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しおりを挟む穏やかな森林を抜け川沿いをひたすら上流に向けて歩いた。岩場に生えたぬかるんだ苔が足元を滑らせフジは何度か転びそうになるのをエルに支えられながら進む。日が完全に暮れる前に今日の寝床を決めると疲労からへたり込む己を横目にテキパキと動くエルにフジは泣きそうになった。
未知の大陸でも同じ地球だ。夜になれば陽が落ち真っ暗になるも人工物がないこの地では満点の星空がこれでもかと辺りを照らした。今にも星が降ってきそうな圧巻の夜空だった。北極星が一等輝いている。それはこの地が北半球に存在する確かな証拠なのだが実はいまだにこの大陸が地球のどこに位置するか判明していない。
ただ北へ。そうすればいつの間にかこの大陸に辿り着いているのだ。
無数の煌めきを視界いっぱいに入れながら、この景色を見ただけでもここに来た価値はあると昔誰かが溢していたなとエルが思い出していると「あの…」フジが小さな声で呟いた。
「今日はすみませんでした…」
藍色の星空から真っ赤な焚き火へと視線を動かす。
パチパチと炎が弾けた向こう側でフジが縮こまりながら謝っていた。食事や火の準備をしていた時から黙り込んでいたので体調が悪いのかと心配していたが今日のことを悔やんでいたらしい。エルは首を振る。
「私は貴方の護衛として派遣されたのだから謝ることはないだろう」
「しかし…これでは護衛ではなく子守のようであなたに申し訳ない。それに今日のことは…あの男に同情してしまった私の落ち度です…」
「死にゆく命を嘆き最後に良きようにしてやろうと思う慈悲の心は美しい。こんな場所なら特に見向きもしない人間が殆どだろう。貴方は間違っていない。見ず知らずの人間の悪意に心を傷ませる必要はない」
「でもそれでもし貴方が死んでしまったらと!」
「死んでいない」
「結果そうでしたけど…!やっぱり…ここからは私ひとりで、」
「それだけは駄目だ」
語気を強めたエルにウジウジと弱音を吐いていたフジは思わず黙り込む。怖い、という感情はなかったが口調は硬いが穏やかな話し方をする彼の強い言葉に驚いてしまったのだ。
焚き火の爆跳と川の流れが二人の沈黙の間を繋いだ。相変わらずフルフェイスのエルの表情は読めない。だがどことなく怒っているような気がしてフジはまたやってしまったと落ち込む。
(怒らせてしまった…)
この土地に来てから何度も彼の気分を害している自覚はある。幼馴染にも鈍いとよく言われた。きっと己のガサツさで彼を無意識に何度も傷付けてしまったのかもしれない。
「貴方は…」
エルが言う。しかしその後続く言葉は無くまた沈黙が落ちた。
火の粉が爆ぜ煤が舞う。風は穏やかで気候も良い。キャンプだと言われればそんな気もするが、ここは未知の新大陸。その中でも人類未踏の危険地域。死の恐怖、隣人へ頼りっぱなしの不甲斐なさ、父の容態への不安、様々なものがフジの心を巣食い重く暗い気持ちになってくる。
「貴方は…鈍いな」
落ちてきた軽口に伏せていた顔を上げ「へ?」と間抜けな声を上げたフジにエルは笑った。どれだけ豪胆で誠実な人間もここに来れば臆病者で狡猾な人間に為れ果てる。恐怖に追い詰められた精神と成功すれば手に入る膨大な金は人を狂わせる。
そんな人間を何人も見てきた。
それがこの男はどうだ。自分の落ち度ばかり気にして成功報酬への執着など微塵も感じない。その上護衛として派遣された出会って数日しか経っていない軍人の心配ばかりだ。そんなもの全く気にしなくていいのに。この男はきっと気付いていない…自分が人間ではないことに。
「わたし…やっぱり鈍いですよね…すみません、友人にも言われたことがあるのですが…こればかりは性分でして」
「責めている訳ではない。貴方の美点だとすら私は思う」
