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エッチするまでの話⑤
しおりを挟む急速な温暖化で海面が上昇したことにより海抜百メートル以下の土地は海の中へと沈んだ。国土は以前と比較して約六十パーセントにまで縮小し、それに伴い人々の生活圏は標高の高い山間部へと移った。
全国に分布していた空港やヘリポートはめっきり数を減らし現在は旧甲信越地方、現日本国首都になる中央区山中に唯一空の便として空港が残されている。
内陸地に位置するその場所は今や日本の玄関口。アムステルダムまで十五時間、そこを経由し最終目的地まで二時間。おおよそ半日以上かけてやって来たのはインド洋に面したとある国。
外気温は三十八度。クーラーの効いた空港内から外に出ればむわりと湿度と熱気が襲う。舗装された広い道路を次々と走る車、天まで届きそうな高層ビルの群れ。外をマスクも付けず軽装で歩く人々にエルは少し驚いた。同じ地球でこうも違うのかと。
「LS副局長!」
空港を出たエルを出迎えたのは快活そうな青年だった。髪を短く切り揃え、焼けた肌と服の上からもわかる体格の良さは日頃から鍛えているのだろう。真っ白な歯で人当たりの良い笑顔を見せ『白鶴』と名乗るその男は公安部外事四課、日高のかつての後輩になるそうだ。
どこまで話を通しているのか分からないが、エルのその素肌ひとつ見せないスタイルを特に触れることなく、待機させていた車へと案内すると彼は行き先を告げた。
「今から捜査本部に向かいます。本部と言っても一般企業のビルを借りてるだけなのですが」
そう苦笑する白鶴に渡されたのは三つ折りの縦長なパンフレット。
表紙にはこの大陸ではお目にかかれない雲ひとつない青空の下で笑う男女の写真。中を開けば宇宙空間に打ち上げられたソーラーパネルとその概要。隣のページにはブロンズヘアにキザな顔立ちの白人男性が載っていた。
「有名な宇宙太陽電池メーカーの企業パンフレットです。そこの関連会社がこの街にあるようで、代表のアーウィン・フォードと言う男がどこから聞きつけたのか事件を知ってICPOに拠点を貸すと話を持ちかけてきたんです」
「捜査は公安だけじゃないのか」
「元々は地元警察と我々公安部のみで捜査を行う予定だったのですが、問題のカルト組織の教祖が国際指名手配犯の可能性があるとのことでしゃしゃり出て来た感じですね」
見た目によらず口が悪いらしい。エルは何も言わず、ただ意味もなくパンフレットを見つめた。
窓の外を流れる景色がより都会らしい賑やかな街へと変わり、数ある建物の中でも一際高いビルへ車は向かうと地下駐車場へと降りて行く。
暗くなった車内で思い出すのは日高に渡されたある事件にまとめられた資料。
すやすやと眠るフジをそのまま抱きしめて朝を迎えたい気持ちを堪え、胸ポケットに入れられたUSBの中身を確認した。
それは暗く、忌まわしい、この世界の少しだけ昔の話。
◇
今から約四十年ほど前。
最初はとある大学の学生たちにより内輪ノリで始まった、ただのサークルだった。
人生の最期をどう迎えるべきか。
そんな答えのない問いを哲学的な観点から、または感情のままに。自分の心の内を吐き出し合うそれは環境汚染がじわじわと進み、生活が徐々に抑圧されつつあった当時の人にとってはストレス発散に丁度良い行為だったらしい。
金のない学生を中心に広がり、主婦、高齢者、社会人と、数ヶ月もしないうちに数百人以上が所属する大規模な集まりへと変化していった。
創設メンバーであった学生らは困惑した。それと同時にこれ以上は自分たちの手には負えないと恐ろしくなった。
そうして彼らの卒業と同時に集まりは解散しようと決めたのだが、困ったことにひとりの教授がサークルを引き継ぐと申し出て来たのだ。
――この活動は社会の役に立っているよ、絶対に存続させるべきだ。
