま、10年前の秋口から体調は戻り、その後は歴代の王をも凌ぐほどの魔力を手に入れ着々と直接的な支配下を広げている。
元々、再現不可能とまで言われた重力魔法を操り、見目麗しく何でも卒なくこなされてしまう方だ。それまでに蓄積された過労や、1人でできることには限界があったのだろうと私の中では結論づけた。
「もし、クリスが欲しい物があるなら教えて。僕でできることなら叶えるよ」
アルディオス様は反逆、敵対する者に情けをかけることはないが、懐に入れた者には笑みを浮かべて甘い言葉を囁く。しかし、それに勘違いして身の丈に合わない願いを口にした者は気づかぬうちに閑職に追いやられるか、裏の顔を引き摺り出されるかの二択だ。側近として、その光景を何度も間近に見ている私は決済済みの書類を整えながら微笑み返した。
自分の振る舞い全てで相手を見極める人だから、5年も新しい臣下もなく魔王としてあれたのだろう。
「では、向こう200年はこの安定した統治を続けていただきたく。あとはもう少し人間の書物さえ手に入れば文句はありませんね」
「そのことなんだけど」
椅子に深く座り直して、手を招く彼の近くに寄る。執務室には完全防音の魔法がかけられているが、よっぽどの内容なのだろう。彼の口のそばに耳を寄せる。
「僕は、やっぱり聖女が欲しい。彼女の魔力は魔を払う聖魔法と、結界が主だろう? 聖女を堕として、その魔力を奪うことで人間たちの侵攻を防げる要になると思うんだけど」
「また、そのような酔狂なことを。アルディオス様もご存知の通り、魔王と聖女は互いに覚醒するまで感知もできず、たとえ意思を持って近づいても反発し合う磁石のように引き離される。そんな者をどうやって堕落させるおつもりで?」
「ところが、そうじゃないみたいなんだよね」
「?」
いつの頃からか、アルディオス様は聖女の持つ結界魔法にえらく興味を示していて、話題に上がるのは珍しくはない。しかし、得意そうな笑みを見ると今日の彼は一味違うらしい。
長い指を振るだけで、ふわりと部屋の隅の水晶玉が浮き上がって映像を映した。
これは、人間の国の貴族の屋敷か。蔦が絡みつき少しくたびれた印象のあるレンガ調の壁。2階にある窓の向こうに動きがあり、映像がそこに寄るが小さいことには変わりない。
私は映し出される2人の少女のうち、1人に釘付けになる。長さの整わない銀髪の隙間から一瞬見えた宝石のような瞳に、いつの間にか無表情になっていたアルディオス様は話し出す。
「今世の聖女、ひどい虐待に遭ってるみたいで守護が極端に弱い。確かにこれ以上は近づけなかったけど、彼女を見つけることはできた」
映し出される水晶玉の中、痩せ細った少女が醜い顔のブロンドの少女に執拗に扇でぶたれている。
貴族の使用人としては薄汚れ、袖口がほつれたボロの服を纏っていた。頭を庇うように抱える白い腕には幾重にも重なる赤い線が走り、痛々しい。王都では100年ほど前に廃れた低俗な躾のようなそれに、私は嫌悪を覚えた。
魔の国に死刑制度はもうない。犯罪者は己の犯した罪により、魔力を奪われ種族による差はあるが男ならば大抵が鉱山奴隷、女ならば性奴隷としてある一定期間か、死ぬまで苦しみを味わうのだ。そして犯罪奴隷は国のもの。つまり全てがアルディオス様の管理下にある。
一応救済措置として被害者遺族が申請をすればひっそりと手打ちにすることも可能だが、今では9割近くの犯罪者が明日をも知れぬ恐怖を感じながら一応は国の役に立っている。先代の魔王様からの発案で、王都で試験運用されていたそれを、アルディオス様が国の制度として確立させたのだ。
おっと、これは聖女とは関係ありませんね。閑話休題。
「これは、確かに」
「ね、銀髪のアメジスト。先代を聖女に殺された、11代の記述とそっくり」
私も書物でしか知り得ない知識だが、魔王と聖女の容姿は対比されるがごとく決まっていた。
ただ、同じヒトにここまで貶められて聖女としてあれるのか?