「そうでしょうか?そのせいで貴方を傷付けてばかりいて…申し訳ないのです…」
「傷?私がいつ?」
全く身に覚えがなく、はてと頭を傾げれば少し安堵した顔でフジは続けた。名前を聞いた時のこと、頼り甲斐があると褒めた時のこと、黙り込んでしまうエルに不快にさせたのではないかと不安に思ったのだと話してくれた。
「それは…私が全面的に悪い。すまない」
深々と頭を下げればフジは慌てて手を振る。
「い、いえ!気の所為だったなら良かったです。私が悪い方に考えてしまっただけだったんですね」
ネガティブだったなと自分を笑うフジにエルは言いにくそうに言葉を発した。
「照れただけなんだ」
「照れ…」
照れる。目の前の男とその感情がイマイチ合致しない。
「名前を答えて馬鹿にされなかったのも、頼りになると褒められたのも初めてだったのでどう反応すれば良いか分からず貴方を不安にさせる態度を取ってしまった」
「そうなんですか?こんなに素敵な方なのに」
「…」
「あ!いま照れてます?」
「フジ」
「あはは、すみません。可愛くてつい」
心の内を話し合えばなんてことないお互い負の感情なんて無かったようだ。先程まで心に巻き付いていた重く苦しい糸は呆気なく解けフジの気分は向上した。足を引っ張っている事実は変わりないが、エルが気にしていないのであればそれはもう頼らせて貰うしかない。彼が言ってくれたように私は測量士なのだから。
私の仕事は6番に到着してからだ。
安心すると途端にお腹が空いてフジは目の前で串焼きにされた川魚を取るとフーフーと冷まして齧り付く。清流に棲み苔を食べるらしいこの魚は臭みもなく食べやすい。川魚…と言うより養殖魚以外を食べるのは初めてだった。汚染された川や海では生き物は死滅し完全管理された水質で育てられた魚しかフジは食べたことがなかった。と言っても食べられるのは数年に一度くらいの高級品で普段はペースト状の人工食が主だ。肉や野菜に似せた味のフェイクフードは栄養素を全て含んでいるので健康に支障はないがやはり食事としては物足りない。
久しぶりの人間味のある食事への喜びを噛み締めながら食べ進めているとエルが言う。
「貴方に謝らなくてはならないことがもうひとつある」
身に覚えがなく今度はフジがはてと首を傾げた。
「貴方に好意を持っている」
パチンと大きく炎が弾け赤と黒が目の前をひらり舞った。目元のスモークシールドにメラメラと炎が揺れ無機質なフルフェイスに熱を帯びさせる。フジはモグモグと咀嚼し飲み込むと「私もです」と嬉々として答えた。
「政府派遣の軍人と聞いて最初は緊張しましたが話しやすくとても安心しました。その上、頼り甲斐もあって…貴方がいなければ私はすぐに死んでましたよ!護衛が貴方で本当に良かった。感謝してます、エル」
「それは…嬉しい言葉だが。…ふむ」
腕を組み何やら思案した後エルは続けた。
「すまない言い方を変えよう、フジ貴方をひとりの人間として好きだ」
「す………え!」
「これから先も貴方と二人きりの旅が続く。私は下心を持って貴方を守るかもしれないがそれを許してほしい」
「そ…」
「ああ」
「…………その…下心は………心の中に留めておくものでは…………」
「そうなのか。恋愛には疎くて。では、先ほど言葉は忘れて欲しい」
「いや…いやいや…」
忘れられるわけが無い。
いつ、なぜ、どうして、俺を?惚れられる要素もタイミングも全く分からずフジはグルグルと思考を巡らせてみたがやはり分からなかった。
見目麗しい美男でもなければ、筋肉質な引き締まった体を持っているわけでもない。魅力的な人間だとは到底思えないがエルの気持ちを否定するのも失礼だと気付きとりあえず食べかけの魚に口を付ける。赤く染まった顔は焚き火のせいだと誰に共なく言い訳させた。
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