怪盗&

まめ

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怪盗アンドロイドはデータ(記憶)を盗む

災厄(ディザスター)

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 このアンドロイドはちぐはぐだ。会ったばかりのアイリスにもわかる。あまりにも調和がとれていない。

 逞しい成人男性の外見、中身はどうだ、子供と変わらない。人間にアンバランスはあり得る、ならばアンドロイドにだってあり得る。だが、アンドロイドというものは多くが人間の仕事の補助のための存在である。力仕事に向く、成人男性の身体は設定されるモデルとしてありふれているが……ならば。

 どうして、精神が幼い?
 外見を幼くすることはあり得るだろう、アンドロイドに子供という視覚的な美を求め、精神を大人と変わらないものにすることもある。精神が子供、そんな存在にすることはあまりに不効率だ。無駄な労力がかかる。

 アイリスは子供らしくない息をついて、自分の小さな手を見る。そして、首飾りについている石を握った。エメラルドグリーンの石は冷たく、感覚を研ぎ澄ませていくようだった。

 アイリスは首飾りの贈り主を、父を想う。
 ……アンドロイドの研究をしていた父を。
 唐突に彼女は問うた。

「手を握ったら記憶を見ることができるのですか」
「そうですよ」
「ではそのために、私に手を握ってよいかと聞いた……?何故聞いたのです、聞かずに握ればよかったのに」
「フィクサーさんに怒られたんですよ、勝手にデータを盗るのは〝泥棒〟だって。僕は〝怪盗〟ですからね」
 ふふんと得意げに笑う彼の瞳はやはり空の色をしている。

「それに僕はあの時に記憶データは盗ってませんよ。ちょっと見えましたけど。だって、キミはいいよって言っていないでしょう?」
「何故、手を握るんですか」
「お友達になりたいからです」

……ほら――人間は握手をして、お友達になるんでしょう?

 アイリスは目を伏せた。彼女の視界は彼の長い脚で占められた。ぐっと奥歯をかみしめて、それから顔を上げた。
「貴方は何のために記憶データを盗むの?」
「世界平和のためです!」
迷いなく彼は言う。

 ニコニコ顔の怪盗アンドの前にあるのは積み木だった。積み木よりはダンベルが似つかわしい腕で、絶妙なバランスで積み上げていく。
 彼は膝をついて彼の目の位置まである大きな城を作っている。子供の玩具には違いないが、建造しているに近しい。精巧に塔や螺旋階段を再現している。実際に彼はアンドロイドだから、建物の構造を理解し再現するのは容易いのだろう。

 しかし、世界平和……?アイリスは首を傾げ、素直に問う。よくぞ聞いてくれましたとでも言いたげな顔で、彼は腰に手を当てた。

「世界平和です。凄いでしょう?……世界には悪い人が沢山いるんですって。悪い人。僕はそんな悪い人――災厄ディザスターを止めるんです。僕が兵器の情報を盗んで、無くしてしまうんです」
災厄ディザスター……そう」
 世迷い事、何の物語だとは、彼女は言わなかった。

 ――父さんの研究は、悲しいけれど、悪い人が使ったら兵器になり得るんだよ。
 その言葉が脳裏をよぎって、頭を揺さぶった。彼女は理由のわからない何かに心臓を握られているような心地になった。

「どうして、私の記憶を……?」と思わず口をついて出たのは、胸の奥の苦い気持ちを抑えることができなかったからだ。そして、その澱んだ気持ちは吐き出される。
「私の父が兵器のデータを持つ、災厄ディザスターだったと?だから、父は……」
 アイリスが会えない場所へ旅立ってしまったのか。いや……のか。

「何が見えたのですか、あの時、あの手を握った時」
 飲み込めない重苦しさを押し出そうと、口からひゅうと息が漏れた。そのまま息ができなくなってしまいそうだった。
 空のような瞳がアイリスを映している。
「大きな木の下で、お父さんがいて、敷物の上に、キミは自分で作ったお弁当を置きました。嬉しそうにお父さんが笑って、キミの笑う声も聞こえた……幸せそうでした、とても」

 記憶が溢れる。
あの日の雲一つない空の、吸い込まれそうなほどに広くて美しい青を思い出す。その青が眼前の彼の空に被る。 
木漏れ日の柔らかさ、草と土の温かな感触、風の匂い、そして……父の顔を。誰よりも優しい笑顔を。

 アイリスは胸の中から溢れた思い出のせいで、胸が空っぽになってしまったかのように座り込んでいた。
 怪盗アンドはきょとんとして、それから慌てたように彼女を見て、顔を覗き込もうとした。大柄な彼の身体に触れて、積み上げられていた積み木の城は崩れて床に雪崩れる。

 崩れていく積み木の音が、部屋に鳴り響く。
 作品とさえいえる積み木の崩落を、彼は気にも留めずに、どころか、まったく目に入っていないように、アイリスに近づいて。

 近づいたは良いものの、機能停止をしたように硬直した。眉を下げて、目を必死で泳がして、口を金魚がするようにはくはくと開閉させる。
 アイリスは困り切った彼の顔を見つめる。ぼやけた視界が歪む。彼女は他人事のように、自分の涙が床に落ちるのを眺めていた。

 彼は抱きしめられる腕も、貸せる胸も、安心感を与えられる背中も持っている。それにもかかわらず、ただ狼狽えている。情けなくて格好がつかない様が、迷子になっている子供のように見えて、アイリスは笑った。目尻から涙が伝い落ちていく。

「ごめんなさい。貴方は悪くない。気持ちを制御するのが、得意ではないだけ。怪盗アンド……いえ、アンド、わかるでしょうか?」
「キミは悲しいのですか?どうして悲しいの?僕にはわからないんです、どうしても。悲しいことは嫌なことなんでしょう?……僕はから」
?貴方を作った人は随分酷いことを」と囁くように言って、アイリスは涙を拭った。彼女はもはや目の前にいる筋肉質で大柄な大人の男を、そのようには眼差すことができない。

 子供であるはずの彼女は、まるで年端もいかない弟に接するかのような大人びた顔で柔らかく笑んだ。
「名前を言っていませんでした。私はアイリス。アンド、貴方にならば、私は記憶データを見られても構わない」
アイリスに僅かに纏わりついた陰を吹き飛ばすように、彼は明るく笑った。
「僕はキミの記憶データを盗んでも良いんですね!」

 アイリスは手を差し出す。アンドの大きな手が彼女の手を包み込んだ。
 そして――彼の空色の瞳が揺れる。

 ――お前はやはり私の娘だよ、アイリス。

アンドには優しい男の声が聞こえていた。

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