私の表情から疑問を読み取ったかのように、水晶の中の聖女に視線を戻したアルディオス様は笑みを深めた。その漆黒の瞳にはねっとりとした執着と慈愛が共存するという、世にも恐ろしい状態だったが。
「でも彼女、聖女なんだよ。つまりあの義妹や義母を恨む気持ちなんてこれっぽっちもない。ただただ耐えて、日々を過ごすだけ」
このままだと徳が高すぎて、覚醒した暁には彼女の祈りだけでこの国が吹き飛びそうだ。
冗談まじりで楽しそうに呟く口調とは裏腹に声は真剣そのもので、決して予断を許さない状況だと理解する。
しかし、アルディオス様の中に彼女を葬る選択肢はないのだろう。手に入れた後魔力タンクとして飼い殺しにするのか、花嫁として未来永劫王座に縛り付けるのかはまだわからないが、どちらでも対応できるように準備を進めなくては。
「ってことで、クリス。ヴィントは先に王国へ行ってるから、一緒に調べ物を頼むよ。彼女の全てを僕に」
ああ、こうして知識を望むアルデイオス様はとても美しい。万の軍勢を率いて反旗を翻したリザード族を一人で蹂躙し尽くしたときのように、支配者のオーラを身に纏っているのに口から出るのはお願いなのだから。
この20年で彼に逆らう種族は尽く国から消え、衰退の一途を辿る。その代わり、珍しい魔力を持つ少数部族がまるっと近衛騎士団に優遇されたり、高い技術力を持つが長年武力によって支配されてきたハイドワーフを解放したうえで根気強く交渉し、魔王軍への武器や防具の永続契約を結んだり。
種族やそのものが生まれ持った純粋な力だけでなく、弱くとも知力を持つ者や優秀なものを重用する彼はときに差別の対象であった半魔すらも受け入れた。そのおかげか王都はここ200年ほどにない活気に満ち溢れ、ヒトと魔物の混じり物である彼らへの侮辱は影を潜めるようになった。先王が存命であることや、若さを理由にしたはじめの反発を他所に、賢王だと誰もが認める存在になっている。
欲したものは必ず手に入れる。それが魔王たる彼の所以だ。そして彼の一番側に傅くことを許されることに、得もいわれぬ悦びを感じるのだ。
「承知いたしました。アルディオス様」
私は最敬礼を取る。彼の与えてくれたこの身に誓って、忠誠が揺らぐことは決してない。
ーーーーーーーーーー
副題 : 知りたがりのドリアードと魔王。
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私は私であると意識した時から、欲しているものがある。それは知識だ。
幸い私には種としての長寿、多くのつながりがあり、一言求めるだけでたくさんの知識が流れ込んでくる。時折目眩がしそうなほどのそれを徐々に吸い上げ、整理し、全く関係がなさそうなもの同士を結びつけ、また新たな知識を生む。それは私を至極幸福にし、その充足感に酔いしれることが私の生きがいだった。
だが、なんでも知っているというわけではない。時たま私たちの住処に迷い込む二足歩行の餌・・・あれはとても美味なものもあれば、一見骨と皮しかないようなものも私たちの知らない知識を蓄えている場合がある。
あるとき、私はつながりたちに尋ねた。
―あれは、なんだ?
『ヒトと言う生き物だ』
―なぜ味に差がある?
『・・・』
―どこから来るのだ?
『この森の向こうから』
―この森の向こうには何がある?