そう言われれば、確かにここまで大きくなった集まりを消してしまうのはなんだか勿体無い気がしてきた。熱心な説得と信頼出来る教授だったこともあり、学生たちは会員名簿と組織の指揮権をその教授に託し、それ以降は特にその集まりに関わることもなく普通の社会人として生きていった。
それが大きな間違いだと知らずに。
『終焉の会』と呼ばれる新興宗教が巷で話題になっていた。
人生の最期をどう迎えるべきか。時の番人と名乗る教祖が信者を正しい方へと導き、死後の世界で幸せになる為の教えを説いてくれるらしい。
少年は貧相な生活に嫌気がさして、それもこれも大金を稼ぐことができない親が悪いと喧嘩してその勢いで家を飛び出した。
行くあてもなく彷徨って、思い出したのは学校で聞いたそんな噂。電車代もバス代もすっかり値上がりして一般市民が払えるような額じゃなかった。少年は歩いて、歩いて辿り着いたのは大きな建物。
無機質で、周囲の森みたいな木々が建物を覆って人気を感じない。神聖だと言われれば確かにとも思えたし、廃墟だと言われればそうなのかとも思う。
出迎えてくれた人々はとても優しかった。
それに温かな食事と、お風呂、寝床。
世界の真相、政府の陰謀、これからの未来、全てを教えてくれた。
少年は笑った。自分の親はなんて無知で頼りなくて、そんなことも知らずにせこせこと端金を稼いで馬鹿みたいだ!
そして金と権力と知識、全てを持つ教祖に憧れと尊敬の念を覚えた。
――俺も幸せになりたいです!
少年は終焉の会に入会し、そこで暮らすことにした。
死後の世界で幸せになる為には様々な修行をこなしていかなければならない。だけどタダじゃない。セミナーみたいなものを受けるのだがお金を払わなくてはならない。
しかし少年に手持ちはなかったので掃除係として働くことになった。
教祖と信者が暮らすこの建物はとても大きく、毎日数十人の少年のように金が必要な信者が隅々まで綺麗にした。時には修行で使用されたらしい機械の片付けや、大規模集会の後始末、終焉の会を広くを認知してもらう為のボランティア、街のごみ収集など日夜働いた。少年は働くことが初めてで、こんなに大変なのかと驚いた。休みもなく、睡眠もまともに取れない。だが逃げることは許されない。信者同士がお互いを監視し、逃亡を図れば厳しい折檻が待っていた。
数ヶ月もすれば、少年は掃除係の中でも名誉ある清めの部屋の掃除を任されるようになった。時給が50000Cから75000Cへとアップするのだと言われたが、いまいちピンとこなかった。会の中の独自通貨の価値がわからず円で言えばいくらなのだと尋ねれば大人たちに逃げるのかと殴られ、それから少年は何か疑問に思ったとしても口に出さないようになった。
教祖、時様と呼ばれる彼には毎晩代わる代わる信者の体が差し出されている。時様と体をまぐわうことで魂の汚れを祓い死後より神に近い場所へと行けると言うのだ。
清めの部屋とは時様と信者のそんな神聖なる儀式の部屋。少年は毎日その部屋を掃除した。時様が使われる部屋だから丁寧に、汚れひとつ残さないように注意を払って懸命に仕事をこなした。
だがある日、奇妙なものを目にした。
最初は虫の死骸。
少年はその光景にギョッとした。どこからか虫が入って来たのだろうか?布団の上に落ちた大量の死骸に気持ちが悪いと眉を顰めながらも、きちんと掃除をしなければ折檻が待っている。箒ではいて虫たちは焼却炉に捨てた。
その日から毎日、毎日、部屋に入ればたくさんの虫が死んでいた。流石におかしいと大人たちに相談しようと思ったが、またあの時のように殴られるんじゃないかと恐怖がよぎり話すのをやめてひたすら毎日掃除した。
ある日、次は小動物が死んでいた。
流石に外から入って来たとは考えにくい。環境汚染と森林破壊で生き物は随分と数が減っていたし、例え野生がいたとしてもこの部屋に侵入してここで死んだとは到底思えなかった。
それでも誰にも話せなくて、小さな動物くらいなら庭に埋めるか焼却炉で燃やすか出来たのだが、ついには馬や牛までも部屋の中でグッタリと倒れている日が続いて、日々消耗していくそれらは最後には必ず死んでいた。
