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一章 誰かを救うために世界を変えたとして

恋することはできないけれどーー愛しましょう

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さて、ユメオウという名前の現実改変能力者は、確かに存在した。彼女は少女だったーー現実改変というあまりに強力すぎる異能を持ってしまった女の子。

ユメオウは願いましたーー優しくて素敵な人と出会う夢を。それは責められる謂れのない、年頃の少女としてはありふれた夢だった。だけど、彼女は現実改変能力者であり、普通の女の子では到底なかったのだ。

少女が助けられたのは、若い警官だった。彼の職務に忠実な至極真っ当な正義感は、彼女にとっては大きな、それは大きな意味を持ってしまった。

現実改変能力者を助けることほど不必要なことはない。神のような力のある人間に助けが必要なはずがない。だけど、男は助けた。、彼は助けた。

恋して、愛してしまったユメオウの運命は転がり落ちていく。

例えば、自分が愛する人を救えるとしたら、自分にその力があるならば、使うだろうかーー?使わないことが果たしてできるだろうか。

彼が傷つくのは嫌だった。彼が悲しむのは嫌だった。ユメオウには普通の少女とは違って、彼が傷つく運命を変えることも、悲しむ運命を消すこともできた。彼を自在に幸福にすることができた。

ーー幸せを他人が勝手に決めて良いはずはないのだが、そんなこと彼女には考えられなかった。

彼の幸せを願い、彼の不幸を改変して、彼の不運を改変して、彼の悲しみを改変して、彼の苦しみを改変して。

ーー端的にいえば、彼女、ユメオウは歯止めが効かなくなった。

彼が事故で死んでしまうなら事故をなかったことにしてしまえ、彼が暴漢相手に怪我をするなら、暴漢を消してしまえ、彼が誘拐された子供に心を痛めるなら、子供を消してしまえ、彼が事件の捜査で疲れているようなら、事件を消してしまえ。

彼が雨に降られるなら、雨を消してしまえ。道端にある石で彼が蹴躓くならば、石を消してしまえーー。

彼に立ち塞がるものは、彼の邪魔をするものはたとえどんなに些細なものでも、許さない。だって彼女にはそれを消す力があるのだ、愛する人を救う力があるのだ。

ーー救わなくては、救わなくては、私が救わなくてはーーだって、それができる!できるのにそれをしないなんて、そんな想いではないはずだ。

救えば救うほどーー現実改変によって変えれば変えるほど、歪みは大きくなっていく、果てはあまりに歪みすぎた運命によって、救っても救ってもきりがなく、定められたかのように死に向かうほどに。救うはずのその行為は現実改変という神の領域の力によって歪み、もはや取り返しのつかない領域に到達した。

全てを改変するに、彼女の力は足りなかった。ーーそして、度重なる現実改変の影響が彼女自身の身体を蝕んでいく。現実改変は恐ろしい力だ、あまりに万能であるがゆえに世界の方がそれに耐えられない。

彼女は全てを犠牲にして、彼を救う、救い続ける、人としてあるべき何かを失いながら、それでも救い続ける。良いのだーーユメオウは男に幸せになってほしいだけだった。愛したいだけだった。人間の欲に底がないように、彼女のその思いにも底はなかった。


行きすぎたユメオウが求めたのは、彼を変えてしまうことだったーーすでに人間性を取り落とした彼女では、それは至極真っ当に思われた。どうにも彼は優しすぎるーー誰かを助けようとしてしまうから、危険な目に遭うようだーーならば。

ならば、変えてしまえば良い。

彼女の現実改変は運命操作に特化してはいたものの、過去を改変するには向かなかった。うっかり彼が消えてしまっては困る。考えた少女は同じ現実改変能力者を頼ることになる。それが黒い女、サキユクである。

彼女が望んだのは、彼の自意識を一時的に子供に戻し、彼を構成した不幸を消してしまうことーー彼が警察官になるにいたった事件をなかったことに書き換える。

彼の優しい正しさを好いたのに、彼女が消そうとしたのはその源だった。もはや彼女の思考に、それを否定する人間らしさは残されていなかった。そこには純真な少女はいなかったーーいたのは人の運命を弄ぶ怪物だ。

桃色の髪の少女にサキユクは言った。

「私ならばーー桃色さん、貴女が人の形を保てなくても、貴女のままにしておけますよ」
「いらないわ、だってお話しできないのでしょう?猫がいいわ、可愛い猫にして」

果たして救い続けた相手に知られることなく、猫として可愛がられるのは、幸福とはいえるのだろうか。サキユクにはわからない。可愛らしい少女は瞳に狂気を宿して笑うーー人間みを溶かしながら。

ユメオウはしばしば、サキユクが男を好きにならないか案じていた。

「お姉さん、大人だし、綺麗だもの。きっと交番のお兄さん、好きになっちゃうわ」

桃色の髪の少女にサキユクは笑った。頬を膨らます少女に、彼女は首を振る。

「ーーいえ、可愛らしいなと思いまして。大丈夫。私に恋心なんてものはとうにないのです。ーー想いを操れてしまうの。無意味でしょう?」

サキユクにとってユメオウのその狂気というべき思考はどこか好ましく見えた。もはやその思考を人間らしいとはとても言えなくとも。

羨ましいと思ったのかもしれない。サキユクにそのような熱意はない、ただ無為に強大な力を抱えて、デッドラインから隠れて生きているだけだ。死にたい理由もないが、生きるべき理由もない。彼女に拘るべき人も、ものも、信念も、何一つなかった。

ーー誰かのために生きられるのは、それが他人にとってどれだけ不幸でも、悔いなく生きられるなら、どれだけ悲劇でも、きっと価値があるのかもしれない、と。

「貴女のように恋することはできないけれどーー愛しましょう。そういう約束ですからね」

サキユクは笑いかけた。

そうして、彼女はユメオウのために、彼女が恋した警官のために、力を使うことにした。それが先の見えない真っ暗なトンネルで見出された光のように、サキユクには思われたから。

皮肉なことに、どこまでも真っ当だった若い警官は、年若い少女を庇護対象とは見ても、決してそれ以上で見ることはなかった。そして、あの時、ユメオウが言ったように、彼はサキユクを好いたのである。謎めいた美しい女を。

サキユクは彼の瞳の熱を理解するーー理解するだけだ。強がりでも、ユメオウへの遠慮でもなく、彼女には人間など、どれも同じ記号のようなものだったので。ーーそれでも愛着を向けるべき記号だった。

いつだって若い警官は、何も知らない彼は、力ない弱者に見えるサキユクを心配してならなかった。おかしな話であるーー彼の目の前にいる女は、望めば何人でも自在に殺せるというのに。

彼の想いに応える気はないが、その優しい人間らしい矛盾と傲慢に満ちた正しさは好ましい。きっとユメオウが恋したのは、そういうところなのであろう、と。同じ気持ちを抱くことはなくとも、サキユクにも理解はできた。

ユメオウの最期まで届くことはなかった想い。仕方のないことだ。現実改変能力者は体の作りは人間でも、そのあり方は到底人間とはいえない。

ーー愛してほしい。

きっとユメオウが伝えたかったのはそれだけだった。これから先も届くことはない。
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