「街があるよ。君達の大好きなヒトがたくさん生きていて、まあ、集合体のようなものだね」
いつのまにか、私の前には黒髪の男がいた。見目はとてもよく似ているが、これはヒトではない。その証拠に彼が一歩踏み出すたびに、ずしりと空間が音を立てるような錯覚を覚える。
肩に止められたマントの下には、隣接する魔の国での正装とされる漆黒の軍服を着ていた。魔王が代替わりしていたことは知っていたが、軍服も少々デザインに変更があったようだ。鬱蒼とした森にいるには不釣り合いなほど、襟元まできっちりボタンを止めていて隙がない。
それ以上に気になる彼の纏う濃密な魔力は、まさか。
「魔王、か」
「ああ、お初にお目にかかる。僕はアルディオス・フォン・ルシフェル。つい5年前に王位を継いだまだ若輩者だよ」
「私も、ドリアードの中では年若でな。して、魔王よ。なぜヒトは街にいるのだ」
「弱いから。彼らが僕らに対抗するには、数で勝負するしかないだろう?」
「なるほど、実に合理的だ」
私は合点がいき、心の内でうなずいた。もっと話が聞きたいと、彼には私の幹を張り巡らせた椅子を勧める。男は美しく整った顔をほころばせてそれを受け入れ、最近の国内の情勢や近隣国の流行りなど、私の欲を満たす話をたくさんしてくれた。
どれだけ話をしただろうか、その内にそうだ、とふと思いついたかように彼は手を打った。
「さっき君が同胞に聞いていたヒトの味が違う理由、確かめてみたくない?」
その申し出に私は、椅子ごと彼の肩を揺さぶりたい気持ちを抑えるのに必死だった。
「知っているのか?」
「いいや、僕は食べないから知らない。でも、予測はできる。実験してみることで答えがわかるんじゃないかな?」
「動けない私でもか」
「いいや、君は動ける。僕と主従契約してくれればね」
確かに、彼の魔力量ならば私を人型にしてここから連れ出すことも可能だろう。
私たちの知らないことを知る魔王。つながりだけでは底が見えてきた私にとってその提案はなんとも甘美な響きを持っていて、価値は計り知れない。
「しかし、魔王よ。貴殿になんのメリットがある」
「その知識をほんの少し、僕にも分けて欲しい。具体的にいうと参謀ってところかな。まだまだ、信頼できる部下が少なくて困っているんだ」
ふぅ、とため息をついて肩を竦めるのは、いかにも演技じみているが真実なのであろう。魔族ですら迷う、この森に共もつけずに飾りの剣1本をぶら下げただけの軽装で足を踏み入れたのだから。
「承知した。それと引き換えに、私がこれより陛下の配下となろう」
「うーん、できれば魔王じゃなくて僕の忠臣になってほしいんだけど。あと、僕が契約したいのは君だから、君の名前を教えてくれるかな?」
首を傾げる美丈夫に私は言い淀んだ。ドリアードである私は奥底で皆とつながっているため、意識はあるものの個人を識別する必要に駆られたことなどなかった。
「すまぬ。私には名がない」
「じゃあ、今から君の名前はクリス。クリスの望みを叶える代わりに、アルディオス・フォン・ルシフェルの名の下に主従契約を」
差し出された左手。その言葉を受け入れた瞬間、私は眩い光に包まれる。仲間とのつながりが切れ、初めて味わう感覚。後ほどそれは浮遊感というのだと陛下が教えてくれたが、目を開けた時には見下げていた彼を見上げるようになっていた。
近くで見れば見るほど、彼には一切の綻びがない。その長い手足も喜びに輝く瞳も、性をどちらにでもできる私でもわかるほどに美しかった。
「このクリス、契約に従い陛下に必要な知識を授けよう」
「ありがとう、これからよろしくね。期待してるよ」
そうして、私より頭一つほど高い主人と、生まれて初めての握手をしたのだった。
△▼△
「そういえば、最近は食べてないみたいだけど。いいのかい?」
月光がさす執務室。先日起きた銀狼族とオーガ族との小競り合いについてまとめられた文書に目を通しながら、アルディオス様は唐突に言った。
何を指しているかを一瞬で精査し、私は笑みを浮かべる。
「ええ、ヒトより美味しく食べられるものがあると知りましたから」