何が起きているのか全く分からないまま、それでも掃除をしなければ厳しい仕置きが待っている。具体的に何をされるのか知らなかったが、以前逃げ出した女の片腕が無くなっているのを見かけてゾッとした記憶が脳をよぎる。
体液に塗れ、動物かはたまた人か、暴れ散らしたであろう部屋で思考を止めてひたすら手を動かした。
何も考えてはいけない。
何も知らない方がいい。
ここで何があったかなんて…なにも。
馬や豚は調理係と一緒に解体させられ信者達の晩飯として出された。久しぶりの肉に、何も知らない信者達は大いに喜んでいたが少年はどうしてか手が震え、吐き気を催し食べることが出来なかった。
「明日、お清めの番だ」
「――――え」
お清めの番とはつまり教祖様と体を合わせる日のことを指す。少年はそう告げられて体を固まらせた後、カタカタと震えるのが分かった。怖い。アレほど以前は待ち侘びていた栄光ある役割なのに、今はこんなにも、怖い。
何も知らない周囲は良かったな!良かったな!と声を上げて喜んだ。しかし涙を流し我がことのように喜ぶ大人たちが何故だろう、安堵の顔に見えるのだ。まるで化け物から逃げ切れたような、今日の被害者はコイツかと同情するような、そんな顔をしていた。
「し、失礼致します…」
聖水と呼ばれる高い水にこれまで働いて貯めた金を払い体を洗った後、清めの部屋を訪れた。
少年が毎日朝起きて仕事する場に夜訪れるのは不思議な気持ちだった。
静かに開かれた襖、敷かれた布団、ゆらゆらと揺れる蝋燭、顔を決して上げないようにゆっくりと室内に入りひたすら頭を下げた。
どうか、どうか、時様だけでありますように。いつものような動物や虫がいませんように。
「顔を上げなさい」
初めて聞いた時様の声は穏やかで、少年の緊張はそれだけで一気に緩んだ。元々時様の素晴らしさに惹かれて入会したのだ。貧乏が嫌で、学校が嫌で、家族が嫌で、逃げ出したかった。死んだ後くらいは幸せになりたかった。
恐る恐る顔を上げれば声のイメージ通り柔和な笑みを浮かべた男がいた。やはり教祖様だと少年は身震いした。人と一線を画す、荘厳で神聖な雰囲気の持ち主だ。
「緊張することはないよ、ほらおいで」
手を引かれ布団の上へと倒される。キョロキョロと周りを見渡しても動物の気配は見当たらず少年はホッとした。
「君、歳は?」
「は、はい!今年で16になります…!」
「そうかそうか。若い体はね、穢れの蓄積が少ないから私との交わりをすれば確実に死後は神の元へと導かれるよ」
「ホントですか!?」
恐怖や不安は吹き飛んで今は高揚感だけが心を満たした。早く、早く時様と交わって体を清めてもらうのだ。そうすればこの苦悩から救われる。きっと虫や動物はその過程で必要な供物だったのだろう。こんな穏やかなお人が生き物に乱暴していたなんて、そんなこと。
「さあ、楽にして」
肩を撫でられ体の力を抜いた。
快適な温度に保たれた空間と柔らかな布団が心地よい。何度か肩と腕を撫でられ、時様の手が首から顎へ。
くすぐるような愛撫に息が漏れた。
そして、呼吸が止まる。
ギュッと首が圧迫され酸素が吸えず口をハクハクと開閉した。苦しい。もがくように手足を暴れさせたが何故か動かない。
抑えられている?
誰に?
分からない。
苦しい。
苦しい、苦しい、苦しいのに!
「っ、は…っ、かっ…!!」
見上げた先には変わらず微笑む時様がいた。
「昆虫を体の中に入れて遊ぶのも獣に犯される信者を眺めるのも飽きてきてね。最初は面白かったんだけど…泣き叫んで絶望して…ククッ、でも気絶するのはつまらないね。結局家畜共も死んでしまうし…まあ金出した分は楽しめたか。ん?ああ、ごめんね今は君に集中しなきゃ」
視界が霞み何も聞こえない。
耳も聞こえない。わからない。
ただ、苦しくて。
それから。
――……
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