2つしかないものの、自由に、繊細に動かせる手足を手に入れたその一環で、一時期食材を調理するその手法に興味を持ち取得までしていたことを思い出す。結果、私の味覚には血の滴る肉よりも淡白な川魚が合っていた。
まあ、その過程の一つで彼の執事よろしく紅茶の淹れ方まで覚えられたのだから、何がどこで役立つかわからないものだ。
そう、知識欲に飢えていた私はもういない。もちろんまだ知り得ないことがたくさんあるため、見聞は広げていくつもりだが今は得た知識を使いこなす方が何十倍も有意義だということを知ったのだ。もちろん目の前の彼のためにだが。
「ならいいんだけど」
「それにあの頃は食べ方を気にする必要はありませんでしたが、今はアルディオス様の顔に泥を塗るわけには参りません」
そう、彼が最初に城に連れ帰った臣下であり、今や宰相の地位にいる私の一挙一動には、疾しいことがある者もない者も目を光らせている。探られて痛い腹などないが、親しみを込めたこの呼び方も2人でいるときだけだ。
彼の地位は私が忠臣となり20年、ようやっと安定を見せ始めた。1番の難所だったのは、15年ほど前からの5年間、アルディオス様が頭痛や倦怠感など原因不明の体調不良に襲われたことだ。
どれだけ手を尽くしても改善の兆しは見えず、むしろ日を追うごとに悪化する一方で。役に立たない自分に忠臣としての価値を見出せなくなる。
見苦しくも泣きながら契約を解除してくれと懇願する私に、せっかく手に入れたのに逃すものかとベッドの上から彼は一蹴したが。
その代わりに国の宰相として私を祭り上げ、自分は表舞台から消えて情報統制を行う影の部隊の育成や、増え始めた臣下のうち本当の忠臣を選別する機会としてしまったのだから、その思慮深さに平伏するより他にない。
ー結局原因はわからぬまま、10年前の秋口から体調は戻り、その後は歴代の王をも凌ぐほどの魔力を手に入れ着々と直接的な支配下を広げている。
元々、再現不可能とまで言われた重力魔法を操り、見目麗しく何でも卒なくこなされてしまう方だ。それまでに蓄積された過労や、1人でできることには限界があったのだろうと私の中では結論づけた。
「もし、クリスが欲しい物があるなら教えて。僕でできることなら叶えるよ」
アルディオス様は反逆、敵対する者に情けをかけることはないが、懐に入れた者には笑みを浮かべて甘い言葉を囁く。しかし、それに勘違いして身の丈に合わない願いを口にした者は気づかぬうちに閑職に追いやられるか、裏の顔を引き摺り出されるかの二択だ。側近として、その光景を何度も間近に見ている私は決済済みの書類を整えながら微笑み返した。
自分の振る舞い全てで相手を見極める人だから、5年も新しい臣下もなく魔王としてあれたのだろう。
「では、向こう200年はこの安定した統治を続けていただきたく。あとはもう少し人間の書物さえ手に入れば文句はありませんね」
「そのことなんだけど」
椅子に深く座り直して、手を招く彼の近くに寄る。執務室には完全防音の魔法がかけられているが、よっぽどの内容なのだろう。彼の口のそばに耳を寄せる。
「僕は、やっぱり聖女が欲しい。彼女の魔力は魔を払う聖魔法と、結界が主だろう? 聖女を堕として、その魔力を奪うことで人間たちの侵攻を防げる要になると思うんだけど」
「また、そのような酔狂なことを。アルディオス様もご存知の通り、魔王と聖女は互いに覚醒するまで感知もできず、たとえ意思を持って近づいても反発し合う磁石のように引き離される。そんな者をどうやって堕落させるおつもりで?」
「ところが、そうじゃないみたいなんだよね」
「?」
いつの頃からか、アルディオス様は聖女の持つ結界魔法にえらく興味を示していて、話題に上がるのは珍しくはない。しかし、得意そうな笑みを見ると今日の彼は一味違うらしい。
長い指を振るだけで、ふわりと部屋の隅の水晶玉が浮き上がって映像を映した。
これは、人間の国の貴族の屋敷か。蔦が絡みつき少しくたびれた印象のあるレンガ調の壁。2階にある窓の向こうに動きがあり、映像がそこに寄るが小さいことには変わりない。
私は映し出される2人の少女のうち、1人に釘付けになる。長さの整わない銀髪の隙間から一瞬見えた宝石のような瞳に、いつの間にか無表情になっていたアルディオス様は話し出す。
「今世の聖女、ひどい虐待に遭ってるみたいで守護が極端に弱い。確かにこれ以上は近づけなかったけど、彼女を見つけることはできた」
映し出される水晶玉の中、痩せ細った少女が醜い顔のブロンドの少女に執拗に扇でぶたれている。
貴族の使用人としては薄汚れ、袖口がほつれたボロの服を纏っていた。頭を庇うように抱える白い腕には幾重にも重なる赤い線が走り、痛々しい。王都では100年ほど前に廃れた低俗な躾のようなそれに、私は嫌悪を覚えた。
魔の国に死刑制度はもうない。犯罪者は己の犯した罪により、魔力を奪われ種族による差はあるが男ならば大抵が鉱山奴隷、女ならば性奴隷としてある一定期間か、死ぬまで苦しみを味わうのだ。そして犯罪奴隷は国のもの。つまり全てがアルディオス様の管理下にある。
一応救済措置として被害者遺族が申請をすればひっそりと手打ちにすることも可能だが、今では9割近くの犯罪者が明日をも知れぬ恐怖を感じながら一応は国の役に立っている。先代の魔王様からの発案で、王都で試験運用されていたそれを、アルディオス様が国の制度として確立させたのだ。
おっと、これは聖女とは関係ありませんね。閑話休題。
「これは、確かに」
「ね、銀髪のアメジスト。先代を聖女に殺された、11代の記述とそっくり」
私も書物でしか知り得ない知識だが、魔王と聖女の容姿は対比されるがごとく決まっていた。
ただ、同じヒトにここまで貶められて聖女としてあれるのか?
私の表情から疑問を読み取ったかのように、水晶の中の聖女に視線を戻したアルディオス様は笑みを深めた。その漆黒の瞳にはねっとりとした執着と慈愛が共存するという、世にも恐ろしい状態だったが。
「でも彼女、聖女なんだよ。つまりあの義妹や義母を恨む気持ちなんてこれっぽっちもない。ただただ耐えて、日々を過ごすだけ」
このままだと徳が高すぎて、覚醒した暁には彼女の祈りだけでこの国が吹き飛びそうだ。
冗談まじりで楽しそうに呟く口調とは裏腹に声は真剣そのもので、決して予断を許さない状況だと理解する。
しかし、アルディオス様の中に彼女を葬る選択肢はないのだろう。手に入れた後魔力タンクとして飼い殺しにするのか、花嫁として未来永劫王座に縛り付けるのかはまだわからないが、どちらでも対応できるように準備を進めなくては。
「ってことで、クリス。ヴィントは先に王国へ行ってるから、一緒に調べ物を頼むよ。彼女の全てを僕に」
ああ、こうして知識を望むアルデイオス様はとても美しい。万の軍勢を率いて反旗を翻したリザード族を一人で蹂躙し尽くしたときのように、支配者のオーラを身に纏っているのに口から出るのはお願いなのだから。
この20年で彼に逆らう種族は尽く国から消え、衰退の一途を辿る。その代わり、珍しい魔力を持つ少数部族がまるっと近衛騎士団に優遇されたり、高い技術力を持つが長年武力によって支配されてきたハイドワーフを解放したうえで根気強く交渉し、魔王軍への武器や防具の永続契約を結んだり。
種族やそのものが生まれ持った純粋な力だけでなく、弱くとも知力を持つ者や優秀なものを重用する彼はときに差別の対象であった半魔すらも受け入れた。そのおかげか王都はここ200年ほどにない活気に満ち溢れ、ヒトと魔物の混じり物である彼らへの侮辱は影を潜めるようになった。先王が存命であることや、若さを理由にしたはじめの反発を他所に、賢王だと誰もが認める存在になっている。
欲したものは必ず手に入れる。それが魔王たる彼の所以だ。そして彼の一番側に傅くことを許されることに、得もいわれぬ悦びを感じるのだ。
「承知いたしました。アルディオス様」
私は最敬礼を取る。彼の与えてくれたこの身に誓って、忠誠が揺らぐことは決してない。
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副題 : 知りたがりのドリアードと魔王。
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